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あきバアの言っていたことに嘘偽りはなかった。煙蔵商店で線香花火に火を灯してすぐに意識を失った私の眼の前には、ベッドの上で色とりどりの折り紙を折っては子供のように無邪気に遊んでいる在りし日の曾祖母の姿が滲んで見えた――。
完成品と思われる折り鶴があちらこちらに散らばっていた室内には、シンプルな家具が備え付けられている。テレビは見もしていないのに電源が付けっぱなし。
あきバアが好きだというラベンダーの芳香剤の香りが、個室に充満していた。
窓の外は雨模様で、遠足を前日にした小学生のようにてるてる坊主がカーテンレールにぶら下がっている。
もう何年も昔の記憶のように、懐かしい光景を目にした私は、紛れもなく過去へと遡ってきたことを初めて実感した。ここは、確かにあきバアが人生の最期を迎えた老人ホームの個室で間違いない。
入り口で立ちっ放しだった私に気が付かないあきバアは、「リンゴの歌」をハミングしながら、シワシワの手で鶴を折り続けている。昔からそうだった――どれだけ記憶が綻びをみせて色褪せようとも、遠い昔の戦没者に向けた鎮魂を祈って、千羽鶴を折り続けていることは老人ホームに勤めるスタッフの間で周知の事実だった。
その鶴の中に、空襲で亡くした幼い我が子の分も含まれていることを知っているのは、私だけだったけど。
一呼吸おいてから扉をノックすると、それまで無邪気な顔でいたあきバアが私の存在に気がつき、子供の顔から年相応の表情へと変化を見せた。あきバアは私が来るときだけ、夢の世界から
「あらあら、サキちゃんじゃない。今日も来てくれて、おばあちゃん嬉しいわ」
母には、あきバアの元へと出かけていることは教えていなかった。もしもバレたりしたら、「受験勉強をサボってるんじゃないわよ」と雷を落とされるのは目に見えていたから。
常套句である「友達の家で勉強してくる」とだけ告げて家を飛び出し、お小遣いが許す限り電車を乗り継いで、三駅先のあきバアに会いに来ていた。
「お父さんにもお母さんにも内緒よ」と、子供には大金なお札が数枚、たまにくれるポチ袋に納められていたので懐はそれほど傷まない。
「ああ、うん。学校が終わって暇だったからね」
咄嗟にでまかせを口にし、近くにあった椅子をべっどの脇に移動させて腰を下ろす。
「それより、今日も沢山鶴を折ったみたいだね。もう千羽鶴どころか万羽鶴くらいは折ったんじゃない?」
「いやだ、私ったらまたこんなに折ってたの?」
あきバアの頭の中では、子供の頃に退行している間の行動や記憶は一切残らない。周囲に散らばる折り鶴を見たあきバアは、その散らかりぶりに恥ずかしそうに頰を朱に染めていた。
――まやかしだとしても、本当に良くできている。
過去の記憶を遡っただけとはいえ、今このときを生きているとしか思えないあきバアを眺めていた私は、柄にもなく骨と皮ばかりの痩せこけた体を抱き締めて、幼子のように声を上げて泣いてしまった。
私の豹変ぶりに大層驚いたであろうあきバアは、「急にどうしたんだい」と、シワシワの指先で頭を
されから何分間泣いていただろう――ようやく落ち着きを取り戻して顔を上げると、慈愛に満ちた瞳で、あきバアは私を優しく見つめていてくれた。
「少しは落ち着いたかしら」
「……うん。それより急に泣き出してごめんね。驚いたでしょ」
「泣きたいほど嫌なことでもあったのかと心配したわよ」
「それはないから安心して」
つい感情が高ぶってしまった未熟さを恥じ、気を取り直して現状を再確認することに努めた。
あきバアは、生前不思議な線香花火について、確かこう語っていた。
――人間には理解できない不思議な力でもね、過去だけは絶対に変えることは出来ないの。おばあちゃんはその事実を知りながら歴史を変えようと試みたけれど、結局我が子を喪う未来からは逃れられなかったわ。
「……だとしたら、もう亡くなっているあきバアを救うことは、絶対に不可能というわけだよね」
我が子を喪った代わりに、再婚相手との間に生まれた子供を「息子の生まれ変わりだったのよ」と、昨日の事のように語るあきバアの安らかな顔が思い出される。
「なあに? おばあちゃんがどうしたの?」
「ううん。なんでもないよ」
チラと、壁に掛けられた日めくりカレンダーに目を向けると、六月の後半で止まっていた。鞄の中からスマホを取り出して、今日が何日か確認するとカレンダーの日付に間違いがないことが証明された。
ということは……あきバアの命日まで一週間もないってわけ⁉
「さっきからどうしたの? 顔色が悪いじゃない」
頬を両手で挟まれて強制的に首を曲げられると、心配症なあきバアの瞳と視線が交錯した。
「あ、ううん。なんでもないよ。少し受験勉強に疲れてるのかも」
「そうなの? あんまり根を詰めすぎないように気をつけるのよ。勉強も大事だけど、健康であることが一番なんだから」
どうしてこうも他愛も無い会話なのに、心の隙間に染み入って私を癒やしてくれるのだろう。ずっと与えてもらってばっかだった私が、あきバアに対して返せるものは果たしてあるのだろうか。
私に降って湧いたチャンスを、ふいにすることだけは絶対に避けたい。
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