「さて、これで少しは理解したか。私が作る線香花火が特別であることを」


 その声に意識を取り戻すと、吸い込まれてしまいそうなほど澄み渡っていた青空は分厚い積乱雲によって蓋をされ、容赦なく降り続ける雨滴は今にもトタン屋根を突き破らん勢いで叩きつけていた。

 ――まさか居眠りでもしたのかしら。

 白昼夢という可能性も頭をよぎったが、未だ鼻の奥では敗戦国の下り坂を転がり落ちる空気が、絶えずくすぶっているような気配すらした。

 隣には虚空を眺めながら佇んでいる煙蔵さんの姿があったが、その手にはいつの間にか骨董品に近い羅宇煙管らうきせるが握られ、紫煙を燻らせていた。雨に掻き消される煙の行き先をどこまでも追いかけるような横顔に、私は意を決して訊ねた。


「その……私が見たものは、まやかしか、それとも妄想の産物なのでしょうか」


 事情を知る由もない煙蔵さんに問い掛けると、返ってきた答えは明確な「否」だった。


「それはあんたの中に積もり積もった記憶の一部だ。わしが作り上げた線香花火はな、その火が燃え尽きる瞬間までに在りし日の記憶を再現出来る代物なのだよ」

「記憶の再現って……悪い冗談はよしてください。そんな馬鹿げた真似を誰が出来るって言うんですか。四方山話よもやまばなしでも耳にした覚えがありません」

「だからこそ成金どもは幾らでも金を積もうとするのだ。人徳がなく、老いさらばえた者は決まって過去に縋り付こうとする。徳を積んでこなかった代わりに金さえ積めば何でも手に入ると信じてな。疑うのなら頬でもつねってみるといい」


 言うことを聞いたわけではないが、頬をつねってみても鈍い痛みが走るだけで、狐につままれているわけでは決してない。

 私が肺腑に吸い込んだ、あの街全体を覆っていた厭戦えんせん気分に満ちた空気は、確かに過去実体験したものだった。



 一体この方は何者なのか――まさか、人ならざる妖かしの類なのではないか。


 じっとりと汗ばむ指先に、淡く燃える線香花火が一つ。緋色の火球は完全な球形ではなく、少しずつ形を変えては輝きを増していた。そういえば、子供の頃はじっと姿勢を保つのが不得手で、身動みじろぎをしては家族の誰よりも先に地面に落下させていた。その都度お母さんに「不器用ね」なんて笑われていた。そんなどうでもいい昔話を思い出していると、煙蔵さんは火皿に溜まった灰を足元に落としながら、こちらを見ずに尋ねてきた。


「線香花火は、燃焼の仕方で四つ名のがつけられていることを知っているか」

「いえ……あいにく存じ上げませんが」

「まずは牡丹――紙縒こよりに包まれた火薬が燃焼を始めて火球ができた状態を指す。緋色の淡い輝きが丸く膨らんでいく様が牡丹のようだと名付けられた。今のあんたがその状態だな」

 

 そう言われて再び手元を見ると、確かに牡丹と言われれば牡丹に見える火花が咲いていた。


「次が松葉――牡丹の状態からより激しく、鮮烈に燃え上がる。勢いを増した火花は一塊となり松葉のように火球から四方八方へと飛び出すのが特徴だ」


「その次が柳――ここまで成長すると火薬の勢いも一段落する。火花は柳風にそよぐ柳の葉を思わせる静けさで下方へ散らしていく」


「そして最後は散り菊――ここまできて一つの物語も終盤に差し掛かる。下手な者だと散り菊に辿り着くまでに火球を地面に落とすが、散り菊こそ線香花火の醍醐味だとワシは考える。火花から伸びる一本一本が菊の細い花びらのようなので、そう表現された」


 初対面では寡黙な男性という印象が強かったが、花火に関してはとかく別人のように饒舌となる。放っておけば何時までも講釈をたれそうなのでいい加減口を挟むと、咳払いを一つし煙管を懐に忍ばせ、振り向いた。

 

「古来より人の一生にも例えられたもんだが、さて……あんたはどんな忘れ物を過去にしてきたのかな」

「どういう意味ですか? 私にもわかるように教えて下さい」

「自分の目で見て、判断すればいい。続けるのも止めるのも、全ては自分次第なのだからかな」


 暖簾に腕押しとはこのことで、いくら問い質してものらりくらりと交わされているうちに、手元の花火は先程煙蔵さんが話していた松葉の段階に差し掛かった。

 少しずつ燃焼の勢いが増し、小さいながらと力強く爆ぜる。同時に意識が遠退いていく――抗いがたい睡魔に似た感覚に襲われ、抵抗も虚しく瞼を閉じかけた私に声が届いた。


「あんたが自分に後ろめたさを感じる原因は過去にある。それを自分の目で確かめてくることだな――」



 

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