令和元年

 一時間ほど控室で待機をしていると、扉を開け恭しく頭を下げるスタッフから呼び出された。足を踏み入れた収骨室で目にした荼毘だびに付されたあとの骨は、床に落として割れたマグカップのように粉々になっている。その遺骨を見下ろしていると、生前にひい祖母ちゃんから散々励まされてきた言葉の数々が蘇った。一つ一つが蘇るたびに、がらん堂の体内に反響していく。


 私が生まれた誕生月に、ひい祖母ちゃんが患っていた認知症の症状が進行してしまった。当時既に息子夫婦――私の祖父母――はどちらも鬼籍に入っていて、生活に支障をきたすようになると「孫には迷惑をかけられん」と言い残し、一人さっさと老人ホームに入所したと聞いている。


 私が中学生になった頃には、一日の大半を年端もいかない子供の頃の記憶の世界に浸っていて、あちらとこちらを行ったり来たりしていた状態だった。ただ、私が面会に赴いた時だけはベテランの職員さんも驚くほどに凛とした佇まいで出迎えてくれた。


「また何か、嫌なことでもあったのかい?」


 何も言わずとも私の悩み事を一発で当ててみせる私の最大の理解者。

 八十以上も年が離れていながら、私はひい祖母ちゃんのことを愛着を込めて「あきバア」と呼び、あきバアは私の頭をシワシワの手でしきりに撫でながら、「サキちゃん」と親しく呼んでくれた。

 友達のような、姉妹のような、はたまた母と娘のような、なんとも言えない関係性が私には心地よかった。さきバアには両親にも打ち明けられない類いの悩みの数々を聞いてもらって、相談に乗ってもらって、なんでももらってばかりの関係は、予告もなく突然幕を下ろした。


 ある日の朝――誰にも別れの挨拶を告げることなく、あきバアは老衰で亡くなったのだ。様子を伺いに来た職員さんによって発見された時には、既に冷たくなっていたらしいが、老人ホームではそういった光景は珍しくないという。

 

 伝えたいことは山程あったのに、ただの一つも伝えきれず旅立っていったあきバアの心境を知る手立ては、もうない。


「苦しむことなく往生できた」とか、「お祖母ちゃんらしい死に方だ」とか、父も母も何処かほっとした顔つきで語り合っていた姿が信じられなかった。それじゃあ、まるで厄介払いが出来たとでもいう態度じゃないか。それとも、そんなふうに憤慨してしまう私だけがおかしいのだろうか。


 あきバアが急逝きゅうせいしてからというもの――葬儀社を探したり――資料を請求したり――打ち合わせに追われたり――告別式まで滞りなく終了するまでの間、一切の雑務に追われていた慌ただしい両親とは対称的に、私は一人、半身を喪ったような、例えようのない喪失感を感じていた。昼夜の感覚もなく、心配してラインを送ってくれる親友の返事も疎かにしていた。


「早紀は父さんと一緒に骨揚こつあげを行うからな」

「ああ……うん」


 普段顔も合わすこともなければ言葉も交わさない父親との共同作業。久し振りの会話がこんな形で実現しようとは。

 初めて目にする骨壺の中には、既に遠い親戚から順に、二人一組で遺骨が箸で持ち上げられて納められていく。

「骨揚げ」なんて初めて知った。授業で習ったこともないし、同級生から話を聞いたこともない。そもそも私の十四年の人生は興味のあることだけで完結していた。だからなのか――「命あるものはいつか死ぬ」なんて普遍的で、ごく当たり前の常識すら頭になかった。大好きな人間が死んだという実感が未だに湧いてこない。「死」をリアルに理解できない。


 九十八年という途方もなく長い人生みちのりを歩んできたとは思えないほど、華奢な骨を父親とのぎこちない合図で摘み上げる。


「いい曾孫でいられなくてゴメンね……あきバア」


 骨壺の中でなんて答えたのだろうか。

 あきバアの骨はカラカラと音を立てて骨壺に納まった。



       ✽✽✽



 四十九日の法要を迎えるまでの期間、骨袋に収められた骨壺は我が家の祭壇の上に安置されている。遺影に使われている写真の中には屈託のない笑顔。暇さえあればお線香を上げて正座していた。

「あんた、そんなおばあちゃんっ子だったっけ?」と、私があきバアの元へ足繁く通っていたことを知らない母親は、もう故人のことなど過去に流したように前を向いて歩いているのが気に入らなかった。


 受験生のくせして、机に向かう気力が一向に湧かない。

 誰か答えを教えてほしい。


『人は、大事な人の死をどのタイミングで受け入れられるんですか』


 ネットには膨大な数の回答が溢れているけど、そのどれもがしっくりとこなかった。

 そんなことばかり考えていて無為に時間を消費していると、四十九日法要までとうとう一週間を切った。惰性で通っている中学校の授業中、窓際の私は鰯雲いわしぐもが流れる遠い空をぼんやり眺めては、母親から事情を聞かされてるだけに強く出れない教師の小言を受け流す。

 視界の隅に、校庭に植樹されている百日紅サルスベリの淡いピンク色の花が南風に揺れていた。呆けている間に、すっかり季節は夏真っ盛りになっていた。




 

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