#3-5「電磁障壁」
「牌のシャッフルと配牌は蛭にやらせよう」
紫苑が卓に着くなり、有無を言わさずに提言する。
間違いなくイカサマ対策だろうけれど、それ自体がオレの中に違和感を抱かせる。この場でルールを覚えたばかりの初心者が、ザイツェフのイカサマを見破っていたとでも言うのか。
勝負を左右する重要な局面で、言われるがまま交代するのは、我ながらどうかしていると思う。けれど岩猿は引き止めなかったし、オレも断る事が出来なかった。
この男はどうにも得体が知れなくて、底も知れないからだ。
「紫苑少年……蛭嬢がイカサマをしないという確証は有るのかね?」
「それこそ透狐に見張らせれば良い。あるだろう、ご自慢の【
結局はザイツェフと透狐も、紫苑の提案を呑むしか無かった。
「私も分かったぞ紫苑。恐らくこれは東西南北そして中を揃えたら最強だな?」
「ソイツは面白いな。その役をグランドクロスとでも名付けるか」
蛭が牌を裏返しのまま混ぜる横で、全くリラックスした様子でパイプ椅子に体重を預ける紫苑は、頓狂な事を言い出す蛭に冗談で応じた。
それから思い出したように、自身のこめかみ辺りへ上げた手で指を鳴らす。
「【
ほんの小さく、紫電の火花が舞って散った。
「それは、何のつもりかね」
「ちょっとした、おまじないさ」
ザイツェフから初めて余裕気な笑みが消え、目を細めながら紫苑へと問い掛ける。紫苑の方こそ鼻を鳴らしながらザイツェフの問い掛けをあしらう。
隣で透狐が、何度か驚いたように瞬きする。それから手元を見て何か考え込むが、再び紫苑に視線を向けると、彼が返す薄笑いへ忌々しげに舌打ちする。
「どうかしたか、透狐」
「師匠、あの人……視ることが出来ない」
その場の誰もが瞬時に察した。詳しい道理は分からない。分からないが紫苑は自分に対しての、
「あれこれと勝手に覗き見て、アンタは行儀がなっていないぜ。そっちのオッサンも随分と手癖が悪い様子だからな。これで下拵えは終わりだ。さあ──……」
紫苑は両手の指を組み合わせ、腕を卓の上に乗せ、前のめりに体重を掛ける。
紫色の眼光を透狐に差し向けながら、嗤う。
「……──思う存分、楽しもう」
「ザイツェフ&透狐、VS、紫苑&岩猿、レディー、ファーイ」
蛭が気の抜けた声で宣言し、それを合図に北一局が始まった。
ザイツェフは一筒を切る。透狐は南を切る。岩猿も南を切る。紫苑は二筒を切る。牌が卓を叩く音は、リズミカルに連鎖していく。紫苑はこれまで見ているだけだったのに、慣れた様な手付きで牌を次々に河へと捨てていく。
透狐は苛立った様子で、紫苑を睨み付けながら言う。
「いくら【
「それは重畳だ。これで骨抜きになっていたら、面白くないからな」
紫苑は余裕綽々と言った様子で透狐の言葉を受け流す。
けれど、やっぱりオレの買い被りだったのか。途中から紫苑はせっかく揃いかけていた面子を無造作に崩し始める。すぐに紫苑の手牌は、目も当てられない様なクズ手に成り下がった。
しかも流局まであと半分くらいの所で、紫苑はザイツェフからの振り込みを許す。
「おおっと紫苑クン、それ……ロンだ」
幸いにしてザイツェフの手もそれほど高くない。紫苑は2000点をザイツェフに奪われ、鼻で笑いながら点棒を彼の方へと放り投げた。
オレと岩猿の間にどこか落胆したような空気が流れる中、透狐だけは更に不機嫌な表情で眉根を寄せていた。
「見せてみなよ、透狐とやら」
しかし透狐が紫苑からそう言われて手牌を倒した瞬間に、オレは戦慄する。
「小三元……か、大三元の2面待ち……」
言わずもがな役満だ。
これが成っていれば、或いは勝負はここで終わっていたかもしれない。
岩猿に直撃すれば、点数がマイナスに食い込み飛んでいた。
「このゲームの肝は捨てた牌だな?」
紫苑が妖しい笑みで透狐を見据えながら、種明かしに興じる。
「さっきまでのやり取りで、何となく点数の計算法は分かった。多分こっちの方が傷は浅くて済むだろう」
つまり透狐の役満を察知して、ザイツェフの手が安い事も見抜き、致命傷を避けたのか。ろくに麻雀の知識も無い素人が、初戦から意図してそれをやってのけたのか。
岩猿への直撃があれば、その時点で勝負が終わるかもしれない……それさえも織り込んだ上で。
ザイツェフと透狐は何も言わなかった。ただ粛々と、蛭が裏向きの牌を混ぜる様子に注視している。
明らかに場の雰囲気が一変した。
一気に広がった緊張の糸を、紫苑は眺める様に頬杖をつく。
そして満足気に、また口の端を吊り上げて嗤う。
「そうだ、そうして緊張感を持ったまま臨め。つまらない終わり方は御免だからな」
そこからの展開は一方的だった。
「ポンだ」「チー」「ポンです」「ポォン!」「ロン……ってヤツかな」「ポン」「リィーチ!」「カン」「おおっとリーチだ」「チー」「カン」「ロン」「ポン」「チー」「ロンだ」「……リーチ」「ツモッ、ツモッ、ツモォオオオ!」
全ての局が終わるまで、あと僅か。
岩猿はパイプ椅子を勢いで倒しつつ、立ち上がってガッツポーズする。
それを後目に、紫苑は手牌を倒しながら、ザイツェフと透狐をからかうように軽く言ってみせた。
「探し物はこれかい、お二人さん」
紫苑がザイツェフと透狐の上がり牌を全て握っていたのだ。紫苑は意図的に2人の上がりを阻止したまま、岩猿の
ここまでで紫苑は連荘含め、3度も透狐へと重い直撃を決めていた。
透狐とザイツェフの2人が上がらない様に、場を制御しながら。
しかもザイツェフのイカサマに目を光らせた上で、紫苑は彼の指先を度々ワイヤーで縛り、動きを止めていた。けれどその度に紫苑は、苦々しく笑うザイツェフの視線を受け止めて、なおも嗤い返すだけ。
ここで終わりは味気無いだろう、良いからさっさと続けよう、とでも言いたげに。
逆に紫苑の3度に渡る
それらは間違いなく、初心者がやって良い領分を超えていた。
「紫苑……お前、ビギナーだっていうのは嘘だろ……」
「さあ。忘れているだけで、実はどこかでやった事があるかもしれないな」
オレの追及をも紫苑は涼しく流して、ついに最終局面が始まる。
しかしオレが卓に着いていた序盤とは、まるで逆だ。ザイツェフと透狐は、紫苑のイカサマを警戒しているから集中が削がれる。
一方で自らを「豪運」と称した岩猿も言うだけはある。透狐達は強烈なツモを未然に防ぐべく、無難で早い立ち回りにならざるを得なかった。
そんな2人の息の根を刈り取ったのは、死神か悪魔か。いずれにせよ勝負の女神と呼ぶには程遠くおぞましい何かが、結局は紫苑に微笑んだ。
「ロン。
「違うぜ……紫苑、それはッ……
たまらず岩猿が再び思い切り立ち上がる。
転がったパイプ椅子が、横合いをうろついていた蛭に当たり、イラッと来た彼女は岩猿の横っ面に鋭い蹴りを叩き込んだ。岩猿は宙を回ってブッ倒れた。
「何だ、やっぱりこれは良い役か。それなら……」
紫苑は小さな箱からタバコを1つ咥えて取り出し、指を弾いて紫電で火を点ける。
タバコ越しに地下の淀んだ空気を吸い込んでから、紫煙をゆっくりと吐き出した。
「……チェックメイトだ。楽しかったぜ」
もう先程までの鋭い笑みを浮かべてはおらず、まるで無表情のまま宣言する。
この勝負は透狐が全ての点数を失い、明暗は分かれた。
「次があれば、その時は力で語り合おうぜ……ザイツェフさんよ。アンタとはそっちの方が楽しめそうだ」
Chapter3『VS透狐&情報屋ザイツェフ』END
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