手にしていた線香花火の火球は、その勢いを失いつつあった。松葉ほどの力強さは感じないものの、淡く心許なく燃える火花が下へ下へ落ちていく様子をぼんやりと眺めているうちに、煙蔵さんが線香花火を人生に例えた意味がすとんと腑に落ちたような――少しは理解ができた気がした。


 相変わらず雨は降り続いている。どうせなら降り続けばいい。振り続けて、全てが水に沈んでしまえば、大樹を喪ったあの日から悔恨の海の底に沈んだ私の心痛も少しは紛れるのかもしれない。

 大樹をこの手で救い出すことが出来なかったくせに、愛息子がこの先数十年と歩む筈だった未来で、自分だけがのうのうと生き延び、幸福を得ようとしている――。

 そんなことが許されるのだろうか。背中にはいつからか背丈より大きな十字架を背負っていた。永遠に背負わなければならない十字架の重さは、一生涯かけて私が償わなければならないとがの重さと比例する。


「煙蔵さん。貴方が私に語っていたことに嘘偽りはないことは信じます」


 隣を見ずとも、漂う煙草葉の燻る匂いで隣に煙蔵さんが立っている気配を察していた。また過去に引きずられる前に、どうしても尋ねておきたい質問をぶつけた。


「線香花火のことで、一点お伺いしたいのですが――」

「言っておくが、過去は決して変えられないからな」


 肝心な部分を言葉にする前に、先回りをして答えた煙蔵さんに「否」を突きつけられた。


「死んだ者を生き返らせようとしたり、憎い者を亡き者にしようとしたり、そんな都合のいい真似が出来るほどの力はない。そもそも歴史を改変する目的でこの線香花火をあんたに手渡したわけではない。私が作る花火はな、過去を見つめ直すことにしか使えないのだよ」

「それじゃあ……あの子を、大樹を救ってやることはできないのでしょうか。助けられないとわかっていながら……みすみす見殺しにしなくてはならないんでしょうか。 そんな非道い真似、私には到底できません……」


 僅かな可能性に希望を見出し、真正面からその可能性が潰えた今、これ以上訪れるとわかっている過去を直視することは受入れることなど出来なかった。手元の火球は今にも落下してしまいそうなほど震えていた。


「見たくない。向き合いたくない。それも一つの選択肢だろう――そう決断を下すのであれば途中で物語に幕を下ろせばいい。なに、簡単なことだ。今すぐその火球を落とすなり吹き消してしまえば苦しみから逃れられる。だがな、それではあんたがこの先救われる機会が未来永劫えいごう失われてしまうんだよ。あんたが見を背け続ける過去にこそ、罪に苛まれる過去にこそ、己が救われる切掛となる鍵があるはずなんだ」


 あの惨劇を前に、二度も耐えられるほど私の精神こころ強靭きょうじんだとは思えないが、まるで私の決断を待っているかのように火球は急かすように風に揺れていた。


 新しく宿った子供を心から愛することが出来ず、毅さんには明かすことのできない罪の意識をこのまま抱え続けるのか――


 それとも煙蔵さんの言うとおりに、「救い」となる鍵とやらを求めて過去を見つめるのか――しばらく悩んで末に私が出した答えは――




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