耳許で三尺玉が炸裂したのかと目を覚ますと、どうやら赤ん坊の泣き声で私の意識は再び過去へと引きずり戻されたようだ。

 目覚めた先は薄暗く、土埃と体臭が漂うおよそ六畳ほどの空間だった。大人から子供まで老若男女問わずひしめき合い、少しでも身動ぎをすると隣の人の肩に触れてしまうほどの密着度で、底しれぬ不安と死の恐怖に満たされたそこは戦時中何度もお世話になった防空壕の中だった。


 ドン、と縦に震える衝撃が防空壕を揺らすと、防空頭巾を被った子供が悲鳴を上げる。近くに爆弾でも落ちたのだろう――不思議と冷静でいられるのは、これが一度体験した過去だからなのか、理由は定かではない。


 隣ではまだ年若いモンペ姿の母親と、か細い腕に抱かれた生後間もない赤ん坊の姿があった。このような時代でも日々新しい命は芽吹いているようで、感動すら覚える。

 防空壕内の張り詰めた空気を機敏に察知した赤ん坊は、延々と泣き続けて止まない。その母子に食って掛かったのは年嵩の男性だった。それこそ貴方のほうが煩いですよ――と言ってやりたくなる声量で、「煩えぞ」と怒りをあらわにする。恐縮仕切った母親は肩を震わせ何度も頭を下げていた。

 自らの胸元に我が子を押し当て黙らせようとしてみても、当の赤ん坊は素直に言うことを聞くわけでもなく、むしろこの世の不条理を訴えるように口を大きく開いて声を振り絞っていた。


「いい加減に黙らせろっ、さもないと親子揃ってここから追い出すぞ!」


 不安や怒りという感情は周囲に素早く伝播するもので、聞くに堪えない罵声は一人から二人――三人四人と口にするものが増えていき、平身低頭で弱々しく謝罪を繰り返す母親に対し辛辣な刃を突き刺していく。

 彼女にも、もちろん赤ん坊にもなんら落ち度はないはずなのに、誰も彼もが弱者を言葉で打擲ちょうちゃくする。

 おかしな話だ、大人たちは「健康な子供を一人でも多く生むことがお国の為」と言ってはばからなかったはずなのに、戦局がいよいよ厳しくなるとこぞって弱い立場のものから邪魔者扱いをする。

 憤懣やる方ない思いだった私は、とうとう堪忍袋の尾が切れてしまった。


「あなたたち、いい年してそんな言い方しなくてもいいじゃないですか。まだ右も左も分からない赤ん坊なんですよ? いえ、ここにはまだ幼い子供達だって沢山います。大人達が勝手に始めた戦争に巻き込まれて、押さえつけられて、それでも歯を食いしばって耐えてるというのに自分の感情ばかり優先して、猿みたいに感情を曝け出してまで吠えるなんて醜聞を晒してみっともないと思わないのですか?」


 たぶん、私が口にした思いは戦時中も抱いていた本音だった。だけど非国民だと罵られるのが嫌で、周囲の目が怖くて見てみぬふりを決め込んでいた。

 バツが悪いのか、男性はこれみよがしに舌打ちをすると、それ以上は口を開かなかった。それでも居心地の悪さを感じている母親は、謝罪は繰り返す。


「大丈夫よ。私が側にいる限り誰にも文句なんて言わせないんだから」


 小さく折り曲げた背中に手を添えると、ありがとうございますと涙ながらに感謝をされた。少しは人の為になれたかしら――そう微笑んでいると、モンペの生地を誰かに引っ張られ、反射的に振り返った私は言葉を失くした。


 あの日からどれだけ後悔したことだろう。数え切れないほど涙し、夢の中でどれだけ手を伸ばしたところで触れることさえ叶わなかった「過去」が、私を見上げて微笑んでいた。

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