第8話 『叶わぬ再会』


 ────今の琴美には、火急にしなくてはならないことが大きく二つある。

 まず一つは、この11月16日が、夢の中それと同じように動いているかどうかの確認だ。それをする為には、まず琴美自身の言動を記憶の中の自分と一致させなければならない。

 ────発言を過去の自分と一致させる。

 言うは易いが行いは難し。言葉の少しのニュアンスの違いが全く異なる結果を生む可能性がある以上、下手なやり方だと失敗する恐れがある。しかし、その点に関して琴美は余計な心配はしていなかった。何故なら、琴美には友達と呼べる存在が少ないから。それは、他人と接触する機会が極端に少ないことを意味しているが、こと今回においては怪我の功名であった。他人と話すことが少なければ、その分自分の行動をなぞりやすい。

 皮肉なことに、琴美は恨んでいたはずの過去の自分に感謝をする羽目になってしまった。


(まさかこんな形で内向的な性格が役に立つなんて思わないじゃん…)


 いくらか屈辱的だが、今は素直に受け入れるしかない。

 さて、現況は、天柊姉妹が学校に登校している朝。琴美のやるべきことは、ただ鈴音の後ろを歩き、然るべきタイミングで話題を出すだけ。それ以上の動きを見せれば、確証を得るのが後ろ倒しになってしまう。

 

(そろそろ…かな)


 覚悟の決まった顔を上げ、鈴音の背中を見る。交友関係が芳しくないのは遺憾ではあるが、今はそれを嘆く場面ではない。しっかりと、やるべきことをしなくては。

 引き続き鈴音の後ろにぴったりとくっついて歩く。間も無く正門付近へと差し掛かる。時間も前とほぼ同刻。これでもし鈴音に声を掛ける者が現れれば、夢で見た景色が再演されている可能性が高くなるが———。


「鈴音様、お早う御座います!」

「はい、お早う御座います」


(———来た!)


「すーずね! おはよーっ」

「えぇ、おはよー。ですわ」


「やっほー鈴音。調子はど?」

「それはもう、すこぶる元気ですわ。今日も楽しく過ごせそうです」


 琴美の予想通り、鈴音と挨拶を交わしながら、次々と生徒が二人の横を通り過ぎていく。———そして、その面々と順番を記憶とすり合わせた後、琴美は驚愕した。


(……同じだ)


 ———全てが重なっていた。生徒と鈴音の会話、周辺の状況とそのタイミングやらが、少なくとも琴美が認知している範囲では一切の欠落なく吻合していた。


(噓でしょ…ほんとに、こんなことってあるの?)


 ここまで状況が一致していても、琴美はまだ信じられずにいる。いや、有り得ないくらいに一致しているからこそ、信じられないのだ。

 信じられない。が、これを偶然や勘違いと看過する程、琴美は愚昧ではない。しかし、仮にその類でないのであれば、いよいよ琴美が立てた予知夢と言った超常現象的な仮説が現実味を帯びてくることになる。

 

(…確証が欲しい。後の判断材料になりそうなのは……お姉様の返答くらいかな。———よし)


「…それにしても、相変わらずお姉様は人気ですね」


 ———えぇ。本当に、有難いことですわね。こんな私に声を掛けて下さる方が多く居るなんて、とても光栄ですわ


「———えぇ。本当に、有難いことですわね。こんな私に声を掛けて下さる方が多く居るなんて、とても光栄ですわ」


 琴美の記憶の中の鈴音と、目の前の鈴音の台詞が重なった。それを受け、琴美は小さく溜息を吐いてから、


(全く同じ…か。これはもう、疑ってる場合じゃないかな…)


 自分の身に起きた非常識で奇怪な出来事の原因は、何か超常的な力が働いたからなのだと、そう考えることにした。琴美自身、こんな馬鹿げた結論に辿り着いてしまったことに、半ば呆れている。まだ、実は天動説が正しかったと言われる方が納得できるくらいだ。

 しかし、現実で起きていることは全て事実になる。それが万に一つも無い可能性だったとしても、億に、兆に一つはあるかもしれないと、受け入れるしかないのだ。


(……この世界自体、誰かの夢っていう可能性も否定できないけど…。———それは、考えても意味ないもんね)


 例え誰かの夢であろうと、琴美からすればここが現実だ。不必要な思考を唾棄し、琴美は二つ目の目的のために行動しなくてはならない。


「そういえば…琴美が私以外の方と話しているのは見たことありませんわね。やっぱり、まだクラスには馴染めませんの?」

「———その話はまた時間がある時にしましょう。…急ぎますよ、お姉様。事態は一刻を争うかも知れません」

「…遅刻するかもってだけでそんな大袈裟な言い方になりますの? あ、ちょっと、琴美!」


 全く見当はずれな鈴音のツッコミを聞き流しながら、琴美は鈴音より前に出て先を急ぐ。その向かう先は———楓堂源がいるであろう、校舎の四階だ。



*



 ———源と顔を合わせる。それが、琴美が直ちにしなくてはならないことの二つ目になる。

 明日の11月17日、琴美からすれば昨日の事だが、それはともかく。この世界が予知夢通りであるとするならば、翌日に源は琴美を庇って命を落とす。言い換えれば、それまでは源は生きているとも言える。それは至極当然のことなのだが、琴美にとってはその当たり前の事実が何よりも大切であった。

 一体何故か。その理由は単純明快だ。


(———もう一度、先輩に会える…!)


 好きな人に会いたい。ただそれだけの、身勝手とも言える気持ち故に。琴美は、後ろから慌ててついてくる鈴音に気遣う余裕すらないまま、逸る足を止められないでいた。


(先輩…楓堂先輩———!)


 4階までの階段を駆け上がりながら、琴美は愛しい人の名前を呼び続ける。もう二度と会えないと思っていた、もう二度と声を聞くことは出来ないと思っていた琴美に、しかし二度目は悪戯に訪れた。この際、自分が11月16日に戻れた原因の究明など二の次だ。今は、この瞬間だけは、自分の気持ちを抑える必要なんてない。


「ちょ、ちょっと琴美!? どうしましたの、貴方の教室は二階ですわよ!」


 琴美に遅れて、鈴音が階下から必死に呼び止めている。その様を、自分の教室に向かわんとする他の生徒達は好奇の目で見ていた。何せ、ずっと鈴音の後ろしか歩けない琴美は、一部の生徒から『天柊鈴音の呪縛霊』や『無害なストーカー』と品の無い渾名を付けられ、面白がられていた。そんな琴美が、まるで鈴音を意に介していないかのような早足で階段を上がり、それを鈴音が息を切らして追っている様子は珍しいどころの話ではない。もしこの学校に新聞部なるものがあれば、小さい見出しくらいは飾っていただろう。

 ———しかし、そんな周りの視線も、鈴音の声すらも、今の琴美には不要な情報としてシャットアウトされている。そしてついに四階へと着いた琴美は、源が居る教室を探した。


 ———君の姉と同じクラスで、普通科に所属している一般学生。


 初邂逅のあの時に、そう源が自己紹介していたのを琴美は思い出す。


(お姉様と同じ教室、なら———。ここ!)


 時間が無い中で教室を一択に絞れたのは、源のお陰だ。琴美はあの内容の薄い源の自己紹介に小さくお礼を言いながら、件の教室の前に立つ。

 そして、今度は大きく深呼吸をして、気持ちを整えた。

 ———この先に、先輩がいる。もう一度顔を見て、心の底から安心できる。

 そのような浮足立った考えを巡らせて、琴美は丁寧にスライド式の扉を開けた。

 見慣れない三年生の教室の中を、琴美は首を回して必死に源の姿を探す。始業のベルが鳴る五分前と言うのもあって、生徒達はほぼ出席しており、椅子に座っているようだった。


(あれ、先輩…どこ? ここで間違ってないはずなんだけど…)


 ———しかし、いくら探しても源が見当たらない。そして、時間が経てば経つ程、琴美に向けられる邪魔者扱いするような視線が突き刺さる。

 受験が近いからか、あるいは単純に琴美の存在がこの学校において快く思われていないからか。いずれにせよ、息が詰まりそうな程重苦しい空気に、琴美は耐えられそうになかった。長らくはここには居られないと踏んで、琴美が意を決して近くの生徒に尋ねようとした、その時だった。


「はぁ…はぁ…。やっと、追いついたと、思ったら、私の教室じゃないですの。何か用でもありますの?」


 それまで頭の片隅まで存在が追いやられていた鈴音の声が、ようやく琴美の鼓膜を揺らした。


「あ、お、お姉様。ごめんなさい、急に走り出してしまって…」

「いえ、いいんですのよ。今日の琴美の様子のおかしさにはもう慣れましたから。…それで、どうしましたの? もしかして人探し?」

 

 核心を突いた鈴音の発言に、琴美は小さく頷く。


「はい…。その、楓堂先輩を探してて」

「———源を? 琴美、源を知ってますの? 私、彼の事紹介しましたっけ?」

「そこは一旦置いといて欲しいというか…話せば長くなるというか…」

「うーん? まぁ、分かりましたわ。待っててくださいまし、ちょっと訊いてみますわね」


 頭上にうっすらと疑問符を出現させつつも、鈴音は琴美の要望に応えるべく、扉から顔を覗かせる。


「皆様、お早う御座います。少し訊きたいのですけれど、源ってもう来てますの?」

「鈴音ー! おはよ! 源? 源はまだ来てないよ、いつも通り遅刻なんじゃないの」


 鈴音が尋ねると、扉に席が近い女生徒が答えを返す。それに続いて、他の生徒も次々と挨拶を飛ばしていた。

 鈴音が教室に足を踏み入れた途端、先程まで琴美が感じた剣呑な雰囲気から一変した。まるで生徒全員がすり替えられたかのような錯覚に陥った琴美は、そうではないと頭を振る。———鈴音だ。彼女の登場だけで、教室と言う小さな世界の色が変わったのだと、否応なく琴美は理解させられた。

 

「ですって。残念ですけど、源は今日も遅刻ですわ。…全く」

「ち、遅刻…?」

「えぇ。彼、実は遅刻の常習犯なんですのよ。次遅刻したらテストで減点されるとか言ってた気がするのですけれど…この時期に危機感のない人ですわよね、ほんとに」

「はぁ…そうなんですか」

「という訳で、琴美の目的は見当つきませんけれど、今回の所は一旦諦めて下さいまし。———そうですわね…昼食時間にまた訪ねてみても良いかも知れませんわね。そうでなければ放課後にでも私が連れていきますわ」

「……分かり、ました」


 折角会えると思ったのに、源が居ないことを告げられ、琴美は項垂れる。こんな大事な時に遅刻など自由奔放にも程があるだろうと内心恨みを抱えたが、その感情を琴美の中に棲むリトル源にぶつけてしまうの違う気がして、渋々と取り下げる。

 こうなってしまえば一先ず、引き下がる以外に選択肢はないだろう。琴美も、源と同じように遅刻扱いになって注意を受けるのは避けたい。

 それに、ここに来た意味が全くなかった訳ではない。


(———そっか。先輩、生きてるんだ。良かった…ほんとに、良かった)


 源と会うことは叶わなかったが、それでも彼の同級生や鈴音が見せた反応は源がこの世界で生きていることの証だ。それが分かっただけでも、大きな収穫と言えるだろう。これで後は時間の問題となった。様々なコースの生徒が混ざって一クラスが形成されている仕組み上、授業間にある小休憩は主に教室の移動時間に充てられる。その為、チャンスは時間が長く設けられている昼食時間か、放課後になるわけだ。


「それでは、昼食時間にまた顔を出してみることにします。…突然私が顔を見せに来たら楓堂先輩が驚いてしまうと思うので、予め伝えておいてください」

「———なんだか意味深ですわね。私としては非常にその内実が気になるところですけれど…いいですわ、琴美が来るかもと言うことは伝えておきます」

「———っ、ありがとうございます!お姉様!」

「えぇ。ほら、分かったら早く自分の教室に戻りなさいな。朝のHRに遅れてしまえば早めに登校した意味が無くなりますわよ」


 鈴音に促され、琴美は嬉々として踵を返す。鈴音からしてみれば相変わらず釈然としない琴美の行動だが、今はそれを深く探っている時間はない。

 段々と遠ざかる琴美の小さな背中を見つめ、彼女が廊下の先にある階段を降り始めたのを確認した鈴音は、溜息を吐いた。


「———さて、どうしたものですかね」


 その一言が廊下に流れる秋風に攫われ、虚空に溶ける。

 そして、鈴音が静かに扉を閉めたその瞬間から、彼女の学校生活が始まった。


 ———時刻は8時30分。朝のHR開始のチャイムが全生徒の耳に届く。

 しかし、そこに微かに混じっていたある少女の悲鳴には、鈴音は愚か、誰にも気付けなかった。


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