Case???:フェリックス&アカネ 1
『って、都合よく行くわけないか』
肩をすくめて、一度ぐっと背伸びをした瞬間、アカネさんの背後になにか――手のようなものが、伸びて――彼女は攫われた、ようだった。
気が付いたらまた別の場所に来たようで、アカネさんは戸惑いを隠せないみたいだった。
『どこ、ここ……?』
声は震えていた。それでも、彼女は気丈だった。パンッと両手で頬を叩くと、ゴソゴソとなにかを取り出して『ケンガイか』と呟く。
ケンガイとはどういう意味だろう?
『こういう時、某大型掲示板が繋がるって言うのはやっぱりデマだよねー』
なにを言っているのかさっぱりわからない。
『それにしても、なんの予兆もなく異界デビューか。……なんか、想像していたよりも綺麗な場所だなぁ……。っていうか本当、どうなっているの』
どうやら、アカネさんは店の近くにいるらしい。あの外観は、“
アカネさんは少しの間、そこから動かなかった。だが、意を決したように中へと足を進める。
ぼくの意識もまた彼女を追うように店の中に入った。
『……いらっしゃいませ』
出迎えたのは、年老いた女性だった。だが、凛とした
『あら、こんなに若い子を連れて来るなんて……』
意外そうに目を丸くして、それからほんの少しだけ眉を下げた女性は、アカネさんを見てそう呟いた。連れて来るなんて、とはどういう意味だろう?
『あなたは……?』
『私はこの“記憶館”のオーナー。と言っても、あと数日でオーナーではなくなるのだけど』
『え?』
『あなたは、私の後釜に選ばれたようね。――アカネ、さん』
アカネさんは目を大きく見開いた。彼女に自分の名を告げていないのに、どうして知っているのだろうと怪訝そうな表情を隠さずにじっと見つめていた。
『――ええと、さっぱりわからないんだけど、説明してもらえますか?』
困惑しながらも、アカネさんは女性に対してそう言った。女性は頬に手を添えて、『もちろんよ』と答えた。
『こちらへいらっしゃい』
そう言って女性は店の奥へ向かう。店の奥に、テーブルと椅子がありテーブルの上にはお菓子とお茶が用意されていた。
『まず、ここのことを説明しないといけないわね。ここは、いろいろな“記憶”を取り扱う店なの』
『記憶を取り扱うって、どうやって?』
『実際に見たほうが早いかもしれないわねぇ……』
女性は一度アカネさんを残して、女性はパタパタと別の場所に向かい、すぐに戻ってきた。手にしているのは、分厚い本……のようなものだった。
『この本はね、これまでに来たお客様の“記録”なの』
女性はテーブルの上に本を置くと、愛しそうに表紙を撫でる。その表情はとても柔らかくて、どこか誇らしげだ。
『……拝見しても?』
『ええ。これはあなたの物になるから』
それから、女性に座るように促されたアカネさんはすとんと座り、本の表紙をじっくりと見ながら、ぱらりと表紙を捲った。
ぼくもアカネさんの背後に行って覗き込む。どうやらアカネさんもこの女性もぼくのことはわからないみたいだし。アカネさんはじっくりと、その“記録”を見ていた。
どうやら、これは彼女の書いた日記のようなもののようだ。今日はお客様がいらっしゃった、とか、一週間暇だったとかも書いてある。そして読み進めていくうちに、来るかどうかもわからない人を待ち続けるのは疲れた、と書かれていた。
『あなたは……、誰かを待っていたのですか?』
『ええ。でもね、もういいの。ここにいるうちにどんどんと――気持ちが落ち着いてきたから』
くすっと笑う女性。その女性の表情はとても寂しそうに見えた。
『私には夫がいたのだけど、ある日突然失踪したの。なにかの事件に巻き込まれたのか、自ら失踪したのかはわからなかったけれど……。それからずっと待ち続けていたのよ』
目元を細めて切なそうに声を細め、つい、とティーカップのフチを指の腹でなぞる。
『――いったい、どのくらいの年月を?』
ぱたん、と本を閉じてアカネさんが尋ねる。
『……覚えていないわ。ただ……、ここでの生活って、何年経っても同じようなものだから……疲れてしまったの』
この女性は、一体どれくらいの時間をここで過ごしていたのだろう。
『――だから、私の“記憶”を探してくれないかしら? 新しいオーナーさん』
そう言って、女性は微笑む。アカネさんは驚いたように目を大きく見開き、それから『ちょっと待ってください』と片手を前に出した。
『あなたの記憶を探すって、どういうことですか?』
『代々、この世界から出て行くには、記憶を探さないといけないの。それは、私にとってとても大事な記憶で、忘れたい記憶』
大事なのに、忘れたい? 矛盾しているように聞こえて、首を傾げた。
『あなたはこの場所に選ばれた。きっと探し当ててくれると信じているわ』
女性は優雅に微笑む。アカネさんは一瞬息をのんで、それからゆっくりと息を吐く。そして、意志の強そうな瞳を女性に向けた。
『わかりました。――あなたの大切な“記憶”を探し当てましょう』
きっぱりとそう言い切った。それに驚いたのは女性のようだ。
『本当に良いの? あなた、ここから出られなくなるわよ』
『……わたし、家族いないんですよね。つい先日、交通事故で亡くなって……。うちの両親、駆け落ちだったみたいで、親戚たちも知らないし。友達も恋人もいない生活だったから、わたしひとりが消えたところで誰も困らないと思うんですよ』
――聞いてよかったのだろうかと一瞬悩んだが、これはきっと夢。起きたら覚えていないだろう。たぶん。そうであって欲しい。
『だからね、おばあさんが困っているのなら、助けたいなって』
にこっと明るく笑うアカネさんに、女性は目を瞬かせて、それから表情を綻ばせた。
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