06

 雑貨屋の店主・上埜悠仁は、開店準備に勤しんでいた。店員の空目海斗も奥で掃除をしている。

 土曜日の今日は、平日の放課後時間とは違って学生の客入りはあまり見込めない。だが扱っている物の幅からか、学生以外の層も客として来てくれる者は多い。大繁盛とまではいかないが、寂れるほどでも無いのがこの店だ。

 店の一画に飾ってある時計を見て、そろそろ開店時間だと表の鍵を開ける。扉を開けると、そこに真白い男が立っていた。にっこりと、とてもきれいな笑顔を浮かべて。

 髪も、服……と言うよりは、これは狩衣かりぎぬだろうか。纏う衣も白い。小柄なことといい、どこかで見たことがあるような気がする。


「ええと……開店はこれからなんですけど」

「ええ、存じ上げております」


 いや、「存じ上げております」ではなく。何故店の真ん前を陣取っているのか。

 客ならばそれなりの対応をすべきだが、どうも様子がおかしい。戸惑っている悠仁に、変わらぬ笑みを浮かべたまま、男はさらりと爆弾を投下した。


「司法取引をしに参りました──『夢幻桜』さん」

「!」


バタン!!!


 思わず勢いよく扉を閉めてしまった。

 駄目だ、冷静になれ。思考を止めるな。今すべきことは、まず──


「閉めるだなんて、酷いじゃ──」

「海斗! お前今すぐ買い出しに行け!」

「は?」


 扉を少し開けてひょっこりと中を覗くの対応は、今は後回しだ。これから「仕事」の話だとしても、別の「何か」が起こるのだとしても、まずはを避難させなければ。


「そうだ、カルピス! 俺カルピス飲みてぇ! 買ってこい!」

「何言ってんだ、お前コーヒー党だろ」

「コーヒーでも何でもいいから、とにかく店から出ろ! 店は昼から開けるから、それまで戻って来んな!」

「分かったから怒鳴るな。すぐ行く」


 悠仁の慌てようから何かを読み取ったのか、察しのいい海斗は深く聞くことも無く外出の準備をし、すぐに裏口から出て行った。それを確認してから、改めてを中に招き入れる。

 雑貨屋ではあるが、奥には少し茶を飲みながら談笑出来る喫茶スペースがある。いつも座る人は限られているが、誰でも使えるようにとオープンにしている休憩所でもある。

 その席の一つに男を促し、一応とコーヒーを用意する。恐らく飲みはしないだろうが、形式上客人に飲み物を出すのはマナーだ。


「それで、アンタは……」


 男の向かいの席に座りながら、とりあえず聞く。ただの雑貨屋店主である自分を、情報屋の『夢幻桜』だと当然のように言った人物が一体誰なのか。

 顔に覚えがあったのは、以前出かけた時にとある店に出入りしているのを見たことがあったからだ。そこまでは思い出したが、だったらその彼が自分を知っているのは何故か。

 同じ『アーカイブ』の者なら説明がつく。


「申し遅れました。我は『孤高の月』──『おんじ』で御座います」

「こっ……!?」


 のほほんとした笑顔で、穏やかな口調で告げられた名に、悠仁は驚きを隠せなかった。だってその名は、アーカイブにおいて知らない者など居ない程の大物だ。

 情報屋であるにはそれなりの頭脳が必要で、勿論悠仁も伊達に情報屋をしているつもりは無い。それも殺し屋一人の情報を、基本的には完璧に隠蔽しているのだ。馬鹿に出来ることでは無い。

 それでも隠し切れない「例外」が居ることは分かっていて、それが今まさに目の前に居る男なのだ。

 片手で頭を抱えるが、考え込んでも仕方ない。


「──取引、と言いましたね。『羊』のことですか?」

「他に何か心当たりがお有りで?」

「いえ」


 あくまで取引だと言うのなら、条件次第では首の皮一枚繋がったと思って良いか。完全に死を覚悟していた部分でこの話は、決して悪いだけのものでは無い筈だ。

『孤高の月』が『羊』こと『Sleeping Sheep』と繋がっていることも、本来ならば誰も知らない筈のことだ。だが『おんじ』となれば別で、『羊』のバックに『おんじ』が着いていることはアーカイブでは有名な話。

 そもそも何故『おんじ』がわざわざここまで出張って来たのか。それは、先日悠仁が『夢幻桜』としてアイスに売った情報が、まさに『羊』のことだったからだ。東間青水をはじめとした計五人の情報を、顔写真付きで知り得ただけ全て渡した。

 通常の時ならばどうあっても得られなかった筈の情報。奇跡のような偶然で得られた情報。

 だから自分は、確実に数日以内には殺されると思っていた。


「取引内容は」

「『氷の刃』、と言えば、分かりますか?」

「っ……!」


 命の保障をする代わりに、持っている情報を全て差し出せ、ということか。それは、相手によってはアイスを裏切ることも同義だ。

 だが選択肢が無いことも明らか。これによって死ぬのが自分だけなら黙して逝こう。だが恐らくそうはならない。情報を知る可能性のある者全員──アイスも、も、何なら本当に関係の無い海斗を巻き込むことにもなりかねない。

 回避する方法を考えても、そんなものは無い。ただでさえ自分は情報屋として以外は使えないのだ。チンピラとの喧嘩にすら負ける程に戦闘力は皆無。


「……アナタ以外の者に知られる可能性は」

「御座いません」

「これは、書面には残せない情報モノです」

「記憶力には少々自信が御座いますので、問題は有りません」


 彼は、約束を破らない。それは確かだろう。でなければ『孤高の月』『おんじ』の名に傷が付くことになる。でなければここまで大物になりはしない。

 出来ることは、一つのようだ。


「…………『氷の刃』アイス。暗器使いであり、暗殺を得意とする殺し屋。表の名前はエミル・クロード。本名は──」


 並べていく情報は、悠仁の知るアイスの全て。アイスは、表向き普通の女子高生だ。書面に残そうとすれば、何枚もになるだろう。そんな内容を、何を見ることも無く出していく。

 全て話し終える頃には、二人分のコーヒーは冷めきっていた。

 話が終わり『おんじ』が帰ろうとするところで、少し考えた末に悠仁は口を開いた。


「俺はアイスのイヌだ。アナタのことも、話しますよ」

「ええ、構いませんよ」


 最初と同じくにっこりと美しく笑って、そのまま『おんじ』は去って行った。

 テーブルに残されたコーヒーは、どちらも一滴として減ってはいなかった。

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