04
その人物が鬱蒼と生い茂る木々の中に足を踏み入れたのは、偶然か、はたまた意図的にか。
コーヒーを思わせる濃い茶の髪が、歩く動きに合わせてサラサラと揺れている。夕陽に透けて少し赤いそれは、しばらくしてピタリと止まった。
ふぅ、と小さな息が零された後、
「何ですか、先ほどから? 用があるのなら手短にお願いしますよ」
茶髪の少年から発せられた言葉は、誰かに向けられたもの。だが彼の周囲には人っ子一人居ない。
なるほど、と得心した。
途中から、あるいは始めから、尾行に気付かれていたのだろう。そしてこの場所へは、誘導されたのだ。何が起こっても良いようにと。
「あら、いつから気付いてたの? 気配は消していたのだけれど」
姿を見せることは無く声だけで返すと、少年はアイスが居る方向を振り返った。
「割と初めから。全ての存在には、独特の気配があります。ですが貴女が居るその場所だけ、不自然に何の気配もありませんでしたから」
「そう。消しすぎたのね」
くすくすと笑いながら、今後の参考にさせて貰うわ、なんて言う。一切の感情を悟らせぬように、いつだって冷酷に笑って見せるのがアイスだ。
一通り笑った後、音も無くふわりと舞うようにアイスは木から飛び降りた。
光の加減で色の変わる薄茶の髪は、今は夕陽に照らされて真っ赤に染まっている。白い和装を羽織り、顔を隠すように鼻まで覆う大判の襟巻きは、背に流した布先が風に揺れていた。
情報は、『夢幻桜』が操作している。『氷の刃』に関しては、容姿、年齢性別を含む一切の情報が隠蔽されているのだ。いかな情報屋であろうと、初めての接触でアイスを『氷の刃』だと確信出来る者は居ないだろう。
だが、例えば『夢幻桜』も所属している『アーカイブ』──そこの幹部などは?『夢幻桜』は幹部の情報収集力を、「人間離れしている」と称していた。
今日の接触で、遅くとも数日以内……いや、明日までには「見覚えのない殺し屋」と『氷の刃』が繋がるかも知れない。
「姿を拝見したところで、再び聞きます。何の用です?」
「“
尋ねる少年の声に被せて一言、名前だけを告げる。人を試すには、それだけで十分だ。
一方で少年は、眉根一つ動かさなかった。その様子がおかしくて、アイスはまたくすくすと笑った。
「ふぅん。全くの無反応なんて、肝が据わってるわね。知り合いでしょう?」
「その者と私が知り合いだという保証がおありで?」
「全くの無反応よ。知っているという反応でもない代わりに、知らない反応でもなかった。違う?」
「なるほど」
「その情報」について、知っていようといまいと、通常ならば何かしらの反応が返るものだ。だが少年は、眉根一つ動かさなかった。
どうやら少年もなかなかに修羅場慣れしているようだ。恐らく第三者が見れば恐ろしくも思えるようなその空気感に、二人ともが慣れている。
「それで?」
「返答は分かってる。でも敢えて聞くわ。
――東間青水の居場所は、何処?」
「返答を分かった上で聞くということは、何かそれに対して策があるということですね?」
今回アイスが暗殺を依頼された対象、それが東間青水だ。『夢幻桜』が用意した情報の中にあったそれには「死亡したとされている。」と書かれており、だがそのすぐ下、最後の行には「生死不明」と付け足されていた。
既に死んでいる者を殺せと言う。そんな依頼は、いくら金を積まれても割に合わないのではないだろうか。やはり不快な依頼主だ。
ましてその東間青水の仲間である少年が安易に口を割るとも思えない。大方、死んだと言われるのがオチだろう。
「ではお答えします。
私は青水が今何処に居るかなんて知りませんし、知っていたとしても貴女に教える義理はありません」
「彼は死んだという噂もあるわ。でもその言い方だと、何処かで生きていると思っても良いのね?」
「残念ながら。私も死んだと聞かされていますよ。ですがあの男が死ぬとは思えない。これは私の勝手な想像です」
「そう……」
「…………」
一瞬。ほんの一瞬だけ、アイスは自分の表情と纏う空気が緩んだのに気付いて、すぐに引き締め直した。
いけない。これを出すのは危険過ぎる。自分は冷酷無慈悲・残虐非道の暗殺者、『氷の刃』たるアイスでなければいけない。
まさか今の一瞬を、気付かれてなんていないだろうか。殺し屋にとってはほんの一瞬の緩みが命取りだ。もし少年が極悪非道で百戦錬磨の戦士なら、今の一瞬で既に自分は死んでいる。
なら、大丈夫か。
「……今のうちに忠告しておくわ。東間青水暗殺を企んでいる者が居る。大した奴じゃないけど、組織で動いてる上に、あたしも含めて何人もの殺し屋に依頼をしてまわっているようよ。あたしはまだ、この依頼を受けても断ってもいない情報収集の段階。でも報酬が良いから、受ける者は多いでしょうね」
死んだ人間を狙う魔の手。現在の生死はともかく、仲間ならば決して看過出来ないことだろう。
冷たさを消し、ただ淡々と事実だけをアイスが告げる。長めに揃えた前髪は下ろしていて、大きな襟巻きと相まって少年に顔は見えていないだろう。
自分の内側を、見せてはならない。誰よりも冷酷に、非情に。決して本当の自分を悟らせないように。
「何故、わざわざそのような忠告を? その依頼を受けた時に余計なリスクを負うのは貴女ですよ?」
尤もな疑問を、少年がぶつけてくる。こんな問答をするあたり、彼にも甘いところがあるのか、それとも戦力差に自信があるのか。
そもそも依頼を受ける気は無いが、まだ確かめなければならないことはある。しなければならないこともある。挑発するに留めておくのが一番だ。
「そうね。敢えて理由を挙げるなら……依頼人より、アナタの方が個人的に嫌いじゃないから、ね」
「随分な理由というか、私情ですね」
ため息が聞こえそうな様子で呆れたように言う少年に、またにっこりと笑った。元の氷の笑みを顔に乗せ、ふふ、と声を出して笑う。
「ま、今日の所はこのくらいにしといて。アナタ敵になる者には本当に口が堅そうだから、また別の方法で情報を取らせてもらうわ」
じゃあね、と言ってひらりと手を振り、アイスは軽やかにその場を後にした。
少年に危害を加える気はさらさら無かった。断ることを決めている依頼で無駄に「仕事」をするつもりは無い。
バックに着いている情報屋を考えると正体はバレるだろうが、安易に口外されるとも考えにくい。それよりも先に直接手を下しに来るタイプだろう。
情報を操作し隠蔽している、正体不明の殺し屋。その多くは、目撃者を一人残らず殺すことで保っている状況だろう。だがアイスにはその必要は無い。自分に着いているのはあの『夢幻桜』だ。
彼が死ぬ時は、きっと自分も死ぬ時。何と言っても、彼ほどの情報屋を見付けることがそもそも難しいのだから。そしてそれが可能である程の実力を持つ者ならば、戦闘力もアイスより上である可能性がある。容易に考え付く結末だ。
自分と彼の命日になる日も近い、か。
思わず嘲笑を浮かべながら、アイスは着替える為に身を隠す場所を探した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます