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「早紀も気晴らしにカラオケに行かない?」
「カラオケ? あーどうしよっかな」
スクールバッグを肩に担いで帰ろうとすると、数少ない友達――個人的には親友だと認識している――から声をかけられ立ち止まった。声のした方へ振り返えると
茜に疚しい気持ちなど一切ないことは重々承知の上で、それでも私は言葉の一つ一つを邪推してしまう。「気晴らし」とは何を指すのか――そろそろ本腰を入れねばならぬ受験勉強それ自体を指してるのか――それとも、一月以上前に亡くなった曾祖母の死を指しているのか。どちらにせよ、親友が気を遣ってくれるほど居心地は悪くなる一方で、茜の肩越しに「早く行こうよ」と急かす女子の姿が見えた。
「誘ってくれてありがとね。でも私のことはいいからさっさと行ってあげなよ」
「え、でも……」
背中に後ろ髪惹かれる視線を感じながら教室を出た私は、深々と息を吐いた。
重ね重ね茜ちゃんには申し訳ないけど、明らかに他の女子達の雰囲気は歓迎ムードでないことだけは確かだった。そりゃそうだ。逆の立場だったら、日がな一日一人でぼうっとしている女を誰が参加させたいと思う。
私を誘ったところで他の子達だって困るもいうものだ。
「生きている限り出会いと別れはつきものよ」と、いい加減立ち直るように説得する母親の言葉を口にして反芻してみた。
「生きている限り、出会いと別れはつきもの――か」
半身を失った心の傷は、果たしてこの先癒えることはあるのだろうか、と帰宅の途についている道中、とあるお店の軒先で足が止まった。普段は気にも留めない街の一角――近代的なデザインの建物に挟まれて『煙蔵商店』は営業していた。
前向きに捉えればノスタルジック。しかし実際は令和の時代に現存しているとは思えないほど古びた建物だった。
「そういえば……あきバアが時々このお店のこと話してたっけ。懐かしいな」
花火なんてセット売りの安価な物で十分とも思えるが、それ以前に私が幼い頃よりずっと花火で遊べる環境がが減少している現代で、手作りの花火が一体どれほど売れるのか甚だ疑問ではある。早ければ一、二ヶ月で空き店舗になることも珍しくない商店街で、煙蔵商店は最古参と言ってもいい。
あきバアが「百年二百年じゃきかないかもね」と、コロコロ笑いながら口にしていたことを思い出した。あの笑顔はもう見れないんだ。
そんな歴史ある由緒正しいお店とも思えないけれど、引き寄せられるように硝子の引き戸に近付いて店内を覗き見ると、駄菓子屋のように色とりどりの花火が棚に陳列され色鮮やかな品揃えだった。
よく遊んだ玩具花火から、用途もわからない無駄に大きな置型の花火まで無駄に品揃えが豊富なのだが、哀しいかな――客の姿は一人も見受けられない。店内に足を踏み入れるのは流石に憚られたが、意思に反して勝手に三和土に足を踏み切れてしまった。
今どき優先も流れていない店内を散策しながら、昔を懐かしく回想する。
あきバアは夏になる度、決まったようにある話をしてくれた。
「誰にも内緒だよ」と、幼い私は曾祖母が語る内容の信憑性はともかくとして、二人だけの秘密を共有できるということが嬉しかった。
「なんだったっけ……確か、線香花火についての話だったような……」
陳列された中から線香花火を見つけ出し、手に取り眺める。あきバアの語っていた話の内容が徐々に復元されていく。
なんでも終戦から五年しか経っていない当時、同じ場所に立っていた煙蔵商店を訪れたあきバアは、そこで摩訶不思議な体験をしたという。
「あそこでね、私はもう一度、人生を前向きに生きることが出来たのよ」
なんでも過去を見ることが出来る線香花火を売っているらしく、店主が気に入った客にしか譲らないという。それだけでも眉唾物の都市伝説じみた逸話でしかないのだが、検索してみると僅かながらネットの掲示板に件の話が投稿されていた。
「でもなあ、あきバアが嘘をついてるなんて思いたくないよ……」
私にその話をしてくれるのは、決まって意識がはっきりとしているときだけだった。試しに幼児化しているときに問い掛けたこともあったけれど、小首を傾げて不思議そうに見つめ返してくるだけだった。
――本当に、過去に戻れたら……私ならどうする?
半ば信じ込もうとしていた自分に苦笑いし、手にした線香花火を元の位置に戻すと、店内の奥から客を客とも思わぬ野太い男性の声が届いた。
「そこで何をしている」
振り返ると、色褪せた半纏に白髪をオールバックにした老人が、首から提げた手拭いで額を拭いながら仏頂面で立っていた。突然声をかけられ、答えられずにいた私のつま先から頭の天辺まで何度も視線を往復させると、受動喫煙防止条例などお構いなしにテレビの中でしか見たことのない煙管を取り出すと、火を灯して紫煙を天井に向かって吐き出す。
老人の視線と重なった瞬間、背筋が一気に粟立った。
「あの……すみません。たまたま立ち寄っただけですので、失礼します……」
老人の視線は、私の薄っぺらい膜に覆われた体の内側を不躾に観察するような、居心地の悪さを感じる。とっとと得体の知れない店と店主から退散しようと
「……へ?」
「ちょっと待ちなさい」
節くれだった分厚い手は、非力な老人のそれとは思えないほどの力強さを感じる。
「合縁奇縁――お嬢ちゃんがこの店にやって来たのもなにかの縁に違いない。少し茶でも飲んでいかんか」
「お、お茶ですか、はい、わかりました」
「『はい』じゃねえよ! なんで断らなかったんだ」と、もう一人の自分がやかましく騒ぎたてるが断る選択肢なんてハナから存在しなかった。結局、差し出された椅子に仕方なく腰掛けるしかなった。
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