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すべてのエピソードへの応援コメント

  • ふんどしを

    簡略化すりゃ

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    げん😃

     ※そういえば、あっしはカクヨムにSF小説を3作品投稿してるんですが、気を入れて書いた2作はちと長いんで(五万文字あまり)、SF好きでない読者からは、
    「この部分は要らないんじゃね〜の?」
    的指摘を受けたことがありやす。

     一方、洒落で書いた
    「SF小説 しん 浦島太郎」
    は短い(全8話、一万四千文字)ので、若い読者から喜ばれておりやす。

     でもねぇ、この作品、実はあっし以上の年輩の人に受けるギャグを散りばめた、分かる人には分かるコメディなんすよ!

     って訳で、例によって興味持ってもらえたなら、道草ついでの駄菓子屋にでも寄るつもりで覗いて見てくだせぇ。


     では。

  • 第44話   リヤカーへの応援コメント

    リヤカーと

    大八車

    ともに死語





    げん😃

    作者からの返信

    お目にかかりたければ、時代劇や古い映画をご覧あれ~、っていうようになりましたね。
    あまりものを知らない次男は、リヤカーは辛うじて知ってますが、大八車となると知りません。
    時代劇は全く見ないですから、無理ないかと思ってます。

  • ローバちゃん、こんにちは😊

    「出来るうちに」
    のタイトルが身に沁みます。
    これはローバちゃんに限らず誰もが思うことだと思います。
    若くて元気な頃は子育てに忙しく、また仕事でも忙しく、目の前にやらなければならないことが沢山あって親のことまで手が回らないですよね。
    私も、まだ母が元気なうちに親孝行をしておけば良かったと今にして思います。
    今母は幸いにも健在ではいますが、もう、私が面会に行ってもわかっているのかどうかといった感じです。
    まだ畑仕事など元気でしていた時に、一緒に手伝いながらいろいろ習っておけば良かった。
    一緒にやったら母も喜んでいただろうな。なんて思います。
    その頃は自分のことしか考えていなかったなぁ。
    考えるとしても子供のことで親のことは考えてもいなかったなぁ。って。
    でも思うんです。
    こうして心で思うだけでも、その気持ちがあるだけでもいいのではないかと。

    私も孫たちと接するのも今だけだろうなと思っています。
    その今を楽しみたいと思っています。

    ローバちゃんのこのエッセイで私も、出来るうちにやっておこうと改めて思わせて頂きました。
    ローバちゃん、いつもありがとうございます✨✨

    作者からの返信

    のこちゃん、今晩は。

    「出来るうちに」というけれど、出来なくなった時にやっとそう思えてくるのだから、なんだか皮肉なことですよね。
    私も書いていて、やっておけばよかったと思うことが、こんなにもあったんだな、としみじみ思いました。(書いてないのも沢山あるんですよ)

    出来るうちにしなくて後悔していることが、「飛行機に乗る」こと、なんて、本当はどうでもいいことなのかもわかりません。
    充分に乗ることができたのに乗らなかったなんて、でもそれがどうした、という程度のことですからね。

    でもね、出来るうちにやっておかなかったこと「親にちょこちょこ顔を見せに行ったり声を聞かせてやったり、お墓参りしたり・・」ということは、本当に心から悔やまれてならないのです。

    だから、のこちゃんがお母さまの施設を頻繁に訪問して、それこそ自分のことを分かってもらえているかどうかであっても、会いに行かれているのを聞いて、孝行できて良かったと思っているのです。
    そしてこの時間がいつまでも続きますように、って祈ったりもしています。

    義母もね、やってあげられたことを振り返ってみれば、必要最低限のことくらいだったかな、なんて。それも悔いが残っているんです。
    ああすれば、こうしてやれたら、と思うことが沢山あって切ないです。

    今、ワタシ足腰がすごく弱っているけど、自分が努力しないで怠けていたから、筋力が全くなくなってしまって、これだって「出来るうちに」鍛えておかなかった罰でしてね。
    こう考えると「出来るうちに」しておけばよかったと思うことがいっぱいで。
    でも考えると後悔の念で悲しくなるので、ま、しゃぁない、と最後に濁して逃げています。

    のこちゃんはいま出来ることを、何でもやってらっしゃるから、とてもいいなと感心しています。
    これからもどんどん色んな事をやって、悔いなく楽しく過ごして下さいね。
    (夜中にごめんなさいね。まだ起きてる宵っ張りローバなんですよ)

  • 第43話   土佐犬への応援コメント

     実は私も犬は苦手、子供の頃は大きな犬や吠える声に恐怖を感じていました。

     猫は自由気まま、飼い主に甘えたり離れたり好き勝手にすごしますが、犬は飼い主の愛が全て、毎日のお散歩は雨雪風の時でも必須。
     それを怠れば不安とストレスで場合によっては凶暴化する危険獣になる可能性もあります。

     つまり、猫の方が格段に飼いやすいし、煩くないし可愛い。
     まぁ、人それぞれでしょうけど。

     ただし、猫の方は人間の子供が苦手、うるさいし奇声を上げて駆けずり回るし恐怖の対象でしかありません。

     大人はそういう凶獣をおとなしく躾けてほしいです!

     …と、ウチのみーぽんが生前申しておりました。


     では。




     げん😃

    作者からの返信

    源さんのご意見、しっかり受け止めました。
    犬派にも猫派にもどちらでもない無所属の私には、どうやら源さんのご意見は猫派にちょっぴり贔屓気味と思われますがどうでしょう。

    しかし、おっしゃる通り、犬の散歩はとても大切で必須であることは間違いありません。
    ずっと以前ですが、姉が我が家で楽しく遊んで帰る時、犬の散歩が待っていると思い出し、ちょっとガックリしていました。
    何処かへ出かけて帰ると、遠くから姿を見つけて千切れるほど尻尾を振っているのを見ると、疲れているのにぃ~、とガックリする反面、喜ぶ姿にいじらしくって・・とよく言っておりました。

    このお世話の大変さを怠ると、犬はストレスから悪い子に変貌を遂げるんですよね。そうなると私のように、犬が怖い人には怪獣のように思われてしまう羽目に。
    その点、猫はそんなことはないかも知れません(もしかしてある?)

    どちらにせよ、猫も犬も飼い主さんには躾もしながら、猫っ可愛がりするくらい可愛がりまくってください、とお願いしたいです。
    みーぽん君はその点、幸せでしたね。

  • こんにちは。

    確かに出来るうちにとは申しますが、いつでも出来そうなのは
    どうしても後回しになってしまったり、いつでも良いになって出来ませんね。
    そうこうするうちに月日が流れて、結局出来なかったなんてのも珍しくありません。

    とは言うものの、コロナ過になって家にいる習慣がついてしまってからは
    出掛けるのもちょっと億劫になってしまいました。

    私はとりあえず飛行機には二回ほど乗ってます。
    そこそこの大きさのものと、小さいもの。
    舟でもそうですが、このセスナ機はまさに飛んでるって感じで面白かったです。

    作者からの返信

    娘の職場に毎月実家のお手伝いに帰っている人がいます。
    農家のお手伝いで、近いうちに退職して戻られるのだそうです。
    行けるうちに実家へ行っていたら、という後悔でいっぱいの私ですが、流石に毎月休みを取って帰るのもどうか・・と思ったりもしています。
    でも、例え親が元気なうちでも必要とされている時が今だとしたら、親の年は関係なく顔を見せに行ったり、故郷にユーターンも大切なことかも知れないと思いました。
    そうすれば、後からあの時ああしてやれば、こうしてやれば、と悔やむこともないですからね。

    私は飛行機に乗った経験がないのも、どこかへ旅行したことがなかったことも、今ではYouTubeを見て「行った気分旅行」で楽しめる人ですからいいのですが、やはり親の生きているうちに何度か顔を見せに行ってやらなかった後悔はどうにもなれず苦しんでいます。

    コロナで会えなくなった辛さから、いつでも出来ていたことが出来なくなる、「出来るうちに」やっておいた方がいい、ということを知らされた人も沢山いたのじゃないかと思いました。

  • 「親孝行したい時には親はなし」は身につまされますね。

    私も中々帰れていない現状にモヤモヤしてしまいます。

    兎に角子供にお金がかかるのよ、トホホ。な現実がうらめしいです。

    作者からの返信

    本当に身につまされ続けています。
    げんさんはまだまだお若いですからいいですけど、親をみてちょっと年とって来たな、って感じるようになったら、出来るうちに、行けるうちに、と心がけるようにされたらいいのではないでしょうか。
    そうでないと私みたいな「悩める老婆」が出来上がっちゃうんですからね。

  • 第41話   火傷への応援コメント

     私の居る松戸市にも、実は野生の狸がいます。
     ごく稀ですが見かけますね。

     神社や公園の森、江戸川河川敷の藪などが住処になっているようです。

     実はそんな野生の狸との話を描いた拙作があります。

     「台風一過の江戸川にて」

     という作品ですが、あっさり読める短編なので、お暇な時に覗いて見て下さい。

     火傷の後がほぼ消える程度のもので良かったですね。



     げん😃

    作者からの返信

    火傷は子供の頃とか、大人になっても痩せていた頃は、少しは目立ちました。
    水着になるとひきつれたような跡が分かったけれど、自分では見えなかったので気になりませんでした。
    結婚して太りだしてから皮膚が引っ張られて伸びたせいか、跡が薄っすら分かる程度に改善されました。
    太るのも悪くはない、という例となれるでしょうか。
    母は心中穏やかではなかったでしょうが、私が気にしないでいられるようにと、ずいぶん気遣ってくれてたようでした。

    源さんの狸のお話、どんなか伺ってみましょう。

  • 第40話   七夕への応援コメント

     新潟の、両親の本家は現在、私の従兄姉が当主となっています。

     令和の今ではもはや爺婆の年配になりましたが、二人ともまだまだ元気です。

     サダジの実家は竹之高地から山裾の平野部に移転し、ミツイが守っていて、自分の長男と何枚かの田んぼで米を作っていますよ。

     フミの実家はすでに富次おじが昭和の時代に癌で亡くなり、長男の昇一さんが当主ですが、この人は地元山古志村の中学を卒業すると川崎市の会社に就職しました。

     その地で結婚し、娘二人を儲けると、家族で山古志へ戻りましたが、都会育ちの奥さんは豪雪の山の暮らしに馴染めず離婚。…昇一さんは娘二人を新潟で苦労して育てながら小千谷市で働きました。

     昇一さんは現在小千谷市に家を建て、自身の作った会社を娘夫婦らに任せて穏やかに暮らしています。

     山古志のフミの実家は、昇一さんがリフォームして、別荘として泊まれるように残っています。

     庭にはバーベキューが出来るあずま屋が造られ、山古志の旧友らとたまに集まって楽しく過ごしているようです。

     昨年、私が昇一さんと会った際には、
     「俺ももう年だから、お迎えが来て死ぬのは全く怖くないんだ。…怖いのはボケて娘らの厄介になって暮らすことさ!」
     と言っていました。

     また、昨年ミツイと会ったときには、
     「良いなぁ…げんは子供が居なくて夫婦二人だけで…自由に過ごせるのが羨ましいよ!」
     と言われました。

     …何か、人生しみじみです。



    げん😃

    作者からの返信

    「たけんこうちの王子さま」が読み終わりましたが、このコメントでその続きを読ませて頂いているような感じになりました。

    源さんの王子時代から、もうずいぶんと経ってしまったのですね。
    軽トラで産まれたばかりの弟王子を連れて旅した、あの御一行さまのエピソードが可笑しくて、そして懐かしく思い出されます。

    大昔の元新潟県民である私は、山古志村の名前は牛の角突きで知っていましたが、そこが相当山深くて、そしてその豪雪地帯で暮らしていくことの大変さを、あの作品で教えられました。

    時代が変わって人々も年を取って、守り続けた家もまた変わって行って・・
    でも今でもあの地で、源さんが訪ねた時に喜んで迎えてくれる人達が元気でいるって、とっても幸せなことですよね。

  • 父は何が原因かは分かりませんが
    全く実家に足を向けませんでしたが
    祖母が亡くなってから なぜか
    年に数回も墓参りに行くようになりました
    墓はすごい坂道を上って行くところにあって
    年老いて どうしても登れない時が来た時
    ふもとで泣きながら手を合わせていたと
    叔母から聞きました

    できる時には やらず
    やりたい時には 出来なくなってる

    人って みんなそうなんですよね
    しょうがない生き物ですね


    (すみません 応援コメントとは ちょっと違ってますね)

    作者からの返信

    いえいえ、正に「出来るうちに」のタイトルに相応しいコメントを頂きました。
    お父上のお墓参りのお話は、何だかちょっとした物語を思わせるもののようでした。
    何があったのか分かりませんが、そこにはドラマがあったのでしょうね。
    坂道の上方をみて涙を流して手を合わせていたなんて、やはりドラマです。何だか胸がジーンとするのは何故でしょうか。


    みんな出来る時にやらず、やりたい時には出来ない、という悔いを少なからず持っているのかも知れませんね。
    同じかどうか分かりませんが、私も懺悔の気持ちいっぱいで、心の中で手を合わせ、時には涙ぐんでおります。
    コメントありがとうございました。

  • あ!そう言えば、GW、墓参りに行くの忘れてた!
    ったく、どうしようもないなあ。もう、GW、終わっちゃったよ~。
    いや~、すっかり、忘れてました。

    今年のGWは、毎日、毎日、父の施設に足を運びました!
    皮肉なもので、母の最期は、コロナで会えなかったんです。
    母が、もう、亡くなる寸前だと言うのに、病院と言えば、タブレット前にしか、面会に行っても、会わせてもらえなかったんです!!
    腹立たしいというか、何と言うか、誰に文句言っても聞いてもらえないし!
    コロナのバカヤローー!
    父もねえ!五年くらい、施設が会わせてくれなかったんです!
    それで、最初、一ヶ月に一回、三十分ほど、会わせてもらえるようになって、その次、二週間に一度になって、最近、やっとこさ、毎日、予約つきで、14:00~16:00まで、三十分会えるようになって、GWになって!9:00~17:00まで、好きなだけ会えるようになりました!!

    コロナで、五年間、会えなくなった父は、最初、なかなか、こころを開いてくれなくなっていて、姉と、とにかく、やれることだけのことはやってあげよう!!と、散歩に連れ出し、三十分の決まりのはずが、二時間くらい、勝手に延長して、散歩に行っていれば、だんだん、父にも、笑顔が戻ってきました!

    ほんと、やれるときにやってあげないと、だめですよね~!母にできなかった分、父だけは、やってあげようと思います!
    それに気付かせてくれた、姉にも感謝です!

    これからも、週三回は、父の面会に行こうと思っています!!!

    作者からの返信

    風さん、何度もコメント読み返しました。
    読みながら風さんの優しさに胸がグッとなりました。
    お墓参りは勿論大切なことですが、お父さんの面会を優先させて、毎日出かけてあげられたことはスゴク良かったと思います。
    お母さんはGWが終わったとしても、いつでも来てくれるのを待っていてくれると思いますから、先ずはお父さんの方ですよね。


    おっしゃる通り、面会の頻度が上がればそれだけ心は開かれていくのですよね。嬉しい気持ちが徐々に高まっていくのでしょう。
    風さん、お父さんと心が通って嬉しかったでしょう。
    本当に良かったですね。
    それにしてもコロナはホント憎らしいですね。面会が出来なくて、辛い思いをした方がごまんといることでしょう。


    思いもしなかったコロナ禍のことを考えても、正に出来ることは出来るうちに、ですよね。
    風さんが毎日お父さんの面会に行ってあげられたことも良かったし、これからも週3回は行こうという気持ちもスゴクいいことだと思います。
    何の関係もないお婆さんですが、こんなお話が聞けて本当に嬉しかったですよ。ありがとうね。


  • 編集済

    私が新潟に来た頃にはすでに佐渡空港がありました。開港はいつだかわかりませんが、新潟空港の横滑走路から佐渡空路がありました。
    佐渡空港は拡張計画があります。
    また現在、新潟空港と佐渡空港の航路は休止中ですが、再開計画があります。
    羽田空港と佐渡空港の航路も計画段階です。
    佐渡空港はバス停に毛が生えたようなターミナルです。多分再開しても、切符切りのような状態かと(笑)

    作者からの返信

    昔、長兄夫婦が飛行機で新潟へ帰って行ったことがありました。
    家族みんなで大いに心配をし、着いたよの連絡に皆が胸をなでおろした、という思い出がありました。
    僅かな飛行時間だったのに、恐怖の時間は大きかったと笑いました。
    どんな飛行機かいな、意味ないじゃん、と今ならバカな話と言われてしまいそうです。

    私はジェットホイルが快適ですけれど、やはり羽田から佐渡まで行けるとなれば、喜ぶ人が沢山いるのでしょうね。
    そうなると切符切りも・・あはは・・な訳ないですよね。

  • 佐渡と言うと、私達夫婦が福岡でお世話になった女性の娘さんが、今、新潟に住んでいます。未だSSNで繋がっています。お世話になった女性は、肺ガンで亡くなってしまったのですが、その娘さんは、釜山へ行く高速フェリーのアテンダントをしていた間に出会った航海士の男性と結婚しました。その後、佐渡の実家に近い所で働きたいと転職した夫と共に新潟市へ移り住み、三児の母として頑張っています。夫は、新潟と佐渡を結ぶフェリーの船長です。彼女も、年に一〜二度しか佐渡の実家には行ってない様ですが、義実家との関係も良い様です。

    毎日、船に乗っている人もいれば、飛行機に乗っている人もいます。日本では、毎日電車に乗っているが、車の運転をしない人も多くいるのでしょう。私の孫は、一歳未満で、飛行機で太平洋を渡りました。息子が6歳になる前に、飛行機で日本へ連れて行った時、私が初めて飛行機に乗ったのが18歳の時だったのにと思っていたのを思い出します。妻はその時、23歳で初めて飛行機に乗り、最初の小型機が揺れた時には、パニックになりかけました。その前に、私の祖母は、生後1ヶ月で、蒸気船で太平洋を渡り、米国から日本へ帰国しています。妻の祖先の大半は、帆船で英国から米大陸へやって来ました。

    逆に、私の孫は、船に乗って少しの長旅をする機会があるのか疑問にも思っています。私は、四国へ行くにはフェリー時代に育ちましたが、今では皆、橋を渡りますよね(私の船旅の最長は、隠岐島までです)?どこへ行くにも、飛行機の方が便利な場所も多いですし。1000年後くらいには、瞬間移動が可能にでもなるのかなと想像もしています(人類が滅んでいなければ)。

    変な話を長々として、申し訳ありません。

    作者からの返信

    昔から息子は飛行機恐怖症?の夫に、飛行機事故は毎日の車の事故から比べれば、皆無と言っていい程なんだからと、一生懸命に説明するのですが、怖いと思った考えは変わらずじまいでした。
    お蔭で?「今どき乗ったことのない珍しい人」と言われたこともありました。
    もし積極的に世界を旅することがあったなら、嬉しがり屋で感激屋の私ですから、自分の人生がもう少し彩り豊かなものになったかも知れない、と思うこの頃です。

    高齢者のわりには、ものを知りたがるという意欲を、子供達は褒めてくれますし、浅学な私も何かを知るとちょっぴり頭が良くなった気になれるので、知りたがり屋は結構良い趣味だと気に入っています。

    百聞は一見に如かずといいますから、もっと早くに気づいてどんどん海外に出かけて行っていたら、とちょっと後悔もしています。
    でも出不精だった自分への「落とし前」として、出来なかった海外旅行に代えて、YouTube旅行と洒落て見聞をひろめて(それ程オーバーなものではないですが)いくのも手かなと考えました。


    博士のお孫さんは今からもう海外へ出かけていますね。スゴイことです。
    私の姉が子供に旅行をさせると、勉強のできる子・頭のいい子に育つと言ったことがありました。
    (行っただけ、の得ることなしの子もいるでしょうが・・)旅をすると地理や歴史や風土風習や色んな事を、直に見聞きして学ぶからだと力説しました。
    お孫さんもきっと頭のいい子、スケールの大きい凄い人になりそうです。
    いつもご丁寧なコメントをありがとうございます。
    (私の返信コメントがズレていましたら、ごめんなさい、デス)

  • 本当ですね。ボクは夜、寝かしつけの絵本読んでます。毎日、めんどくさいなと思いつつ、今しかない貴重な体験を私がさせてもらってるんでしょうね……。
    親とはめちゃくちゃ近い距離にいるので、ほぼ毎日会ってるので、逆に親孝行できる時間は限られてると意識しにくい気がします。気をつけようと思いました。もうすぐ母の日!なにか感謝をこめて、しよう(・_・;)

    作者からの返信

    私は子供は目いっぱい可愛がって一生懸命に育てた、という気になっていますが、後になって考えると、自分の出不精のせいで色んな所へ連れて行って、色んなものを見せたり体験させてやればよかったな、と後悔しています。

    今更どうこう出来る訳でもないので、やはり「出来る時に出来ることを目いっぱい」が悔やまれます。
    ボクちゃんはこれからの人。
    たくさんの出来ることをやってあげてね。
    そして近くに親御さんがいらっしゃるのはラッキーです。
    更に欲を言えば長生きして頂いて、親孝行ができるといいですね。(親孝行と言っても特別なことじゃありません。傍で貴女の幸せな姿を見て頂くことがソレなんですよね)

  • 親孝行したい時には親はなし。仰る通りですね。
    車で1時間も掛からないですが、行けてません、私。
    感謝の念が厚いローバ様。後悔しちゃうの分かります。
    けど、違う世界で親孝行出来るかも。


    作者からの返信

    母は明治生まれの人ですから、親に孝行せよ・夫婦は仲睦まじくあれ、とよ~く言われたものでした。
    私なりに守って、私なりに親孝行の真似のようなこともしてきたようにも思っていました。
    でも、孝行の対象の親は実家の親でもあったことを忘れておりました。

    親の存命中には物心共に貰うことばかりで、与えることは皆無と言っていい程でした。
    まぁ自分に都合よく言い訳がましいことを言えば、娘が不幸になって泣かされることがなかった、ということが親孝行と思ってもらえたら・・と冷や汗タラリで思っているところです。

  • 来し方を振り返るゴールデンウィークでしたね。

    ローバ様がいつの時でも目の前のことを一所懸命に頑張っておられたということですね。

    帰省も交通の便がよくなった今とは違い、以前は家族を引き連れて乗り物を乗り継いでの移動。
    荷物もあるでしょうから本当に大変です。

    今は落ち着いた気持ちで公園の様子を眺めておられるのですね。

    あの世ではこちらの土産話しでよいのではないでしょうか。

    作者からの返信

    いつも、つむぎさんやのこちゃん達の、お嬢さん達がお孫さんを連れて遊びに来られた報告を聞かせてもらって、心の底から嬉しく思っている私です。
    そして、「そうそう、今のうち、来られるときに精一杯顔を見せてあげてね」と、ひとさまのことながら心で呼びかけております。
    今は私の様なヨレヨレと違って、元気な高齢者が多くてあまり心配はないでしょうけれど、それでも親といられるのは限りがありますものね。

    「出来ることを出来るうちに」なんて言っていますが、後にならなきゃ気が付かない言葉なのかも知れません。
    公園で十分に反省をしながら、つむぎさんのおっしゃるように、あちらの世界へ行ったらどんな土産話をしようかと考えることにします。


  • 編集済

    電車も切符切ってましたよね。

    作者からの返信

    あんな感じでパチンパチンと。船に乗る時にもね。
    飛行場でもあるのかと、田舎の子供は思っていたのです。


  • 編集済

    第39話   先生への応援コメント

     ものごとを教える側の人の多くは残念ながら気付いてないと思うんですが、実は教えられる側がまず注目するのは、教える人の「人となり」なんですよ。
     特に子供や少年少女はそれに敏感です。

     人として信用の置けぬ者が伝える言葉は空虚に聞こえますからね。

     例によって話は変わりますが、10年ほど前に、妻マキと市内のスポーツジムの「無料体験コース」ってのに行ったことがあります。

     当時肥満傾向にあった私の身体を案じたマキに、ほぼ強制的に連れて行かれた訳ですよ。

     2時間くらい、プールや器具などで身体を動かし、汗を流した後、若い男性トレーナーが私に寄って来て言いました。

     「健康な身体作りのために、今後も続けてみようと思いませんか?…今回やってみて、正直なところをお聞かせください」

     って訳で私は素直に答えました。

     「僕には根性が無いので、女性トレーナーがチヤホヤしてくれないと続かないと思います!」

     キッパリそう言うと、男性トレーナーは唖然とした顔をして、黙って去りました。

     って訳でジムには通うことなく終わりました。

     …正直なところを聞かせろって言うから答えたのに……何だよ全く!

     
     
     ゆずる君にもきんに君にもならなかった僕はげん😃ちゃんで〜す!




     

    作者からの返信

    教えられる側が教える人の「人となり」を求めるように、教える側も教えられる人の「人となり」を求めたい、と思うんじゃありませんか?

    しっかりと教えてあげたいと思えば、しっかりと教えを聞いて、頑張ってもらいたい。熱意を持って熱意に応える、というところ。
    それが良い成果を生むことでしょうに・・なのに源さんったら、なんのこっちゃ!?

    お姉ちゃんにちやほやされなきゃ嫌~ん、っていう王子体質の人は「魅惑のダイエットクラブ・ハーレム」の、イチャイチャ激ヤセコースで、せいぜいお励み下さいませ。
    もちろん、貴方次第でゆずる君にもきんに君にも変身可能ではありますが・・・どうかなぁ、ネッ王子さまぁ(^_-)-☆

  •  …姐さんの、旦那さんへの愛がひしひしと感じられて、脳天気なあっしでも目から湧き水でしたぜ。

     あっしの妻マキは11歳年下なんで、幸いあっしより早く死なねぇと思いやすが、
     「そうか君はいないのか…」
     って気持ちは飼っていた愛猫へ感じていやすぜ。

     特にマキはそれこそ猫っ可愛がりしてやしたからねぇ。

     まぁ18年も飼ってたんだから猫としちゃあ長生きしたんですがね。

     あっしら夫婦だけじゃ無く、マキの実家の人らにも猫っ可愛がりされてたんで、まぁ言ってみりゃあ"たけんこうち王子の猫版"でさぁ。

     もしも興味持って頂けやしたら、拙作
     「奇跡の猫 みにゃん」
     を覗いて見ておくんなせぃ。

     では。




    げん😃

    作者からの返信

    早速「たけんこうちの王子さま」版みにゃんさまに会いに行ってみましょうか。
    源さんご夫妻の猫っかわいがりぶりは、どんなものだったでしょう。
    私の長兄夫婦も愛犬を猫っかわいがりしていましたから、何となく想像が・・

    可愛がりが過ぎると亡くなった時には・・切ないですよね。
    いつまでも「そうか、もう・・」でやりきれなかったことでしょう。

  • 第36話  優先席への応援コメント

     いや〜、あっしもね、今年になってから生まれて初めて電車で席を譲られたんでさぁ!

     つっても松戸の市内だけの移動でね、新京成電車で四駅、所要8〜9分。

     車内はそこそこ混んでて、あっしは乗ってからドア付近の吊り革を手に立ちやした。

     そしたら車輪付きのトランクを手にして席に座ってた若者が、スッと立ち上がり、あっしに
     「あ、席どうぞ!」
     と言ったんでさぁ。

     え?俺に?…いや別にいいのに!…10分足らずの距離だし、足も弱ってる訳でもないし、平気なんだけどな…え?どうするよ俺?

     何しろ全く予想してなかった事態に当惑と困惑、戸惑いと狼狽に心が乱れまくり…しかし相手はすでに立ち上がってあっしの顔を見てる状況、直ちに態度を決め対応しなければならねえ訳でさぁ。

     あっしは足はまだ達者なんで構わんでおくんなせぇ!…と言いたいところだけど、相手はもう立っちまってるし、あっしが善意を断われば若者はガッカリして決まり悪く腰をおろすことになりやすし…
     
     って訳で若者のメンツを立ててあっしは
     「そいつぁありがてえ、恩に着るぜ、若いの!」
     と言って座ってやりやした。

     良いことしたなぁ俺!



    げん😃 

    作者からの返信

    良いことしたなぁ俺!
    良いことしましたよ、旦那ぁ!!
    そうやって、ちょっとばかり無理してでも好意に応えてやるのも、年配者の親切というものかも知れませんね。

    私は何といっても嬉しがり屋さんなので、大いに喜んで譲ってもらいますが、1~2区間位だと丁重に辞退します。
    もちろんご親切には感謝の言葉は忘れませんが。
    何しろ膝が痛いので、折角座っても立ち上がるのが大変で、短い間なら立ってそのままの方がありがたいということもあるのです。

    なんにせよ、無理にとは言わないけれど、人の好意は喜んで受けられたらいいな、と思う私です。

  • 第35話  葛根湯医者への応援コメント

    良いなぁスポンジかあさん!

    俺が昔王子だった頃

    母ちゃんはタワシだった

    弟は葛根湯を頭に塗り

    父ちゃんはクルクル方位磁石だった

    分かるかな?

    分かんないだろうなぁ…




    げん😃

    作者からの返信

    ローバがスポンジだった頃

    娘は古雑巾だった

    孫は金ダワシでガシガシ暴れ

    夫は千切れたダスターだった


    今? 今はどうなんだいってかぃ?


    なんも吸えないスポンジと

    放り出された古雑巾

    ガシガシこすったかねダワシ
     飴玉位に擦り切れて

    用をなさない哀れなダスター


    ああ、南の島に雪が降り
      ローバの頭にハエが飛ぶ

    パッパラパーの能天気
      ローバよお前はどこへ行く

    夕焼け小焼けで陽が暮れて
      何言ってんだか分かりません

    止めておくれよ森源さん
      放っておいてはいけません

    私はだ~れ ここはどこ?
    ああ・・早くとめて~・・・お願い!

  • 第34話  手紙への応援コメント

     文通、ペンフレンドなどという言葉さえ、令和の現在では昭和時代の死語になりつつありますねぇ。

     平成になり、私がガラケーを持つようになると、ふとしたキッカケで静岡県裾野市在住の主婦の方とメル友になりました。

     メル友なので、出会うことも無く本名も年齢もお互いに知らぬまま、話題が子供時代のことになり、その時に相手が千葉県浦安の出身で、実家は海苔を作る漁師だったと知りました。

     ディズニーランドが出来ることで、海苔作りはやめてしまったとのこと。

     私は浦安にほど近い松戸市在住で…と明かすと何となく親近感が湧き、浅草の病院で難産で生まれたこと(たけんこうち王子の伝記のプロローグ部分)を文章にして送信すると、小説みたいで面白いから、その後の話も少しづつ送ってほしい、とリクエストされました。

     という訳で、拙作「たけんこうち王子の伝記」は実はカクヨムとは関係なく、こうして出来て行ったんですよ。

     その後相手の父親が、浦安の施設に入ることになり、いろいろ手が掛かる状況になりメル友関係は消滅してしまいました。

     何年かして、私がカクヨムに「たけんこうち王子の伝記」他の作品を投稿するようになったことをお知らせしようとしましたが、その時には相手は電話番号を変えたらしく送信出来ませんでした。

     ちょっと寂しい思いが残りますが、感謝を伝えたいです。



     げん😃 

    作者からの返信

    「たけんこうちの王子さま」誕生秘話があったんですね。
    メル友さんにお話して良かったですね。
    でなければ、作品が誕生しなかった訳ですものね、よかったよかった。

    こんなにいい作品に仕上がって、多くの人に読んでもらえるものになってるのですから、電話番号が変更になったかも、っていうのはちょっと残念ですね。
    もしかして、どこかで偶然見つけてくれたりして・・
    もし目に止まれば、お産のエピソードが突拍子もないものでしたから、絶対にあ・これは!?ってなれるでしょう。
    見つけられならないかなぁ。

    今は他にメル友はいらっしゃらないんですか。
    見ず知らずの人でも、ちょっとした共通点などを色々とお喋り?してると、何だかとっても楽しくなりますよね。
    私の場合なんかは(カクヨムですけど)人生まで幸せ色に色づけてもらえたんですから、ありがたいものです。

    手紙はもうあまり書くこともないけれど、こうやってコメントのやり取りで、昔の文通のような楽しみに浸っています。
    源さん、婆さんのローバですけど、これからもお付き合い下さいませね。

  • 第33話  朗読への応援コメント

     カクヨムは基本的に文字の世界なんで、声とか方言のイントネーションを読者に伝えるのは難しいんだけど、姐さんの言ってることはよく分かりますぜ。

     そう言やぁ今は低音の魅力とかアダルトな風味の声で歌うシンガーは居ないやねぇ。

     フランク永井、石原裕次郎、アイ・ジョージとかは渋い声だったぜ。

     令和の歌手はみんな高い声で、早口で裏声とか使って必死な感じで歌ってる奴が多いやねぇ。

     昭和原人にはやっぱり歌手の魅力っつったら声さねぇ。

     あっしがレコード買ってた昭和の時代、桑田佳祐、宇崎竜童、柳ジョージっていう「ダミ声3人衆」が居て、それぞれ好きだったんだけど、結局桑田佳祐だけが令和の今も頑張って歌ってる、大したもんだぜ。

     姐さんの親父さんも新潟県人、やっぱり「え」と「い」が言えないんですかい?
     むろんあっしの親もですぜ。

     昔、新潟の本家から誰かこっちに出て来るなんてぇ話を電話でして来た時は、
     「昼頃、ういのに着く汽車に乗ってくから!」
     なんてよく言ってやしたぜ。

     東京小岩生まれ小岩育ちのキヨシ叔父なんかは、
     「ひ」と「し」が上手く言えなかった。

     「昇る朝日と沈む夕日」が、
     「昇るあさしとひずむゆうし」
     になっちまうんでさぁ。

     悪いけど、しーしー腹抱えて笑うほどおもひろかったぜ。


     では。

    作者からの返信

    フランク永井の低音の魅力をご存じならば、水原弘が「黒い花びら」で低音が魅力的だと人気だったのもご存じで?
    昔は男性の高い声(例えば三橋美智也なんか)も人気ありましたけど、大体は低い声が普通でしたよね。

    私は特に低音が好きと言う訳ではありませんが、甲高いのは苦手でした。でもね、「大都会」なんかではあの超高音の声の凄さがいけてると思うし、陽水は大ファンだし・・
    今の人の高音の歌も嫌いじゃないけど、キーが追いつかないしで歌えないのが難といえますね。

    それと「え」と「い」ね。 「いちご」生まれの父は仲良しの名前を「みえこ」ちゃんが「みいこ」ちゃんと書いて提出。そこへいくと佐渡はそんなことはなかったですね。
    間違いでも「ういの発の夜行列車・・」そう歌ったら楽しいじゃありませんか。


  • 編集済

    カクヨムをやめようとしたときがあったんですね。
    ローバさまが、カクヨム続けてくださってて、ほんとうに良かったです。ローバさまがいなかったら、ぼく、カクヨムにお友だち、いませんから。こんなに親切にしてくださる、お友だち、他にいません。

    コメントを送ると、いつも、勇気づけてくださるし、ぼくが、なにか書くと、必ずといっていいほど、コメントや、応援をくださる。

    ぼくは、アプリをやめようとしたとき、とめられたことがありませんが、人望深きローバさまのことです。いろいろなひとが、寂しく思われたのでしょう。
    とめてくださるひとがいるなんて、ほんとうに羨ましいです。


    ぼくは、今朝も早くから起きて、ローバさまの作品を読んでます。朝ごはん、そろそろ、用意して食べようかなー、なんて思いながら。

    ぼくも、母に勉強を教えていたころがありました。お母さん、小学三年生の感字ドリルが書けなくなっていたんです。一生懸命、教えました。
    でも、ある時、大学受験の漢字をやってもらったんです。
    すると、結構、すいすいと書いていたんで、びっくりしました!
    どうやら、書けないのは、漢字ではなく、平仮名だったようなんです。
    お母さん、大学受験もしたことないのに、漢字をすいすい、書いてくんで、これは、伸ばす他ない、と毎朝、6:00に起きて、ストーブたいて、せっせと漢字のけいこをしていました!笑

    自分の教えたことを学んでってくれると気持ちがいいもんですね!

    ついでに、ぼくのエッセイを朗読してもらおうと、夜の23:00ごろ、毎晩、朗読の練習をしてもらってたんですが、体調を壊してしまって、入院しちゃったんです😢
    無理なんて、させなければ良かったと後悔しています。

    母と二人暮らし。なにかと不便なこともありましたが、思い出は、美化するもんですね!
    いまでは、いい思い出しか残っていません。
    もし、また、誰かと暮らせる日がきたら、そのひとのこと、精一杯、大切にしようと思っています。
    早く、見つからないかな~
    一緒に暮らしてくれるひと~

    作者からの返信

    風さん、大切なお友達と思って下さって、どうもありがとうございます。
    心から嬉しく思っております。

    ちょうど娘が休みで傍にいましたので、コメント読んで聞かせました。
    風さんに早くいい人ができたらいいねぇ、と言っておりますよ。
    こんな優しい風さん、みんなどこに目がついてるんでしょうねえ。
    と言いながらも、そうそう、風さんのこと心配するよりも、自分ちの2人のおじさんはどうするんだい、って言われそうですよね。

    そう言われると、縁がねえぇ~といつもの台詞になりますが、そろそろこの縁もお金の方の円も、何とかなってもらいたいもので・・・ねっ。

    風さんのお母さまとの思い出を聞かせていただくと、いつもローバの胸はジーンとなってしまいます。
    漢字の勉強や朗読などで頑張ってらしてたんですね。
    風さんの書いたものでしたら、どんなにか嬉しい気持ちで読まれたことでしょう。しっかり読んであげたいって頑張られたことでしょう。

    風さん、思い出すと辛いでしょう? でも思い出があるってありがたいですよね。
    母は私が30才の時に亡くなり、思い出はほぼ高校生の頃までの、まだ母が元気だった頃のことで。
    そこへいくと、夫も義妹も親が90過ぎても傍にいて、とても羨ましかったものです。
    でもその親といた時間が長かった分、思いもいっぱいあるでしょうけど、寂しさもいっぱいなことでしょう。
    なので風さんの気持ちがちょっぴり分かる気がするんです。

    お母さんと暮らし介護もされて、長い間一緒にいらしたんですからねえ。
    今でもお母さんを恋しがる風さんの気持ち、よく分かります。
    幾つになってもそうなんですよね。
    私も時々涙ぐんだりすることもあるけど、ああまた年寄りの涙もろさって笑われています。

  • マイブーム、いろいろありますよねぇ。私も広く浅く派なので、いろんなことに手を出してしまってます。そしてドレもまともに習得できていない状態です……(^_^;)

    作者からの返信

    同じです!と力を込めて言ってます。
    広く浅くの中にはずいぶん親や兄姉達に、無駄遣いさせてしまったものが沢山あります。
    英会話の勉強にとテープレコーダー買って貰って、落語を聞いていたり、奮発して買ってもらったタイプライターも、練習不足でポツンポツンとしか打てないのに嫌気がさして放り出したり・・
    感謝が足りないダメな人でした。
    自分で苦労して稼いで手に入れたものなら、もうちょっと違ったかも知れません。気が付くのが遅すぎました。
    誰にも経験あることかも、ですね。皆ひやあせ~タラリ、かな。

  • 私はリアルにおしゃべりなので、いろいろやらかしてしまうことがあります(^_^;)
    相手の気持ちを考えて……とはいっても、相手もいろいろですものね。難しいです。
    わたしは笑ってケラケラなんでも忘れるタイプなので、どんなコメントでもへっちゃらです(*^^*) 
    ローバさまの軽快な文章、楽しませてもらってますよ(о´∀`о)

    作者からの返信

    なんでもケラケラと受け止めてもらえるには、それなりの時間が必要のようです。
    カクヨム若葉マークの身であることを忘れて、いきなり軽口コメントをするようではいけませんでした。

    軽口コメントで楽しめるようになれれば、とても幸せですよね。
    今そんな人が増えましたので、私は嬉しくってたまりません。
    でも年を取ったせいか、ジョークに冴えが無くなったので残念でたまりません。
    ってことは? そんないけた洒落飛ばしてたって言うんかい?
    ま、そこのところは~ 見得はらしておくんなさい オネガイシマス🙇

  • 第31話  桜への応援コメント

     私は今までの人生のほとんどを松戸市で過ごして来ましたが、産まれ処は浅草ですし、私を可愛がってくれたのは新潟の父母の実家の人たちだったんで、松戸をふるさととか地元とかなどとは全く思いません。

     東京江戸川区小岩の燃料店主、臼倉キヨシさんのところへ、母の妹であるナカが嫁入りし、二人で堅実に商売を続けていましたが、子供は出来なかったので、ナカもキヨシさんも私のことをとても可愛がってくれました。

     キヨシさんは生まれも育ちも東京の人だったので、ナカとフミの里である新潟山古志村の田舎風景を珍しがって、夏にはよく夫婦で帰省していました。

     私が面白いジョークやギャグを言うと、キヨシさんはとても喜んで、

    「お前は大したもんだ、やっぱり東京生まれだけのことはある!」

     と独特な褒め方をしてくれました。

     私には桜🌸の思い出は特にありませんが、竹之高地の不動様の境内にあった大きな杉の木を覚えています。

     お盆には境内で集落の人々や帰省して来た家族らが集まり、賑やかに盆踊りをするんですが、その時に山の上からムササビが飛んで来て、この杉の木に止まるんですよ。

     それを見るのが子供の私には面白かった。…野生のムササビなんて、他に見る機会も無いですからね。

     令和の現在は不動様は新しい道路建設のため場所を移され、新しい社になり、元の境内も杉の木も無くなってしまいました。

     …ムササビも、寂しいだろうなぁ。

    作者からの返信

    私の長兄夫婦には子供がいなかったので、子供達はすごく可愛がってもらいました。義妹も未婚ですので、自分の子供のように可愛がってくれました。
    こうして子供達は皆に大切にしてもらい、経済的にもゆとりある状況の時に子供時代が過ごせたので、本当にありがたかったな、と感謝しています。
    幼い子に愛情不足やお金の苦労をさせたくはないですからね。
    今でもずっと窮乏生活は続いていますけど、可愛がって貰ってた時代があったから、みな現状に不満なくいられるのかも知れません。

    源さんも王子さま時代がありましたから、とても良かったですね。
    私には桜の木が、源さんには杉の木が思い出の木になったのですね。

  • 夢中とは

    夢の中さね

    朝にゃ醒め





    げん😃

    作者からの返信

    夢の中に居続けるのも楽ではありませんね。

  • 以前、職場での昼休みに、同僚らと御飯食べながらテレビのニュースを見ていたら、東京の街中に猿が出て来たと報道されてました。

    警官らが住宅街を飛び周る猿を捕獲しようと四苦八苦する映像を見てたら、同僚の一人が、

    「東京の真ん中に猿って、いったいどうやってやって来たんかね?」

    と言ったので、私が、

    「あ〜、高尾山から京王線で来たんだな!」

    と応えると(もちろんジョークです)

    「そうなんだ〜」

    と真顔で返され、楽しい昼食タイムが静まりかえりました。

    寄席に来るお客さんは、笑いや洒落が好きだから来る訳ですが、世の中には人と笑い合ったり、おバカ話をするのが好きじゃない人も居るんですねぇ。

    どうしたものやら…⁉

    作者からの返信

    よく間が悪いということがありますよね。
    「今それを言ったらだめだって」とか「相手が悪いよ」とかいうことも。
    洒落も相手を見て、言っていい時や場所など考えなければ野暮になってしまいます。
    お調子に乗った野暮天ローバの失敗で、生き甲斐となってしまったカクヨムという居心地の良い場所を失くしてしまうところでした。

    笑って許して、という曲だって、場合によっては冗談じゃないってとらえられかねませんからねえ。
    洒落は分かり合える人達と楽しみたいものです。
    王子さまとはOK? で?(そのつもりでいますが・・)

  • 第58話   お手提げへの応援コメント

     アー、アー。マイクテス。マイクテスト。

     この度は、ご卒業おめでとうござ…… ウェーン←号泣。

    作者からの返信

    あ、ああ、あ・・ほ・本日は・・ご来賓のテ・テツ・・
    Teturoさまよりお岩、いやお祝いのおとこば、じゃないお言葉を・・
    板抱き、ちゃう頂き、まっことありがとうございます。

    ビエーン、ビエーン・・ワテは感激で・・もぅ・・アカン
    サンキューでおま、Teturoさま~ ズルズル←サウンドof鼻水

  • 第58話   お手提げへの応援コメント

    娘さん、頑張られました。
    そして今も頑張っておられます。

    昔と違って今は片親家庭も増えました。
    皆さん一所懸命子育てをしておられます。

    私の親友の娘さんも一人で子育てしています。

    親の頑張りはきっと子供にもきっと伝わっています。
    そして娘さんはローバ様の存在にずいぶん助けられたろうなと、親友の娘さんを見ていて感じます。

    作者からの返信

    つむぎさん、コメントありがとうございます。

    幸せな暮らしを願って送り出した娘が、息子と一緒に苦労を背負って戻ってきました。
    私も還暦の頃に人生大逆転の目に合いましたから、ホント願い通りにはならないものですよね。

    さあ大変、とチームローバ一丸となって頑張りました。
    片親の家庭は珍しくない世の中ですが、片親になったばかりに子供がしわ寄せをくって、不幸になってしまうことだけにはならないようにと、一生懸命でした。
    ローバの存在が助けになったと言って頂けて,本当に嬉しいです。
    ありがとうございます。

  • 第58話   お手提げへの応援コメント

    大丈夫ですよ シングルマザー歴もそろそろ40年の
    私が言うのだから間違いありません 
    娘は子供を産んで初めて気が付いた事があったようで 
    以来 すっかり私への当たりが変わりました 
    息子は子供はいないけど 40歳を過ぎてようやく
    体力が下り坂の中 仕事と家事と子育てをこなす事の
    しんどさが想像できるようになったみたいです

    その年齢 その立場にならなければ分からない事ってあります
    10代 20代の子供が 30代 40代の大変さを分からないのは
    当たり前ですよ  いつか色々分かってきます
    親の仕事は 待つことです

    お嬢さんへ 私は母から「みっともないから実家には帰るな」と
    言われて 神戸にもいられず 東京にも戻れず 
    母子三人 大阪で暮らしはじめました
    ご両親が一緒に暮らして下さったのは 当たり前の事ではないですよ
    十分感謝されていると思いますが 忘れないで下さいね

    作者からの返信

    この道運十年のベテランさんのおっしゃることは、もの凄く力強い応援歌のように、胸に伝わります。
    私もその時になってみなくては分からないもの、それを今まで何度も実感しました。
    ゆとりある生活から貧乏のどん底へ突き落とされた時、病気なんてしたことがなかった夫が生死を彷徨った時、自分も手術を受けた時など。

    こんこんと説教しても今の孫には伝わらないでしょうけど、こんなにも母親が真剣に育ててくれたことだけは、忘れないように。
    恩返しだなんて野暮なことは言わないけれど、せめて自分が思い通りにならないからと、老いた母親を足蹴にするような人間に(よくニュースにあるじゃありませんか)だけは成り下がるな、と折につけ、嫌がられないように気を付け乍ら言ってお願いしています。
    何と言っても私には娘が大事なんです(世間では子供よりも孫がかわいいといいますが・・)

    娘に真留女大先輩のお言葉を聞かせました。
    ありがとうございます、と言っております。
    娘にも、私へのコメントも、ありがとうございました。


  • 編集済

    Nさん、その後、大丈夫だったんでしょうか。つらいなかにいるひとの掛け声って、ほんとうに難しいですよね。
    ぼくも、受験生アプリのsnsやってて、学生の友だちが多いんですけど、まあ、学校に不合格の子に声かけするのが難しくて。
    試験に受ける前は、「みんな通ってきた道だから、大丈夫だよ」といつも励ますことにしてます。
    それでも、だめだった子には、なんて、声かけしていいのやら、わかりません。
    大丈夫!君はまだ、若いんだから!なんて言って、若さが素晴らしいものだと、わたしは思いません!なんて、反対に怒られたときもありました。
    いろんな子がいます。
    次、がんばったらええやん!(関西弁で言ったほうが、元気出してくれる子もいる)で、気を取り直してくれる子もいれば、いろいろです。

    ローバさまが、旦那さまの友人に駆けつけようとしたとき、とめたことも正しいですよね。
    確かに、ローバさまの言うとおりだわ。
    お金で困ってるひとには、お金しか助けになりませんもんね。

    ぼくの友人には、音楽に詳しいひとがいて、落ち込んだとき、ドライブで、音楽をかけてもらい、励ましてくれるひとがいるんですが、まあ、そのひとはプロだな!と思います!
    そのとき、そのときに合った、的確な音楽をいつも流してくれるんですから。そのひと、若いころ、ミュージシャンをやってたこともあるんですが、音楽を自在に操れるとは!いつも脱帽しています。

    そのひと、そのひとに合った励ましかた。いろいろありますね!
    音楽は、確かにパワーだと思いますが、ローバさまは、駄洒落で励まされるんですか?
    おもしろいですね!🤭

    作者からの返信

    Nさんは入退院を繰り返しておられますが、現在はとてもお元気で、ばかばかしい程の面白いコメントを下さるので、私も同じようにちょいとおバカな(ちょいとでは済まないかな)コメントをして楽しんでいます。

    病気を苦にしないで、エッセーのネタ探し位な気持ちでいられるようですから、とても強い方だと感心しています。
    その方から、声をかけることの難しさをじゅうぶん分からせてもらった様な気がします。

    自分が親切のつもりでも、相手がどう受け止めるかが難しいのですよね。
    風さんも今までに色々と経験をされてきたと思いますが、きっと優しい風さんですから、穏やかな風の心地良さで、相手の方の心を慰めてやることが出来たことと思います。

    私はもうこんな年ですから、周りがみんな労わってくれるので、年を取るのもまんざら悪くはないな、ありがたいものだと、心の底から感謝しています。
    幾つであっても、その人なりの寄り添い方ができるようでありたいものですね。

  • 第26話  おつりへの応援コメント

    おつりとは

    真摯な人への

    回り物




    げん😃

    作者からの返信

    どれくらい回ってきてくれるかな。
    自分では真摯な人だと思っているのですが・・

  • 第58話   お手提げへの応援コメント

    ローバさんのエッセイと皆さんのコメントを読ませていただきながら、重なる思いで胸がいっぱいになりました。
    力をいただいた気がします。
    ありがとうございます。

    作者からの返信

    つきのさんに、力をもらいましたなんて言って頂けたら、とってもとっても嬉しいです。
    こちらこそ、本当にありがとうございました。


  • 編集済

    第58話   お手提げへの応援コメント

    この前、同級生を見かけました!
    ぼく、10月で、48歳になります。
    年齢のこと教えないで、すみませんでした。
    同級生の女性も、シングルマザー、やってました!

    9年くらい前に、実家に帰ってきたらしく、後ろに、帽子をかぶったかわいい女の子を、自転車の後ろに乗せ、ぼくのほうを見て、微笑みかけてくるんですよね。ちょうど、母が倒れたあたりです。
    ぼくが、「やあ!」っていうと、くすくす笑ってました。

    母も、病院に入り、やがて亡くなり、ぼくが、7年振りに仕事を再開するころは、もう、まったく、近所にも姿を現さなくなってたんですが、9年振りに、バス停で待ってると、こんどは、男の子を二人もつれて、笑いながら歩いてるんですよ!男の子を産んだのかな?再婚したのかな?と思い、相変わらず、「やあ!」って声をかけると、「変わんないねー」って、そう言って、男の子たちと、通り過ぎていきました!

    もう、あの自転車の後ろに乗せてた女の子は、ずいぶんと大きくなってるんでしょうね!けど、さすがに9年も会わなかったら、ちょっとは、お互い変わってたはずなのに!笑



    そう言えば、ローバさま、ずっと前に、ぼくの母親が、ガラケーを反対側に半分に折って、壊した、って話をすると、ローバさまは、「わたしの娘も、それやったんですよ」なんて、話してましたね!
    一体、どういう娘さまなんだろ?なんて、思ってると、ローバの充実でおぼろげにその姿が、見えてきました!
    そして、近況ノートで、卒業証書のお知らせ!
    応援コメントを送ると、「林風」の存在を少しは、お知りなこと。
    いろいろなことが見えてきました。

    いまや、シングルマザーなんて、大半のかたの時代になりましたね!
    苦労がたくさん、おありだったんでしょうけど、恥じることなんて、まったくありませんよね!

    いま、就活をされていて、共に頑張りましょう!とお声をかけてくださったのこと。がんばります!そして、ご卒業、おめでとうございます!!
    いろいろ、娘さまには、励ましてもらいました!ぼくからも、どうか、そのお祝いのことばを、娘さまにお伝えください!!

    作者からの返信

    風さん、ずっと前、娘に風さんのことを話してやったら、風さんは恐らく40代半ば位じゃないかと言いました。
    私は30代後半じゃない?って言っておりました。
    しょっちゅうどちらが正解かと、そのことで盛り上がっておりました。
    辰年と知って、48歳なんだね、と落ち着きましたが、やはりそうだったのね。☻ 娘は得意顔になってますよ。

    さて、同級生のシングルさん、ハツラツとしてるようですね。
    風さんも負けずに自転車の後ろにお子さん乗せて走りたいですよね。
    あ、それは私の2人の息子達の願望かな。

    娘がガラケーを壊したのは2度あるんですよ。我慢をため込んでいたせいで、怒りを込めてのことだったんじゃないかと思うんですがね。
    でも、その娘もこれからは少しは楽になるかも、と期待してるんですけど、そうは問屋がおろしてくれそうにありません。
    まだまだ苦労は続きそうですが、いちおうは息子が20才になったことで卒業ということに。
    風さんにおめでとうと言って貰えたよ、と伝えました。
    そしたら就活もお互いに頑張りましょう、って。

    それから、恋のお話は実際にはないので妄想から書いたそうよ、と教えたら、作家さんなんだから妄想は大切!と言っておりました。
    どんどん良い作品が誕生しますように!! (ローバと娘からです)


  • 編集済

    第58話   お手提げへの応援コメント

    こんばんは(夏の間の時差は14時間なので)。

    お孫さんに対する娘さんの気持ちと、ローバ様の気持ち、両方ともこのお話かr良く伝わってきます。

    「それよりも子供の為にと父親の分まで働き、愛情を持ってしっかり子供と向き合っていたではないか、」

    両親と暮らしていても、引きこもりになる子供はいますよね?ですから、お嬢様は自分のせいにされる必要は無いです。どれだけの時間を捧げた事実は、刺繍の細かさでも、河原でのキャッチボールでも、そして、家族の為に死ぬほど働く事、そしてそれ以外の多くの事で証明になっていると思います。

    もう、60年近くも前になりますが、私の小学校の同級生が登校拒否になりました。最初は彼の祖母が一緒に学校へ来ていましたが、それでも登校しなくなり、最後には、瀬戸内海の島にある施設へ入れられました。機会があれば逃げ出して、家へ帰って来ようとしていたそうでした。そんな彼に、ある時、私の親戚が営むお好み焼き屋で、出会い、家族ができて、大型ダンプカーの運転手をしていると知りました。あの頃は、義務教育の解釈の仕方が異なり、登校拒否は許されない状態だったのでしょうか?あれだけの事をして、彼を家族から引き離す必要があったのかとも思います。私が再会した彼は、大人になって、その年代のごく普通の人となっていたので、めでたしなのでしょうが。正しい答えなど誰にもわからないのだと思います。

    最後に、お嬢様の頑張りは、素晴らしい事です。頑張りが、必ずしも、成功につながるとは言えないのが、人間の人生です。私のエッセイでも書きましたがが、基礎研究の多くは、実際の製品に繋がる事はなく、または、誰もがノーベル賞を貰える訳ではありません。しかし、結果的には無駄となった様に見えるその研究に携わった研究者達は、評価されるべきなのです。ノーベル賞受賞者との違いは、ただ選んだ研究対象となる物質だけだったのかも知れないだけで、科学者としての能力と努力は、ノーベル受賞者よりも優れた研究者mp無数にいます(アインシュタインの様に取るべきして取った様な、明らかな天才の例外も含まれてはいますが)。

    世の中、その努力に値する評価を受けていない人間は多くいますが、自分の母親に認められている人であるお嬢様は幸せ者です(御本人は気付かれていないかも知れませんが)。

    作者からの返信

    博士からのコメントを、帰宅した娘に読んで聞かせてやりました。
    神妙に聞いておりました。
    おっしゃっていただいたことのどれもが、娘にはよく分かることと頷いておりました。

    頑張りが必ずしも成功に繋がるとは言えないのが、人間の人生なのです。というところから以降の文章には、いたく心を打たれておりました。
    確かに娘の働きは、そのがむしゃらさに似合うだけのものが、対価として得られる確証はありません。
    けれども娘の性分では、そうしないではいられなかったのでしょう。


    博士のおっしゃるように、正しく基礎研究で地道に頑張って来られた研究者の方々は、成果や見返りを求める為に頑張っておられる訳でなく、当然のように努めをはたされております。
    娘もその方々に似たようなものだと思いました。

    素晴らしいコメントへの感想が、上手くお伝え出来ないのがとても残念なのですが、博士におっしゃっていただけたことはみな、娘の誇りとなれることでしょう。

    博士から、そして多くの皆様から、こんなにもよくやったと褒めて頂いたり、おめでとうと言って頂けるとは思ってもみなかったものですから、本当にありがたいことだと感謝の気持ちでいっぱいでおります。
    ありがとうございました。(娘からもお礼を、と言っております)

  • 何で素敵なお話なのでしょう!
    特に、娘さんの気遣いに涙しました。

    これからもよろしくお願いします!

    作者からの返信

    素敵な話と言って頂いて、嬉しがり屋のローバは本当に嬉しくってたまりません。
    ありがとうございます。
    娘とはとても話の合う相棒、相方というところで、お互いの話を聞き合うのが日課となっています。

    最近ではちょいとボケかまし気味の所のある私で、相方には気の毒な時もあるようですが、そんな時は適当にスルーして上手に付き合ってくれています。
    娘の気づかいには老いた母は感謝しかありません。

    読んでくださって、コメントもありがとうございました。

  • 第58話   お手提げへの応援コメント

    ボクのお手提げは私が柄を選んで祖母が作ってくれました。大きくなったら、園指定のものがあるので、一時的なものなのですが。私の裁縫の才能はゼロに近くて、エプロン、三角巾は市販品です。友達なんて裁縫上手なのに『買ったほうが安い』の一言でした。確かに安価で可愛くて使いやすいのが売られてます。
    きっと今の時代なら、娘さんはここまで自分を責めなかったと思います。いろんな形の家族が世の中にいるので、みんなが生きやすい認められる世の中になるといいなと思いました。
    ローバさんと娘さんの頑張りに、私も育児頑張ろうって励まされる思いです。

    作者からの返信

    ボクのお手提げ、という文字を見ただけで、ボクちゃんのお手提げ姿を想像しています。かわいいんだろうなぁ。ホントに。

    娘は目いっぱい仕事していますので子供に対しては、大昔に専業主婦であった私のような訳にはいきません。
    仕事をもつ母親はみな忙しく、子供にだけ時間を割くことは到底無理な話ですよね。
    でもそれを分かっていながら、何かにつけて子供への愛情が足りなかったのではないかと、自分を責めるのです。

    それは思うにきっと幾つかの理由のうちの一つとして、カエデネコさんのところのように、ボクちゃんを間に挟んで楽しいひと時を過ごしておられる様なことが、自分に欲しかったというのもあるんじゃないかな、と私は思っています。

    育児にも色んなやり方があるのですから、愛情一杯で育てたと胸を張って言えればいいんですよね。

  • 第58話   お手提げへの応援コメント

    良い話でした。
    頑張ってきたのがよく伝わりました。

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    そう言って頂けてとても嬉しいです。

    おバカなコメント書いて恥をかいてる(韻のつもり)ローバですけど、ちょっぴり真っ当なお母さん業もやってるローバです。
    と、ここでまた一言余計なことを言って・・反省、です。

  • 第58話   お手提げへの応援コメント

    ローバちゃん、こんにちは😊

    娘様の気持ち、痛いほどわかります。
    私も子供たちに愛情をかけてやれなかったし、不自由な思いをたくさんさせてきました。
    なので、やはり負い目を感じます。
    それでも、片親だからと言われたくなくて私自身は必死に頑張りました。
    が、子供たちに貼られた片親というレッテルを取り去ることはできません。
    私はずっと両親がいるのが当たり前で育ったので、片親の辛さが本当の意味で分かってやることはできません。
    娘は不登校でしたし、長男は暴走族でした。
    そんな孫たちを見て母も心を痛めていました。
    親不孝をしたなとつくづく思います。

    ローバちゃんのこのエッセイで、私もなんだか泣けてきました。
    娘様は本当に子育て20年間よく頑張られたと思います。
    ローバちゃんも娘様のそばで一緒に頑張ってくださってありがとうございます。
    娘様に私からも卒業証書を!
    ローバちゃんには感謝状を!送らせていただきたいです。

    作者からの返信

    なんて嬉しいことを、と思った途端に涙がじわ~んと湧いてきました。
    のこちゃんのエッセーで、のこちゃんのご苦労を知っているから、そんな苦労を乗り越えてこられたのこちゃんに言って頂けるのですから、涙ぐんでしまうのは当たり前のことかも知れません。

    いつものこちゃんの「おしゃべりな昼下がり」で、のこちゃんの今の幸せレポートに、心から喜んでいるのはのこちゃんのご苦労が並大抵のものじゃなかったからなんです。
    だから娘によく言って聞かせているんですよ。
    のこちゃんの苦労は今こうして報われているってね。

    苦労をかけられた分、何倍にもなって返ってきているようで、とっても嬉しいと喜ぶ私。で、それを見て喜んでいる娘なのです。

    のこちゃんが嬉しいと私も嬉しい、というこのお決まりのフレーズは、私の心からのもので。
    そのフレーズを聞かされて、微笑んでいるのが娘なんです。

    のこちゃんからの娘への卒業証書と、私への感謝状(照れるなあ)
    本当にありがとうございました。

  • 第58話   お手提げへの応援コメント

    私の妹も子どもが3歳になる時に別れ父親役をこなしてきました。
    娘さんの頑張り、大変さ、自責の念が伝わり涙しちゃいます。
    精一杯されてきたのでしょう。胸を張っていいです、いいです。立派です!
    蒔いた愛情の種は……必ず芽が出て花が咲きます。
    楽しみですね。祝二十歳🎊

    作者からの返信

    ハナスさん、コメントありがとうございます。
    そうなんですよね、胸を張ればいいんですよね。
    私はいつも娘の頑張りに、我が娘ながら頭の下がる思いでいるのです。

    私は明治生まれの親の教育で共白髪、と言われ続けてきていましたし、有りがたいことに夫も別れなければならない理由の見つからない人でしたから、別れる娘の気持ちが分かりませんでした。
    でも戻ってきたからには、何としても力にならなければと一生懸命でした。

    ハナスさんの妹さんもそうだったとか。本人は勿論ですが見守る方も、それなりに辛いものですから、貴女もきっと心を痛めたられたことでしょうね。
    妹さんにも春がやってきましたか。お幸せにね。


  • 編集済

    第14話   屛風ヶ浦への応援コメント

    どん底に落とされてこそ、初めて気付く、作品の良さもありますよね。
    きっと、元気なころに、この作品を知っても、な~んだこれ、という風に放っておいたままだっただろう、とか。
    その悲しみのときに気付いた作品は、正に人生の宝ものであるのに、元気が回復していくたびに、その作品が色褪せていってしまう、というのもよくあること。

    ぼくは、父が脳出血で倒れたときに、知った作品と、母の介護のときに知った作品があります。
    もちろん、それらは、ぼくが、そのように悲しみに暮れていなければ、良さがわからなかった作品です。
    でも、元気が回復してしまったいまでは、もう、あのときのことを思い出したくもない、と作品をクローゼットのなかに押し込んだままになってしまう。
    でも、この前、悲しくなって、ついに、youtubeでその作品に触れました。いまは、便利になって、クローゼットを探さなくても、youtubeで、ちょちょいのちょいと、その作品を閲覧できるんです。
    相変わらず、その当時と、いまでは状況が違うのですが、泣いてしまいました。でも、やっぱり、泣くくらいだから、こころが弱ってしまってるんでしょう。スッキリはしましたが、もとの生活にもどるには、少し、苦労が必要でした。

    もう、でもいま、あの作品を聴いても、きっと泣かないだろうと思います。泣くのは、そのとき、そのときで、一回きりにしておきたいものです。
    あまり、心地がいいからと、その作品を何度も聴いてしまうと、こんど、また悲しみに暮れたとき、その作品に助けてもらえないですからね!
    って、もう、再び悲しみに暮れたときのことを心配してしまっているのですが。

    さて、こんなことをしておきながら、もう、どこ吹く風。いま、もとの生活にもどっています。
    いまは、就職のことを考えなければならないとき。
    悲しみに暮れるのは、またこんどです!
    ちゃんと、就活して、立派な社会人にならないと!

    作者からの返信

    そうそう、先ずは就活にせいをだして下さいね。応援してますからね。
    良い知らせが届くのを楽しみにしています。

    風さんが就活頑張ってるそうだと娘に教えたら、共に頑張りましょうって言っています。
    娘も今働いてるところを今月いっぱいで止めるので、色んな所へ電話してとても忙しそうです。
    どこでもいいから、って訳にもいきませんから、就活も大変ですよね。


    どんな作品でも、その人にとって元気づけられたり泣かされたりしますね。だけど、泣かされるものでも、涙を流した後にすっきりできたら、それはとても有りがたいものとなれますね。
    人の心を揺さぶるような曲や小説をかける人って尊敬しますよね。
    風さんもお仕事決まって落ち着いたら、創作にも頑張ってくださいね。
    悲しみに暮れるは・・ま、考えないで、きっと良いことがあると信じて!!

  • あっしは姐さんよりはまだまだ若輩者なんで、自分の人生語るなんてぇ生意気なことは出来やせんが、その「人の人生平らか説」には、なるほどねぇ…と感じやしたぜ。

    あの大谷翔平くんが、相棒のように頼りにしてた水原一平通訳に突然裏切られ、24億円もの大金をチョロまかされていた件について、ある芸人がテレビでこんなコメントしてやした。

    「水原一平さんは欲張り過ぎだよ。
    大谷翔平の通訳になったというのがものすごい強運、幸せなめぐり合わせなんですよ。だって基本的に自分自身の努力とか頑張りってことじゃない訳ですからね」

    「そこで一生分の幸運を使っちゃったんだから、ギャンブルなんかしたら負けるに決まってる!」

    …なるほど人生平らか説。


    あっしは子供時代、女の人に優しくされた幸せ時代を過ごしやしたんで、ギャンブルはやりやせんぜ!


    …たまに買う宝くじも全く当たりやせんし…。



    げん😃

    作者からの返信

    当たり前のように歩いていた人生の道。みんなも同じように歩いているものと信じて疑うこともなかったおバカなローバでした。
    本当に世間知らずな単細胞のローバでした。
    何もかも無くなってから、初めて人生の道ってこんなに色々あるんだ、と思い知ったのですから、いかにスカポンタンな人だったかお分かりいただけたことでしょう。

    「同病相憐れむ」とか「身をもって人の痛みを知る」などの言葉がどんなものか、やっと分かったというお粗末さでして。
    でも、分からないままでいけた幸せな人生より、この難儀なこともあった人生の方が良かった、と思えるのは何故でしょうね。
    負け惜しみ? いや、そうじゃないとはっきり言えるんですけどね。
    ま、今が幸せと思えるからそんなことが言えるんですかね。
    それでももうちょっと欲張れば、宝くじが・・
    アホだなあ買もしないのに当たりはしませんよねぇ、納得!!


  • 編集済

    第13話  お店番への応援コメント

    ローバさま。嵐が去ってのコメントの返しをずっとまってたのですが、まったくないので、次の応援コメント書かせていただきますね。

    そうそう!昔は、いい加減でしたけど、温かさも、たくさんありましたよねー。うちもねー。近くにうどん処がありまして、そこ、ツケがいっつもきいてたんですよー。で、日曜日になると、両親がパチンコで出かけるので、そこのうどん処に出前を、勝手に頼んで、兄弟で、よく食べてました!どんだけ頼んでも、月に親がまとめて、ツケを払ってくれるので、林家の台所と呼ばれてたんですよ!
    ツケで払うなんて、いま、どこのうどん処もやってくれませんよね!昔は、ツケといて!って言えば、なんでも、ツケてくれましたよね!
    あとで、親がお金を払ってくれたりして、楽しかったな~

    あと、魔法使いですけど、テキヤさんのおっちゃんとか、すごかったですよね!当たりくじ、ひくの、ぼくらが何度、ひいてもだめなのに、おっちゃんがひくと、一発で当たるんです。
    あれ、どういう仕掛けからしらないけど、きっとなにか、目印があったんでしょうね!
    子どもだった、ぼくらは、簡単にだまされてました!笑

    いまは、冷凍餃子の無人販売店で、お金を払ってかない、なんて事件、よくありましたよね!そんな、無人なんだから、払ってかない客もでてくるのは、当然ちゃあ、当然なんですが、便利になってった分、逆に不便になったってのもありますよね。

    この前、講習会で、不便益というものを習ってきました!
    不便だから、もたらされる利益もあるだろう、という考え方も最近あるそうですよ!
    良かったら、スマホで、不便益って調べてください!
    不便は、不便でも、それがもたらす利益もあるんですねー

    作者からの返信

    今はツケという言葉すら知らない人がいるんですよね。
    もっと言えば通い帳という帳面を持っていってツケを書いてもらう、なんてのは説明しても??となるでしょう。やっぱローバの時代はもう時代劇の頃と同じ遠い昔となってしまったのかな?

    餃子の無人販売でお金を払わず帰る人、モザイクがかかっているけど、罰としてモザイク外して~と思ってしまいます。
    田舎の野菜の無人販売なんかもしかりでね。イヤですね、心が痛まないのかな、そんなの平気で食べられるの?と不思議で仕方ありません。

    そうそう、不便益スマホで見てみました。風さんのお蔭で一つ知識が増えました。何かを知るととても嬉しがり屋のローバは喜んじゃうんですよ。
    スマホは親切で、不便益のついでに便利益もおしえてくれました。
    な~るほど~、ですよね~

  • 第24話  思い込みへの応援コメント

    なぁに姐さん、人間なんて思い込みとウヌボレで生きてるんでさぁ。

    他人を貶めるなんて馬鹿をしなけりゃあそれで充分立派なことですぜ。

    あっしが以前見たテレビに、矢沢永吉が出ていて、こんなことを言ったんですよ。

    「自分のこと天才だと思わなきゃこの商売やってられないよ!」

    あっしはそれまで別に矢沢永吉ファンて訳でもなかったんだけど、これを聞いてから、人間的に矢沢永吉を好きになりましたぜ。

    あっしは親には褒められなかったけど、お姉ちゃんたちや親戚の人たちは優しくしてくれました。

    げんちゃんは面白い、洒落が分かる、大したもんだってね。

    あっしはそれでウヌボレて、子供の頃にゃあスケッチブックに漫画を書き、若造の頃にゃあ仲間と鉄道旅に出かけて旅行記など書いて見せたりしてました。

    まぁそんなんで仲間ウケして単純に喜んでたって訳でさぁ。

    自分の書いたモノ面白いとウヌボレなきゃ、カクヨムに投稿なんざ出来ませんや。


    ウヌボレたって良いじゃないですか!
    …つけ上がりさえしなけりゃあね!



    げん😃

    作者からの返信

    ウヌボレたって良いじゃないですか。
    つけ上がりさえしなければ、って良いことおっしゃるじゃぁありませんか。
    さすが源さん、よ~くお分かりで。
    偉い!凄い! 立派!天才! 神~ぃ!!
    宜しければもっと並べますが・・あ、そうですか、ほなもう一声。
    男前!イケメン! 女殺し!年増殺し!
    えっ、ぶっそうで面白くない? しっつれい致しました。

    ま、冗談はさておき、ウヌボレは自分を誉めたり認めたり大好きでいられるからこそ、と考えればとても前向きになれる良いことですよね。
    源さんのおっしゃる通り、それを通り越してつけ上がってしまうことがいけないんですものね。

    そうですそうです、大いにウヌボレましょう。
    そして沢山作品を書いていきましょう。カクヨムの皆さんは優しい気持ちで読み受け止めて下さいますからね。

  • 第23話   我が「ぼ校」への応援コメント

    私自身は、ランニングやらジョギングやら走ることはしないんですよ。

    だって苦しいからねぇ。
    苦しいのキラ〜イ!

    箱根駅伝は、妻の家族の皆様が好きで、よくテレビ観戦してました。

    それにしても往路のコースって、構成としてうまく出来てますよねぇ。

    前半のハイライト、エース走者がしのぎを削る花の2区、…湘南の海を見てから、ゴールに向かって箱根山への急坂路!

    陸上競技は基本的には個人競技、個人記録が全てでありながら、タスキを繫ぐその絆が駅伝はまず何よりも大事なこと。
    箱根駅伝ファンの心を感動させてくれますね。

    そして実は本当に面白いところは、競技中で起きる選手たちの「栄光と挫折」の姿をまざまざと見る点なんですね。

    他の選手を次々と抜いて行く勇姿、区間賞、区間記録を更新して喜びを見せる者も入れば、走行中のアクシデント、急な体調不良、故障により、チームのブレーキになったり棄権したりタスキを繫げられなかったりして泣き崩れる者も出てくる…

    その残酷さ、明暗の大きさが、見る者にとっては観戦の大きな興味になっている。
    (選手及びチーム関係者の皆様ゴメンなさい💦)

    …私は無責任なコメントをいたしましたが、お正月の箱根駅伝は永久に不滅です!




    げん😃

  • 第22話   ティアラへの応援コメント

    さすが姐さん、凄いことを考えやしたねぇ。

    米寿や白寿を祝うように、長生きはめでてえもんとされてやすから、それなら後期高齢者だとかぬかしやがるんなら、国からティアラくらい授けてみやがれって話っすよねぇ!

    あっしはお姉ちゃんたちの世話んなりながら生きて来た野郎ですから、いくら親父おっさん連中が偉そうなことをぬかしたところで、家族家庭を支えて来たのはやはり母嫁お姉ちゃんたちだと身に沁みて知ってやすぜ。

    光輝高齢の姐さんが、キラキラのティアラをつけてみりゃ、さらに高貴高齢にバージョンアップされますぜ。

    それくらいの粋を見せてくれりゃあ、岸田総理も支持率アップだ来い来い来い来い鯉のぼりってなるはずでいっ!


    …そんな簡単なことも気がつかねえって、やっぱりおっさん首相はダメだねぇ。



    げん😃

    作者からの返信

    ありがとう源さん。心強いお言葉に感謝です。

    と、深々と下げた頭のてっぺんには~ はて?ティアラなんぞというものはありやせんぞなもし。?!
    ありゃありゃありゃさ(これ、佐渡おけさの合いの手だっちゃ)
    ティアラが載る筈の場所は、雪の新潟平野の如く真っ白で・・
    まるで河童の皿のようで情けなや~

    ティアラなんぞと洒落てはみたものの、現実は酷いもんですわ、トホホ😿
    で、ね、しょうがないおつむに(オムツじゃござんせんよ)無理して買ったちょいとお高いウイッグを載せて、白く薄くなった毛髪を隠すのに苦労している毎日なんでござんすよ。
    年金からの出費ですからね、いくら半額にしてもらったとは言え、ウイッグは高いですからねえ。
    これは「必要毛ぃ費」と認めて補助金など出やせんかいなぁ、と髪さま仏さまに祈ってる毎日で・・・ 

    全女性の味方の正義の疲労、じゃないヒーロー源さま。ひとつ岸田首相にお願いしてちょんまげ~(古いギャグだなぁ)

  • 備えありゃ

    万一の時

    忘れてる






    げん😃

    作者からの返信

    備蓄せねば、と張り切って買い込み、そのうち忘れてしまっていることがしばしば。
    気が付いてだいぶ処分するはめになりました。
    出番がなかったのはありがたいことだけど、こんな無駄をしてはいけません。
    備蓄をしたことに安心しきってる私の様な人には、備蓄ではなくローリングストックという備蓄方法にしなければね。

  • う〜む姐さん、さすがの高座!

    上手いフレーズ「どうしようも有馬温泉!」…取り入れますぜ今後俺。

    楽しいお話ありがた新潟八郎潟!

    飛んで火に煎る鰹節!

    赤子泣いても蓋飛んだ!


    …ちなみに私は弟と二人兄弟なんですが、年は七つ違いなんですよ。

    って訳で両親はこれについて
    「七年目の本気」
    と言われております!
     
    …え?、誰に言われてるかって?


    むろん、私にです!






    げん😃

    作者からの返信

    いやいや、真打の森緒家源師匠の洒落には敵いま尖閣湾。
    はて?尖閣湾? これをお分かりになる方は、新潟に造詣のあるお方といえましょう。
    大昔、ラジオドラマ「君の名は」で、真知子と春樹が再会した場所である尖閣湾。
    今の人には「君の名は」は(^^♪ 前前前世・・ですけどね。

    師匠の「七年目の本気」は週五日、いえ秀逸か、もね。
    思わずこれはいい!と唸りましたワタシ。
    それで言うとウチは「八年目の本気」か「四十にして惑う」ってところかな。
    何せワタシは母親が四十才の子ですからね。


  • 編集済

    第12話  嵐が去ってへの応援コメント

    子どもって、残酷ですよねー。姉さんが、二人めの子どもを産むために、実家である、ぼくの家に帰ってきてたときのことです。
    一人めの、上の子が毎日、ぼくに突っかかってくるんですよねー。針のむしろのような毎日でした。
    ある日、ぼくが、ストーブにあたっていると、その子、ぼくのこと、蹴ってかかってくるんですよねー。三歳ですよ!三歳の女の子が、ぼくに蹴りかかってくるんですよ。痛いのなんのって、でも、子どものやることだから、やり返せないんですよ。
    そんな、毎日が続くもんですから、ふと、つぶやいてしまったんです。
    「こんな日々、いつまで続くんやろう......」
    そしたら、その子、こんどは、「死ぬまでじゃー」って言って、また、蹴りかかってくるんです。
    もう!忘れもしません!あの、「死ぬまでじゃー」の一言!
    やり返さない、大人の優しさにつけこんで、毎日、毎日。
    大人になってから、姉さんが、「なんであんなことやったん?」て聞くと、「えー。おもしろかった~」って、その子、答えるんですが、こっちにしてみたら、地獄の毎日でしたよ!!
    あいつは、「死ぬまでじゃー」の一言も、忘れてるんでしょうけど、あの一言、正にぼく、死ぬまで忘れません!!😑

    すみません、愚痴聞いてもらって。『置き手紙』応援!たくさん、いただいて、ありがとうございます。
    ほんとにねー。情けないっすよ。いくら、届かぬ思いがあろうと、あんなことばっかり書いてて。どうしょっかなー?消そうかなー?って、毎日、考えてます。
    まあ、いまは、あんな吐き出すところも必要な時期だと思うので、もう少し、残しておこうと思いますが。
    あれじゃー、作品化もできないだろうなー。
    情けない!
    の、一言です。

    作者からの返信

    風さん、ごめんなさいね。気が付かなくって失礼しちゃいました。
    そんなことがあってはいけないからと、昨日今までのコメント欄をチェックしていたんですよ。
    何と9件連絡もれを発見できました。中には1年も経ってしまったのと半年っていうのもありました。
    でも大事な風さんのコメント、昨日も気づかなかったのですから教えて頂いて良かったです。

    今ちょうど傍に娘がいたので読んでやりましたら、なかなかいいコメントだね、様子も良くわかるし、何と言っても最後のお嬢ちゃんが「死ぬまでー」の一言を忘れていても、僕は死ぬまで忘れません、というオチ?はグットだね!と言ってます。

    そして、お嬢ちゃんの蹴りを優しく受け止められる風さんもいい人だし、またお嬢ちゃんがちょっと乱暴なことやったのも、きっとママがお産で大変で自分にとっても情緒が不安定になってのことだったんだろうね、って二人で話しました。
    緩衝材の役目をしてあげられる風さんの存在があるというのは、姪御さん達には幸せですね。


    こんなお婆さんに愚痴を聞いてもらう風さんってお幾つなんだろうね、ってもっぱら想像していますが、辰年でしたでしょうから24・36・48・60・72・・まさかねえ、調子に乗るなよローバ親子!!と言われそう。
    遊んじゃってごめんなさいね。

    あと「置き手紙」ですが、置いといた方がいいんじゃないかなと思います。情けない!なんて言わなくってもいいと思うけど、風さんとしては思うような作品ではなかったのでしょうか。
    だったら、ドンマイ!! そしてガンバ!!です。

  • 第18話  新刊本 への応援コメント

    博学多識にして優しい父上をお持ちの姐さんをとても羨ましく思います。

    私は産んで育ててくれた親を尊敬出来ぬ不幸せな奴でしてね。

    以前見たテレビ番組に、元プロ野球選手、広島東洋カープで活躍した高橋慶彦が出ていました。

    番組は、日本の企業が海外に工場を建て、現地の人を採用して操業を始めたというドキュメンタリー。

    そして、日本から派遣された管理スタッフのチーフが、学生時代ずっと野球をやっていたので、工場内でも野球部を作り、従業員を集めて活動を開始した訳ですが、そこにテレビが高橋慶彦を呼んで絡ませるといった企画なんですね。

    現地野球部での練習試合を高橋に見てもらったチーフは、当然のことながら高橋に、
    「この現地の奴らに技術的な指導をして下さい」
    と願い出る訳ですが、高橋は
    「今はダメだね、今この人たちは野球を面白いと感じてくれている。…今はまず、野球を楽しいと思ってもらうことが第一です」
    とたしなめる映像が放送されていました。
     
    私はなるほど〜!と思いましたよ。

    知識欲旺盛で学習し博学になったとしても、人にものを教えるということは全く別の技術なのだと感じた次第であります。

    尊敬出来る親を持てたことは素晴らしく運の良いことだと思いますよ。




    げん😃

    追伸※ あっしは姐さんよりは若輩者ですんで、まぁせいぜいあっしのことは「ゲンちゃん」とでも呼んでおくんなせい。   

    では。        
        

    作者からの返信

    源さん(やはり源さんと呼ばせて下さいませ。ゲンさんは他にもいらっしゃいますので)

    尊敬できる親とお褒め頂き、誠にありがとうございます。
    エッセーは小説と違って、嘘を書く訳にはいかないので、とても気を使っているのですが、たまに少々気取ったり薄化粧気味に書いたりしてしまいそうになり、そうならないようにとブレーキをかけています。
    でも、源さんにそんなに褒めて頂くと、もしかして父や家族のことを、薄化粧どころか厚化粧までして書いてしまったのではないかと心配になります。
    しかし、そうは言ってもやはり褒めていただくのは嬉しいものですよね。ありがとうございます。
    おごらず、出過ぎず、質実に暮らした、書いた通りの父親です。


    源さんはご自分を、親を尊敬できない人とおっしゃいますが、それは本心なのでしょうか。
    「王子の物語」はまだ1/3程しかいけていませんが、そこまでの感想として私は思うのです。
    作品中で登場するご両親はユニークで、迫力満点で、毎日を一生懸命に生きておられる方と思われます。そのご両親に対してきっと源さんは、ずっと親元から離されていたので、その期間に両親に思いっきり甘えられなかったことから、満たされないものを感じてそう思われるのではないでしょうか。
    それに比べて田舎の方々、特に女性陣が蜂蜜に水あめを混ぜた位の甘~い甘~い可愛がり方をしてくれたので、ご両親と比べてしまわれたのではないでしょうか。

    早く自分の元に呼び戻したいと懸命に商売に励むお母さんは、尊敬に値しない訳がないじゃありませんか。小さな源さんを喜ばせてやろうと張り切り過ぎるお父さんは、愛情にあふれる良き父ではありませんか。
    ベッタリ甘えさせてもらえなかったとはいえ、人にはそれぞれ可愛がり方、愛情表現がありますから、源さんも大人になってご両親に対する考え方も変わってきたりしたことでしょう。


    あ~上手く伝えられないのが悔しいです。
    父を褒めて下さったお礼が、「王子の物語」の感想といっしょになってしまって・・

    源さん、「自分は生んで育ててくれた親を尊敬できない不幸なヤツでしてね」なんてニヒルな二枚目を気取ってる・・なんてこと、ないでしょうか?? そんな時もあったさ、なんて皆言ってみたいらしいですからね。

    **トンチンカンなこと言ってる??みたい?? ですよ、ね。
    ボケかましてる老人なので、許してちょんまげ(^_-)-☆・・ねっ。


  • 編集済

    第11話   3つの更新への応援コメント

    ローバさま!今日の10:00~11:30の間に電話がかかってきて、今回の就職の採用、不採用の連絡があります。
    デイサービスへ、面接を受けにいきました。
    ローバさまのお兄さまは、特養で働かれていたんですね。
    いや~、ぼくもねえ、そんなに長く生きられないのではないかな、って思ってるんです。
    だから、お兄さまのこと、他人事ではない気がしてたまりません。

    そう言えばねえ。最近、ぼくも、新しい話が思い付かないんですよねー。小説書くのって、こんなに難しいことだったかなーって、昔、読んでた本、ほじくり返してきて、読んでみたりしています。

    作家ってねえ、「つらい」状況じゃないと書けませんよね。たとえば、いまの悩みも、なんもなくなってしまったら、書くこともなにもなくなってします。
    ぼくは、母の介護をしていた、あの「つらい」時期が、一番、よく書けていた、と思います。母は、人生に困難を与えましたが、文才というプレゼントをしてくれたんだと考えてます。

    いま、あれほどは、「つらい」状況ではないので、まったくといっていいほど、納得いく作品が書けません。
    それでも、今回のデイサービスの仕事が決まれば、また、お年寄りと接する機会も増えるので、母との距離も近くなるのではないか、そんな期待を寄せています!

    まぁまぁまぁ。「つらい」だけが人生じゃない、とはよくわかってます。だから、書けないなら、書けないで、それもまた、神さまの与えてくれる時期ではないか、とそんな風に考えてます。
    人生、放っといたって、「つらい」時期は、到来してくるのですから。そうなってから、書けばよいじゃないか、と。
    なにも、自ら飛び込んで、「つらい」ものに挑戦しないでもいいですよね。

    っていうか、そんな「つらい」人生を歩いていると、ローバさまのように生き残っていけません。いや、ローバさまが、「つらい」人生を歩んでこられたのは、ローバさまの作品から、はじめて知りましたが。

    長生き!!ぼくは、天命をまっとうしなければ!父も、まだ、生きていますし、父よりかは、この世に長く残っていようと考えてます。

    それに、天命をまっとうしなければ、あの世で、母と、それにこれから逝くであろう、父に怒られてしまいます。

    長生き!しないと見えてこないものもありますよね!
    長生き!したいです!!




    さっき、連絡入ってきました~
    面接、だめでした~😢

    作者からの返信

    テレビを見ていたので、11時ちょっと前に気が付きました。もうすぐ11時30分になります。
    気になってず~っと祈っていました。
    大谷さんがホームラン打って風さんの応援してくれないかな、なんて思っていたら何と今ホームランです。
    これはきっといい知らせが聞けるんじゃないかなと期待していますが・・
    結果がどう出ようと、風さんにとってプラスになれるようにとお願いしています(私の心の中の神様に)

    介護関係の職を希望されるのはとても良いと思います。何故ならば風さんがお母さまの介護の経験者で、お年寄りに優しい(お年寄りにだけではないのかな)方だと推察できるからです。
    私もお世話になった義母の施設の職員さん達を見てきましたし、自分の(3年足らずでしたが)経験から、介護の大変さを知っていますから、風さんのように実の経験済みの方が職員さんになってもらえたら、本当にありがたいことだと思います。

    小説がなかなか書けないということですが、確かに辛い状況の時にけっこう書けたとというのは、分かる気がします。
    私も義母の介護中、皆が寝静まった夜中に物語の世界に逃げ込んで、楽しい話を書いて心を落ち着かせていました。(もっぱら童話です)

    風さん、もしお仕事が決まったらローバに(ローバだけではありませんが)介護のこととかお年寄りの様子など、施設の日常の風景を報告してくれるってのはどうですか。
    勿論、個人情報のこととか不都合なこと、批判的なこと、暴露じゃないかって言われそうなこと等々は他人に伝えてはいけませんけど、風さんが頑張った様子が知りたいな、と思えるのでね。

    月猫さんが最近グループホームの職員さんに採用されて、その報告を(不定期ですが)時々されています。それから、この美のこさんがお母さまのお世話になっている施設の様子を紹介されています。
    それらの作品から、風さんも刺激がもらえるといいな、と思いますがどうでしょうか。

    あと、お婆さんのローバにつられて、寿命だの長生きだのと意識を辛気臭いそっちの方にもっていっては損ですよ。
    だって風さんはまだまだお若いんですから、そんなこと考える必要はないんですからね。
    この先ず~っと生きてる間に色んなことを経験して、それを物語やエッセーのネタ・モチーフにして、たくさん書いて下さいな。
    きっと書けないなんて言ってたのがウソみたいになれるかもよ。

    あ、ダラダラ書いているうちに12時過ぎてしまいました。
    風さんから良い知らせが届いていますように!!


    返信への返信

    風さん、連絡ありがとうございます。
    残念でしたね。私でさえガッカリですから、風さんはもっともっとガッカリされてることでしょう。
    何と言って差し上げればいいでしょう、と思いますが良い言葉が見つかりません。
    ありふれた言葉と嬉しくはないでしょうが、風さん、どうか元気を出して、再チャレンジしてみて下さい。

    こんなに経験豊富な人を採用しないてはありませんから、きっと面接官に見る目がなかったんでしょう。
    下手な慰めにしか聞こえないでしょうが、今回の所は風さんには合わなかった、もっと自分に合ったところがある筈、と気持ちを切り替えて、もう一度頑張ってみてください。
    折角就職してやろうじゃないか、と思ったんですから、俺を採用しないと損するぜ!っていう勢いで、もう一度!!
    ガンバ、ガンバ!! 風さんにいい風が吹いてくれますように!!

    編集済
  • なぁに姐さん、不幸も幸せも、所詮は主観の問題でさぁ。

    本当に馬鹿な奴なんてぇのは、周りの人間が「こいつぁ本当に馬鹿だな」なんて思っても、当人だけは自分が馬鹿だとはカケラも思わねぇ奴なんでさぁ。
    自覚症状が無ぇもんだから、つける薬もありませんや。

    周りの人間が、姐さんが萎れるのを何とか救助しようってんなら、そりゃあもう憐れみでも何でもねぇ、みんなの願いなんですぜ。

    そんなら姐さんは応えてやらにゃあいけねぇやね。

    応えて周りの人間を幸せにしてやってくだせぇよ!

    勝手に偉そうなことを言いやがるオイラに付き合ってくれる優しい姐さんは、カクヨムに居なくちゃならねえぜ。

    それにしてもあんまり親に褒められたことの無ぇオイラから見りゃ、姐さんの義母さんは菩薩か観音様ですぜ!
    人間国宝にしてやってくだせぇよ!ってなもんだ。




    げん😃

    作者からの返信

    義母には眉と眉のちょうど真ん中に大きなほくろがありました。これは超ラッキーな幸せの印だと言われて、本人も気に入って得意になていました。
    そのせいか「私って幸せ」って言う口癖の通り、幸せな人生を送った人でした。
    幸せ幸せ、って言っていながらも、戦時中の誰もが経験した苦労だって無縁ではなかった筈なのに、そんな時だって自分は苦労したとは思わないよ、と言える人でした。
    源さんのおっしゃる通り、幸不幸は主観の問題。となれば義母のように、何ごともプラスに考えられる人が勝ちってことになりますね。

    ところで、私のことをカクヨムに居なくちゃならない人、と言って下さる源さんこそ、優しいことを言って元気を与えて下さる、もっと言えば寿命すら延ばして下さるんですから、神様のような方ではありませんか。
    義母を人間国宝にとおっしゃるんでしたらば、源さんも人源、いや人間国宝にせよと、国に働きかけねばなりませんね。

    それから、勝手に源さんとお呼びしていますが、これでよろしいのでしょうか。もしかして、王子様とお呼びした方が、または王様と?

  • 私は子供時代は喘息に苦しみました。

    発作が起きなければ何も問題ない普通に健康な状態なのに、ひとたび発作が起きればたちまち呼吸困難、筆舌尽くし難い苦しみに陥る。

    喘息を知らぬ人は仰天して、何とかしてあげねばと寄って来て、可哀想にと言いつつ背中をさすったりしてくれる。

    しかし優しい言葉も背中さするも、発作の苦しみには何の効果も無いので、当人にはただただウザったくてイライラするだけ、…放っといてくれと空虚な心の中で叫ぶだけでした。

    残念ながら人生の中には、誰も助けられない状況という時があり、愛も優しさも役に立たないケースがあるのですよね。

    そんな時は「放っといてあげる」のが唯一の優しさです。

    姐さんのように達観の域に居る大人なら、良人が寄って来る流れになると思いますが、残念ながらそうでない大人も多いと感じている昨今です。

    幸運なことに、私は子供時代に周りの女性の方々に優しくされて育ちました。
    単純に、男と女どっちが偉いか優れているかと訊かれれば、即答で女性と言えますね。

    私が嫌いな人間は、女性の前で偉そうにする男と、気をつかってやらないと機嫌を悪くする年配者です。

    そう言う私ももはや年配者になりました。

    雨にも風にも冬の寒さにも負けたとしても…私よりも若い者たちに気をつかってやり、自分には気をつかわせぬ人に、私はなりたい。



    げん😃

    作者からの返信

    同病相憐れむって諺はこれか、って思えることがあります。

    高齢者とよばれるようになってから、風邪をこじらすと気管支炎(軽い気管支喘息)になって、咳がひどくなり喉の奥でヒューとかゼーゼーとか音がしながらコンコンと咳き込みます。
    そのコンコンコンは息を吐きながらなので、コンコンが止まらないと息が吸えません。

    最初ゲホゲホっていう咳をしているうちは夫から「いい女のする咳じゃねぇな」と笑われながら「ほんとにねえ」と一緒に笑ったりしているのですが、そのうち息の出来ないコンコン・・になっていくと、そんな馬鹿を言えるよゆうがなくなります。

    この咳は、息は吐きっぱなしで吸えませんから苦しくて苦しくて。
    四苦八苦しながらもうダメという一歩手前で一回吸えて、すぐまたコンコンコンと吐き続けます・・・
    咳が収まるまでずっと、苦し過ぎて涙を流しながら耐えている間じゅう、喘息の子供達がこの何倍もの苦しさと闘っているのかと思って、その涙も一緒に流れます。
    夫の親友の奥さんは喘息で何度も救急搬送されました。息の出来ない咳で苦しい思いをする時には、いつも全国の小児喘息の子や親友の奥さんのことを思いながら、涙ボロボロこぼしながら咳き込んでいます。

    自分が実際に経験しなければ、その辛さに心の奥から同情はできず「大変だねぇ」と一般的な声掛けで終わりです。
    寄り添いたいという気持ちはあっても、どうしようもないこともあり、そんな時は源さんのおっしゃるように、そっと見守るしかないのですね。

  • 第14話   屛風ヶ浦への応援コメント

    屏風ヶ浦は私の居る千葉県の景勝地、太平洋を望む白崖の奇景は多くCMやМVのロケに使われています。

    ただ私が住む松戸市からは100km以上の距離がある遠隔地ですね。

    何度か行ったことはありますが、崖下の海は浅く、上から人が落ちたらまず即死は免れないでしょう。

    昭和の頃は崖上きわまで立ち入り出来ましたが、危険なため現在は立ち入り禁止になっていると思います。

    当然観光地でもないので、普段は無人のエリアです。

    私がもし屏風ヶ浦から落ちて、運良く漁師の船に救助され、そこの家に娘さんが二人居たら……!?

    落ちて瀕死状態の私に世話をやく娘とのあいだに自然と情が湧いて愛が生まれ、姉妹のあいだにも感情の葛藤が渦巻き、しかし私は漁師にはなれそうも無く、家を出ようとする。

    漁師の親父は複雑な気持ちながら、それが良いと私に同意するが、娘の1人は家族に黙って駆け落ち覚悟で私に付いて来る。

    私は娘を家に戻るよう説得するが、娘は聞かず、連れてってくれぬなら屏風ヶ浦から身を投げると言って泣く。

    ……旦那さんの幻の処女作、けっこう良い文芸作品になりそうですぜ。

    作者からの返信

    作家が作品を書くにあたってよく取材をしますよね。
    実在の人物の話を書く場合は直接インタビューしたり、関係者に話を聞いたり。
    また物語の舞台となる場所へは出かけて行ったりして情報収集に努めるでしょう。

    しかるに、この死線を彷徨ったオヤジ作家の妻であるゴーストライターは、全く浅学でありながら努力を怠りますから、出来上がった作品の何とお粗末なことか!というのが常でして・・

    なのできっとこの作品を見てもらった瞬間に、校閲の人の「事実確認」によってダメだしされて終わりとなることでしょう。
    結局のところ、屏風ヶ浦という名前くらいしか知らないで、その崖の様な地がどんな状態かさえ知らないのに、オヤジ作家のあやふやな原案をチンケな想像力のみで書き上げたものなどが、まともなものになれる訳がありません。

    これでは幻の作品となるのは当然のこと。よって、己を知ったゴーストライター夫妻はここで、涙の断筆宣言をするしかないと決意するのであった・・・

    コレで如何でしょうか?と言いながら、ここはご当地作家である森緒源先生に、と矛先をむける・・
    で、どんなものでしょう?センセっ!?

  • 第22話   ティアラへの応援コメント

    88chamaさま、可愛らしいです(*^^*)

    作者からの返信

    可愛らしいです? 何かのお間違えでは?
    目をこすってよく見ましたが、やっぱり可愛いの文字が・・

    え~っ!! ぅわぁ~、ぅふん、やだ、ばか~ん、えへっ、ぅわっ・・
       すっかり照れちゃって困ってしまっているローバより

    編集済
  • 第13話  お店番への応援コメント

    私は子供の頃はチビで痩せていたので、小学生になっても例えば家族で電車に乗る時なども親が子供の切符を買わずに改札を入ったりしたことがありました。

    別に貧乏な暮らしだった訳でも無かったので、私の自尊心は子供ながら大いに傷ついたのを覚えています。

    成人以降、大人として最も大事なのはしっかりした倫理観を持つことと感じています。

    残念ながら令和の現在、倫理観の無い大人が、特に組織の上部に立つ人に多いように感じます。

    倫理観の無い者の言葉は嘘くさく、信を得ません。
    それは親にも言えること。

    誇れる親を得なかった子供はたとえ裕福に恵まれても精神的に不幸になると思います。

    お釣りや当たりくじをごまかす人を親に持った子供は、はたして何処から倫理観を学ぶのでしょうか?




    げん😃

    作者からの返信

    私は明治生まれの両親の元に生まれました。6人兄弟の末っ子で、すぐ上の姉とも8才も離れていますから、皆からさんざん甘やかされて育ちました。
    大甘の根性なしではありましたが、明治の人間の教えで大切なことには厳しく教育され躾けられました。
    今では古いと受け入れてもらえそうにないこともありますが、根本的な教え(源さんの言わんとされる倫理観のようなもの)は、徹底的に教え込まれました。

    例え古かろうと、それは人間にとって大切なことだと、ありがたく思えている私です。父は教育や学門の道に進みたく学んでいた人でしたが、ゆえあって、性格から一番似合っていない職人になってしまいました。
    我が家の仕事は、適当に材料を誤魔化せば(うまいこと融通すれば、の意味です)けっこう儲かるのにと、まわりでは馬鹿正直者の父を笑う人もいたほどでしたので、大きな仕事を請け負ってもそれ程お金持ちにはなれませんでした。

    でもそれで良かったと私は思います。やり手の父よりも、職人らしからぬ、物静かで誠実な(手前味噌で大変恐縮ですが)父が誇らしく思えるからです。
    いまだに、誇れる親に恵まれて本当に幸せだったと思っております。

    (大したことないくせに自慢して、とお聞き苦しかったらごめんなさい)

  • 第21話  先を見る目への応援コメント

    素晴らしい先見の明ですね! お兄さま、お義父さま、お二人とも素敵な方。母さま、お義母さまも素敵な方。88chamaさまは幸せな人生を歩んでこられましたね。もちろん、大変な経験もたくさんなさったでしょうが、人に恵まれるというのは、本当に幸せなことです。素晴らしい人たちに囲まれ、素晴らしい方に育ち、また次の周囲の人たちに幸せを配って。私もおこぼれをいただいて感謝です(*^^*)

    作者からの返信

    ずいぶん沢山読んで下さってるんですねえ、沢山の💛マークを見てビックリしています。恐縮しきりです。 本当にありがとうございます。

    おっしゃるように、私は親や兄姉達、嫁ぎ先の家族や親せき、近所の人達と、何処に行っても沢山の良い人達に恵まれてきているなぁと思います。
    良い星の元に生まれたと感謝しなければなりませんね。

    人生最後にカクヨムでも良い人達に出会えましたから、ちょっとやそっとの感謝じゃ足りない、どうしましょうと思っております。

  • 二年前に亡くなった父は、庭で撮った写真がありました。癌を告知されてから半年くらいで亡くなったのですが、本人が生前よく言っていたピンピンコロリの言葉通り、亡くなる二週間前まで犬の散歩に行き、下の世話をさせることなく亡くなりました。さて、遺影ですが、うちも中々見つからず、困っていました。孫たちの卒入学時の写真も、大概撮る方にまわっていたので、写っていません。そんな中見つけたのが、帰省していた娘が庭で撮った写真。癌を告知されて1ヶ月ほどたった頃です。今となっては分かりませんが、もしかしたら父は備えていたのかもしれません。

    作者からの返信

    ピンピンコロリは誰もが願うところですが、なかなかそうはいきません。
    お父様は皆の憧れの人生の幕引きをされたのですから、なんと羨ましいことでしょう。
    癌であってもそんな過ごし方が出来ていたのもまた羨ましいことです。
    夫も癌の手術からもう6~7年経ちますが、最後は長く寝込むことなく済めたらと願っています。

    私も最近ではこっそりスマホで自撮りしましたので、夫婦の写真の備えはOKとなりました。
    出番はずっと後で~、とお願いしています。

  • 第12話  嵐が去ってへの応援コメント

    思い返せば私自身も親とはうまく行ってなかったなぁ…。

    反抗期らしきものはありませんでしたよ。
    母と父はそれぞれ違う商売をしていて忙しかったし、私は喘息持ちで体力も無かったし、…思春期になって父親と気持ちの対立があった時、
    「誰が食わしてやってると思ってるんだ!」
    と言われ、私はそれ以降親との話し合いは不毛と悟り、金銭生活以外のことは関わることをやめてしまいました。

    しかし私は親の里である新潟の本家には可愛がられ、祖母以下家族の人たちに優しくされていたので、それに大いに救われました。

    それが無ければたぶん成長した後、両親とは酷い関係になっていたと思います。

    拙作「たけんこうち王子の伝記」
    は私の産まれた時から中学に上がるまでの昭和家族の話を描きました。

    興味持って頂けたら覗いて見てください。


    嵐を乗り越えた現在、娘や孫に甘えて笑って過ごしましょう。
    今なら叶いますぜ。

    作者からの返信

    これを書いたのがちょうど1年前でした。そして孫が「反抗期」といって酷く暴れたのが3年ほど前のことでした。
    やむを得ず片親にさせてしまったことが気の毒で、我ら夫婦と2人の息子達は何とか穴埋めできないものかと努力しました。
    嵐のようなという表現がピッタリでしたけれど、これまた台風一過という表現がピッタリな「反抗期」の幕引きとなりました。

    何がきっかけになってくれたのか分かりませんけど、穏やかになってから皆がどれほど心配したか、どれだけ自分は皆から愛されているのか、どれだけ恵まれているのか・・等々が孫には十分に分かってもらえたようだと確信できました。

    あの嵐から3年経ちますが、今ではすっかり平穏な毎日で、あの頃が嘘のように思われます。
    今にして思えば、暴れるだけ暴れさせて、嫌なことを吐き出させたのが
    良かったかなと思います。無理に抑え込まないで良かった、老戦士ローバの闘いも満更ではなかったかと、今の平凡な日常に感謝しております。

    読んで下さった皆様にはご心配いただきましたが、毎日楽しく笑っていますので・・ありがとうございました。
    でもね、アホ丸出しという位なのがちょっとねぇ、というくらいに、ですのでそこは何とかしなければ・・かな?なんですよ。

  • 仰る通りカクヨム町は温かくて優しい町ですね。
    ローバ様との出逢い、私にとって大きくて感謝しております。
    ローバ様に頂いたコメント、涙しましたもの。
    お母さんに「頑張ったね」って頭を撫でてもらっているみたいでした。
    さらに、ローバ様のエッセイから生きる術を学んでおります。
    強く逞しく、そしてしなやかに生きる術です。ありがとうございます😊

    作者からの返信

    本当にカクヨム町は良い人の集まる所ですね。
    お蔭さまで人生の最後に、こんな幸せな時間を与えていただくことが出来ました。
    ハナスさんには泣かされたり笑わされたりと、本当に楽しいお付き合いをさせてもらえて幸せです。
    「強く・逞しく・しなやかに」 何だか宝塚?それとも朝ドラ「ブギウギ」の歌劇団の掛け声のようでステキですね。
    目標にして楽しく毎日をくらしましょう。
    これからもどうぞ宜しくお願いします。

  • ねーきゃーねーよーに。いい言葉ですね( ` -´ )bイイネ たくさんいい言葉を教えて頂けて、感謝感謝です(*^^*)

    作者からの返信

    この回は落研時代を懐かしんで、ちょっとふざけた回にしてしまいました。
    そのふざけて言った言葉に、いい言葉ですねなんて言って頂けて、本当に恐縮しています。
    田舎の言葉で、それも母の世代の人が言ってただろうという程度なんですけど、私にはとても心に沁みる言葉となっています。

    無い無いとくよくよしたり、不平を言ったりしていないで、無ければ無いようになんとか凌げるようになれ、という教えだったんですね。
    今でも時々、窮乏生活のなかで呪文のように唱えていることがあります。
    笑っちゃうでしょ(^_-)-☆

  • 第18話  新刊本 への応援コメント

    素敵なお父さまですね(*^^*)

    ゼフィランサス。もしかしたら、昔の思い出の名前は、タマスダレ(玉簾)なのではないですか? 同じ花でも昔は和名で言ってたのが、この頃は洋名で売られてたりしますよね。私は個人的にタマスダレの方が好きです(*´ω`*)

    作者からの返信

    正解です!!おめでとうございます。賞金をどうぞ! なんていうことにはなりませんが、そのタマスダレです。
    タマスダレっていうと「さても南京たますだれ~」ってふざけたくなる私ですが、ご存じでしょうか(^_-)-☆

    去年は例年と違って、100輪ほどが一斉に咲いてとても見事でした。ベランダが白く楚々とした花でとても心地良い場所となりました。

  • あんずます、初めて知りました。あったかい気持ちになれる言葉ですね(*^^*)

    作者からの返信

    医師脳(いしあたま)先生は青森のお医者さまで、私と同じ年です(現在は週1で勤務されてるそうです)
    その先生から教えて頂いた言葉で、気に入って当時はよく使っていました。
    お風呂に入った時なんかに「あ~、あんずますぅ~」なんて自然に出てくるようになったら、もう立派な会津衆だなどと言われて喜んでいました。
    会津衆という言葉にも魅了されていました。
    私って単純だなぁ、って思っていますが、おっしゃるように何だかとってもあったかい気持ちになりますよね。

  • すごくポジティブなお義母さま! 見習いたいです(*^^*)

    いろいろあった中、やめないで下さったおかげで、お知り合いになれたこと、嬉しく思います。引き止めて下さった方々、ありがとうございます(*^^*)

    作者からの返信

    あきれるほどのポジティブな義母でした。私はそこまでではなかったけれど、義母のお蔭で精神的に随分楽な嫁稼業?でいられました。
    良いことは繋いでいかなくてはと思って、心構えもバッチリのつもりなんですが、お嫁さんの来てもらえる気配がありません。


    自分ではそんなつもりでなかったのに・・と随分悩みました。3日間涙ボロボロでした。
    親切な皆さんのお蔭で止めるの止めました(どこかのCMにそんなのありましたね☻) 止めていたら、こんな幸せな毎日はもうなくなっていました。
    楠秋生さまとも会えませんでしたね。あ~良かったぁ、止めなくって!!

  • 寄り添うことの難しさ。言葉一つかけるのも、受け取り手の気持ちを考えて、というのはわかりますが、本当に難しいですよね。同じ言葉でも受け取り手によって変わってくるでしょうから。
    ......先日のコメントは、88chama様を不愉快な思いにさせてしまうのではないかと、恐る恐る書いたのですが、懐深いお返事で有難く思いました。

    作者からの返信

    本当に寄り添うことって難しいと思います。
    言葉ではけっこう都合よく使って、自分は寄り添えていると勘違いして、冷や汗かいてることもしばしばでした。
    勘違いに気づかないと、思いやりが思い上がりとなりかねません。
    長い人生ではその勘違いがいっぱいの私だったと、今更ながらに気づいている私です。

    それから、不愉快な思いに・・とおっしゃられましたが、私には思い当たることがありませんので、どうぞご安心くださいませ。
    お気遣いに感謝です。

  • 第11話   3つの更新への応援コメント

    長生きは

    罰と試練の

    修行路よ






    げん😃

    作者からの返信

    あ、あ・あなたさまは・・
    もやし、いえ、もしやもしや・・
    お偉いお坊さまでは・・?
    はんちくな、いえ、含蓄のあるありがたいお言葉で。

    宜しければお名前を。源の? 源盛緒さま。えっ、逆さ?
    これは失礼をいたまし、いえ、致しました。🙇🙇🙇

    偉い方の前ではロレロレのローバなのでありますm(__)m

  • いいえ!!長助の話こそ!正に、小説の誕生と言えるのだと思います!
    小説は、話しことばでは、まどろっこしいもの。
    でも、小説ってえのは、まどろっこしいものでねえの?笑

    作者からの返信

    本当にそうですね。
    長い話をまどろっこしいと思わせないで書けるのが腕というもの。
    凄腕の書き手になるには、私なんか100年あっても足りない。
    死んじゃってますけどね笑
    書いてみたかったな。

  • 第13話  お店番への応援コメント

    八百屋のザル。アレいいですよねぇ。神戸の商店街、どこにでもあったのになぁ。
    暗算でひょいひょいってお釣りくれたり。「ちょっとキズあるからまけとくわ」とか会話して。
    子どもたちにも体験させてあげたいなぁ。ってイマドキどこにもないでしょうけど。

    作者からの返信

    八百屋のザルご存じなんですね。ホント、暗算でチャチャッと計算して、ザルからお金をちょいとつかんでね。

    もっとザツなのがレジもどきの前掛け。お金のやり取りは腹掛けの大きなポケットで無造作に出し入れするんです。
    丼勘定という言葉はここからきていると知りました。
    昔の職人さん達の腹掛けの前に着いてるポケットの様な物入れが、どんぶりと呼ばれるものだそうです。
    聞いてみればなるほど~、ですよね。

  • 私も、ここに越してきて六月で三年になります。多くの方と、末永く付き合えたらいいな~♪と思ってます。知らない世界や、共感出来る世界で話が盛り上がればいいですね。(*^_^*)

    作者からの返信

    ここで甲斐さんと知り合えたきっかけは、甲斐さんの金縛りのエッセーを目にしたことからでした。
    娘がよく金縛りにあって困っているので、参考になればと思ったのです。
    何からご縁が出来るか分からないものですね。

    今では甲斐さんは私にとって、頼りになるご近所さんとなり、ずっとお付き合いをお願いしたい方となりました。
    娘が金縛りにあってくれて、私はとても良かったなぁと感謝したいくらいですが娘は何と言いますか・・

    甲斐さん、これからもファンタジーの世界に連れて行って下さいませ。

  •  私もこの町に、これて幸せです。

     そうですよねぇ。居なくなる時は、あっさりとが良いですよねぇ。

     どうかこれからも仲良く遊んで下さい。

    作者からの返信

    Teturoさんはローバに長生きしなさいよって、優しい言葉をかけて下さる良きご近所さんです。
    とてもありがたく思っています。
    この町にいる限り、ずっとずっと仲良くお付き合い下さいませ。

  • 第11話   3つの更新への応援コメント

    アイデアを五七五で! どれもこれも面白い! すごい才能ですね♡

    作者からの返信

    バカバカしい、と思いながらもこんな風に遊んでいるローバです。
    才能と言われると、いやぁそれほどで・もぉ、とクレヨンしんちゃんを真似て言ってしまいそう(^_-)-☆ 嬉しいです。

  • 今どきのペット、ちょっと行き過ぎの気もしますが(^_^;)
    うちは昔ながらの外飼いで、昭和の頃のペット感覚? です。

    作者からの返信

    この間、ワンちゃんを外で飼うのも虐待だといわれると小耳にはさんで、すご~くビックリしてしまいました。
    それならば、猫ちゃんはどうなんでしょう。猫は自由に外を歩き回る習性があった筈で、それを家の中に閉じ込めて飼うのは?とならないのだろうか。
    と、ペットのいない私が言うのもおかしいですね。
    でも、ペットを溺愛している人をとやかく言うつもりは全くありません。
    兄を見ていて本当にその気持ちが分かるからです。

    私が子供の時、我が家にも犬がいました(記憶にない程ですが)
    食事はといえば、ご飯に味噌汁をかけ、残り物の魚やおかずで賄っていましたから、当時を今の愛犬家が見たら泣いてしまうかも知れませんね。

  • うちの息子の1人も、YouTuberになりたいと言ってました。
    「自分で生活出来るならいいんじゃない? ダケドいきなり収入はないだろうから、とりあえずは働かないと生活出来ないよ。働いた上でYouTuberもやって、それでたくさん稼げるようになったら仕事辞めたらいいよ」と、わたしはそのままYouTuberオンリーは却下しました。昨年春から働き始め、PCやらゲームやらいろいろ買い揃えていってるので、まだやる気なのかもしれません。
    うちはスマホもゲームも高校を卒業するまではなし! というルールなので、ゼロからスタートです。卒業式後にスマホだけ買ってあげましたが、あとは自分で揃えなさい、と。
    禁止されてた分、今はゲーム三昧のようですが、とりあえず仕事はしてます。
    お孫さんも、なってもいいけどニートはダメとか、線引きするといいかもしれませんね。
    親ガチャ......片親が必ずしもそうだとは思いません。一生懸命頑張っておられる娘さんに失礼です。イマドキ片親なんて山ほどいます。ホントに最悪なのは、虐待家庭ですよ。両親揃ってても酷いところなんてたくさんあります。上を見ればキリがないけど、下もキリがない。自分のために頑張ってくれている母親に感謝出来る子になっていってほしいですね。
    でもこれ、身内から言われても耳に入らないんですよね。お孫さん、どこかで引き上げてくれる人に出会ってほしいですね。

    作者からの返信

    私の母は明治の生まれで、夫婦は共白髪とか添い遂げるもの、とか古い教えで育てられました。なので娘がシングルになり孫が片親になるということは、私にはとても耐え難いことでした。
    娘は責任を感じ、私は心配で胸を痛め、孫に甘くなってしまいました。
    (この後にも孫のことを書いておりますが、色々と大変なことが続きました)

    世間様から見たら、甘くて躾もなっていないと思われる様な育て方になった弊害が出ている状況ではありますが、折に触れて世の中は甘くないこと、仕事をしてお金を貰うことの辛さ、学歴に代わる価値を持たない人間が世の中でどんな風に扱われるか・・等々を話し込んできました。

    学校に行かなかったこと、行けなかった理由、家に籠りがちになったことなど、半分は理解し納得しましたが、甘えの部分は自己責任となることをこの頃自覚してきたようで、目的を持って働くことを決めたようです。
    多くを期待できないことは承知しながらも、一歩前進というところで私達は喜んでいます。

    おっしゃるように、孫のこれからを良い方に導いてくれる人にどうか会わせてもらえないものかと、心から願っております。
    他力本願かも知れませんが、何かのきっかけで今日がある、という風になれるようにと、お婆さんの私はそればかりです。

    コメント、本当にありがとうございました。

  • 私もこの街に越してきたばかりですけど、とても楽しいところですよね!

    ローバ様の愛情溢れるコメントはとても嬉しいです♪

    どちらかというと、いただくほうが多いですが三年目のこれからも(私は丸3ヶ月です)同じ住人としてよろしくお願い致します!

    作者からの返信

    大木さんはまだ3か月だそうですが、何だかずっと前からいらしていたような気がします。

    私はこの町に来たお蔭で、偉いお医者さまや物理学の博士などという、現実の世界では絶対に知り合えない方ともお話出来るようになりました。
    色んなキャリアの方がいて、色んな事を教えて頂けて、知識も得ることが出来ました。
    そしてカクヨムの何よりも嬉しいのが、皆さんとの交流が楽しくって、毎日がとっても幸せでいられることなんです。

    不思議なことに其々のお子さんのお話を聞くと、本当に近所のお婆さんとしてお子さんたちが可愛くて仕方ないと思えるんですよね。仲間意識とでもいうんでしょうか。
    ずっとずっと良い町の仲間として、これからもお付き合いを宜しくお願い致します。


  • 編集済

    私と妻には子供はいませんが、以前ひょんなキッカケで産まれたばかりの子猫を貰い受け、その猫が18歳で天に召されるまで家族にして過ごしました。

    猫としては身体がデカく成長(体重7キロ超)したので、犬用のハーネスを着けて一緒に散歩やお出かけをしました。

    人見知りしない猫だったので、東京銀座の歩行者天国に連れて行ったら、若い娘さんや外国人の御婦人やらが寄って来て、写真を撮ったり身体を撫でたりして笑顔を見せていました。

    オス猫だったので、こちらも綺麗なお姉さんには身体をスリスリして甘えたり、スカートの中に入って満足したりしてました。

    …私はやはり飼うなら犬より猫の方が良いなと思いました。


     以上です。

    作者からの返信

    源さんご夫妻がどれほど猫ちゃんを可愛がってらしたかが、よ~く伝わってきました。
    愛情をいっぱい受けて、きっと幸せ太りだったのでしょうね。大人の猫はだいたい3~5キロ程だそうですから、それはもうどんなに大きかったかが想像されます。
    (ハーネスを付けての散歩って、犬や猫を飼ったことのない私にはビックリです)

    猫ちゃんが沢山の方達に可愛がられた様子が手に取るように分かりましたが、いつもの源さんのコメントの様子から、おバカなローバはつい最後の1行が変換されて?次のように読めてしまいました。

    ・・私はやはり成れるならウチの猫のように、綺麗なお姉さんにスリスリしたりスカートに入れる猫に成りたいと思いました。  以上です。

    はい、おっしゃる通りマジでおバカです。以上、否、異状です。
    だからと言って、どうぞコメント拒否だけはお許しくださいませ。平に平にお願い申し上げます🙇🙇X5

  • カクヨムの町って すてきな発想ですね
    確かに ここにはのぞくのが気後れするような
    ディスコ(ふるっ!)もあれば 
    心まで温かくなる 和菓子喫茶もありますね

    同世代のローバさんに声をかけて頂いた時は
    本当に嬉しかったです
    まだ一年生で ナビ片手にキョロキョロしています 
    これからも 団塊パワーで頑張りましょうね

    作者からの返信

    真留女さんちをいきなり訪問した時、手ぶらでよいかしらと気になりました。
    引っ越し蕎麦ならぬ★の幾つかで、すっかりご近所づきあいしていただけるようになりました。
    心から嬉しく思っています。

    私は2年過ごすうちに、本当に心を支えて頂く経験をしました。
    家族とは別に、こんなに心配して頂けることに驚いたほどです。
    お蔭で心臓の手術も強い味方を得て臨むことが出来ました。
    カクヨムの町ってこんなところがいいんですよねえ。
    真留女さん、これからもずっと仲良くお付き合い下さいませ。

  • カクヨムを町としてとらえるとは、素晴らしい概念ですね。大人になってから、日本に住んでいた時も、こちらへ帰ってきてからも、そんなに近所付き合いはない生活をしています。唯一の例外は、日本から帰って来た後3年ほど住んでいた、大学へ通っていた街でした。この街は、学生数6万人弱に、一般市民が15万人ほど住んでいる、カレッジタウンと言われる街でした。一般市民にも大学で働いている人も多く、なぜか共通の意識を持っていた様に思えました。ローバ様が描かれているカクヨムの町に似ていると思います。改めて見ると、私は大学と言う環境に本当に慣れているのだと思います。

    作者からの返信

    カクヨムという町に来られたお蔭で、沢山の友達が出来ました。
    親しげな呼び名で呼び合うようにもなれたし、ちょっとばかり相手をおちょくってふざけたコメントで遊ぶことも出来ました。
    世情や若者の文化などに疎いこんなお婆さんでも、仕事のことや失恋しちゃったことなどを聞いてよと話してくれる若者の友もできました。
    ローバがいなくなったら僕は困る、などと泣かせることも言って貰いました。

    そして、現実の世界でしたら恐らく偉いお医者さまや、物理学など私には全く無縁な学問の博士などとは、畏れ多くてとてもお付き合い頂けることはなかったことでしょう。

    そういった意味からも、カクヨム町はありがたくて、私の生きる楽しみや目的を与えてくれるものとなっております。
    いつまでもこの町で元気に過ごしたいと思いますので、どうぞ宜しくお付き合い下さいませ。🙇

  •  七十代の半ば過ぎなら、百まで二十年以上あります。
     まだまだ先には、長〜い道のりが待っています。


     カクヨム町ホラー地区の住人たちは、寂しがりな人たちばかりです。
     きっと泣いています。
     オバケさんたちが、お留守のホラーもありますよ。
     時には、覗いて下さい。



     
     弱気にならず、いつまでもこの町で、楽しいお話を軽妙な語り口で聞かせて下さい。
     僕には、愉しみなのです。

    作者からの返信

    人生100年時代とはいえ100歳まで生きるのは大変。
    よしんば生きられたとしても、生き生きと活動できるとか、カクヨムで書く読むが出来る100才ならばいいんですけどね。でも、そんな贅沢は言えません。
    精一杯、自分に与えられた生き生き寿命(変な名前ですが・・)を楽しく使い切れるよう頑張りたいと思います。

    24時間戦う栄養ドリンクの様な威力のカクヨムがあってくれれば、鬼に金棒心強い私です。
    どうも年齢が気になってしまうこの頃ですけど、いけませんね。
    お気楽でおめでたいね、と娘に笑われているんですから、弱気にならずに頑張らなくては、ですね。

    最後の「僕には、愉しみなのです」この一言は、24時間戦えるドリンク並みにローバを勇気づけて下さいました。
    ありがとうございました。

  • ローバ様もカクヨムの町で楽しく過ごされているのですね!

    私も田舎に移住して、知り合いは増えてもリアルお友達はまだ出来ません。
    でもカクヨムでたくさんのお友達が出来て、毎日一言二言会話をして、それにずいぶん助けられました。

    本当にカクヨムってありがたい世界ですよね!

    作者からの返信

    初めて「つむぎさんちの台所」を拝読した時に、いやぁこれはいい!!と思いました。
    何がって言いますとね、都会や街場に住んでいた人が、いわゆる田舎と呼ばれる辺鄙な所へ移住するのは、きっと勇気のいる事だったんじゃないかと思われたからです。

    そこをつむぎさんのアイデアで、お義母さまから★をいくつもらえるかと、ゲーム感覚で日々を楽しむことを思いつかれたことに、衝撃を受けました。
    田舎暮らしや舅姑との同居の大変さも、きっと上手にかわしていけるのは、つむぎさんの考え方、持って行きようが素晴らしいからだと思えるんです。

    私も何の刺激もない毎日で人生の終わりを迎えるところでしたが、カクヨムで一変してしまいました。
    人生の良し悪し(大袈裟かな)自分の考え方で良くもなり、楽しく過ごせるようになるものなんですね。
    カクヨム町で、つむぎさんから大切なことを学ばせて頂きました。


  • 編集済

    ローバ様が「カクヨムという町」に来られて二年が過ぎたのですね。自分は5月22日で二年になります。
    ローバ様の方が二か月先輩ですね。

    『ローバの充実』に寄せられた永嶋良一氏のレビューと第3話 私をリングに連れてかないで! を再読して来ました。やっぱり面白かった!
    永嶋氏が煽ること煽ること。それに、ローバ様のコスチューム (#^^#) やテーマ曲 ♪ 超ウケます。
    ほんと、ローバ様はエンターテイナーです。

    それから懐かしさのあまり『猫の手』も再読してきたのですが、なんと昨年の4月2日に自分はコメントを書いていたのです。奇しくもちょうど一年前です。何度読んでも胸が温かくなるいいお話でした。その時のローバ様からの返信に、今回も目頭がじんわりしました。

    今はただ、娘様がPCのキーを押す日が永遠に来ないことを願うのみです。

    作者からの返信

    ブロ子ちゃん、いつも応援と丁寧なコメントをありがとうございます

    そうですそうです、永嶋さまったら、まだカクヨム若葉マークを付けたばかりの私にあのレビューコメントなんですから、とってもビックリしてしまいました。
    だって彼ッたら、1話を読んだだけで、タイトルからあの衝撃的な煽り運転、違った煽りレビューコメントを書いてくれちゃったんですよ。

    なのでババズロースとかババシャツとかの文字に、何だか涙が出そうになりました。転校生をいきなり面白がってかまう、アレみたいでしょ。だからモジモジしてた私はとってもびびっちゃいました。
    だってね、一応ローバも大昔は乙女でしたから恥ずかしくって、見ず知らずの初対面の人にもしかして、自分の姿が見られてるんじゃないかってギクッともしました。(これは本当。コスチュームは当たってますからネ)

    でもね、ローバは直ぐに気を取り直して、そうだ!これを逆手にとって自虐ネタでいこう!と考えました。
    今にして思えば、あの時は新参者ですから真面目くさって堅苦しいエッセーを無理して書くところでした。

    折角の落研で習得した(それほどのものか?!)笑いのセンスなるものを散りばめ(散らかすの間違い?)皆さんに笑って頂けるようなエッセーにしたいと考えたのです。
    かくしてあの「私をリングに連れてかないで」が出来上がりました。

    パンティスミレやフンドシハナスなんておちょくられて喜べる器量は、あの若葉マークの頃の私にはありませんでしたから、そりゃぁもう大変でした。でもお蔭でその後は気負うことなく、好きに書くことが出来たのですから、永嶋さまに感謝しなければなりません。

    長くなってしまいましたがごめんなさい。「猫の手」までも再読いただいたそうでありがとうございます。
    作品中の「可愛くて可愛くてたまらない、孫のように思えるお嬢さん」ってだぁれだっ? 勿論ブロ・・止めとくね、名指しはいけないかもよね。
    そんな訳で(どんな訳かって、さぁ?)カクヨムでは楽しい仲間、可愛い仲間、優しい人達がいっぱいいてローバはとっても幸せ!!って聞いてほしかったんです。
    いつまでもカクヨム町にいられますように!!ご清聴感謝ですm(__)m


  • まぁのんびりとご近所付き合いを楽しんでいきましょう!

    作者からの返信

    関川さんには、ご近所のご隠居さんとお呼びするにはあまりにも若すぎるので、ぅ~ん・・
    ある時は師匠、またある時は監督、してその実体はカクヨムの売れっ子有名作家さん。
    畏れ多い方ですが、よしなにお願い致します。

  • 私も、登録するのに散々迷って、登録してからも若い人ばかりだろうとコッソリ静かに読んでいました。
    そんな中で、同年代や年上の方を見つけて、どれほど心強かったことか。
    おかげさまで、8月でまる3年、カクヨム町に住むことができています。
    ローバさんはじめ、親しくしてくださる方々のおかげです。
    私も、連絡無く3ヶ月以上音沙汰なかったら、きっと異世界へ転移してます(笑)

    作者からの返信

    そうそう、麻子さんはカクヨム町の先輩でしたね。
    ここは本当に居心地の良い別荘地ですよね。
    お互いに良い所を見つけることが出来て良かったですね。
    これも何かのご縁でしょうから、異世界でもご一緒出来たらいいですね。
    でもでも、それはず~っとずっと後のことにしましょうね。(笑)

  • 軽快な話しぶりは落研からのものでもあるのですね♪

    なかなか趣深い(笑)お話でした

    このなかで一つ私の思い出に引っかかったのは豚のお話
    私の父母が88chamaさんと同年齢とは前にもお伝えしましたが、二人とも京都市の生まれです
    その京都も、今の京都駅にも近い地域では田んぼも養豚場もあったようで
    そんな話を時々していたのを思い出しました

    作者からの返信

    こんなに発展してしまった現在では、昔京都駅に近い地域でも田んぼがあった、養豚場もあったなんて聞かされても、ほんまどっしゃろか、なんて言いたくなりますね。
    今では観光客でなかなかスムースに歩けないほどだとか。
    余りに人が多すぎて土地の人達は迷惑気味だそうで。
    京都の街といったら舞妓さんがシャナリシャナリと歩く姿を想像してしまいますけど、そんな優雅になんて歩けませんでしょう。

    でもやっぱり京都は魅力的。
    歩さんのお住まいは京都で? よろしおすなぁ。(京都弁,合ってます?)

  • 第5話   みんな優しい人への応援コメント

    優しくも悲しい、けれど温かい、心に染み入るエピソードでした

    私も涙の出る曲を一つ
    小田和正さんの「たしかなこと」です
    伏字にもせず、88chamaさんに贈ります
    また泣かせてしまうかもしれませんが💦
    私もこの「確かなこと」を聴くと様々大切な人へ想い巡り涙してしまいます

    作者からの返信

    Spotifyで聴いてみました。
    曲名は忘れていましたが知っている曲でした。

    和正さんの声は何と言っても澄んでいて清らかですから、そこにこんないい歌詞でもって歌われたんでは、誰もがグッときてしまいますよね。
    大切に思って貰えた人には、本当にありがたさや懐かしさがこみあげて来て、涙してしまうんでしょうね。

    そういえば♬忘れないでどんな時も~と口ずさんでいたこともありましたが、歌詞をよく読んでみると・・成るほどよく分かりますね。
    だから娘にメロディー重視でなく、詩もしっかり理解せよと言われるんだな、と思いました。

  • スマホ、うちの両親は使い切れていないので💦
    88chamaさんはすごいです!
    母はPCのほうがよさそうで、父など全く使いこなせずガラケーに戻したいとぼやきます
    私もあまりスマホは使わないので、88chamaは私よりも上ですね!!

    作者からの返信

    お褒め頂きましたが、残念ながらここに書いてあるだけのことしか出来ないんですよ。
    文字を打つのもpcの方がずっと楽で、メールを打つのにもポツン・ポツン、あ、間違えた削除、ポツンポツン・・とこんな具合で、孫に笑われたりじれったがられたりと散々です。

    時々ちょっとした不具合には200円のお駄賃(グ~ンと跳ね上がることもあります)で助けてもらっていますが、ぼったくりもいいとこで😅
    可愛そうなお婆さんはこうして、体よくかもられてばかりいるのですよ。
    でもスマホの魅力は偉大ですよね。

  • ローバちゃん、こんにちは😊

    カクヨムの町って呼び名がいいですね。
    ローバちゃんがこの町に来てから2年なのですね。
    もうずいぶん前からのお友達のような気がしていました。

    私は今年の5月で丸々3年です。
    初めてこの町に来た時は、若い方が多くて異世界ファンタジーのような小説が多かったので、私もローバちゃんと同じように場違いの場所に来たのでは?と思っていました。
    エッセイで年を明かしていますが、実年齢を言うのがはばかれるくらい殆んどが年下の方達ばかり。(今は永遠の26歳って言ってますけど……笑)
    でも、拙いエッセイにもコメントを下さる方がいて、今ではその輪も広がって有難いです。
    ローバちゃんにはいつも温かいコメントを頂き時にはユーモアも交えてのコメントにどんなに励まされた分かりません。
    わたしもいつ異世界に旅立つか分かりませんが、それまでどうぞ宜しくお願いします。
    とは言え、ローバちゃんとはまだまだお互い元気で一緒に馬鹿笑いしながら交流していきたいです。

    作者からの返信

    娘がSNSで「〇のこちゃん」という名前の人と交流していた時、毎日「〇のこちゃん」の話を聞かされていました。
    私の親友の(勝手に🙇🙇)のこちゃんと似た名前だね、と親近感いっぱいになり、名前を聞くだけで嬉しくなっておりました。
    最近はSNSも卒業?したらしく、もっぱらのこちゃんという名前はカクヨムののこちゃんだけのものになりました。

    そんな風に親友が出来たり冗談を言い合える友人が出来たりで、私にとってカクヨムは長生きできる誠にありがたい希望の場所になりました。
    これからも、のこちゃんの言われるように、まだまだ元気でばか笑いしながら、ずっとずっと良き友達でいて下さいね(10代の夢見る少女のようだね、えへへ)

    永嶋さまから教えて頂いた顔文字、さっそく使ってみます。
    (^チ^)(^ち^)←喜んでいるローバ(おちゃま)です。
    のこちゃん、コメントありがとうございました。

  • 私は2度ほど結婚をいたしましたが、子供はおりません。

    故に親の気持ちは完全には理解できませんゆえ、今回は気の利いたコメントを差し上げることが出来ません。

    しかしながら子供の気持ちはある程度理解出来ます。

    失礼を承知の上で申し上げれば、子供がこの世に出て来たのは子供の希望や意思ではありません。

    親の意思です。

    子供を作ったのなら、ある年齢まで育てるのは親の義務であります。

    つまりそれは子供には最低限の当たり前のことなのです。

    そのことを子供に対して有り難いと思え!…親心に感謝しろと言えば、そりゃあ子供もウザいと感じると思いますよ。

    私が成人してから親に対して大いに疑問を感じたのは、果たして私の親は社会人、大人としての確固たる倫理観というものがあるのか?ということです。

    実はこれがとても大事なことだと思いますよ。

    子をあれこれ不安がって世話を焼くより、子が成長して職業を得る前に人としての倫理観を親が示すこと、そして職業を持つならば他人とちゃんと付き合って行ける技術を躾けることが大切に思いますよ。

    私自身の経験から鑑みるにですが…。

    その役目は親が負っていると私は感じますし、学校では教えてくれませんからね。

    実際、学校で教わった知識のほとんどは、実社会では使うことない、役に立たないものです。

    私の今までの人生で得た教訓として、

    自分に最も役立つ能力はコミュニケーション技術である。

    大人になったら、愛とか優しさってのは技術テクニックの問題である。(なぜなら愛というのもコミュニケーションのひとつだからです)

    礼儀、常識は未来への投資である。
    (なぜなら困った時に助けてくれるのは、権限を持つ人、お金持ちの人、知識能力が高い人しか居ないからです)

    他人に助けてもらったら、必ず感謝をすること。
    (ここでつけ上がると、味方の人間が敵に変わります)

    偉そうに言ってすみません。
    参考にならなかったらこのコメントは削除してください。



    では。

    作者からの返信

    森緒源さま

    コメントの返信が遅くなってしまって申し訳ありません。
    最後の行に「参考にならなかったらこのコメントは削除して下さい」と書かれてありますので、きっと削除したのだろうと思われたかも知れませんね。その反対です。
    きちんとお返事したいから、と思っているうち忘れてしまっていたというヘマをやってしまいました。面目ない次第です。

    森緒さんのおっしゃることに全て同感の私です。
    私の子供達はみな私の望み・意志で産まれてきていますから、子供にも神様にもあらゆるものに感謝している私ですから、子供達には一度も感謝しろとか孝行を押し付けたりはしませんし、子供達もそう思ったりはしていないと思います。

    けれど孫は少し違います。自分の意志で産まれて来たのではないと言い張ることがしばしばでした(今はもう言いませんが)
    成るほど当たり前のことだと納得ですから、感謝しろと強要はしませんが、自分の都合や不満をぶつける為に「自分の意志で産まれたのではない」というフレーズを盾に使うのはおかしいと怒ったことはあります。
    それは娘ではなく私が、です。何故ならば、親の意思でということに責任を感じて、余りにも責任感から強い態度に出られず抵抗できずにいる娘が不憫に思えたからです。

    孫の自分の意志で産まれてきたわけではないという理屈も、娘の親の意思であるばかりに反論できないという理屈も、どちらが正しいとの判断は難しいのです。
    娘は自分の責任感から、息子には不自由な点が少しでも減るようにと懸命なので、私は感謝しろとは決して言わないけれども、そうやって細腕でがむしゃらに働いている母親の姿はよぉく見て忘れるな、と言っていました。

    親を差し置いて祖母の私が今でもうるさい程言うのは、やはり(勝手に生んだとはいえ)自分のことを懸命に大事に思ってくれて、身を粉にして働いてくれていることに、感謝の気持ちを持つのは人として大切なことだと思うからです。

    そしてうるさがられるのを承知で、人として最低限必要であると思われることを、躾と称して口を酸っぱくして言い続けています。
    社会に出た時、困難に出会った時、大勢の中に立たされた時など、ルールを守れなかったり躾が身についてなければ、困るのがめにみえていますから。

    源さんのおっしゃるコミュニケーションの大切さも嫌という程言っています。人間には可愛げが大切で、「ひとたらし」と呼ばれるほどの術がある人は得だと思います(人間関係を損得で考えてはいけませんが)

    私は時々考えが古いと笑われることがありますが(明治生まれの親の教育ですから仕方ない)古かろうと新しかろうと、人としての大切なことは同じです。
    勉強が嫌いでも礼儀や恩義、正しいことと悪いことの判断などを学び、社会を生き抜く術を身に着けて・・・と祖母の私は、娘の忙しくて手が回らないところだけカバーするつもりで、時には甘~い、時には口うるさいお婆さんでいるのです。

    長々と書いてしまいましたが、こちらこそ「婆さん、何言ってんだい」と思われましたら削除して下さいませ。
    真剣なコメントを大変ありがとうございました。

  • この町は本当に温かい方々ばかりで、片隅でひっそりと生息しているわたしも居心地良く過ごさせていただいています。

    ローバさんは陽だまりのような方*ˊᵕˋ*
    どうか、ずっとお元気でいらしてくださいね🍀

    作者からの返信

    陽だまりのようと言って頂いてとっても嬉しいです。
    ありがとうございます。
    乏しい私の空想力で描くつきのさんは、何だか竹久夢二が描く楚々とした女性です。
    か細くて頼りなさそうな、とっても気になってしまう人。
    そんなつむぎさんが(そんなじゃない!でしたらゴメンナサイです)カクヨムが温かくて居心地がいい場所であると言われると、お節介ローバはとても嬉しくてたまりません。

    つむぎさんこそ、お身体大切になさって、いつまでも素晴らしい作品を書き続けて下さいね。

  • 私も越して来て2か月余りですが、カクヨムって不思議な魅力に溢れた場所ですよね!!
    (少し勇気を出せば、今どきの若い人たちの好みや考え方を垣間見ることもできて、スリリングで退屈しないです)

    作者からの返信

    超高齢者の私は娘と息子、そして20歳になった孫と同居していますから、若者と全く接することがない高齢者よりは、少しは若い人の様子や言葉が分かるつもりでいます。

    けれど「ヨム」では若い人達の考え方や世の中の動きなどを知ることが出来て、とても良い刺激をもらえています。
    スマホを側に置き、直ぐ調べながら一つ知識が増えたと喜ぶ毎日です。
    ステキな場所ですよね、カクヨムって。知識と活力を頂けるのですから。

  • こんにちは。

    ローバさんは文面などからしても感性がお若いですよ。
    公表しちゃってるから年齢こそわかりますが、
    黙ってれば40代くらいでもいけます。いや、39,5歳!(一緒じゃないか)

    冗談はともかく当初は先程書いたようにもっとお若い方かと思ってました。
    だからまだまだこの町に住み続けていただかなくてはいけません。

    とは言え、人の運命はわからないですからね。
    こんなこと書いてる私の方が三ヶ月更新なし…なんてこともあり得る。

    健康第一で行きましょう!!

    作者からの返信

    ちびゴリさんにはいつも元気を頂いています。ありがとうございます。
    お世辞にもお若いですって言われたら、ホントちょっぴり若返れるんですよね。
    身体的には無理ですが、気分的にはすっごく効果ありで感謝です。

    夏頃に婦人科で手術を予定しているのですが、婦人科の先生に「お若いですからね、シャンとしているし、どう見たって60代ですよ」と煽てられて手術することに決めたのです。(単純!!)
    別にこのままでも命にかかわるような症状でもないので、死ぬまでこのままでいけるんじゃね? ってな位でいたのに、(頭も)シャッキリしてハキハキ答えられてると言うようにくすぐられて、嬉しがり屋のローバは木に登って、いや登れないので寄りかかって喜んで、予定日の決まるのを待っているのです。

    ちょこちょこ体のメンテナンスをし、カクヨムの皆様からエネルギーをいただいて、ずっと更新が続けられますようにと願っています。

  • 私はローバ様を見て、年齢を理由に何かをあきらめることは止めました。感謝しております。これからも共にのんびり楽しく暮らしましょう、カクヨムの町で(^^

    作者からの返信

    更新してすぐに、もうコメントをいただきました。
    もしかして三杉令さまは只今カクヨム町をお散歩中で、カクヨム公園のベンチで一休みされながら、この57話を読んでくださっているのでしょうか。
    カクヨム町などと、ちょっぴりふざけているようで申し訳ない空想の世界ですが、どうぞ宜しくお付き合い下さいませ。
    のんびり、ゆったり、心穏やかに。
    せちがらい世の中ですがせめて空想の世界では楽しく。ですものね。

  • ついついだらだらと書いてしまうのは、私も同じです^^;
    昔の書いた話の見直し……必要ですよねえ。私もやらなきゃ。改めて読みなおすと、誤字脱字を含め、余分な文章やら言い回しやら、いろいろあって恥ずかしくなります(;^_^A 

    名前の説明ですが、私は裕という字を使うのですが、余裕の裕と言ってもわからなければ、裕次郎の裕で通じてたんですよね。前は。この頃はわからない人が増えてきたので困ってます。衣偏って言ってもわからない人が多いし。なのでカタカナのネにチョンをつけて谷、という面倒くさい説明をしないといけないのです(>_<)

    作者からの返信

    裕次郎も西部警察で大人気でしたけど、もはや知らない人もいるようになりましたね。
    私は長い間、姪の名前の裕の字を衣篇でなく示篇で書いていました。
    文字をチャチャッとかくくせがあって、チョンを書き忘れてそのままだったんです。
    長いことそのままでいるうちチョンが退化してしまい、ネに谷と。
    姪には申し訳なかったなと思いました。
    名前を間違うなんて最高に失礼ですものね。

    同じように、ネにチョンを付けてといちいち説明しなければならないのも面倒ですよね。
    篇だけならまだしも、字そのものも中々すんなり出てこなくて困ります。
    不勉強を棚に上げて、スマホやパソコンの便利さのせいにしてごまかしている私です。

  • 第7話  カクセイスト への応援コメント

    カクセイスト。いいですねぇ。なのに当の本人は忘れてるなんて(笑)
    つらつらと楽しく読める素敵なエッセイですよ(୨୧ ❛ᴗ❛)✧

    作者からの返信

    楠秋生さま
    コメントありがとうございました。
    洒落好きの両親の影響か、娘はいつも色々と言葉をもじって応じてくれます。
    本人は酔っぱらって覚えてないというのも結構あるんですよ。
    ほろ酔いで気分がのって、調子にのってでまかせでも、私にはそれいただき!っていうネタ?も多々あります(おバカな親子だなあ、っていうのもね)


    楽しく読めると言って頂けて、そして素敵とまでも。本当に嬉しくてたまりません。
    嬉しがり屋な私ですからねえ、どうしましょう。
    (喜び過ぎて返信が疎かになってしまったようです。遅くなってごめんなさい🙇)


  • 編集済

    なぁに姐さん!

    昭和原人はちぃと傲慢なくらいでちょうど良いんでさぁ。

    令和の若造らにゃあオイラ
    「こちとらぁ昭和原人でい!」
    って誇らしく言ってやすぜ。

    昭和原人って凄いんですか?
    なんてぇことを訊かれりゃあ、

    「当たり前よぉ、オイラぁガキの頃にゃあ新潟の山中でマンモス追っかけて遊んでたぜ!」
    なんてな話もカマシてまさぁ!

    本当ですか?
    てなこと言われりゃ、

    「おうよ!…そうだ良いこと教えてやるぜ、あのな、山から栗もいで来てよ、それを海に投げんのさ、そうするってぇとひと月でウニになるんだぜ!」
    などと更にカマシてやるんでさぁ。

    「オイラてめえで試したからよぉ、ひと月して海ん中覗いたらみぃんなウニになっててよ、しかも数まで増えてたぜ!」

    てな具合に令和の若造らに昭和原人の凄さを見せつけてやりましたぜ!

    姐さんも頑張っておくんなせぇよ!

    では。

    作者からの返信

    おや、マンモスを? 
    へぇぇ新潟の? 山ン中で? マンモスをぉ?
    あにさん、そりゃぁ落語の世界で言う弥次郎の話のようじゃござんせんかいなぁ。 
    えぇぇ、実は実話で、とな!?さいざんすか、ビックラしましたわぁ。

    同じ新潟でも違いますわなぁ、ほんに。
    わらわは新潟県といっても佐渡でしてね、えっ、鬼ヶ島? 鬼じゃなくって佐渡島よ。
    そう、罪人も流されたけど高貴なお方も流されましたからね。
    もしや、わらわは世が世ならお姫様だった鴨南蛮。

    そこで腰元(娘)は時々ふざけてわらわを「ひめさま」と呼ぶこともあるんだけどね、この腰元ったら鼻づまりで「ひめさま」が「しめさば」になるのよ、やぁねえ。
    でも「おしめさま」でなければまぁいっか。
    いつかわらわも、お下が怪しくなったら「おしめさま」になっちゃう鴨南蛮でしょ。

    ・・おっとっとっと、これはいけません。ほおっといたら止まらない。
    いい加減に旋回。右方向に? いやいやこりゃぁダチカンちゃ。 
    もう止めるっちゃ、ね。
    ちゃ、ちゃってうるさい? へへへ・・
    佐渡のちゃは飲めんちゃ、なんですっちゃ🙇🙇 コメントに感謝です。

  •  ひどいお話で、強い憤りを感じます。
     でも、こんな人が一杯いるんですよね。。。
     ボクは、普段使うリュックサックに簡易カメラを取り付けて(肩ひもに引っ掛けるようになっています)、外出するときは録画、録音をしています。
     景色を撮影するのが目的なのですが・・・ローバ様のような出来事があった場合には、役に立ちます。。。
     こういう簡易カメラって、数千円で通販サイトで売っていますが・・便利ですよ!
     しかし、こういう人に出会わないことが一番いいんですねどね・・

    作者からの返信

    永嶋さま、コメントをありがとうございます。

    お出かけには簡易カメラを持って行かれるとは、スクープを求めているカメラマンか記者さんのようではありあせんか。
    確かにどんなアクシデントがあるかも知れませんから、用心に携帯するのもいいかも、ですね。

    私がこの脅し?を受けた頃は、威張り腐った人間が何でも言いたい放題で、弱くて何も言えない人が只だまっているしかない時代でした。
    その頃のローバは何も言い返せない弱虫でしたけど、今だったらこのカメラや録音器を見せつけて、これが目に入らぬか!!と言ってやれたのにねぇ。

    この経験は、さゆりちゃんでもきっと言い返せず泣き寝入りでしたでしょう。
    今はこんなのがあって良かったわね、と言いたいとこだけど本当は、こんなものの出番がないということが大切なんですよね。

  • 文章のリズム、話の展開、テーマの転がし方、全て完璧なので恐れ入りました!

    さすがはちどり師匠!

    …ちなみに私と妻の関係はと言うと、

    「割れ鍋に綴じブタ」

    です!

    作者からの返信

    森緒さまはほめ上手。 歯槽膿漏で歯の浮きそうなお世辞ではなく、相手の喜びそうなところを上手くついて、ちょいとばかり(いや、だいぶかも知れませんが)持ち上げて下さる。
    そのヨイショは凄く重たいでしょうにスミマセン。
    そして流石に川柳作家さんらしく、返ってきた「綴じブタ」のコメントは洒落が利いていて嬉しいです。

    落研時代に洒落を飛ばし合って楽しんでいたのを思い出しています。ありがとうございました。

  • 面白おかしく書かれておりますが、根底にある深い愛情とご苦労を思うと胸をうたれました。素敵な物語をありがとうございました(^ ^)

    作者からの返信

    こちらこそ読んで頂きとても嬉しいです。ありがとうございます。

    義母にはよくしてもらったし、とてもいい相棒の様な関係でした。
    実の母よりもずっと長く一緒にいましたから、その義母にオムツを使用してもらうというのには、とても抵抗がありました。
    認知症であまりよく分からないとはいえ、オムツは・・
    考えた末の迷演技でした。老女優の演技はシカト?されましたが、結果オーライでメデタシ、となりました。

  • 第5話   みんな優しい人への応援コメント

    優しい人たちに囲まれて育ったのは、とても幸せなことですね。

    作者からの返信

    特別でもなく平凡な家庭でしたけど、家族にも近所の人達にも皆いい人に恵まれて、とても幸せに過ごしていたと思います。
    当たり前のように思っていたことも、こうやって取り立てて書いてみると、その当たり前がどんなにありがたいことだったのかが分かったように思えます。
    思い出を書いてみるのもいいものですね。

  • オンボロイド。これまた命名が素晴らしい(笑)
    スマホ、十分使いこなされてますね。
    多分私の母と同じお年頃だと思われますが、母は中々で......。いろいろ使えるようにはなっているんだすが、いろいろやらかちゃったりもしてくれます。何をどうやったらそうなるのか、「白黒になった」だの、「上下分割になった」だの、「音がならなくなった」だのと言って持ってきます(^_^;) でもはじめた当初から比べたら、ずいぶん使えこなせるようになってきたかな。88chamaさんのように早くガッツリ使えるようになってほしいです。⟵自分のことは棚に上げてます(笑)

    朗読は私もよく聞いてます。自分で読むのとはまた違った感じでいいですよね。

    作者からの返信

    スマホは本当に便利で、何でも教えて貰えるので大助かりです。
    辞書から電子辞書になった時もそうでしたけれど、自分でいろいろ調べることなく、こんなに頼りっきりでいいのかな、と心配になりましたが、今では全くすぐに教えてぇとスマホに尋ねます。
    使いこなせているかと言えばそれほどでもなく、辞書替わりやメモ帳に、そしてYouTubeや寝る時の楽しみの朗読などで活用しています。

    つい最近、ペイペイを利用することを教えられて、凄く便利で感激し、そしてポイ活までするようになりました。
    お母さまも少しずつ進んでいったら楽しくてしょうがない、なんてことになるでしょうね。