第二章
第13話 『約束』
────遠い昔のことを、思い出していた。
「ねぇねぇお姉ちゃん、さっきから何をしてるの?」
「ちょっと待ってて下さいまし。今からすごい物をお見せしますから」
天柊家が保有している広大な花庭園の中に、幼い少女の影が二つ並んでいる。
影の一つはしゃがみ込んで、素早く手を動かしては、何かを作っているようだった。その様子をもう一つの影が後ろから興味深そうに覗き込んでいる。
「ここで最後にぎゅっとしばって…。できましたわ!見て下さいまし、琴美! シロツメクサの花冠ですわよ!」
「何これー!えっすごい!すごいお姉ちゃん! どうやって作ったの? 教えて教えて!」
「ふふん、これは私が考えた秘密の作り方がありますのよ。でも…琴美がこれを誰にも教えないって約束できるのでしたら、教えて差し上げても構いませんわ」
「うん!教えない!約束するっ」
等身大の無邪気な返事が風に乗って空へと舞い上がる。それを不純物の無い笑顔で受け止めた鈴音は、花冠を琴美の頭にそっと被せた。
「良く似合っていますわ」
「わぁ! ありがとう、お姉ちゃん!えへへ」
鈴音からの賛辞に琴美が歓喜の声を上げた。頭上にある花冠の感触を確かめるように何度も触り直していた様子からして、余程気に入ったのだと見て取れる。恐らく、屋敷に戻るまで手放すことはないだろう。
「私、お姉ちゃんにもこれ作ってあげたい!」
「あら、私の為に作って下さるんですの? 嬉しいですわね。じゃあまずは隣に来て下さいな」
「分かった!」
何もない空間に手をぽんぽんと置いて、琴美にここに来るよう鈴音が指示する。その指示に素直に従い、鈴音の隣で座り込んだ琴美は、眼前に広がっているシロツメクサの花畑に目を輝かせた。そして、次の指示を仰ぐように鈴音に目を配らせた。
「パターンを覚えたら後は繰り返すだけですから、簡単だと思いますわ。はい、まずはシロツメクサを二本取って下さいまし。そしたら…」
琴美の手の動きに合わせて、要領を得た説明がされる。琴美は険しい顔をしながらも鈴音の言う手順に食らいつき、地道に輪を形成していった。進行度が半分を超えた辺りから、琴美もコツとパターンを理解したようで、手の速度は作り始めた時と比べても段違いに速くなっていた。だが、それも琴美を基準とした場合に過ぎない。実際、慣れの差は大きいにしろ、鈴音が5分程度で作っていた冠を完成させるのに琴美が要した時間は30分前後であった。
「やっとできた! 見て、お姉ちゃん!」
時間はかなり掛かったが、その分完成した際の達成感は
「よく最後まで頑張りましたわね! 偉いですわ、琴美」
「えへへ、ありがとう。でも…」
「…?」
優しい手つきで頭を撫でながら、鈴音が琴美の努力を労うが、当の本人が素直に喜ぶことはなく、その表情には影が落ちていた。
何か隠し事でも有るかのように、自分と顔を合わせてくれない琴美に、鈴音が訝しげな目を向ける。
「お姉ちゃんみたいに、上手に作れなかった…」
琴美にそう言われて見れば、彼女が手に持ってるそれはかなり歪で、不格好な形をしていた。花の大きさも色も不揃いで、見比べてもその完成度の差は歴然としている。自分の不器用さは琴美も自覚があるが、鈴音の貴重な時間を30分も奪った結果がこれでは、己の不甲斐なさに嫌気が差すのも当然と言える。
「なんだ、そんなことでしたの」
ただ、それを気にしているのはどうやら琴美だけだ。鈴音は何処にも恥じるべき場所などないとでも言わんばかりに、琴美お手製の花冠に遠慮なく手を掛けようとする。
「だっ、ダメ!こんなんじゃ、お姉ちゃんには渡せない…。もっと練習してから、もっと上手に作れてから渡す!」
「ダメは駄目ですわ」
「わっ、あっ」
鈴音に取り上げられるのを回避しようとした琴美が花冠を背中に回そうとするが、鈴音の掴みが少しばかり早い。琴美の抵抗虚しく、羞恥心の塊とも言える完成品は呆気なく鈴音の手に渡ってしまう。
「ほら、ごらんなさい琴美。こうやって被ってしまえば形の悪さなんて目立ちませんわ。これでお揃いですわね」
「でも…」
「琴美」
半ば無理矢理に奪った形になってしまったことを内心で謝りつつも、琴美の心配は杞憂に過ぎないと証明しようとした鈴音が、実際にそれを被ってみせる。完全に、とは言い切れないが、確かに単体の時と比べると不揃いさが頭部によって隠されることによって、幾らかマシになったように見えた。
しかし琴美はまだ納得し切っていない様子で何かを言おうとしていたが、鈴音がそれを遮る。そして、間髪入れずに琴美の手を両の手で覆った。
上下から包み込むようにして手を握るこれは、鈴音が琴美を落ち着かせる時や言うことを聞かせる時によく使う癖のようなものだ。
「いいですこと、琴美。贈り物で一番大事なのは、相手への気持ちですわ。琴美は、私に喜んで欲しくてこれを作ってくれたんじゃありませんの?」
「……うん。私がうれしかったから、お姉ちゃんにもうれしくなって欲しかった」
鈴音に諭された琴美が素直な内心を吐露する。今にも泣き出しそうであった琴美と冷静に対話し、落ち着きを取り戻させるその立ち振る舞いは、姉としての威厳を感じさせる。
「でしたら、ちゃんとその気持ちは伝わっていますわ。だから何も、恥ずかしいことなんてないんですのよ」
「……うんっ」
重ねられた手を伝って交わった体温は、互いに熱を分け合い、やがて均一化する。琴美には、それが鈴音と一つになれたように感じられて、綻ぶ顔を止めることは出来なかった。
「ねぇ、琴美。知ってます?」
「…何を?」
目頭が熱くなるのを感じながら、重ねられた手をしばらく見つめ続けていると、上から鈴音の問いかけが降って来る。その呼び掛けに応じようとした琴美は、由来の分からない感情を意識的に抑え込むため、一瞬の空白を残してから顔を上げた。
「―――?」
すると、目線を合わせたその矢先、琴美はある違和感を覚える。琴美を見つめる鈴音の瞳が、ほんの刹那微かに揺れたように見えたのだ。
だが、その揺らぎははたと動きを止め、すぐさま正常を取り戻す。改めて鈴音の黒瞳を凝視してみても、やはりその動作に変化は起きなかったことから、琴美は先の視覚的情報をただの見間違いだったと断ずる。
「シロツメクサの花言葉には、『約束』というものがあるそうですわ。だから、この二つの花冠に誓って、約束をしませんこと?」
「それって、さっきしたやつとは違う?」
琴美が抱いた疑問に決着をつけたのと同時、鈴音が話を続ける。それに琴美は質問で返して答えた。
琴美が問いたいのは、恐らく先程鈴音と交わした『花冠の作り方を口外しない』という旨の約束のことだろう。だが鈴音はゆるゆると首を振ってそれを否定する。
「あれは…まぁそんなに大事なものじゃありませんわ。でもこれは、できれば…いや絶対守って欲しい約束ですの。だから、ちゃんと聞いてくれる?」
「んー? 分かんないけど、分かった。それで、約束ってどんなの?」
「いざ言おうとするとその…少し恥ずかしいのですが、ええと。わ、笑わないでくださいね…?」
「もー。なーにー。きーにーなーる!」
頬を紅潮させ、目線を逸らした鈴音に対して、琴美は身体を揺らして焦れったい気持ちを体現する。そんな琴美に観念したのか、或いは気持ちの整理がついたのか、鈴音は「うん」と小さく喉で頷いて勇気を振り絞った。
「私とずっと仲良くして欲しい。―――それが、琴美と交わしたい約束ですわ」
と、まるで子供らしからぬ願いを鈴音は口にした。
「それって、お姉ちゃんとずっと一緒に居れば良いってこと?」
「うん、そう。…守れる?」
「―――?」
「琴美? どうしましたの?」
恐る恐る告げた、鈴音が琴美と交わしたかった『約束』の中身は、言葉にしてしまえばなんら難しいことはなく、常人の理解を遥かに超えるようなものではない。だがそんな『約束』に、琴美は分からないという風な顔で首を傾げた。一体何を疑問に思うところがあったのだろうかと、鈴音が頭を悩ませていると―――。
「考えてたの。なんでそんな当たり前のことを約束にするのかなーって思って」
「え…?」
あけすけに心の内を晒した琴美に、呆気に取られたのは今度は鈴音の方だった。
「だってそうでしょ? 約束なんかしなくても私がお姉ちゃんから離れるわけないもん。でも私お姉ちゃんより頭良くないから、もしかしたら何か間違ってるかも?」
「あ───」
図りかねていた琴美の真意は、彼女の何気ない一言で色を帯びた。
「…ふふっ」
「お姉ちゃん? なんで笑うの? 私やっぱりおかしなこと言った?」
琴美の発言に深い意味は隠されていない。文面通りの言葉が琴美の本心で、そこには純真無垢な子供にしか引き出せない説得力があった。だが、それを受けた鈴音が破顔したことで、琴美は焦りを露わにする。
これまで、鈴音が何かを間違えたことは無かった。いつだって、何かを教える立場にいるのは鈴音で、その立ち位置が逆転することなど有り得なかった。だから今回もきっと、自分が間違えているのだろうと琴美は自分の発言の正当性を疑う。
「ふふっ、あは、あはははは!」
「もーなんで笑うのって!」
「違うんですのよ、琴美。笑ったのは、琴美に自分の馬鹿さ加減を教えられたからですの」
「私がお姉ちゃんに何か教えたの? 私何も言ってないよ?」
「…えぇ、それはもう大事な、大事なことを教わりましたわ。でも、それを大事だと認識してしまっている時点で、私はもう汚れていますの。だから、琴美は知らなくていいんですのよ」
「そうなの? お姉ちゃんがそう言うなら…うん。知らないままにしておく」
鈴音の言葉は難解で、今の琴美にはその全てを理解することは苦しい。だが、読み取れる端々の情報からは、鈴音の琴美に対する想いが溢れているような気がした。感じ取ったそれを言語化して自分なりに解釈することはまだできない。だから琴美は、先程にも増して熱を帯びている手の温もりを憶えておこうと幼いながらに思った。
「―――じゃあさ、『約束』はこうしようよ」
「奇遇ですわね、私もたった今新しい『約束』を思いついたところですわ」
「ふーん? じゃあせーので言ってみる?」
「えぇ、いいですわよ」
「「せーのっ───」」
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