#1-3「起立! 金的! 着席!」


「次のヴェリタスは岩猿と戦えよォ。パンドラのチャンピオンを景気良くブッ倒し、華々しく新たな人生の門出と行こうじゃねえかァ」


 ここへ来るより前に、オレは家守組やもりぐみの若頭である阪成さかなりに言い付けられていた。

 本音はオレを手放したくないから、敢えて岩猿に挑ませるつもりなのだろう。

 そして敗けたオレを飼い殺し、これからも利息分の儲けを吸い取り続ける心積もりに違いない。

 だから今日は必ず勝ってみせる。勝たなくちゃ人間に戻れない、家畜のままだ。


 岩猿はアゴを突き出しオレを見下ろしたまま、ガントレットを嵌めたままの鉄拳をぶつけて打ち鳴らす。オレは鞘から抜いた剥き身の刀を構えて向き合う。

 観客席では賭け金を声高に叫びながら、切符を買う音で溢れる。

 ヴェリタスの参加者は、つまり実際に戦うヤツは、それぞれが賭けた金を遣り取りする。観客は「参加者のどちらが勝つか」に賭けて、その成り行きに一喜一憂する。それがヴェリタスだ。さながら競馬や競艇みたいなモノだろう。


「レぇッディーッ……ぅファイッ!!」


 レフェリーの合図と共に、スタジアムがひときわ強い歓声で爆ぜ返る。

 オレは真っ直ぐに駆け抜ける。刀を携えたまま。

 岩猿が地面を叩く。地面が直線状に隆起して迫る。

 斜め前に踏み込み避ける。一足一刀の間合いから岩猿に斬り掛かる。

 岩猿は袈裟斬りをガントレットで防ぐ。次に返す刃も弾き飛ばす。

 岩猿が素早くジャブを繰り出す。手数が不利だ。一発避けてすぐに距離を取る。

 しかし距離を取れば、岩猿のイグニスが襲い掛かる。


「【国つ神の槌ギガースハンド】ォ!」


 再び拳を打ち付けた地面から、岩石の腕が伸びて迫り来る。

 地面や石やコンクリを自由に操るイグニスは、現代社会と相性が良かった。おまけに岩猿のそれは範囲も規模も恐ろしく広い。

 けれども間合いを詰めれば、途端に拳打の雨が降り注ぐ。

 バー・パンドラにおける難攻不落のチャンピオン、岩猿。

 オレはパンドラに通い始めた数年前から、コイツの敗北を見た事が無い。

 しかも岩猿はまだ切り札を隠している。

 挙句の果てに……。


「【エルドラド】ッ!」


 ガスマスクのノズルを回す。

 オレは口の中から息ごとヒマワリみたいな色の炎を吐き出す。熱風が辺りを抜け、眩むような輝きが燃え盛る。

 しかし勢いを収めた炎の中から見えたのは、大きな岩の壁である。壁が崩れ落ちると岩猿は奥から余裕綽々といった様子で首を鳴らしてみせる。

 この様に岩猿の岩石は、オレの炎を通さない。言うまでもなく相性は最悪だ。

 勝機があるとすれば、岩猿が壁を出せない程の超至近距離で殴り合い、隙を見せた所で【エルドラド】に焼かれてもらうか……。


「500万はオレにとっても安くはねえ。いきなりフッ掛けてきやがるモンだから、何か勝算でもあんのかと思って身構えていたがよ……」


 岩猿はゴリラを模した仮面の奥から、首を鳴らして嘲るように鼻で笑う。


「困るぜ……弱い物イジメは大好きなんだよ。これからじっくり時間をかけて、どういたぶってやろうかと……おおっ、考えるだけでイキり立って来やがる。たまんねえたまんねえ」


 今度は岩猿の巨体が圧力と俊敏さを伴って迫る。

 目の前で両手を組んで振り下ろす。オレは後ろへ飛び退いて避ける。

 拳を打ち付けられた地面から石柱が伸びる。塔の影から大振りの裏拳が迫る。

 その場で屈んでやり過ごす。裏拳が先程の石柱を叩く。

 そこから斜め下のオレを狙って新たな石柱が伸びる。

 岩猿の股下へ転がり込み逃げる。


「だったら……へし折ってやるよド変態が!」


 その場で全力の起立。

 大男の股ぐらに、オレの頭突きが突き刺さる。

 岩猿が小さく息を吐いた後に「きょふっ」と呼吸の止まる音を漏らした。気のせいかもだが、何か頭の上で潰れた気がする。潰れていると良いな。

 岩猿は極端な内股になってブルブルと脚を震わせながら、両手で股間を押さえる。


「ぉ……ぉまぇえ……っこ、の……ぉ……」

「弱い物イジメが何だって? ザマぁああ~ねぇな、産まれたての子鹿ちゃんみてぇだあ! 岩猿だって? 贅沢な名前だなぁ! 今日からお前はバンビだよ!」


 言い捨てながら黄色い火炎エルドラドを思い切り吐き出す。

 また吹き荒れる炎は目の前をイエローに染めてうねり、中腰のままろくに身動きも取れない岩猿を辺りの岩ごと呑み込む。

 これでバンビちゃんの丸焼きになっていれば御の字だが、さあ判定や如何程に。


「調子に乗ってんじゃあねえぞ、キンパツひょっとこクソ野郎が!」


 煙と土埃の向こうから、それらを揺るがすほどの怒声が響く。直後に腹にボウリングの球を打ち付けられたかと思うほど重い咆哮が……文字通りの猿叫が、オレを立ち竦ませる。

 熱気の中からシルエットを現したのは、全身を岩石で覆っている巨人だった。

 これが岩猿の十八番だ。奴を無敗のチャンピオンたらしめている理由だ。これからヤツの死角は消え、一撃が全て必殺の殴打となる。


「【国つ神の槌ギガースハンド】……『ティタノマキア』! よくも……よくも俺様のバベルの塔をおシャカにしてくれやがったな……。まずはそのクソ生意気な口から潰してやる」


 岩猿が大股で地面を踏み鳴らせば、振動がオレの元まで届いてくる。そのまま天蓋を仰いで、再度の猿叫を上げて怒り狂う。


「ギブアップなんて言わせねえぞ、生きたまま全身の骨を砕かれた人間がどうなるかを教えてやる。そのまま岩を被せて、一番しまいに一番デケえ岩を突き刺してやる。それがお前の墓だ、今日がお前の葬式だ!」


 そしてオレの指先は震えている。奥歯がカチカチと鳴る。

 ただし恐怖からではない。武者震いだ。オレはこの時を待っていた。岩猿が本気を出す瞬間をずっと狙っていた。ガスマスクの下で、思わず口の端が吊り上がる。

 刀を構え直して、元の3倍の大きさにまで膨れ上がった岩猿へと切っ先を向ける。


「アホ抜かせ、今日はテメーの葬式だよ。こちとら火葬しか用意してねえがな」

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