第5話 『想い』
集合場所のターミナル駅から数駅跨ぎ、およそ三十分ほどの時間を掛けて一行は目的地の最寄りの駅に到着した。
そこから更に徒歩で十分くらい歩いたところで今日のデートの舞台として選定された遊園地———そのシンボルである観覧車の巨躯が姿を覗かせた。その途端、源の瞳が爛と輝き、まるで子供のように一目散に駆け出す。慌てて鈴音が呼び止めようとした時には遅く、源は少し先で急かすようにこちらに向かって大きく手を振っている。
それを見た二人の反応はまちまちで、鈴音は溜息を洩らしながらも仕方ないと言わんばかりに足を早め、琴美は源の無邪気さを微笑ましく眺めながら二人に続いた。
そこから3人が遊園地に着くまで、そう時間は掛からなかった。
「おぉー、ここが」
「賑やかですわねぇ。お祭りでも催しているかと錯覚しそうですわ」
「———凄い…」
現実と夢を仕切るように設けられてるゲートの前から、三者三様の反応が聞こえる。とりわけ、琴美はあまりの現実感の無さに言葉を失って立ち尽くす程魅入っていた。
別段特別な謳い文句があるという訳ではない。最近完成した話題沸騰中の遊園地でもなければ、ここにしかないアトラクションを楽しめるということもない。それでも、琴美にとって初めての遠出の末に辿り着いた遊園地は、彼女の瞳には楽園のように映っていた。
「琴美ー。呆けてないで早く行きますわよー」
「あっ、はいっ!」
鈴音の呼び掛けで我に返った琴美は、受付の窓口にいる二人の元へと駆けて行った。
入園してからの時間は、まるで流れ星のようにあっという間に過ぎていった。
最初に乗るアトラクションとして三人が選んだのは、遊園地においてド定番のジェットコースターだった。いや、三人が選んだというよりは、ほぼ鈴音の独断によるものだったような気もするが。ジェットコースターを熱烈に推す鈴音に対し、「琴美ちゃんの人生初アトラクションだから優しいやつからいこう」と源が提案したが、琴美が「どちらでも大丈夫です」と発言してしまったが為に、鈴音により却下された。
その後、ジェットコースターから降りた時の源が死んだような顔をしていた事から、彼の絶叫系に対する苦手意識が発覚した。結局、あの提案は源の講じた逃げの策だったわけだが、敢え無く失敗に終わってしまった。
そして意外だったのは、絶叫系の魅力に琴美が取り憑かれてしまったことだ。怯懦な琴美の性格を鑑みれば、こういった類のアトラクションは億劫になりそうなイメージだが、性に合っていたのか、叫ぶことでストレス解消になるのか、珍しく興奮気味であった。そんな琴美に連れ回される二人という構図はとても新鮮味があり、そして源にとっては地獄のような午前中であったが、「逃げようとした貴方が悪いですわ」とこれまた鈴音に咎められていた。
そうして基本的に天柊姉妹に源が翻弄されながらも、昼食を挟み、午後も行き当たりばったりのアトラクション巡りをして、三人は遊園地デートを心行くまで楽しんだ。
———琴美にとっては、最高の時間だった。
しかしその一方、時間が進むにつれて琴美は徐々に小さな恐怖を感じ始めるようになっていた。
———もし、この幸せな時間が終わってしまったら。
———もし、この大切な二人が私のことを見捨ててしまったら。
それは琴美にとって一種の呪いのようなものであり、深く考えない様にすることはできても、無視することはできない不安の種であった。特に後者は、二人といる時間の心地よさに気付いてしまった琴美にとっては考えたくもない可能性であり、万が一それが実現してしまえば、彼女の心は容易く壊れるだろう。
だから、流れ星の如く過ぎ行く時間に対し、琴美は希う。
───どうか、この幸せに終わりが訪れませんように。
───どうか、ずっと二人と一緒に居られますように。
と。
しかし、そんな琴美の願いを横目に嘲笑うかのように、時計の針は普段通りに進む。
現在時刻は閉園の約30分前。先程まで園内を行き当たりばったりで周っていたせいで、琴美の前を歩く二人も千鳥足のようにふらふらとしている。
これからどうするのだろう。そう考えながら遊園地内を見渡すと、入園ゲートの方向に足を向けている客がちらほらと視界に入った。
自分達と逆走する人の群れが、琴美に嫌な考えを与える。
「あの…。私達はこれからどうしますか? 時間も時間ですし、やっぱり…」
「帰るって? 琴美ちゃんそりゃないよ。まだ30分もあるんだよ? 帰るなんて勿体ないじゃん。…それにまだ、乗ってないアトラクションがあるし」
そう言って、源は前方で圧倒的な存在感を放っている巨大な観覧車を指差した。
「最後にあれに乗るよ。ほら、琴美ちゃん一緒に行こう」
その言葉を聞いて、琴美の顔が分かりやすく明るくなる。
そうだ、まだ時間は残ってるんだ。なら、源の言う通り最後まで楽しまないと勿体ないではないか。そう思うと、琴美の脳裏で渦巻いていた懊悩もいくらか吹き飛んだような気がした。
そして、軽やかな気持ちで歩き出した琴美はすっかり定位置となっていた2人の後ろではなく、前に出た。
「なんだ、まだ終わりじゃないんですね…! そういうことでしたら早く行きましょう! もたもたしてると乗り遅れちゃいますよっ」
「———お」
「ふふ、琴美ったら、乗り気じゃないですの」
「え、それってもしかして、観覧車に乗ることと掛けてたりする?」
「……浮かれて適当なこと言わない方がいいですわよ。…いや、適当なこと言ってるのはいつものことですけれど」
「はは、手厳し〜」
「何も厳しくなんてありませんわよ。────そうだ、源?」
軽めの冗談を鈴音に一蹴されて、源は引きつった笑みを浮かべる。しかしそれに気付かないまま、鈴音が先に行こうとする源を呼び止めた。
「ん?」
「琴美と何を話したいのか、私には分かりませんし、詮索もしませんけれど…。───怖気ずに、頑張って下さいまし。琴美は、あなたが思ってるよりも、あなたのこと憶えていると思いますから」
「───! 参ったな…。俺の目的なんて鈴音にはお見通しってことか?」
「さぁ? どうかしら? ふふっ」
お得意の悪戯な笑みに対し、源は「敵わない」と言わんばかりに降参の様子を見せた。
「助かったよ、鈴音。お陰で物怖じせずに話せそうだ」
「私は何もしてませんわよ。そんなことよりほら、早く行きましょう。これ以上待たせたら琴美に悪いですわ」
鈴音の呼びかけに無言の肯定をして、二人は再び歩き始めた。ほんの数秒だけ蚊帳の外だった琴美がほんの少しだけ不貞腐れていたが、何とかなだめることに成功し、三人は並んで観覧車へと向かった。
*
観覧車の待機列は、閉園間際だからかこれまでのアトラクションに比べて人はそれほど多くなかった。10分ほど整列して、ようやく3人の番が回って来た。今か今かと心待ちにしていた琴美は、案内されたゴンドラにやや早足気味に乗り上げた。
そして琴美は今、念願の観覧車に乗って、徐々に高度を上げるゴンドラから見える景色をまるで子供の様に楽しんでいる。
———はずだった。
(あれ…? なんで…私と楓堂先輩だけ…?)
────琴美の予想だにしない状況の中、数刻の間無言の時間が流れていた。
揺れもしない静かなゴンドラの中で二人、琴美と源が対角線上に座っている。
鈴音と源と一緒に乗ると思い込んでいた琴美だったが、ゴンドラに乗り込む直前の受付で鈴音が遠慮したことによって、同席者は源だけとなってしまった。
何故二人きりになってしまったのかは分からない。分からないが、もし二人で乗ることがあるとすれば、その組み合わせは姉妹である鈴音と琴美、もしくは幼馴染らしい源と鈴音であろう。他に考えられる可能性は、鈴音が観覧車嫌いであることだろうか。しかし、ここに来るまでの道中でそんな雰囲気は感じられなかったし、ジェットコースターに乗った後も平然としていたことからその可能性は低い。
と、そこまで考えたところで、琴美は源を一瞥する。すると、どうやら源は落ち着かない様子で、体勢を何度も変えたり、辺りを見渡したりしている。多動と言うよりは明らかに挙動不審だ。
そんな源の様子を見て、琴美の中で一つの仮説が成り立った。それは、先程までは考えることすら忘れてしまっていた、源が琴美をこのデートに誘った理由について、だ。
「───何か、私だけに話したいことがあるんですね?」
「───!」
「…私の勘違いだったらごめんなさい。でも、もしそうなら、私先輩が言えるまで待ってますから。ゆっくり、話してください」
現況や源の仕草から、この状況は彼が故意的に作り出したものであり、鈴音はその為の協力者であったことが、容易に想像される。
だが、想像できるのはそこまでだ。源が何を伝えようとしているのか、それを知る為に琴美からできることは、最早何もない。だからこれから先の琴美には彼の言葉を、想いを、待つことしかできない。
「…はは、かっこ悪いな、俺。折角鈴音に背中押してもらったのに、今度は琴美ちゃんに流れを作らせてちゃって。———うん、そう。君が察してるように、俺は、君だけに伝えたいことがあって、今日ここに誘ったんだ」
「———」
歯切れの悪い源の言葉を、琴美は何も言わずに聞き届ける。今、何かを言って彼の言葉を邪魔するのは無粋というものだ。ただ静かに待つこと以外、琴美には許されていない。観覧車のゴンドラも、その琴美の意思に呼応するように、揺れることなく静寂を運ぶ。
「うん。…そうだね、こういうのは、一番伝えたい気持ちから言うべきだよな。物怖じせずに、だもんな…よしっ」
俯きがちだった源が顔を上げて、琴美と向き合う。琴美はその瞳から、覚悟を決めた力強い想いの結晶を感じた。
深呼吸して、源が言う。
「琴美ちゃん。俺と…」
「———」
「———俺とまた、友達として、一緒に過ごして欲しい」
「———。友…達…」
ぼそりと、その単語が無意識に琴美の口から零れ落ちる。そしてゆっくりと、源が勇気を振り絞って吐露した本心の意味を理解する為に、彼の言葉を咀嚼する。
———友達になって欲しい。源の言いたいことは、つまりはそういうことだと思う。どう受け取っても、そうとしか考えることはできない。
だが、それは、その願いは———。
「傲慢だ…って思ってたりするかな。そうだよね…自分でも分かってる。君が記憶を失くしてからの二週間。俺は一度も君に接触しなかった。…いや、接触しなかったんじゃない。わざと君を避けてたんだ」
「え———」
「俺は前から、鈴音と知り合った小学生の頃から、必然と君とも友達として付き合ってきた。君達は家が厳しいから外で遊んだりって言うのは少なかったけど…。学校で話したり、勉強を教えたりして、少なくとも友達らしいことはしていたと思う」
ぽつぽつと、源が胸襟を開いて語り出す。後悔を、過ちを懺悔するように、独白する。
「そんな君が、突然記憶を失くした。それから俺は…急に怖くなったんだ。君に話しかけるのが。君が俺の事を忘れていたらどうしよう。俺から逃げようとしたらどうしても受け止められない…って」
「あ…」
「そう考えたら、俺はいつの間にか君を避けていた。…君が、友達を見つけられなくて寂しい思いをしているのも分かっていながら、一部の生徒から避けられることをなるべく気にしない様にしているのも知っていながら」
今にも、泣き出しそうな声だった。嗚咽が出そうになるのを必死に抑えて、言葉を続けんとする源の姿が、そこにはあった。お調子者で、鈴音に辛辣にあしらわれていた姿からは想像すらできなかった彼の弱い一面。今思えば、あの軽快な態度は、源にとってはメッキのようなものだったのだろう。それが今ボロボロと剝がれ落ちているのを琴美は目の当たりにしている。
「結局俺も、君の事を避ける一部の生徒の括りに入ってたんだよ。鈴音の次に君を助けることができるのは、俺だったのに。———俺は、自分の保身のために君から逃げたんだ」
「……先輩」
そして、源の瞳が揺れ、
「ごめん…琴美ちゃん。ごめん…。ここにきて今更、俺を友達として認めて欲しいなんて、望んじゃいけないなんて分かってる。分かってるんだ…。でも…っ」
「楓堂先輩」
「…でも、君が、みっともないこんな俺にもう一度チャンスをくれるって言うなら…頼む。俺を友達と認めて欲しい。…拒否られたら、今後一切、君とは関わらないようにす———」
「楓堂先輩っ!」
早口になり、先走ろうとする言葉を、琴美はらしくもなく声を荒げて無理矢理鎖す。
「…駄目。駄目ですよ、先輩。それ以上は言葉にしたら取り返しがつかなくなります」
「……っ」
「…先輩が抱えていた悩みは、分かりました。ちゃんと話してくれて、ありがとうございます。でも…ふふっ。やっぱり、先輩って不器用なんですね」
「んえ…?」
何を思ったのか、先程まで真剣な顔をしていた琴美がふっと口元を綻ばせる。そんな琴美の表情の落差と唐突な貶しに源は当惑するが、彼が何か言おうとするより早く琴美が言葉を次いだ。
「いいですか? まず、楓堂先輩には大きな間違いが二つあります。———まず一つですが、先輩は私から逃げたと言ってましたけど、それは違うと思います」
「え———?」
「もし、本当に私から逃げたつもりだったんなら、私の事なんて考えて後悔したりしませんよ。どうにかして忘れようとするか、自分の存在を隠すはずです。…でも、楓堂先輩はそうしなかったじゃないですか」
「あ…」
そこまで言って、源は琴美の言葉の真意に気付く。
話しかけたいけど、怖くて話しかけられない。———それは、逃げてるのではないのだと。それで罪悪感に苛まれてしまうのは、寧ろ向き合おうとしている証拠なのだと、そう、琴美は伝えようとしているのだ。
「勿論、客観的に見れば、楓堂先輩がしたことは現実逃避の一種に含まれるのかも知れません。…でもですね、そんな先輩にも私にも関係ない視点、考える必要ありますか? 先輩自身は苦悩しながらも私に向き合おうとしてくれていて、その結果私は今先輩と話している。これでどうして私が『先輩は逃げた』なんて謗ることができますか」
「……」
言い終えて、琴美はふうと一息つく。この言葉を受け取って、源が何を思ったかは正確には察せない。琴美の説得が沁みて今までの悩みは馬鹿らしかったと思い直してくれれば嬉しい誤算だが、恐らくそうはなっていないだろう。琴美の物言いは結局のところ結果論であって、思い詰めていた源の気持ちを救済するものではない。琴美もそれを理解しているから、一つ目の言い分が源の強張った心を解すなどと、甘えた期待はしていない。
だから琴美は用意していた二の矢を源に向かって放つ。
「それと…もう一つ。先輩の間違いとしてはこっちの方が深刻ですが———」
そこで一旦言葉を区切り、琴美は席を源の対角線から正面に移動する。そして猫背になりがちな姿勢をなるべく正して、源と向き合った。琴美に正面切って見つめられ、源が音を立てながら息を飲む。
———俺とまた、友達として、一緒に過ごして欲しい。
静寂の中で源が打ち明けた、願望。あの時源は、自分の切望を傲慢だと評価していたが、琴美からしてみればその願いはそもそも意味を成していないものだった。
何故ならそれは、その願いは———。
「———私は昨日からずっと、楓堂先輩のこと、友達だと思っていましたよ」
ここに来る前から、既に叶っているものだったから。
「──────。あ、はは…。なんだ、そうだったのか。そうかぁ…」
その言葉で、源の全身からふっと力が抜ける。吐いた息の多さから相当緊張していたことが窺えるが、琴美はそれを見て安堵する。
どうやら、源の悩みを完璧に払拭するには至らずとも、好転させることには成功したらしい。琴美の指摘は全て心からのものだが、源を立ち直らせる打算があったことも事実だ。それがうまく嵌まったようで、一仕事終えたような感慨に耽る。
「…ほんとに、馬鹿だな。俺は。ごめんね、琴美ちゃん、こんな俺の為に遊園地の最後の時間取らせちゃって」
「そんなことは気にしないで下さい。…あ、やっぱ気にしてもらいます。楓堂先輩のお願いをちゃんと聞き届けたんですから、私のお願いも聞いてください」
「…なんでもどうぞ。俺にできることなら全身全霊で応えますよ」
「心配しないで下さい。私と、お姉様と、これからも友達として仲良くして欲しいっていうだけの簡単なお願いですから」
「…成程。分かりました。最善を尽くさせてもらうよ」
「ふふ。約束ですからね」
契約書のないただの口約束が、二人の間で特別な意味を持って確かに交わされる。ふと、この約束が反故された時のことを琴美は考えるが、すぐにその思考は唾棄される。きっと、考えたって意味のないことだ。
そう思い直して、琴美はゴンドラの外の景色を眺める。頂上はもうとっくに過ぎており、ゴンドラはそろそろ一周を迎えようとしていた。
(今日は、もう終わりかな…)
観覧車の醍醐味とも言える、頂上から眺望できる極上の景色を琴美は見ていない。だが、源は先程ずっと友達として仲良くしてくれると約束してくれた。ならば、またいつか来る機会もあるだろう。
だから琴美は、そんないつかできる事よりも、今しか出来ないことを優先しなければいけない。
「あの…先輩?」
「どうした?」
「私…今日凄く楽しかったです。記憶を失くしてから初めて、これだけの楽しいを感じました」
たどたどしく、伝えるべき言葉を選びながら、琴美が語る。
「…でも、楽しいが私の中で増える度に、この時間の終わりに対する恐怖が私を襲って来て、少しだけ憂鬱でした。…けど、楓堂先輩が約束してくれたから、私はもうこの先、怯えることはなさそうです。本当に…本当に、今日はありがとうございました」
「…そっか。琴美ちゃんの不安も払拭されたってんなら、俺としても誘った甲斐があったってもんだよ」
「ふふっ、そうですか。私も、結果的に楓堂先輩が元気になったようで安心しました」
「それに関しては、とても助かったよ…本当に。…それじゃあ最後に、結果論がお得意な琴美ちゃんとしては、今日一日の得点をつけるとしたら、何点になる?」
「何点になるか…ですか」
ゴンドラの位置的にも、恐らくこれが最後の問答だ。源の問いに何を返すべきか琴美はしばし黙考し、そして姉に似た悪戯な微笑みを浮かべて、言う。
「そうですね…頂上の景色が見れなかったので、85点ってところですかね」
「ここでもマイナス15点かぁ~」
万事を解決したにも関わらず、琴美の少々手厳しい採点に、源は気の抜けた台詞で唸る。そして、それが丁度締めとなり、琴美の初遊園地デートは終わりを告げた。
———と、思われたが。
「え、おわぁ!」
「お姉様!?」
「おかえりなさい。でも、まだ終わりませんわ。最後の最後にもう一周行きますわよ」
開かれた扉から二人が降りるよりも早く、鈴音が勢いよくゴンドラに飛び乗る。これが電車であれば降者優先無視、駆け込み乗車とマナー違反の役満で駅員からの注意待ったなしだが、今回咎めるのは別の者だった。
「無茶しないでよ~、鈴音」
「無茶しないで下さい、お姉様」
「あはは…ごめんなさいね。スタッフさんにこれが最後の回転と言われたので、貴方達のゴンドラを逃したら一緒に乗れないと思うと…つい気持ちが逸ってしまいましたわ。気を付けますわね」
琴美の隣に腰掛けながら、鈴音が事情を説明する。別に、二人が降りるのを待ってから、そこから一緒に再乗車しても良かったのではと琴美は内心思うが、今言ったところで意味はないので飲み込む。きっと、鈴音も待ちくたびれていたのだろうし、普段は神色自若の鈴音が時折見せる素の慌てぶりは、見てて愛らしくも思えるから、これはこれでありだ。
(でも、そっか。もう一周と言うことは…)
「———景色、見れるね。琴美ちゃん」
「…えぇ。15点分、取り返せそうですね、先輩」
琴美の思考を見透かしたかのようなタイミングで、源が彼女の言葉の続きを引き継ぐ。それに皮肉めいた返しをする琴美に、源はしてやられたような反応を見せた。
「———あら、折角の夜景見なかったんですのね。…というか、二人とも凄く距離感縮まってるじゃないですの。計画通りですけど…むむ、なんだか仲間外れにされたような気がしてなりませんわ」
「あぁ! 私とお姉様の距離はもっと近いですよ! 落ち込まないで下さい…」
「———ふふっ、冗談ですわ。琴美は相変わらず引っ掛かりやすくて面白いですわね」
「今の流れで仲間外れになったの俺じゃん…」
「あははっ」
———そんな日常的な、しかし琴美にとってはこの瞬間さえも特別に感じられる会話が繰り広げられながら、ゴンドラは徐々に高度を上げる。それにつれて琴美の期待も膨れ上がっていった。
そして遂に、三人を乗せたゴンドラは頂上を迎える。
「わぁっ」
「すっげぇ…」
「……綺麗」
夜の遊園地を華やかに彩るライトアップ、そして粒のように見える極彩色の街の光。ここからしか見ることのできない、まさに唯一無二の光の芸術に目を奪われ、三人は息をすることさえ忘れる。
この景色をこの三人で眺望できたことが、琴美にとってどれだけの意味を持つかは計り知れない。だが、それはきっと琴美自身も同じだ。その意味は、思い出は、時間が経てば経つほど、色濃く艶めきだすものなのだから。
だから、今琴美が唯一言えたのは———。
「———点数なんて、付けられないな」
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