Case???:フェリックス&アカネ 2(完)


『――ありがとう』


 女性はすっと頭を下げた。……この女性はきっと、“終わり”を長い間待ち望んでいたのだろう。


 ――と、そこで、ぼくの意識は途切れた。


☆☆☆


「フェリックス!」


 アカネさんの声にハッとしたように目を開ける。目の前には、心配そうなアカネさんの姿。


「もう、ダメじゃない。ちゃんと扉を閉めないと!」

「すみません……」


 ……ああ、ここは『ぼくの部屋』だ。きょろりと辺りを見渡して、懐かしい夢を見たと眉間を親指と人差し指で揉み、ゆっくりと息を吐いた。


「お客様の“記憶”が混ざってない? 大丈夫?」

「大丈夫です。どちらかと言えば、三年くらい前の記憶のほうが強いので……」


 初めてアカネさんに出会った日のことを夢に見た、と言えばアカネさんは目を丸くして後頭部に手を置き、カリカリと頭を掻いた。


「そ。混ざってないのならいいのだけど……」


 アカネさんのことを夢に見たような気がするけれど、覚えていない。ただ、懐かしい感じがした。


「まぁ、大丈夫なら良いわ。ほんと、気を付けないと意識ごっそり持っていかれるからね」

「アカネさん、そんな経験が?」

「あるある。数えきれないくらい。鍵閉め忘れちゃうわたしが悪いんだけど」


 肩をすくめて当時を思い返したかのように遠い目をするアカネさんに、ぼくは眉を下げた。


 鍵を開けたまま眠ってしまったようだ。アカネさんがそれに気付いて起こしてくれたようだ。


「……あなた自身の記憶は、思い出せそう?」


 アカネさんの問いに、ぼくはゆっくりと首を横に振った。ぼくの中にある古い記憶はアカネさんと出会ったとき。それ以外は未だに思い出せない。――思い出すつもりもない、が正解かもしれない。


「……そう。やっぱりあの青年の記憶、見せるべきだったかしら?」


 でもなぁ、とアカネさんが言葉を濁す。


 ぼくのことを知っていそうな軍服の青年の顔を思い出して、少し気になりはしたが、ここでの生活に不満はないから、元の世界に戻ることが考えられないのかもしれない。


 なにせ、ここでの生活はとても穏やかで、満ち足りているものだからだ。それはきっと、アカネさんがいるからだろうとも思っている。


 ひとりきりで、いつ訪れるかもわからないお客様を待ち続けるのは、きっとぼくには耐えられない。


「……そろそろ、ご飯にしましょうか。いつの間にか夜明けだわ」


 部屋の窓に視線を向けると、優しい太陽の光が降り注いでいるのが見えた。


 目を細めて訪れた朝を迎え入れる。――『今日』の始まりだ。


 アカネさんが「支度はゆっくりで良いわよ~」と言ってから、部屋から出て行った。ぼくは「はい」と返事をしてからベッドから抜け出す。


 冷たい水で顔を洗い、ぼんやりとした思考をどうにかしよう。


 洗面所まで向かい、水を出す。手で掬い、ばしゃりと何度か顔を洗った。水を止め、柔らかいタオルで水滴を拭きとり、じっと鏡の中の自分自身を見つめる。


 あの頃よりも、ほんの少しだけ成長した顔。鏡で見慣れた顔だが、よく見れば日々によって肌の調子が違うことがわかる。時間はちゃんと、流れている……だが、その流れは恐らくかなりゆっくりとした速度なのだろう。


 ぼくが来る前のアカネさんは、そんな中をたったひとりで暮らしていたのだから、大変だったろうなと思う。


「……今日の朝ご飯はなににしようかな」


 服を着替えて、エプロンを身に付ける。キッチンまで向かう前に、ふと部屋の机に視線を向けると、封筒が置いてあることに気付いた。


 机に近付いて、ペーパーナイフを使い封筒から手紙を取り出す。文章に目を落して、ふっと口元に笑みを浮かべた。


「……無事なら、良かった」


 手紙の内容は無事に元の世界に帰れたこと、そこでそこそこ幸せに暮らしていることなどが書かれていた。


『お前も幸せに暮らせよ』


 それが最後の文章だった。


「……幸せ、ねえ……」


 手紙を封筒に戻して、机の引き出しの中にしまう。


 幸せの定義は一体どんなものだろうか。きっと人それぞれで、答えはひとつではないだろう。――今のこの状況を、ぼくは幸せだと思えているかと言えば、幸せのうちに入ると思っている。


 ここにいる限り、


 そう考えて、窓の外に視線を向ける。眩しくて目元を細めてから、今度こそキッチンに向かった。


 ――チーズトーストが食べたいな。チーズトーストと、サラダと……かぼちゃがあったから、かぼちゃのポタージュにするのもいいかもしれない。


 アカネさんは好き嫌いがあまりないようで、なんでも美味しく食べてくれるから作り甲斐があるというものだ。


 ……もしかしたらぼくは、アカネさんをひとりぼっちにしないためにこの世界に迷い込んだのかもしれないな、とぼんやり考えた。


 朝食を用意して、アカネさんと一緒に食べて、いつものようにお客様を迎える準備をする。


「……ああ、お客様がいらっしゃったようね」


 アカネさんがそう言うとの同時に、店の扉がゆっくりと開かれた。


「あ、の……。ここは……どこでしょうか?」


 窺うようにこちらを見るお客様に、ぼくは近付いて恭しく頭を下げた。


「ようこそ、“記憶メモリア館”へ!」


 ――あなたの大切な“記憶”を、探し当てましょう――


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ようこそ、“記憶館”へ! 秋月一花 @akiduki1001

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