Case×××:フェリックス 2


 シャワーを浴びてさっぱりしてから、クローゼットに用意されていた服を着た。白のシャツに藍色のストレートパンツ。肌触りも着心地もよく、鏡で姿を確認してからアカネさんに声を掛けた。


 アカネさんはぼくの髪が乾いていないことを指摘し、乾かすように言ったが、タオルで水分を取っただけではダメなのだろうか……? と彼女を見ると、「仕方ないわねぇ」とまるで子どもに接するかのように肩をすくめ、なにか見慣れないものを取り出した。


「こっちに来て座って」


 言われた通りにすると、ゴォォォ、とその見慣れないものから熱い風が頭に当たり、「うわぁ!?」と叫んでしまった。


 ぼくの叫び声に、アカネさんは一瞬動きを止めて、それから「あははっ、すごいリアクション!」とお腹を抱えて笑い出してしまった。


「ごめんごめん、これはね、髪を乾かす道具なの。温風で乾かして、冷風でキューティクルを落ち着かせるのよ」


 意味はさっぱりわからなかったが、髪を乾かす道具だということは理解した。


「大丈夫だから、安心して」


 優しい口調でそう言われ、ぼくは「はい」と小さな声で返事をした。

 もう一度、熱い風がぼくの頭に触れる。アカネさんの手もぼくの髪に触れて、髪を乾か

してくれた。


 乾かし終わると、今度は冷風に切り替えて、どこから取り出したのかくしいてくれた。……なんだか、不思議な感じがする。


 丁寧に、丁寧に、優しく。慈しむように髪に触れられて、なんだかくすぐったい気持ちになった。


「これでよし、っと」


 アカネさんが冷風を止めて最後に髪型を整えるように櫛で梳く。ぼくの正面に回り込んで、ぐっと顔を近付けたり、遠ざかったりして観察し、ぐっと親指を立てた。


「うんうん、最初はボロボロだったから気付かなったけど、あなたこう見るとかなりのイケメンね!」


 ……いけめん? と首を傾げると、アカネさんは髪を乾かすために使った道具を片付けてから、ぼくに手を差し出す。


「お腹空いたでしょ? 三日もなにも食べていないから、食べやすいものを用意したつもりよ。一緒に食べましょ」


 ぐぅぅう、と返事をするよりも先にお腹が鳴った。キョトンとした表情を浮かべたアカネさんだったが、次の瞬間にはプッと笑い出す。


「本当にお腹ぺこぺこみたいだし、ゆっくり味わって食べてね」


 差し出された手を取って立ち上がり、そのままダイニングルームへと案内された。


 そこには、ほかほかと湯気が立ち柔らかそうな食べ物が並んでいた。


「お米で作ったおかゆと、パンで作ったミルク粥、どちらが好みかしら?」

「ええと、パンで作ったほうをお願いします」

「じゃあこっちね」


 アカネさんはそう言うと、白いお皿にミルク粥を注ぎ、テーブルにことりと置く。


「じゃあ、いただきましょうか」


 自分の分もよそい、テーブルに置いてから座ると、視線でぼくにも座るようにうながした。


 素直に椅子に座り、ちらりとアカネさんを見る。


「いただきます」


 手を合わせてアカネさんはそう言うと、ぼくを見た。同じことをしろ、ということかな? と考え、手を合わせて「いただきます」と呟く。じぃっとこちらを見ているのはなぜなのか……。


 とりあえず、コップに入っていた水を一口飲んで喉の渇きを癒してから、スプーンを手に取りミルク粥を食べた。玉ねぎとベーコンが入っている。味付けは……塩と胡椒、それから……もっといろいろな味がする、と思う。


「美味しいです」

「それは良かったわ」


 ホッとしたように目を閉じて胸元に手を置き、息を吐く彼女。ぼくが口をつけたからか、自分の分を食べ始めた。


「うん、お米のおかゆも美味しい」


 パラパラと塩を振りかけてから、ぱくりと食べて満足そうに微笑むのを見て、ぼくは黙ってミルク粥をいただいた。


 用意された料理をすべて平らげ、アカネさんが淹れてくれたお茶を飲む。ほぅ、と息を吐いた。


「お見事ね。全部食べてくれて嬉しいわ」

「とても美味しかったです。ありがとうございました」

「どういたしまして。……さて、それじゃあ、片付けてからについて話し合いましょうか」

「今後のこと、ですか?」


 アカネさんは小さくうなずく。食器を片付けようとしたので、ぼくも手伝った。ふたりで片付けると、あっという間に終わり、アカネさんについて行く。


「とりあえず、まずは……試してもらいたいことがあるの」

「試してもらいたいこと?」


 出入り口である扉の前で立ち止まるアカネさん。


「この店から、出られる?」

「え?」


 出て行けるかどうかを問われるとは思わなかった。試してみて、と言われたので、扉に手を掛けて開ける。すんなりと扉は開いた。外に出ると、晴天で眩しい。アカネさんも続いて出てきて、今度は店の中に入るように言われたので、その通りにする。


「……記憶がないっていうのは、本当のようね」

「えっと、なにか……問題がありましたか?」

「問題、んん、確かに問題かもしれないわね。フェリックス、あなた――」


 アカネさんは一度言葉を切り、ぼくに真正面から向き合いゆっくりと言葉を紡ぐ。


「この場所に、縛られちゃったわね」


 彼女の言葉にぼくは目を大きく見開いた。どういう意味なのか、理解出来なかった。


「それは、どういう……?」

「この店はね、お客様の大切な“記憶メモリア”を取り扱う店なの」

「……メモリア?」

「そう。人には記憶があるでしょう? その記憶は、人にとって『人格』を形成するために必要なもの。どんなにつらい記憶でも、どんなに幸せな記憶でも、人は記憶によって生かされている」


 アカネさんはコツコツと足音を立てながら右手の人さし指を立て、それをくるくると宙に丸を描くように動かしながら説明する。


「でも――あなたには記憶がない。あなたのその人格は果たして本物なのか、作り物なのか、自分でも判断出来ない」


 ――ぼくの、人格……?



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