15

 家の中が安全だなどと、何故思っていたのだろうか。

 フランシカの各地に建つ名門貴族の家々よりもひと回りもふた回りも大きなお屋敷の中、幼い少女が恐怖に震えていた。


『いい、×××? 決してここから出て来てはダメよ』

マモンママ! マモンママはどうするの!?』

メーお母さんと話してくるわ。大丈夫、あの子は優しい良い子よ』


 知っている。はとても優しい人だと。だけどそれなら、どうして。

 どうしては今、屋敷の中であれほど暴れているのか。使用人達を殺しているのか。

 どうすれば良いのだろう。分からない。分からないから、母に従うしかない。「この場所」に隠れて、じっとほとぼりが冷めるのを待つしかない。

 屋敷中のあちらこちらから、悲鳴とも叫声とも取れる声があがっている。ガタガタと身体が震えるのが止まらない。ボロボロと流れる涙が止まらない。

 誰でもいい。誰か助けて。

 呼吸さえまともに出来なくなるほど泣いて、歯を食いしばった。




 そうしてどれくらいの時間が経ったのか、屋敷の中は嵐が去ったかのように静かになっていた。いつの間にか泣き疲れて眠ってしまっていたらしい。それとも酸欠で意識が飛んでいたのか。

 とにかく、少女が目を覚ました時にはすっかり静まり返っていた。

 ゆっくりと、隠れていた場所から出る。長い間小さく身体を丸めていたせいか、始めは身体が思うように動かせなかった。だけど時間をかけて、何とか身体を外に出した。

 つん、と鉄の臭いが立ち込めている。屋敷の中を歩けば歩くだけ、血まみれで動かない人しか見付けられなかった。

 一室で、母が倒れていた。血まみれで、ピクリとも動かず息も無い。止まっていた涙が、また声と共に溢れ出た。

 別の一室で父が、また別の一室で姉が倒れていた。いずれも血溜まりの中に居て、どんなに泣いて縋っても、指先ひとつ動くことはなかった。

 そして少女は、自分の寝室に入った。姉と一緒に使っている寝室。そこにも誰かが倒れていた。

 泣いてぐしゃぐしゃの顔のまま、そこにも恐る恐る近付く。自分とさして変わらない小さな体躯にそっと触れ、揺すってみた。


『エ……ちゃん……』


 動かない。コロリと転がし顔を上向けると、少女と同じ顔がそこにあった。


『エミルちゃん、なんでおきないの? エミルちゃん! ねぇっ!』


 強く揺すっても、何度声をかけても返事は無い。今まで見てきた人達と同じだ。

 とうに息絶えている。それが、幼い少女にはまだ分からなかった。沢山の人が居るのに、誰も居ない。


『ぅ……うわぁぁぁぁぁぁあん!!!』


 声も涙も枯れる様子は泣く、また泣き出す。そこへ、音もなく現れては少女の背後で立ち止まった男が口を開いた。


『……その子供は、エミル、というのか』

『ひっ!?』


 声が届いてようやく男が居ることに気付いた少女は、飛び上がって驚いた。見た事の無い人……彼は誰だ。

 ゆっくりと少女に歩み寄ってきた男が、すぐ側に片膝をつく。


『お前を愛する者に頼まれた。生きていれば助けて欲しいと』

『……おじちゃん、だぁれ?』

『聖だ。そう呼ぶといい』

『サトシ……?』


 泣き腫らした大きな目に浮かんだ涙を男はそっと拭い、そのまま頬を撫でれば、少女はされるがままだった。

 手を離し、男は驚きからか涙の止まった様子の少女を見つめる。


『お前の家族は死んだ。これからは俺が、お前の新しい家族になろう』

『かぞく……しんだ?』

『そう。もう二度と起きることはない』


 不器用そうなその男は、言葉を探すように時々考えながらも少女に告げる。


『名前は?』

『×××』

『そうか。×××、強くなれ。そして自由になるんだ。それまでの手助けならいくらでもしてやる。だから今日からは、「エミル」だ』


 これは、幼い少女との、はじめの契約となった。

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