誰かに呼ばれているような――そんな気がして、のり付けされたように固く閉じられたまぶたをこじ開ける。

 すると、眼前に広がる光景に息を呑んでしばし立ち尽くした。我が身に何が起きたのか頭では到底理解が追いつかず、はたから見れば恐らく間抜けな顔で唖然と立ち尽くしていたに違いない。

 ふと、あの謎ばかり深まる店主の言葉を思い出した。


 ――まずは狐につままれたとでも思って試してみなさい。


 今し方私は、煙蔵商店の軒先で手渡された線香花火に火を灯していたはずだった。にもかかわらず、気がつくと私は周囲を瓦礫と黒煙に囲まれた市街地で一人佇んでいた。

 あれほど振り続けていた驟雨も、低く垂れ込めていた鈍色の空も、世界を白く染める稲光も、一夜の夢のように忽然と消え去り、代わりに底が見通せないほど抜けた青空がどこまでも茫洋ぼうようと広がる。時折砂埃を孕んで吹き荒ぶ風は、春の訪れが近いことを告げる東風こちと似ていた。――当然あり得ない。あり得ないといえば、私のブラウスはいつの間にかモンペへと装いを変えていた。着替えた覚えなどない、私の頭がおかしくなっていなければの話だけど。


 夢かうつつか――何が起こったのか理解できないまま彷徨い歩いていると、通りのいたるところで見覚えのある建造物のの数々を発見した。


「あれは、旧市役所庁舎よね。確か……空襲の被害を受けて今では新庁舎が建ってるはずなのに、一体どうしてここに残っているのかしら……」


 二年前に新庁舎が建てられた場所には、度重なる空襲で半壊したはずの市役所庁舎が残されていた。それだけでなく、戦後はバラックが建ち並んだ土地には全焼して瓦礫の山となったはずの尋常小学校も残されていた。戦後に新しく建て替えられた神社仏閣も、本殿が大破し辛うじて山門や梵鐘ぼんしょうが残った状態で見つかった。

 病院も民家も商店街も――私の目に映る全てが、かつてことごとく非人道的な武力に蹂躙され尽くされた時代の遺物である。


 まさか神隠しにでもあってしまったのか、と非現実的な事態に当惑していると、大六車を牽いていた一人の青年と擦れ違った。荷台にはとても助かる見込みがない幼子が全身を包帯で巻かれて乗せられている。


「あれ……ちょっと待ってくれないかしら」

「なんでしょうか」

「君、私と会ったことないかしら?」

「……いえ、あいにくありませんが。失礼します」


 私の事は知られていなかった。だけど私は彼を知っていた。昔、同じように擦れ違った男の子だったから。

 

 それから記憶を確かめるように散策を続けた。街のあちこちで爆撃の被害を免れた男達が粛々と瓦礫の撤去を行っている。よくよく見れば見知った顔も数人いた。国民服令で制定されていた茶褐カーキ色の国民服を、靴から帽子まで着用している。幼い子を背に抱え、両手に抱えられるだけの荷物を抱えた若い女性や、路傍の石と同化している老婆も、戦時の服装として奨励されていたモンペを履いていた。

 皆一様に見窄みすぼらしい格好で、誰も彼もが深い悔恨の底に沈んでいる表情をしている。私はその表情を嫌というほど見てきたし、体験してきたからよく知っている。


「ああ……そうなのね。ここは、私が体験した過去にそっくりなのよ」 

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