#5-2「私は雰囲気で世界を創っている」
……ブウウ──ンンン──ンンンン……。
オレが薄々と目を開いた時、ミツバチが唸るような音が、まだ弾力の深い余韻をハッキリと引き残していた。
唸る音がミツバチでなく、眼前で転がる屍にハエが集っていた音だと気付く。
悍ましさが背筋を駆け上がるまま、辺りを見渡す。
黒いインクを転がしブチ撒けた様な漆黒の空に、真っ赤で巨大な太陽が燃え盛っている。星の灯りはひとつも無い。
地上には、白くて無機質な四角い建造物が、墓石の様にあちこちで屹立していた。それらは窓も出入り口も、何も付いていない。
他に在るモノと言えば、点々と路傍に転がる白骨や、腐敗を始めている肉塊だけ。
まさに死の街である。
生気を排した、異質な雰囲気が立ち込める空間だ。
「何だよ、これ……どこだ、どこに飛ばされた?」
「いやあ……ヤツの【
岩猿はオレの横で立っていた。体勢を低くして構えたままで言い放つ。
その目線だけが辺りを注意深く観察するように動いている。
常にウザいくらい意気揚々としている岩猿だが、今は横顔に余裕を感じられない。
「
「ご明察です。余計に憎たらしい。赦し難いエテ公め、無礼千万の土くれめ」
不意に先程の様子とは打って変わって、冷然と
どこから聞こえた?
戸惑い辺りを見渡すオレを他所に、すぐ岩猿はヤツを睨み付ける。
ヤツは、喰蛇は、真正面から手下を引き連れながら悠々とオレ達の方へ歩み寄って来る。ついさっきまで眼前には誰も居なかったのに、音も無く連れ立って現れた。
「
まるで吹いてもいない風に溶ける様だ。
喰蛇の姿が、オレと岩猿の視界から消える。
「貴方達が到る程度では、理解も出来ないでしょうが」
続いて喰蛇の声が聞こえた。オレ達の背後からだ。オレと岩猿は考えるよりも先に振り向く。けれど岩猿の挙動はオレより少しだけ速かった。経験値の差か野獣めいた勘によるものか。
考える間も無いまま、岩猿の左手がオレを乱暴に突き飛ばす。
「う、うっおおおォ、ああッ!」
岩猿は痛ましい叫び声を上げる。
庇われた。そう気付いた瞬間には遅い。目に見えぬ暴威が、岩猿の左耳を、太腿の、脇腹の肉を瞬時に喰らっていた。
「岩猿!?」
「本当に忌々しいですね。隣の少年も片脚を飛ばし転がす予定だったのですが」
喰蛇が空間ごと岩猿の肉を削ったのだと、すぐに思い当たる。
それまでは「空間に浮かぶ口」という具体的な予兆があったから、なんとか喰蛇の攻撃を避けられた。それなら対応する術もあるし、勝負になる見込みもある。
けれど今の攻撃は予兆が無かった。
それだけじゃない。さっきから喰蛇は音も無く現れては消えてと繰り返している。嫌な予感が頬を伝う汗と共に、胸の奥にドス黒い波紋を拡げていく。
岩猿は膝から崩れ落ちる。
左耳の断面と、脇腹や太腿の綺麗な傷口から溢れるように鮮血を垂れ流し、喰蛇を血走った目で睨み付ける。
即座に両拳を地面へ打ち付け
「舐め腐ってんじゃあねえぞ! 【
しかし何も起こらない。
石柱のひとつも上がらない。足元を叩いた音の残響だけが虚しく消えてゆく。
オレも岩猿も唖然として固まっている。
喰蛇は冷然とした様子で、中指の先で丸メガネを正す。
「ここは私が作り出した空間であり、広がる白い景色も然り。モルタルでもコンクリでも大理石でも何でもありません。私ですら材質は知る由もないのだから。何より」
言いながら喰蛇は、片手を頭上へ上げる。
「この【
そして拳を握る。
同時に岩猿の、残った生身の左腕が消し飛んだ。
オレと岩猿は、何をリアクションする余裕も無いまま、目を見開く。
対する喰蛇が、まるで予定調和だと言わんばかりに呟いた。
「全て私が支配する」
岩猿の左腕だった断面から、血潮が驟雨の如く溢れ出す。肘より先は消えていた。
生身の両腕を失った岩猿から、絞り出す様な叫びが響き、黒い空へ吸い込まれる。
「岩猿ッ!!」
マズい。状況が最悪すぎる。
何でも良いから動かなければ。
焦燥感に急かされながら炎刀を振るう。
「『
ヤツらに向かって有りっ丈の黄炎を振り抜いて浴びせる。
幾重も重なる、燃え盛るカーテンをイメージした。
これでも
あるいは瞬間移動で飛んでくるだろう。
だから今の内に体勢を立て直さないと。
「岩猿、早く立ち上がれ!」
「分かってるっての……!」
岩猿は歯を食いしばって激痛に耐えながら、オレと共に白い建造物の陰を目指して駆ける。脇目もふらず距離を稼ぐ為に、少しは喰蛇を足止め出来ている様にと願って走る。
息切れして地面へ倒れる様に座り込んだここが、どこなのかも全く分からない。
延々と走り続けている間中は、ずっと同じ景色が続いていた。四角い石膏を並べただけみたいな街並みと、ちらほらと転がる死体だけだ。
おそらく喰蛇が葬って来た犠牲者達である。ここは、きっと死体処理場なのだ。
オレもあれらと同じになるのだろうか……。そんな考えが嫌でも脳裏を掠め、消し去る様に首を振る。やめろ悲観的になるな、心で負けたら、いよいよ勝てなくなる。勝てなけりゃ死ぬのは、これまでも同じだったじゃないか。
どうにか別の事を考えようと、岩猿が座り込んでいる方を見た。
腕の断面からは今も鮮血が流れ続けている。時間の猶予は、あまり無いだろう。
「最強の俺様に、秘策がある」
藪から棒に、低い声で岩猿が言う。
オレは不意を突かれたので、即座に何も言えない。
「一馬あ……今から俺様がアイツをブチ殺すまで、俺様と目を合わせるなよ」
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