Case.1 エメラルドの瞳の少女 3


『――どうしてそんなことも出来ないのかしら?』


 メイドの少女に向けて、鋭利な刃物のような視線を向けるお嬢様の姿が見えた。お嬢様は驚いたように目をみはる。これも、過去の出来事だろう。


『も、申し訳ございません、お嬢様……』


 メイドの少女は身体を小刻みに震わせて、今から起こることに怯えているような、弱々しい声で謝罪の言葉を口にした。


『謝るくらいなら、完璧にしてちょうだい。こんなに安っぽいドレスを着せようなんて、どうかしているわよ』


 腕を組んでメイドの少女が手にしているドレス。少し古そうに見えるが、充分に質の良さそうなドレスだった。


『こ、このドレスは奥様がお嬢様のために……』

『そんな証拠、どこにあるのよ? 大体、お母様がこんなドレスを私に渡すわけ、ないじゃない』


 ちらりとお嬢様に視線を向けると、ぷるぷると震えていた。そして、目を閉じて耳を塞ぐように手を動かした。それを制したのはアカネさんだ。


 アカネさんは彼女の後ろに立ち、後ろから抱きしめるように彼女の手首を掴み、耳元でささやく。


「目を背けても、なにも変わりませんよ、お客様」


 どこか叱咤するかのような声色だった。


『もう黙って。――わたくしの視界からいなくなってくださらない?』


 冷たい視線のままそういうと、お嬢様はドレスと一緒にメイドの少女を部屋から追い出した。メイドの少女は耐えきれなかったのか、ぽろりと涙を流してドレスを持って立ち去った。


 お嬢様はその様子を見て、口元に弧を描いていた。


『まったく。あんな地味で安っぽいドレス、誰が着るものですか!』


 ぶつぶつと文句を口にしながら、扉をバタンと大きな音を立てて閉めるお嬢様。


「こんなもの、わたくしに見せて、どういうつもりですの!?」

「……お客様のいう『貴族』ってこういうものなのですか?」


 質問を質問で返すアカネさんの表情は、どこか悲しそうだ。後ろからだから、見えるのはぼくだけだろうけど。


 ぼくが近付くと、お嬢様はびくっと身体を強張らせた。……怯えられている?


 だが、それはぼくの思い違いだということに、すぐに気付いた。近付いてくる足音が聞こえたからだ。


 怒りを隠していない足音だった。なぜか、こういう足音に覚えがあるような気がする。……ぼくの失った記憶にも、こんなことがあったのかもしれない。


『いったい使用人を何人辞めさせる気だ!?』


 ノックもせず扉を乱暴に開く男性――お嬢様と同じエメラルドの瞳を持っているから、きっと彼女の父親だろう。


『そんなの、彼女たちが悪いのです。わたくしの気分を損なう真似ばかりして!』

『お前の気分はそんなに簡単に損なわれるのか! ……はぁ、まったく。妻を亡くしてから、私はお前に甘く接しすぎてきたようだ……』


 呆れたように目元を細める男性に、お嬢様は首を傾げた。


『甘く? なにを仰っておりますの? お父様はいつも、わたくしのことなんて関心ないでしょう?』


 お嬢様の父親は、それを聞いて目を大きく見開いた。それから、苦虫を嚙み潰したように表情を歪める。


『……お前には、そう見えていたのか……』


 どこか落胆するような声だった。しばらく沈黙が続き、重々しく男性が息を吐いた。そして、なにも言わずに部屋から出ていった。そんな姿を見ていたお嬢様は、腕を組んで「なんなんですの」と呟いていた。


「ねえ、お客様。本当はもう、わかっているんでしょう?」


 アカネさんはわざとらしく、あわれむような声色でお嬢様の後ろから前へと移動して、そのエメラルドの瞳と視線を合わせた。


「あなたの理想の貴族像では、いけないことを。……フェリックス、貴族のイメージってどんな感じかしら?」

「そうですね……。いろいろな人がいますが、印象に強く残るは我の強い貴族と、――とても洗練された動きをする貴族、ですね。前者はともかく、後者は凛としているというか、雰囲気が違うように思います」


 ぼくは顎に指をかけてこれまでのお客様を思い出していた。この“記憶メモリア館”に訪れる人々は、貴族や平民、はたまた猫や犬などの動物も来たことがある。ただ、動物たちはいつも瀕死の状態できていた。どうやら、優しい記憶を抱きながら眠りにつきたいようだった。


 思い出したい優しい記憶を抱いて、“記憶館”から去っていく動物たちの最期を思い、こっそりとアカネさんが涙を流していたことを覚えている。


「こちらのお客様は、前者に見える? 後者に見える?」

「え、それをぼくに聞くのですか……?」


 ぽかんと口を開けると、アカネさんはこちらに視線を向けた。その瞳は真実を言えと強いオーラを放っている……気がした。


「……前者ですね。ですが、『貴族としての令嬢』を演じているようにも見えます」


 ぼくがそういうと、弾かれたようにお嬢様が顔を上げた。その瞳は戸惑いを隠せていない。……ああ、やっぱり。お嬢様は亡くなる前の言葉にとらわれている。


「わたくし、は……」


 ぽたり、とお嬢様の目から涙が溢れ出してきた。


 アカネさんはお嬢様にハンカチを渡すと、お嬢様は緩やかに首を横に振り自分のハンカチを取り出して涙を拭いた。


「……わかっていますわ。でも、そうでもしないとわたくしはつぶれてしまう……」


 ぐすぐすと泣きながら、お嬢様は母親が亡くなるまでのことを話し始めた。


「わ、わたくし、本当は泣き虫で、誰とも話すことができなくて……。お母様が病気になるまで、ずっとお母様と一緒に過ごしていたの……」


 アカネさんは目をぱちぱちと瞬かせた。本当に泣き虫だったのだろう。ヒックヒックと肩を震わせながら、器用に涙を拭いている。ぐっと目元をさえて、深呼吸を繰り返した。息が浅くなっていたらしい。

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