16

 どれくらいの間、意識を飛ばしていただろうか。そんなことを思いながらぼんやりと目を覚ましたエミルは、視界に映った見慣れない天井に疑問を感じた。

 違和感が激しい。最後の記憶とは身体の感覚が随分違っていて、何だか軽い。


「目が覚めましたか?」


 落ち着いた和やかな声に顔だけを向ける。そこには、優雅に――エミルの視点からは「呑気に」が当てはまるような様子で――湯呑の茶を啜っている弦月の姿があった。彼の声で振り返ったのか、窓際にはエミルに向きかけた体勢の青水も居る。だが他の者は一人として居なかった。

 長槍を受けた筈の脇腹は、不思議と痛みが無い。ゆっくりと体を起こしたエミルが傷を確認しようと自分の体を見て、


「……?」


 服が変わっていることに気付いた。見たところ此処はホテルのようだが、此処の浴衣やバスローブの類いでは無さそうだ。誰かの普段着のような服が着せられていて、どうやら髪も解かれている。顔も、ファンデーションの感触が無い。

 仕事着ではない上に、素顔。これではいまの自分は『氷の刃』ではない。ただのエミルだ。


「御心配無く。着替えは多少融通の利く知り合いの女性に御願いをしましたから」

「……そっか」


 ころころと鈴を転がすように軽やかに笑って言う弦月に視線を向け、エミルはほっと息をついた。特に心配していたわけではないが、そう言われると安心はする。

 それから今度こそ傷を確認しようと手探りで脇腹を触って、気付く。何処にも傷が無い。確かに長槍は直撃した筈なのに。


「え、なん……」

「魔法、ですよ」

「え?」


 穏やかに笑った弦月の言葉に、エミルは眉を寄せた。


「魔法、なんて……ファンタジーじゃなかったの?」

「おやおや、其れを言いますか? の次期当主とされていた、貴女が」


 まるで、何もかも知っているかのような瞳を向けられて、エミルは思わず目を見開いて息を詰まらせる。

 もしも弦月が「エミル・クロード」しか知らないならば、「の一族」という言葉は出ない筈だ。クロードは元々、フランシカに在った頃からただの一般家庭なのだから。

 どうして、彼は一体、何を知っているというのか。いや、のだ、きっと。エミル・クロードが本名ではないことも、本当の名前、出生、一族とその特徴。

 だけど、何故。本名を知っているのは聖だけで、その聖だって一族のことまでは知らない筈なのに。一体何処から何が洩れたというのか。


「…………彼の一族……」


 考える。一族の生き残りは、二人。一人は自分で、もう一人は狂ってしまっている。そのどちらからも情報は取れない。本名を知るのは聖一人。例え名前だけでも、彼がそう易々と他人に話すとは思えない。

 何よりも次期当主だなどと、当時の本人すら知らなかったことだ。今はその頃に耳にしていた話の端々からだと推測する程度のことは出来るが。


「えっと、アナタは……もしかして、あたしの知らないことも知ってるの?」

「さて。我は貴女が何を何処まで知っているかは存じ上げておりません」

「そう、なんだ……」


 声とともに表情も沈んだ。何か知っていることがあるなら教えて欲しい。自分のことすらよく分かってはいないから。

 だけど、教えてもらおうにも『情報』に対する『対価』を何も持ってはいない。何の代償も無しに得られるものなど無いのだから。

 そういえば、とふと思い至って、エミルは今度は青水を見た。


「アナタは、どうして出て来たの? 来なければ『生死不明』のまま、あたしもアナタが生きてるのを知ることは無かったよ?」


 純粋な疑問。問うたからと、その答えがどうだったとしても、どうすることも無い。ただ気になっただけだ。


「師が、出て来ても問題無いと言った、だから出て来ただけだ」

「……師弟なんだ」


 へぇ、と息を吐き出す。つまり青水よりも、弦月の方が立場は上ということか。だとすれば先程、風を狙った邪魔者が出て来た時に彼らが動かなかったのは、弦月の意思によるもの。

 そうなると、もう一つ疑問が生まれる。


「あたしを殺さなかったのは、一族のことがあるから? じゃあ、『夢幻桜』は?」

「当たらずとも遠からず、で御座います」


 問いへの返答は、ただ一言。それ以上は答えてくれそうもない。

 ずるい大人。と少しムッとしたが、だからと言って彼を嫌いだとは思わなかった。むしろ、付き合いが続くとすれば、好きになるタイプだろうとすら思った。

 、エミルが避けなければ長槍は青水に向かっていた。『氷の刃』なんかでは到底勝てないと思える力がある筈の青水ならば、庇わなくても自力で避けられたかも知れない。だけどエミルが反応出来るのは、ヒュペリオンと呼ばれるこの体質のおかげでもある。彼にそこまでの反応速度があるかどうかは知らない。

 もしかしたら、今命があるのは、そこで彼を庇ったことが関係するかも知れない。いや、だがそうだとすれば、それを気付かれていたことになる。それは何だか嫌だ。

 としても、それまでの間は? 彼らには何度もエミルを殺すチャンスがあった。例えば桜波を試した時。咄嗟に止められなければエミルの首は胴体とお別れしていたことだろう。もし互いに殺す気があってを出していればその限りではなかった。だがその場合ならば、ひわの『魔法』で殺されていたのだろう。

『魔法』が使える。それはつまり、を出したエミルすら殺せるということだ。これは大変に貴重な存在だ。

 殺されず生かされた理由として、一族のことが関係するのかという問いには、「当たらずとも遠からず」という返答。ゼロでは無いが全てでもない。これはなかなか難しい。そして『夢幻桜』──悠仁を殺さなかった理由に関しては、返答を貰えていない。

 思考しても分からないところに留められる。本当に、ずるい人だ。

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