#5-5「篝火無効」
黒澤會の幹部に、
次々と突き付けられる絶望を前に、身動きできないオレを捨て置き、運命は廻る。
そして運命を廻すのは、いつだって圧倒的な力を持つクソッタレだ。
廃墟の合間を満たす宵闇に、強者同士が対峙していた。
片や黒いスーツで装った5人の手下を従える、神父服の男だ。喰蛇は細めた瞼から金色の、爬虫類を思わせる瞳で相手を品定めする。
片や華奢な少年だ。黒いシャツを捲った両腕と、開いた襟元から引き締まっている筋肉質な躯体が覗く。紫の髪と瞳が、端正な顔立ちと相まり只者ならぬ雰囲気を演出していた。
「貴方が藤堂紫苑ですか。我が主より噂はかねがね……アフガンの紛争を終わらせたとか、ラスベガスの帝王を屠ったとか」
「どうだったかな」
語りかける喰蛇に、紫苑は興味が無い様子で視線を逸らす。紫苑が向いた先には、岩猿の屍が倒れている。頭と腕を失った死骸は、血溜まりの中で沈黙していた。
これが、あの五月蝿いパンドラの王者だと誰が信じられるだろうか。
そしてオレの見間違いでなければ、紫苑は眉根をひそめ、ほんの一瞬だけ寂しげな表情を浮かべた。
「つまらない死に方してんじゃねえよ」
それだけ零すと、彼は再び喰蛇へと向き直る。
紫苑の背中を見守っていると、横合いに素早く人影が差す。何者かと思って咄嗟に身構える。小柄な身体に不釣り合いの巨大ノコギリを担いだ少女である。
蛭が紫苑より遅れて到着した。彼女もまた、紫苑の背を見るなり押し黙る。
蛭の気持ちはよく分かる。紫苑は今までと全く違う覇気を漂わせていた。
「蛭は手を出すな。一馬もだ。喰蛇は俺がやる」
彼は殺意を宿した鋭い眼光のまま、片手ずつ黒い革手袋を外して投げ捨てる。
「そこな少女が蛭……ですね?」
「そう言うアンタは喰蛇だな?」
「いかにも。どうやら我が主の神託に違わず、藤堂紫苑、貴方も少しは遣いそうだ」
紫苑が今日に限りオレや岩猿と別行動だったのは、あるヴェリタス実施店に喰蛇が来るらしいという情報を掴んだからだ。
それを聞いた紫苑はすぐに、そば処・こやまの引き戸を開いて街中へ繰り出した。蛭は巨大ノコギリが入っているバッグを掴んで後を追った。オレも続こうとしたが、ザイツェフがそれを止めた。
ザイツェフは「黒澤會の幹部は桁が違う。今のキミがするべきは強くなる事だ」と言った。
ザイツェフが正しかった。オレでは喰蛇と互角に渡り合うどころか、逃げる事さえままならない。岩猿ですら敗れたのだ。
だったら紫苑はどうなるんだ。紫苑は喰蛇の【
「紫苑、ヤツの
「言うな。必要ない」
喰蛇の
喰蛇はそれが少しばかり癪に障ったようで、片眉を吊り上げながら鼻を鳴らす。
「余裕ですね。ですが私は出し惜しみ致しません。本日二度目の大盤振る舞いとなりますが、藤堂紫苑、貴方の死に様をインターネットの海へと晒せば良いだけです」
それからヤツは、言いながら足元に両手を叩き付ける。
「
巨大な口が現れ開き、重力に任せるがままオレも紫苑も蛭も、喰蛇も手下達も区別なく飲み込もうとする。足場を失ったので浮遊感が全身を襲う。
口が閉じて、闇の中へと落ちていく。
オレも蛭さえもが怯んで目を見開く中、紫苑だけは左手を頭上へ振り上げる。
冷淡かつ昏い熱を秘める声に、指を鳴らす乾いた音が共鳴した。
「──【
黒い帳に紫色の亀裂が走り、一面を満たして爆ぜた。
ちょうどガラスが打ち壊される時の音と同じだ。黒い空間が割れて、オレ達は元の廃墟へと引き戻される。
喰蛇の
今度は喰蛇が呆気に取られた表情のままで固まる番だった。
「……藤堂紫苑、貴方の
「その通りだ」
喰蛇の声が、口元が、指先がワナワナと震えている。
「……あのザイツェフの様に【グラウンド・ゼロ】を持つ訳でも無いハズだ」
「そうだな」
喰蛇と手下達の方へと向かって、紫苑が泰然と一歩を踏み出した。
「有り得ないッ!
「どうでも良いだろう」
喰蛇を囲っている5名の手下達が立ち塞がり、彼の行く手を阻む。
紫苑は鬱陶しげに舌打ちしてから、太腿に括り付けたポーチから仮面を取り出す。
「これから殺す奴に、わざわざ教えてやる意味が無い」
言いながら仮面を着け、紫苑の表情は黒で覆われて見えなくなった。
黒地に並んだ、紫色の無機質な六眼が標的を睥睨する。
見慣れてた筈の仮面に、寒々しく怖気が差すような違和感を覚えた。紫苑の口からあまり出る事のない「殺す」という宣言が吐き捨てられたからだろうか。
「ハッ、どうやら我が主から聞いていたより、感情的な
「関係ない。遅かれ早かれ人は必ず死ぬ。岩猿は今日だった。それだけだ」
紫苑は構えすらロクに取らない。無造作に喰蛇へと突き進む。
喰蛇の手下達が一斉に得物を抜く。3人は長ドスを振り被っていた。2人は拳銃の引き金に指を掛けている。隙の無いスムーズな動きだ。
あっという間に包囲された紫苑は──残像を引いて迅速に駆け出す。
手下の1人が顔面を鷲掴みにされた。
爪を手下のこめかみに食い込ませたまま、紫苑は猛烈な勢いで廃墟の壁へと迫る。
「ただアンタは、オレの愉しみとなるべき獲物を摘み過ぎた」
ぐしゃりと頭蓋の割れる鈍い音が聞こえた。
「……実る前の稲穂を喰い荒らす害虫は、駆除するべきだろう?」
コンクリートの壁に真っ赤なシミが咲く。
そこへキスしたまま手下の男は真下へ崩れ落ちる。ペンキで塗った様な太い紅が、縦一筋に引かれた。
「まず1匹目」
銃声が連続して響く。弾丸の軌跡は何ひとつ捉えられないまま通過する。せいぜい紫と黒の残像に掠るだけだった。
軽々しく銃弾をやり過ごす紫苑は、ついでに転がっていた空の酒瓶を拾い上げる。
「繰り返すが、これはただの害虫駆除だ。アンタとじゃ愉しむ気も起きねェよ」
紫苑が長ドスの男たちを掻い潜る。拳銃を持った男の眼前まで踏み込む。
まず片方の脳天へ掴んだ酒瓶を振り下ろす。頭を垂れた男の顔面へ、すかさず酒瓶の割れた鋭利な断面を深々と突き立てる。
「2匹目」
言い切るより早く横合いに居た別の男へと距離を詰める。
拳銃を構えている男の腕が強引に引かれた。
伸び切った肘に真下から膝蹴りが刺さる。白い骨が服を突き破って飛び出た。
痛みで手から離れた拳銃が紫苑の手に渡る。
悲鳴を上げる手下の口蓋に突っ込まれた銃口が、鉛玉を吐き出した。
「3匹目」
残る手下は2人だ。
紫苑は続けてノールックで脇下から背後を狙い撃つ。銃声は2度響いた。残る手下の片方が利き手の親指と薬指と小指を失う。
長ドスが取り落とされ、セメントに鋼の落ちる音が反響した。
足元へと転がってきた長ドスを拾い上げようとする紫苑に、もう片方の男が迫り、銀に煌めく得物を振り下ろす。
果たして紫苑は、その振り下ろされる柄頭を掌底で止めた。
紫苑がもう片手の拳銃を投げ捨て、親指と人差し指を突き出す。
それは斬り掛かってきた男の両目を、湿っている粘っぽい音と共に深く抉った。
目を潰され仰け反る男の前で、紫苑は悠々と落ちている長ドスを拾う。
流麗な太刀筋が、目潰しされた男の肩口から脇腹を通り抜けた。
「4匹目」
そのまま振り返り踏み出しつつ下から上へと逆袈裟に切り返す軌跡が、指を失った男の喉元へ迫る。ダルマ落としの様に首が飛んだ。
「5匹目」
そう呟く紫苑の背後から、音も無く喰蛇が襲いかかっていた。
両手にそれぞれ3本ずつ十字型のナイフを挟み込んでいる。一斉に放たれた計6本の投擲を、紫苑は振り向きざまに長ドスの一閃で全て打ち落とす。
喰蛇は歯噛みしつつ、広げた両手に幾本ものナイフを握る。
「どうやら
紫苑に負けず劣らず俊敏に飛び回る喰蛇が、四方八方からナイフを降らせる。
しかし紫苑は、その全てを握った長ドスで弾き落とす。
それから不意に円弧を描き振り上げられた蹴りが、所構わず縦横無尽に跳ねていた喰蛇の首を、まるで鎌の様に真横から捉える。
黒い帽子が宙を舞って喰蛇の頭から離れた。
「カッ……ギイッ!」
地面へ落ちるより早く、喰蛇は襟元を掴まれて強引に手近な壁へ叩き付けられる。
壁に叩き付けられた喰蛇の両手に、それぞれ長ドスとナイフが深々と突き立つ。
両腕を広げたまま磔にされ、まるで十字架に括られているみたいなポーズだ。
喰蛇は忌々しげに紫苑を睨む。紫苑は仮面に並ぶ6つの無機質な視線を、沈黙したまま注ぐ。返り血に濡れた黒い仮面からは表情も機微も読み取れない。
細いシルエットに不釣り合いな、息の根を締め上げる様な悍ましいプレッシャーを纏うばかりだ。
「遺言の代わりにしろ。
襟首を掴んで発せられた紫苑の脅迫に、喰蛇は額から脂汗を流す。
それでも口の端を吊り上げた。
それから気でも触れたのか、ハスキーかつ耳障りな金切り声で盛大に笑う。
「良いでしょう。これは比類なく確かな情報です。脳髄に刻みなさい」
ひとしきり笑ってから、喰蛇は勿体ぶって言う。
それから満面の笑みを浮かべ、長く割れた舌を出し、細い瞳孔の目を見開く。
「貴方は我が主に勝てません」
「そうか。じゃあな」
長い舌は紫苑の手によって引き千切られた。
舌を介さない絶叫が喰蛇の喉から濁流の様に溢れ出す。
とめどなく血流が追従する。
苦悶で歪む顔面へ渾身の殴打がめり込む。喰蛇の鼻がひしゃげる。眼鏡が割れた。ガラス片が喰蛇の顔に刺さる。紫苑の手にも刺さった。構わず返り血に染まった拳が喰蛇の骨を砕く。鈍い音に混じって、何かの割れる音が聞こえた。けれど音は徐々に湿り気を増す。
とっくに悲鳴は聞こえなくなっていた。それでもなお紫苑は壁を濡らす赤いシミに拳を打ち付けている。凍える程の憎悪が鳴り止まない。
「紫苑」
その場で竦んでいたオレが我に返って動き出すより早く、蛭が紫苑の振り上げた腕を掴んで止める。紫苑が振り返れば、ついに恐ろしい仮面の眼光が肩越しにこちらを向く。
オレは紫苑の迫力に、またもたじろぐ。蛭はゆっくり首を横に振った。
「その男……もう顔が無い」
紫苑は何も言わずに喰蛇だった物の方へと向き直る。物言わぬ亡骸は、両手だけで壁に吊り下げられたまま、下顎から上を失っていた。
紫苑は振り上げた拳と共に視線を落とし、ただポツリと、小さく呟く。
「……6匹目。岩猿、
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