10

「少なからず何か知ってるわよね……彼・東間風なら」


――パァ……ン


 乾いた音が響いたのと、エミルが言い終えたのと、どちらが早かっただろうか。髪の先を僅かに焼いて消えた銃弾は、頭を傾けて避けなければ眉間を貫いていただろう。

 ほんの一瞬の間に取り出したのだろう、桜波の手には一丁の銃が握られていて、今し方発砲されたその銃口からはうっすらと煙が立ち上っている。

 なるほど、彼の武器は銃か。それもかなりの早撃ち。エミルでなければ避けても傷を負っていたかも知れない。


「……すみません」


 とても爽やかに見える桜波の笑みは、殺気に満ち満ちていた。


「それは、承認出来かねます」

「……へぇ」


 冷気を纏ったままのエミルの笑みが、楽しげに歪む。

 今の発砲は、本気で殺す気だった。だが他の攻撃は無い……ということは、桜波は今一人でここに立っているのだろう。

 アーカイブ幹部である山吹ひわは、『夢幻桜』たる悠仁よりもずっと情報収集力に優れている筈だ。だとすればエミルの戦力も、の時以外の部分は把握している筈。

 その上でまさか彼一人だけを寄越したとでも言うのだろうか。それとも指揮官が別なのか、想定通り東間青水が生きていて指示をしているのか。今日になって『夢幻桜』が追加した御厨弦月──『おんじ』が関係しているのか。

 確かに普段の「仕事」でを出すことは無い。その必要が無いとも言える。だからそこまでの情報は無かった、か……。

 間髪入れずに次々と撃ち込まれる銃弾をひらりひらりとかわしながら考える。何となく、桜波の動きにも違和感があるのは何故だろうか。

 相手の力量を見極める目……それを養ってきた自負はある。そこから見ても、彼は本気では無い。何か目的があるのか、それとも指揮官に指示されているのか、動きをこちらのレベルに合わせてきている。

 少なくとも冷静ではあるようだ。


「やっぱり……あの愚かな依頼主より、余程アナタの方が好きだわ」


 聞こえているかどうかは分からない程度の声で呟き、袖の中から手を出す。その手に握っていた数本の苦無を一斉に投げ、桜波がその対応をしている間にエミルは次の行動を起こした。

 受ける依頼ではないから殺す必要は無い。ただ互いが死なない程度に留めておいて、タイミングを見計らってどうにか悠仁の命だけでも見逃してもらえないかと交渉したいだけだ。だがその為には少々挑発し過ぎただろうか。のようには上手くいかないものだ。

 根こそぎ引き抜いた木を一本、その幹にまた袖から出した鎖を巻き付け勢いをつけてはそのまま桜波に向けて投げつける。するりと解けた鎖はまた袖の中へ。

 すぐに枝葉と根の間を連射された木は中央で真っ二つになり、その一方に桜波が体当たりをしたようで、勢い付いてエミルの方に倒れて来た。

 なら、押し倒されて身動きが取れなくなるところだろう。だがエミルは、少なからずとは縁遠いのだ。


「──残念」


 語尾にハートマークさえ付くような甘い声で言ったエミルは、それなりに太い木の半分を、片手で軽々と止めていた。少女の細腕に見合わぬ怪力。


「ヒュペリオン体質……!?」


 驚いた様子で声をあげた桜波に、エミルは満面の笑みで「正解」と返した。変わらぬ冷酷さを浮かべたままで。

『ヒュペリオン体質』──別名・ミオスタチン関連筋肉肥大。

 常人よりも遥かに筋肉繊維が多く、しなやかで柔軟性を持っている。故に、細身であっても常人の何倍もの力を出すことが出来るというもの。速さも、力も、見た目通りではない。

 つまりエミルの身体のほとんどは筋肉で出来ていると言っても過言では無いのだ。

 幼い頃はこの力で何でもかんでも壊してしまっていた。上手く自分でコントロール出来るよう教育されなければ、普通の学生と殺し屋との両立は難しかっただろう。

 だがこの力には、欠点もあった。俊敏性と重量はあるものの、持続性に欠ける──つまりこの力を使えば使うだけ、体力切れが早いのだ。

 襟巻きで隠した首筋に、髪で覆った額に、汗が伝い始めている。全力で動ける時間は長くない。

 降り止まない銃弾と、そこに加わるナイフの嵐。ヒュペリオン体質に気付いてから尚更、近距離戦に持ち込めないようにされている気がする。その為の暗器なので不利になることは無いが、彼の実力も相当のものだ。

 これは、体力切れになる前にを出すべきだろうか。だがその場合、相手が強い故に通常以上に気を遣う必要がある。ついうっかりでも殺してしまわないように。

 もしそうなればだ。その後は交渉どころではなくなってしまうし、他にも問題が生じる。

 そうして考えながら動いているうちに、息が切れてきてしまった。


「やはり……そうですか」


 いつから気付いていたのか、桜波が確信したように声をもらして手を止めた。

 二人の間に割り入るかのように、別の気配が近付いてくる。


「長期戦は苦手のようですね」

「…………」


 挑発を返されてしまった。だが若干荒くなっている呼吸を整えられないままでは、何を言っても強がりでしかない。

 普段の「仕事」はごく短時間でケリを付けている。目撃者などそうそう出さないし、誰かが一緒に居たとしても、四六時中張り付いているわけではない。少し離れた隙に片付けられた。

 仕事は早いに越したことは無い。だがエミルには、短時間でケリをつけなくてはいけない理由も確かにあった。


「いくら力があろうと、スタミナ不足は致命的欠陥ですよ」


 緩く、桜波の口元が弧を描く。

 どういうつもりだろうか。『夢幻桜』からの情報では、は少なくとも「仕事」に関しては無感情で残忍である筈だ。何故ここで手を止めるのか。

 状況が読めず、再び攻撃を仕掛けることも交渉を持ち出すことも出来ない。その間に、三人の少年が辿り付いた。

 何だ、この気持ち悪さは。少なくとも人数分の気配は無い。


「桜波!」

「大丈夫か? どこか怪我でも……!?」

「……やれやれ、随分と派手に暴れましたねぇ」


 二人は桜波に駆け寄り、一人は辺りの惨状を見回して苦笑を浮かべる。

 瞬間、ハッとした。動かなければ。


「――! 風ッ、来るな!!」

「!?」


 先までとは違う、少し乱暴な口調。声があがるのが早かったか、桜波は動いていた。駆け寄ってきていた一方の、黒髪の少年を庇うように飛び出し――手甲鉤てこうかぎを装着した手を振ったエミルの攻撃を真正面から受けた。


「――桜波!!?」


 悲痛な声がこだまする。

 それからエミルは、一瞬。ほんの一瞬だけ、穏やかで優しい笑みを浮かべた。昨日と同じ、つい緩んでしまった頬はすぐに引き締め冷酷な笑みに戻す。


「待った! 二人とも!!」


 また、桜波の余裕の無い声。その瞬間、エミルの首の皮一枚を裂いた刃が、前と後ろで止まった。

 前側は、金髪の美丈夫──蘇芳氷の剣。後ろ側は、黒髪翠眼の少年──東間風の鎌。鎌は長かったエミルの三つ編みをバッサリと切ってしまっている。


「何で止めるのさ?」


 きょとんと桜波を振り返る風は、本気で問いかけている。仲間を害した者を、何故殺さないのかと。一方の氷は全く表情は変わらないし言葉も発しないが、恐らく風と同じことを考えているのだろう。

 ため息をつくように息を吐き出しながらゆっくりと自分の身体に目を向けた桜波が、破れた服の端をちょいとつまんだ。


「よく見てください」


 盛大に破れた服の下、その皮膚は、皮一枚とて傷付いてはいなかった。

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