#1-4「お前をツミレにしてやろうか」
全身を岩石の鎧で武装した状態は、岩猿自身が『ティタノマキア』と呼んでいる。
自分のイグニスやそれを用いた技などに、名前を付ける事はちゃんと意味がある。想像力や集中力は
だからそれらに具体的な名前を付ける事で、自分の中でイメージを固める手助けとするのだ。
打ち下ろす。辛うじて避ける。
更に岩石のラリアットが迫ってくる。
同時に捲れた地面から石の槍が飛来する。
合間を掻い潜るように逃げる。
反撃の暇も無いままただ逃げる。
岩猿と戦う相手は、本人からの格闘戦と、地面や建造物から生える多種多様な飛び道具の波状攻撃で悩まされる。
そして攻撃の度に足元は荒れ、壁に覆われ、こちらの逃げ場は刻一刻と塞がれる。
岩石を纏っている岩猿は、平時より少し動きが鈍い。
この弱点があるから、普段は温存しているのだろう。
しかし恐るべきは、そんなデメリットを物ともしない程の防御力と攻撃力である。
岩猿の猛進撃を、岩の壁や塔や槍なぞの合間を掻い潜り逃げ回る。
最早スタジアム中央はアスレチックの様相を呈している。
……まさしく、この状況を待っていた。
追い掛けてくる岩猿に向かって、無造作に【エルドラド】を吹き付ける。
炎は岩猿の鎧に阻まれて通りもしない。
構わず手近な石柱の上へ駆け上がる。
岩猿の視界を振り切ることだけ考える。
岩石巨人はオレを見失い、首元の岩を軋ませながら、周りを見渡す。
「オレはここだぜ、バンビちゃん」
真上から岩猿の頭部に飛び乗り、しがみつく。
ティタノマキアとはまるで人間要塞だ。一部の隙間も許さない、動く城である。
たった一部を除いて。そう外を覗く穴を除いては。
ちょうど目の辺りに空いた空洞に向かって、オレは口元を寄せる。
岩猿のスピードが落ち、圧倒的な防御力にかまけている、この瞬間を狙っていた。
「【エルドラド】ッ!」
くぐもった爆音が岩石巨人の内側から鳴り響く。
目玉の穴からバックファイアが起こり、オレは衝撃で吹き飛ばされる。すぐに起き上がって、ティタノマキアを、岩猿の様子を窺う。
岩石巨人は棒立ちのまま動かずにいた。けれどすぐに、まるで積み木を倒すように崩れ落ちる。
安堵して肩から力が抜けた。刀の切っ先を下げて、大きく溜め息を吐く。
直後に腹部へ岩石の拳が飛び込んできた。
声も出ない。息が出来ない。浮遊感を味わう。高速で真後ろに吹っ飛ぶ。
石の壁に思い切り背を叩き付けられる。肺から全ての酸素を追い出された。
全身の痛みが力を奪う。
何が起きたか脳ミソで理解も出来ず、その場で膝から落ちる。激痛のあまり蹲る。
横合いの、石壁の一部分が割れて崩れる。
「俺様だよ」
壁越しに、割れたところから岩猿が顔を覗かせる。
たったの火傷ひとつさえも負わずに平然としている。
声も出せないまま、なぜ、という疑問だけが回らない脳髄を満たして溢れていく。
「そりゃあ普通は俺様があの中に居ると思うよなあ。誰だってそう思うぜ。けれど残念ながら、アレはお人形だァ!」
最初からあの中に居らず、隠れて岩石巨人を独立させ操っていただけだという。
岩猿がもったいぶった足取りで、転がるオレの方へと歩み寄ってくる。オレは呼吸をつなぐことに手一杯で、とても立ち上がれやしない。
まずい。速く体勢を立て直せ、オレ、まずいぞ。
焦る。焦燥感が喉の奥から迫り上がる。けれど岩猿はそれもお構いなく、オレの首を掴んで持ち上げる。仮面越しでもヤツの下卑た嗤いが伝わってきた。
みぞおちに深々と、今度は岩猿本人の拳が突き刺さる。
オレが声にならない声を漏らし、視界を白黒させていると、全身をブルブル震わせながら満足げに唸る岩猿の姿が見えた。
それから間髪入れず今度は顔面を何発か殴られ、口の中に鉄みたいな味が広がる。ブッ飛びかけた意識を、また次の殴打が呼び覚ます。何度か脇腹の中からひときわ嫌な音がした。
「……スッ……ごぉーい! たァーのしィーッ!!」
これは間違いなく、殺される。
「さあさあお立ち会い! クソガキ主演のスプラッタショーだあ! 見とけよ今からコイツをツミレにしちまいます! タネも仕掛けも無いですぜ!」
「ぎ……」
ギブアップ。たったそれだけの事が言えない。首を絞められているから。
岩猿の腕を振りほどけない。頭に酸素が回っていないから。折れたのか左腕が動かないから。
徐々に遠のく意識の中で、興奮に湧く観客席の喧騒が、ひどく視界を掻き回す。
脳裏をいつかの冷たい夜が掠める。
ヴェリタスで勝つ為の道具として、家守組の連中に無理矢理に戦わされた日々が、フラッシュバックしてゆく。
14歳のあの夜から、3年間も懸けて1億円を返し続けた。
その果てがこのザマかよ。
クソみてぇ。全部ひっくるめて出てきた感想は、たったのそれだけだった……。
「ガキ相手にみっともないぜ、オッサン」
……割り込んだ誰かの一言に、なぜか、その場の誰もが静まり返る。
決して大きな声ではない。
けれど不思議な事に、オレも、岩猿も、観客達にまでその声が聴こえた。全員が声の方を振り向くと、そこには観客席を一歩ずつ降りる男の姿。
こつ、こつ、こつ、とブーツを鳴らす音が聞こえた。
メンズシャツに革手袋とデニム、そして仮面。
顔からつま先に至るまで黒でまとめ上げた服装だ。ただし少しクセのある髪だけ、薄い紫色を帯びている。右手にはアタッシュケースを提げていた。
男の声色は若く、オレと同じ位の歳だろう。けれどシルエットはオレより細い。
「何だァ? てめェ……」
「飛び入り参加だ。コードネームは『シオン』で」
レフェリーの前を素通りし、スタジアムを降りた彼は、アタッシュケースを開く。会場の誰もが目を剥いた。俺も息を呑む。岩猿でさえもたじろいだ。
見せつける様に掲げたアタッシュケースからバラバラと落ちてゆくのは、幾つもの札束だ。何千万円あろうかという札束が、少年の足元に転がっている。
「ざっと3億円ほど。アンタが勝ったなら全部くれてやるよ」
前代未聞の額である。
誰もがぽかんと呆気に取られたままでいる中で、岩猿だけは、とびきりの冗談でも聞いたような笑い声を上げる。
「おい、どこのボンボンだ? ここは迷子案内センターじゃないんだぜ? 冷やかしなら帰れ。どうせ転がってんのも偽札だろ。レフェリー、早くコイツをつまみ出せ。今せっかくいいところ……」
「ゴチャゴチャと御託を垂れんなよ、オッサン。良いから早くやるぞ」
遮る様に黒衣の男が、シオンが言う。
ぴきり、と。岩猿の額に青筋が浮かぶ。
シオンはアスレチックを掻い潜る様に跳び、岩猿と同じ高さまで上り詰める。
「安心しろ。アンタがそこまで金を持っているとは思っていない。賭けるのは有り金すべてと」
あくまでも冷然かつ悠々とした態度で、シオンが岩猿の方へ歩み寄る。
岩猿の固く握られた拳は、怒りのあまりわなわなと震えている。
「プライドだけで良い」
「ガキが俺様にナメた口を利くんじゃねえ! テメエも! まとめて! 望み通りにブチ殺してやる!」
岩猿の怒りの一撃が爆裂する。それがゴングの代わりだった。
「さあさあさあさあッ! 俺の合図も待たずにおっ始めちまいやがったッ! コイツはメンツが立たねえぜッ! 兎にも角にも岩猿の猛攻が始まるッ! これがゴングの代わりだぜ! ンンンるるぇっディイイイ~、んヌファアアイッ!!」
レフェリーのがなり声を気に留めるでもなく。
岩猿が拳で打ち付けた足元から、大小何本もの石柱が大挙してうねり押し寄せる。
闘技場は既にアスレチックと成り果てている。
攻撃のたび更に岩猿の良いように作り替えられていく。
「決めたぞ! 今日のディナーはハンバーグだあ! クソ生意気なガキとガキの合い挽きを、じっくりジューシーに焼き上げてやる! デザートは3億円だ!」
シオンはそれらを避ける。飛び退き。身を翻し。掻い潜り。踏み出し。全て涼し気な様子で凌ぐ。石柱が即座に砕ける。細かな散弾となって四方八方から襲い掛かる。それすらも舞い踊るようにすり抜ける。
けれど唐突にシオンの足元だけぽっかりと穴が空く。
言うまでもなく岩猿の作戦だ。
シオンは為す術なくビル3階建てほどの高さを落下……していかなかった。
彼は平然と何も無い空中で立っている。
「何だ、飛べる
岩猿が拳を振るう。今度は空中に居るシオンの周りを幾本もの石柱が囲い込む。
左右も上下も後方も虫カゴの様に封鎖される。
正面から迫るは岩猿の、
少年を待ち受けるものは逃げ場ない圧殺のみ。そのハズだった──……。
「チェックメイトだ! シオンとか言ったか! 黒尽くめのクソガキめ!」
……──シオンが虚空に手を振るう。たった一条、淡い紫色の閃光が奔る。
それを合図に石柱の檻が砕け散り──岩猿の巨腕は斬り飛ばされた。
「……ハァ?」
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