ようこそ、“記憶館”へ!

秋月一花

OPEN準備


 気が付いたら、ここで働くようになってすでに三年の月日が流れた。


 記憶を失ったぼくを受け入れて、従業員として雇ってくれたアカネさんには本当に感謝している。


「ふわぁ……。おはよう、フェリックス。今日の朝ご飯なーに?」

「おはようございます、アカネさん。今日はトーストと目玉焼き、ウィンナーとサラダ、それからコンソメスープです。飲み物は紅茶にしますか? コーヒーにしますか?」

「んー、コーヒーでお願い。カフェオレがいいな」

「かしこまりました」


 店舗兼住宅。そんなに広くはないが、ふたりで暮らすにはちょうどいい広さだ。行き場のないぼくを住ませてくれている。なので、出来るだけ家事はぼくが担当している。……まあ、さすがに洗濯は別だけど。


 キッチンに向かいコーヒーを淹れる。濃い目に入れてから牛乳を入れ、鍋で沸騰させないように温めた。


 大き目のマグカップにカフェオレを注ぎ、アカネさんに渡すと「ありがと」とふにゃりと笑う。どうやらまだ眠いようだ。


「今日はお客様いらっしゃいますかね?」

「どうかな。まあ、ここは特殊な場所だし、よっぽどのことがなければ来ないと思う。それより朝ご飯食べよ。冷めちゃう」

「はい、アカネさん」


 ぼくが椅子に座ると、アカネさんは両手を合わせた。彼女に遅れて手を合わせると、「いただきます」と同時に口にする。


 アカネさんはまずコンソメスープに口を付けて、ホッと息を吐いた。毎回そうなのだけど、彼女の口に合うかどうかがとても気になる。ドキドキと言葉を待っていると、アカネさんが目を瞬かせた。


「あれ、ちょっと味変えた?」

「はい。今日はあら挽きブラックペッパーにしてみました」

「ふうん、これもおいしいね」


 どうやら気に入ってくれたようだ。次にサラダに手を伸ばし、シャクシャクと音を立てて美味しそうに食べていた。


 ぼくも自分の分に手を付ける。ウィンナーは皮がパリッと焼けていて、音からして食欲をそそる。トーストにはバターを塗り、かぶりついた。食パンとバターはどうしてこんなにも相性がいいのか……。


 目玉焼きは半熟に焼いた。ちらりとアカネさんを見たら、トーストにバターを塗ってから目玉焼きを乗せ、塩コショウを振っていた。


 目玉焼きをどの調味料で食べるのか、悩みどころではある。今日はアカネさんがお勧めしてくれた食べ方にしよう。軽く塩コショウを振り、ケチャップとマヨネーズで食べる。うん、上手に焼けている。美味しい。


 朝食を楽しみ、最後まで綺麗に食べ終わると再び手を合わせて「ごちそうさまでした」と同時に口にする。


 それから、皿を重ねてキッチンへ向かい、洗う。営業時間にはまだ余裕があるが、こういうのは先に片付けておいた方が楽だ。

 すべて洗い終わり、キッチンペーパーで水滴を拭きとる。食器棚にしまい、洗い場の水滴も使ったキッチンペーパーで拭い、ぽいとゴミ箱へ。この住まいの面白いところは、いくら使っても次に使うときには完璧に補充されていることだ。


 アカネさんも気付いていたようだが、「そういえばそういう契約だった」とよくわからないことをつぶやいていた。


 食器を片付けたら、ぼくも身支度を整えるためにまずは洗面所に向かう。洗顔はすでに済ませているので、歯を綺麗に磨いた。洗顔は起きてすぐに済ませてしまう。目が覚めるような気がするから。


「……赤いなぁ……」


 口元をタオルで拭いて、じっと鏡を見つめる。自分の髪の毛をつまみ、小さく肩をすくめる。


 赤い髪に明るいブラウンの瞳。それがぼくの容姿だ。アカネさんからは「イケメン」と言われたことがあるが、イケメンとはどんな意味なのだろうか……?


 いや、物思いに耽ることはまだ早い。自室に行きクローゼットを開けて仕事着を取り出す。上質な服だ。袖を通すたびにシャンと背筋が伸びる気がする。


 中途半端に伸びた髪を黒のリボンで一つに結び、姿見で変なところがないか確認をする。


「……さて、と。店内の掃除をしなくては」


 きゅっと白の手袋をはめてから、クローゼットの扉を閉めて、自室を出た。カチャリと鍵をかける。店内に行くときはいつも施錠するように言われていた。


 アカネさん曰く、『人の記憶が混ざっちゃうかもしれないから』とのことだ。よくわからない。


 一階の店内に行くために階段を下りていると、店内にアカネさんがいるのが見えた。


「アカネさん」

「軽く掃除しちゃいましょ。今日はなんだか、お客さんがいらっしゃる気がするわ」

「そうですか? では、掃除を終えないといけませんね」


 店の倉庫に足を進め、掃除道具を持ってくるとアカネさんと一緒に店内を掃除した。はたきを使い、上から下に。アカネさんが箒で掃いて、埃を塵取りに入れてごみ箱へ。


 手袋を取ってポケットに入れてから雑巾を濡らして水拭きをし、あとから乾拭きを。綺麗になっていく店内を見るのはとても心地が良い。


「このくらいにしましょう」

「はい。片付けてきますね」

「お願い」


 アカネさんから掃除道具を受け取り、雑巾を水場で綺麗に洗い干した。他の道具は元の場所に戻す。


 手を綺麗に洗い、ハンカチで水滴を拭きとってから再び手袋をした。


 店内に戻り、CLOSEDの看板をひっくり返し、OPENにすると、空を見上げる。ここの空はいつだって快晴だ。太陽がまぶしくて目元を細めると、小さな声が聞こえた。アカネさんの言う通り、今日はお客様がいらっしゃる日のようだ。


「ようこそ、“記憶メモリア館”』へ!」

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