Case.1 エメラルドの瞳の少女 4
それから、お嬢様は泣きながら、ゆっくりと話してくれた。
父親はいつも仕事で忙しく、家庭を
そして、そんな自分が大嫌いだと言うことも。
アカネさんが小さく息を吐くと、お嬢様は一歩後ろに下がった。目頭をハンカチで押さえながら……。
「……あなたは、どんな貴族になりたいのでしょうか?」
アカネさんが淡々とした口調で
「……ぼくは答えを持っていませんよ」
「……ああ、フェリックスの言った『凛とした貴族』になりたかったのね」
先程のぼくの言葉をひとつにまとめたアカネさん。お嬢様はこくりとうなずいた。確かに、ワガママばかりの貴族の令嬢よりも印象が良くなるだろう。
「なりたかった、のに、なれなかった?」
「だって、だって……。みんな、わたくしのことなんて……」
ぐす、とまた泣き出してしまった。そんなに涙を流したら目が溶けそうだ。
「……あのね、人は人の思うようにしか、その人物を見ませんよ?」
「え?」
「自分の理想像があるのなら、そのように振る舞わないと。今のお客様は、たぶん、『すっごくワガママな気難しい令嬢』って思われているんじゃないかなぁ、たぶん」
そんなに『たぶん』を強調しなくても、とは思ったけれど、アカネさんの言葉にお嬢様は固まってしまった。
「ひとりでも、お客様の本心を知る人がいればまだ良いのだけど……。それに、お客様のお父様だって、心配していると思いますよ? もしも次にお話しする機会があるのなら、よーくお父様の顔をごらんなさい。ね?」
幼い子に言い含めるように、優しい口調でお嬢様の肩に手を置くアカネさんに、ぼくはお嬢様に近付いて、ぽんと背中を軽く叩いた。
「自分の振る舞いが間違いだと気付いたのなら、それを
とりあえずアカネさんに
「人に対しての接し方、自分の考え方……。あなたはまだ若いのだから、いくらでも試行錯誤が出来るはずよ」
……アカネさんが敬語を使わないということは――……。
「さあ、そろそろ“記憶の扉”が閉まります。あなたの大事な“記憶”は、見つかりましたか?」
お嬢様はもう泣きやみ、深呼吸を繰り返して目頭から濡れたハンカチを外し、力強くうなずいた。それを見たアカネさんは、胸元に手を置いて恭しく一礼した。
「……わたくし、自分の貴族像を演じてみますわ」
「はい。お父様と、仲良くね」
「……ええ」
ふっと微笑んだお嬢様は、憑き物が落ちたかのように晴れやかだった。
ギィ、と扉が閉まる音がする。
不思議なことに、この扉が閉まるとお客様は元の世界に戻るようで、“
――ぱたん――
☆☆☆
扉の閉まる音と同時に、アカネさんとぼくは店内に戻っていた。
「――今回の報酬は、これね」
アカネさんが手のひらを上にすると、あのお嬢様の瞳のようなエメラルドが現れた。
「あとで換金しましょ。現金が良いんだけどなぁ。このシステムよりよりは」
「かなり質の良いエメラルドなので、良い値になると思いますよ」
「本当? じゃあ、今日はお客様が来た記念にワイン飲もう! フェリックス、おつまみよろしく」
「はい、アカネさん」
……本当、どういう報酬の仕組みなのかさっぱりわからない。
わかることは、この店内ではどんなことでも『そういうシステムだから』で片付けられることだけだ。
「今日はもう閉めますか?」
「そうね。そっちはわたしがやるから、フェリックスはおつまみよろしく。美味しいのが食べたいもの」
パチンとウインクをひとつしてから、アカネさんは意気揚々と店内の掃除を始めた。
……まあ、彼女がそういうのなら、とキッチンに向かう。作りたいおつまみを想像していると、キッチンに用意されていた。……この思考が駄々洩れな感じに慣れる日は来るのだろうか……。
便利といえば便利なのだが……。いや、今はおつまみを作ることに専念しよう。
きのこと小ぶりのエビや牡蠣などの魚介類、ブロッコリーやミニトマトなどの野菜類。オリーブオイルに輪切り唐辛子、それに塩。
硬めのバゲットはスライスして出せば、アカネさんは喜びそうだ。『アヒージョはパンを浸して食べるのが美味しいのよ』と、以前言っていたから。
それだけでは……と思い、別のおつまみも想像する。
……想像するだけで食材がゴロゴロと用意されるのだから、いつの日か想像だけで料理が出来たりしないものかと淡い期待をしている。
叶ったことはまだないけれども。
ともあれ、この格好では料理が出来ないので一度自室に戻らなくては。
自室の鍵を開けて中へ入ると、ふわりとなにかが横切った気がした。
――ありがとう――
エメラルドの瞳の少女の声が聞こえたような気がして、辺りを見渡す。だが、振り返っても誰も居なかった。代わりに、部屋の机の上にメッセージカードが置かれていた。
『お父様に謝罪して、許していただきました。今は、あなたの言った令嬢になれるように努力しています』
時々、このようにメッセージカードが置かれていることがある。それも不思議だが――……。お嬢様が、新たな一歩を踏み出せたことを知り、ぼくは「よかったですね、お嬢様」と呟いた。
――さて、着替えたらおつまみを作ろう。今日は、ブロッコリーを少し多めに入れようか。
余談だが、ぼくが作ったおつまみをアカネさんは喜んで食べてくれた。
そして、彼女のもとにもお嬢様からメッセージカードが置かれていたらしい。ワインを
飲みながら、アカネさんが教えてくれた。
「新たな一歩を踏み出した麗しの乙女に乾杯。なんてね」
そう言いながらも、アカネさんはどこか嬉しそうにワインを飲み(ぼくも
――次のお客様はどんな方なのだろうか。
そう考えながら、ぼくも自分の作ったおつまみを味わないながら食べた。
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