#2-2「月々の返済がゼロになる!」


「俺は戦う事が大好きだ」


 そう言いながら紫苑は、徳利からお猪口へと透き通った酒を注ぐ。それをまた一口に呷ると、口元に薄ら笑いを浮かべる。


「知っている限りで最強の男は誰か、と問えば、大太法師だいだらぼっちの名が飛び出す。だから俺はソイツを探している。戦う為に……だ」


 紫苑に対して若頭が……阪成が言う所によると、こうだ。

 関東以北に星の数ほどある暴力団を、取り仕切る大元締めが『黒澤會くろさわかい』だ。

 黒澤會の頭として、東日本におけるやくざ者の頂点に君臨する男が、会長たる黒澤弥五郎くろさわやごろうである。

 そして黒澤弥五郎は、扱う篝火イグニスに因んで大太法師だいだらぼっちとも呼ばれていた。


「だが生憎と俺達は会長に会った事もェ、当然ながら居場所も知らねえなァ」


 家守組は黒澤會系列の中でも、わりと末端に近い組織だという。黒澤弥五郎だいだらぼっち本人もまた慎重かつ狡猾な男で、黒澤會系列の大規模な集会がある場でさえ、ここ十数年程は姿を晒した事も無いらしい。

 その強さと篝火イグニスを使った際の威容だけが口伝くちづてに一人歩きしている。今はどこで何をしているのやら、そもそも日本に居るのかも定かでは無かった。


「けれど紫苑、お前さんの目的がそういう事なら丁度いい。こっちも話がある」


 阪成が何かを企んでいるような様子で、口の端を少し上げる。胡座を崩して楽立膝になると、横合いの紫苑に向けて提言した。


「手を組まねえかァ? あの岩猿を鎧袖一触で仕留めた、お前さんの力が欲しいィ」


 阪成の言葉に紫苑は少し目を細めたのみで、何も言わぬまま次の言葉を待つ。


「もう東日本は黒澤弥五郎のモンになっちまったァ。奴の首を狙って、内ゲバも激しくなっているって話だァ。かくいう家守組オレらも黒澤組に仕掛けるつもりで居る。心強い味方は何人いたって損しねェ」


 突然だがパンドラという店は強い男が集う事でも有名だ。

 ヴェリタスユーザーの聖地・東京にあって、間違いなく岩猿は歴戦の益荒男として名を馳せている。元々は阪成も、岩猿を引き入れる心積もりだったのかも知れない。

 そういう事情があるなら……特にこの藤堂紫苑という男は逃したくないだろう。


「元々、一馬も抗争の戦力にしたいからヴェリタスやらせて鍛えさせたんスよね」

「そうだったの!?」

「バッ……カおめェ! 何を本人が居る前で言ってやがんだァ!」


 オレが素で叫ぶと同時に、隣に居る扇増の顔面へとブン投げられた焼酎の瓶がめり込む。オレの事を子飼いにしたがっているような素振りは見せていたけれど、それが真意だったとは知りもしなかった。

 扇増が思い切り背後にブッ倒れ頭から壁に埋まった事を気にも留めず、紫苑が阪成に確認する。


「つまりアンタらも大太法師の首を狙っているから、戦力が欲しい、と」

「そういう事だァ。俺達はお前さんに戦う相手と金をくれてやるゥ。お前さんは存分に力を振るうだけで良いぜェ」

「良いよ。俺が飽きるまでなら」

「目指す相手は一緒なんだァ。ここは一丁、共同戦線と行こうじゃねえかァ」







 そんなやり取りをした翌日に、家守組はひとり残らず死んだので潰れた。


 オレは借金がまた増えたので、またヴェリタスをさせられる予定だったのだ。紫苑は家守組の組長と話し合いをするつもりで来ている。

 新宿にある小さなビルの最上階が、家守組の事務所だ。


 オレと紫苑が連れ立って事務所へ足を運ぶと、扉を引き開いた先に血溜まりと死体が転がっていた。首から上と内臓の無い死体達は、手足を、あるいは胴体を不自然に曲げられたまま並んでいる。

 よく見るとそれが「WELCOME」という文字を描いている事に気付いた。

 部屋の四隅を繋ぐ様に縫い付けられているハラワタも、パーティーで飾るペーパーチェーンのつもりだろうか。

 奥にある机は、阪成と扇増を含めた、都合13人の生首で敷き詰められている。

 更に奥では異様に長いプラチナブロンドを垂らす誰かが、窓の縁へ腰掛けていた。


「よく分からんが、アンタ、これで借金チャラじゃないか?」

「マジで? 言われてみればマジだ。よっしゃ」


 紫苑に言われてやっと気付く。晴れてこれでオレは自由の身だ。

 オレ達の声に反応したか、窓際でプラチナブロンドの髪が揺れる。身体の華奢さと顔立ちから、少女だという事が分かった。紫苑よりも更に色白い陶器のような肌だ。大きく伏し目がちな瞳の下には大きなクマが落ちている。そして頬と髪にはべっとりとした血がこびり付いている。


 振り返った黒いワンピースの少女は、オレ達を、いや紫苑の方を凝視していた。瞳はルビーを連想させるほどに紅い。

 それから傍らに立て掛けてあった、少女自身の背丈ほどもある巨大な得物を掴む。ボロボロの包帯を巻いた素足で、室内へ舞い降りる。得物は手足と同じく乱雑に包帯を巻き付けた、刃こぼれと血だらけの巨大なノコギリだ。

 着ている黒いワンピースの裾はボロボロに擦り切れていた。


 彼女はペタペタと床を、死体を踏みつけこちらへ歩み寄る。頬をほんのり赤く上気させ、目尻を下げ、口を弓なりに曲げて笑みを浮かべながら。

 笑顔の口が開けば、鈴が鳴るような……と形容するに相応しい可憐な声が転がる。


「やっと会えたな藤堂紫苑」


 ところで家守組と言えば武闘派で、ちょうど勢力を急速に拡大している最中らしいと聞いていた。オレがずっと大人しく阪成に従っていたのも、単純に勝った事が無いからだ。組員は軒並み屈強で、しかも強力な篝火イグニスを持っている。


 血の海と、まさに目の前で巨大ノコギリを軽々と振り上げる、返り血まみれの少女が居たのなら。コイツが家守組の面々を皆殺しにした事も確定的なら。

 結論はシンプルで明快だ。


「紫苑ッ! コイツはヤバいッ!」

「私は愛しの貴方をずっと探していた」


 高くつんざくような金属音が鳴り響く。

 一気に踏み出した少女が片手で得物を振り下ろしていた。

 紫苑が銀色の糸で──ワイヤーの束で受け止めていた。

 立て続けに少女が何処からか真っ赤なナイフを取り出す。

 都合3本のそれを懐めがけて突き出してくる。

 紫苑はノコギリを押し返す。体勢を切り返す。突き出されたナイフを躱す。

 躱した先でノコギリの柄が迫る。

 紫苑は咄嗟に屈んで前方へ転がり込む。

 転がって立ち上がるより僅かに速く、少女が踏み込んで斬り掛かっていた──。

 ──壁ごとぶち破り、2人は屋外の空中へと躍り出る。

 吹き飛びながら2人は鍔迫り合いを演じる。

 巨大ノコギリの刃をワイヤーの束が阻む。

 少女は目を細め、まるでこれから情事に及ぶかの如く、湿った吐息を吐きつつ紫苑に顔を寄せる。


「藤堂紫苑よ、今から殺すぞ。この時を待ち侘びていた。愛が溢れて爆ぜそうだ」

「参ったな。アンタが誰だか知らないし、全く意味が分からない」


 凶暴な笑みを浮かべながら、紫苑はそう零した。

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