#3-2「エブリデイバンビ(猿)及びヤンデレ」

「当然ながら焼肉にも美味い喰い方がある。片面ごとの焼く時間に、肉の部位ごとに違う旨味を引き立てる調味料や、付け合せの野菜など……」


 紫苑がトングを片手に、目を瞑ったままぽつぽつと語る。


「だが」


 それから目を開き、鋭い紫紺色の視線を覗かせた。


「ぶっちゃけ何も考えず好きな様に焼いて喰うのがいちばん美味いと思うぜ」

「だよなぁ!?」

「お米、酒、カルビ、ホルモン、ハラミ、タン、ロース、狂う、狂う、狂う!」

「お肉の味がするぞ」


 肉が焼ける音でテンションはブチ上がる。立ち上る蒸気に纏わり付く匂いが食欲を加速する。次々と空のジョッキやグラスを大量生産しながら、酒池肉林の宴は続く。


「そういえば今更だけどよ、何で岩猿バンビと蛭まで当たり前のように居るんだ?」

「……岩猿は俺が呼んだ。蛭は勝手に付いてきた」


 紫苑がイチボを飲み込んで「美味い」と呟いてから説明する。


大太法師だいだらぼっちについて何か知っているかもと思って呼び出した」

「そりゃあ大太法師だいだらぼっちは有名だからよお。噂じゃ百年以上も前からずっと黒澤會の頭を仕切っているって話だあ」


 岩猿は無造作に生焼けの肉を頬張りながら言う。

 岩猿が言うには、駆け出しのヴェリタスユーザーとして毎日の様に生傷をこさえていた時よりずっと前から、大太法師だいだらぼっちはその名を轟かすのみで存在も不確かな、まさに「生ける伝説」として君臨し続けているという。

 まるで都市伝説だ。


「生ける伝説っていうか、本当に死んでるだろ、それ……」


 あまりに突拍子もないスケールなので、オレは半ば呆れた心持ちで呟いた。

 けれど岩猿は、冗談を話すにしては大袈裟なほど眉間のシワを深くする。


「俺様もそう思っていただろうさ。俺様がヴェリタスをやり始める前に見たと、その後に聞いた今の話が無けりゃあな……」


 岩猿が珍しく神妙な面持ちで、ビールが半分ほど残るジョッキと視線をテーブルに落とす。オレも紫苑も無言で眉根をひそめていた。

 個室に少しばかりの静けさが漂ってから、重々しく岩猿は口を開く。

 今のところ、オレが阪成から聞いた情報も含めると、大太法師だいだらぼっち篝火イグニスを使う時は赤黒い巨人になるらしい。


「当時の俺様は陸自に居て、日本を守ってやっていた。忘れもしねえ……お隣の国がミサイルをしこたま撃ってきた時に、俺様は日本海の海岸線沿いに居たんだ」


 岩猿は語る。

 まだ若き岩猿が、武装した陸上自衛隊の列で並んでいる時に、日本海の水平線上で見た影を。よく晴れた日の、穏やかな波間の果てで、赤い閃光と共に現れて屹立するひとつの巨大な姿を見たという。

 今の岩猿が作り出す岩石巨人ティタノマキアなど比ではない。

 まるで特撮映画に出てくる怪獣だった。

 漆黒の体躯に紅い紋様を刻んだ巨人が、海に現れた。

 それが波を打ち上げ、大地を震わせ、巨大な咆哮を上げたのだ。

 海の向こうから飛行機雲を伴って殺到するミサイルの群れは、咆哮と共に放たれた幾本もの光線で、ひとつ残らず撃ち落とされた。

 結論から言って日本は隣国から侵攻されなかった。

 漆黒の巨人はそのまま悠々と海の真ん中を歩いていった。隣国が差し向けた大量の戦闘機と、空母がひとつ沈められたらしいと岩猿が知ったのは、数日後になってからの話だ。

 それらは当時の自衛隊員で実しやかに囁かれながらも、最終的にニュースとして報道される事すら無かったという。ただ淡々と、隣国が無条件で日本から手を引いたという事実だけを、ニュースキャスターは報じたらしい。

 それが却って不気味な現実感をもたらした、と岩猿は言う。


「しかも昨日今日になって紫苑と蛭……テメエらみたいな化け物がポンとパンドラに転がり込んで来た。今の俺様は……日本海で見たアレを、白昼夢だと笑い飛ばす気にもなれねえよ」


 変わらず岩猿の口調は重々しい。

 オレは生唾を飲み、紫苑はチビっ子が枕元でピーターパンの話を聞かされている時みたいに、爛々と目を輝かせながら嗤っていた。

 もちろん大太法師だいだらぼっちが今も生きているという確証にはならない。

 けれど現に切り落とされた腕を容易く元通りに生やした蛭が、今は気を取り直し、そこで焼肉を片っ端からパクついている。

 岩猿が見た事実と、大太法師だいだらぼっちが黒澤會の長として今なお居座り続けているという話が、全く無関係だと言い張るのも……それもまた根拠が無さ過ぎた。


「そんで紫苑、お前は大太法師だいだらぼっちに何か恨みでもあるのかあ?」

「全くない。たぶん会った事もない。ただ強いらしいから戦いたいだけだ」

「そういう事なら残念ながら俺様も居場所までは知らねえ。だが腕利きの情報屋ならアテがあるぜ。ザイツェフって奴だ、何か知っているかもだあ。どうだあ明日にでも連れて行ってやろうかあ」

「随分と気前が良いな?」

「俺様にも理由があるのさ」


 岩猿は紫苑を指差したり、手を横に振ったり、両手を広げたりと、やけに大袈裟な身振り手振りを交えながら持ち掛ける。

 紫苑は頬杖を付いたまま、視線だけ岩猿の方を向いて応答していた。けれど空いたもう片手は、人差し指が一定の調子でテーブルを叩いている。

 何度目になるか岩猿がテーブルから身を乗り出して、紫苑に詰め寄る。

 獣が唸るような低い声で、岩猿は提案した。


「旅は道連れと言うじゃねぇかあ、しばらく一緒に行こうぜ紫苑。黒澤弥五郎だいだらぼっちがまだ生きているのかどうかはこの際どっちでも良いがよ、テメエとなら黒澤會のケツに火を点けて追い立て回してやるのも、きっと無理無謀じゃあ無え」

「俺はアンタが居ようが居るまいが、どうでも……」

、紫苑」


 にべもなく岩猿の提案を断ろうとした紫苑だが、テーブルを叩く指が止まる。


「斬られた腕の断面がずうっと、真夜中も疼くんだよ。テメエに応報しろ、敗北の味に、財布ん中のレシートぐらい溜まった利子を上乗せして喰らわせ返してやれ、圧殺してやれってなあ」


 岩猿が立ち上がる。それから紫苑の胸倉を掴んで乱暴に引き上げる。

 紫苑に寄り掛かっていた蛭がフォークを掴んだままひっくり返って肉も舞う。


「どうにも収まらねえのさ。更に火が点いちまったあ。俺様のイチモツばりに高ァくそびえるプライドってヤツがよ、俺様に2度も勝った男が居るって事実を許せねえ。そして黒澤弥五郎だいだらぼっちとかいう亡霊が未だに幅を利かせてんのも我慢ならねえ。俺様の気が狂って新宿駅前で素っ裸のまんま踊り狂わないようにする為にゃあ、テメエと黒澤弥五郎を仕留めなきゃならねえんだよ」


 焼肉屋のテーブルを挟んで、獣同士が嗤い合っていた。

 それぞれ憤怒と高揚が、凶暴な笑みという仮面を被ったまま、火花を散らして燃え盛る。金網の下からむせ返るほどの熱気が吹き上げて居るはずなのに、オレは脊髄へ水差しを刺された様に凍り付いている。

 岩猿は隻腕で紫苑の襟首を掴んで、失った腕の代わりに、個室の壁から引き寄せたコンクリで新たな腕を作り出す。

 それは拳を握りしめ、眼前の紫苑へと狙いを定めていた。


「何だそれは。聞いていないぞ、それは。ずるいぞ私も行く。おはようからおやすみまで藤堂紫苑を殺したい。おやすみしてからも寝首を掻きたい」


 蛭はぶつぶつと独り言を呟きながら、フォークと一緒に置いてあったナイフで自らの手首を裂く。紫苑の足元を掴んで、よじ登るようにして彼へと縋り付く。それから右手を伸ばすと、手首の傷口から更に細く長い、真っ赤な腕が飛び出し、テーブルの横にあった巨大ノコギリを掴む。

 巨大ノコギリで首の裏を、岩石の拳で顔面を狙われながら、紫苑はたまらずという様子で押し殺したような笑い声を零す。


「ちょっとはスリルを楽しめる日々になりそうだ……」


 そう言いながら紫苑はゆっくり、自分の目元あたりまで手を上げてゆく。何か軋むような音が鳴り始めて、徐々に岩猿と蛭が紫苑から引き剥がされ、それぞれ椅子へと引き戻されていく。キッチリ背筋を伸ばし、両手を膝の上に載せた姿勢で、顔は思い切り歯軋りをしている。

 紫苑は座り直して足を組む。


「勝手に付いて来なよ。けれど今は肉を喰え。時と場所を弁えるってのは大事だぜ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る