03

 裏口から訪れた客人に、男は満面の笑みを向けた。


「いらっしゃい、姫さん」


 待ってたよ、と。

 すかさずもう一人が茶を淹れて出し、その場を離れる。彼の役割はそれだけだ。こちらの「仕事」には関わらせてもらえない。

 茶には目もくれず、客人は男が差し出した紙の束を手に取った。


「悪ぃけど、俺が協力出来るのは今回が最後だ」

「どういうこと?」

情報がからだよ」


 決して、手に入れるべきでは無かった情報。だが彼女が必要としていたから、手に入れる必要が出来てしまった情報。

 幾重にも施された厳重な守護と隠蔽を掻い潜ってようやく得られるそれは、つい最近までは誰も筈のものだ。


「簡単に得られない情報ってのには、当然ながらそれなりの理由がある。今回のはそれだ」

「口封じされるってこと?」

「ま、端的に言やそういうこったな」

「……」


 今回この情報が得られたのは、本当に奇跡にも近しい偶然だ。幾重にも施された厳重な守護と隠蔽。その大切な情報を、漏洩した者が居る。たまたまそのタイミングで引き抜いて来れたというだけのもの。

 そんな情報を得てしまって、まず無事で居られるわけがない。口が軽い情報屋が早々に消されるように、を知ってしまった情報屋もまた、早々に消されるのが「この世界」の常識だ。


「心を痛めるようなことはするなよ?」

「……そんなわけ無いじゃない。あたしを誰だと思ってるの」


 やや強がって口角を上げた男に、淡々とした冷たい声が返る。


「冷酷無慈悲・残虐非道の暗殺者──『氷の刃』アイスよ」

 たかが人一人死んだくらいで痛める心なんて持ってないわ。


 そうじゃない、と吐き捨てる。本当に何とも思っていないように、口元には冷たい笑みを乗せて。


「あたしが心配してるのは、のことよ。アナタが居なくなったら、誰があたしの情報を隠蔽してくれるの? 『夢幻桜』、アナタほどの情報屋はそうそう居ないし、居たとしても簡単には捕まらないのよ」

「随分と光栄な評価だな」

「冗談で言ってるんじゃないの」


 冗談で言うにはあまりにも面白みが無い。先々のことはなるべく早く考えておかなければ。

 ひとつため息をついた後、アイスと名乗った彼女は指先でテーブルをコツンと叩いた。


「この情報からは。この人物達は、どの程度のレベル?」

「そうだな……あまりに情報が無いのは確かだ。ただ、そこには記さなかった不確かな情報と俺の勘をつなぎ合わせたとして――を出した姫さんが、一人ずつを相手取って何とか勝てるかってところだな」

「そんなに?」


 思わず眉をひそめた。

 自分を過大評価しているつもりは、アイスにも無い。だが殺し屋をしていく上で培ってきた経験と実力から、そうそう自分に勝てる者が居ないというも分かっている。

 だったら、その自分と同等かそれ以上の実力を持つ戦闘屋がどれ程居るというのか。そもそも多くはないだろうに、それが集まってチームになっているとしたら。

 もしかしたら彼だけでなく、自分にとってもこれが最後になるかも知れない、なんて、らしくないことが頭をよぎった。

 いつもなら、彼──『夢幻桜』からの情報はごくごく詳細に記されている。どんな些細なことも、だ。

 氏名住所連絡先は勿論のこと、表向きの仕事に裏仕事、戦力から趣味や特技まで。その全てを一日あれば用意する。

 それに対し今回依頼した情報に関しての内容は、三日もかかったにも関わらずあまりにも少ない。依頼主に関してはいつも通り詳細だが、依頼された対象に関しての情報が、ほんの僅かと言っても良い程だ。顔写真が付いているだけ良しと言えるだろう。

 既に一度は読み終えた手元の資料を再びアイスが見ていると、『夢幻桜』はおもむろにテーブルに置いてあったコーヒーカップを持ち上げた。


「で?」

「何?」

「依頼主の情報まで寄越せってくらいだから、どうすんのかももう決めてんだろ? 受けるのか?」


 答えを分かっていながら問い、カップに口をつける。

 全く、これだから情報屋というものは面白くない。

 不満を思い切り顔に出しながら、ひとつ息を吐き出したアイスは口を開いた。


「断るわよ」

「ほぅ?」


 白々しい。


「ただ、気になることがあるから、すぐには断りの連絡も入れないわ。機を見てパパに処理してもらうつもり」

「気になること? 今回の情報に関連してか?」

「…………何か、嫌な感じがするの。これとは別に、蠢いている『何か』があるのかも知れない」


 得られた情報からは、『夢幻桜』が言った以外の問題は無さそうだ。だがそれを聞いても拭えない不快感。

 説明が付かないことは気持ち悪い。


「ありがと。報酬はいつものところに入れておくわ。生きていたら受け取って」


 立ち上がったアイスは、帰る際にいつもの様にドア外の焼却炉に今日の資料を放り込んで行くのだろう。

 去り行く背、閉まるドアを見送って、ふぅ、と『夢幻桜』は息を吐き出した。

 死ぬ前に、すべきことを済ませておかなければ。

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