Chapter3 VS『透狐』&『情報屋ザイツェフ』
#3-1「ゥラッシャーセー↑」
「そして私を囚えていた白い檻は……研究所は、ただ1人の少年によって瓦礫の山と成り果てた」
少女は白い灯りが照らす下で、赤い液体が注がれたグラスを揺らす。長いプラチナブロンドの髪が、肩から一房、音も無く黒いワンピースの胸元へと落ちた。
グラスを満たす液体よりも更に深く紅い瞳が、豊かな睫毛の奥で横へと滑る。
「黒い雲の切れ間から、淡い月明かりが彼の後ろ姿を映し出していた。ほんの1年前のあの日に、まるで流れ出した血がそのまま落ちて地面を濡らす事と同じ様に、私は必然的に悟ったのだ」
包帯を乱雑に巻いた細い腕で、少女は頬杖を突く。
薄い笑みを湛える一筋の口元は、遠く離れた恋人の名前を呟く様に語り続けた。
「あの日、私は恋をしてしまった。だから兵器として生み出された私は……『
「……だ、そうですが藤堂紫苑さん」
「全く何も覚えてないな」
蛭が真横に居る紫苑へと向かって、この世の終わりみたいな顔をする。
紫苑は全く素知らぬ顔で、ジョッキに注がれている生ビールを呷った。
ここは焼肉屋である。
新宿駅の東口前を3分ほど歩いていけば「120分食べ放題2,950円」という売り文句のビラと共に『焼肉・葵園』と書いてある看板が見える。
比較的リーズナブルな焼肉屋だ。ただし借金まみれだった貧乏人であるオレ以外の世間一般にとっては。
席はそれぞれ黒を基調とした個室のみで、身内でパーティーをする時などはうってつけと言えるだろう。
金髪のオレと、紫色の髪をしたイケメンと、プラチナブロンドが本人の身長くらいある少女と、ゴリゴリマッチョにタンクトップで隻腕の大男が個室に会していた。
ちなみに蛭は、巨大ノコギリをテーブルの横に立て掛けている。
蛭が「藤堂紫苑の隣に座らせろ」と言って聞かないので、オレと岩猿は対面に腰を下ろしていた。
ゴリラモチーフの仮面を着けていない岩猿は、荒くれ者らしい無骨な風貌である。アゴから口の端を横切り、鼻骨に通る傷跡を始め、顔面に無数の傷が残っている。
「そういや紫苑が切り落とした腕は、あのジイさんに繋いで貰わなかったのか」
「俺様の腕はガレキの下でグチャグチャに潰れてたから無理だあ」
なんとなしに聞くと、岩猿は舌打ちしながらジョッキを掴む。それからオレの横で紫苑と同じ様に生ビールを喉へ流し込む。さっそく空になったジョッキを、勢い良くテーブルに置くと、たっぷり口元に付いた泡を拭ってから蛭へと向き直る。
「それより俺様には、惚れたから殺したいって言うのが意味不明だわ」
「私は、愛する男の、最後の女になりたいのさ」
蛭はアセロラジュースの入ったグラスをストローで啜る。
「アンタは阪成たち家守組の連中を殺したよな。だから今の俺は、どちらかと言えばアンタの事が嫌いだぜ。せっかく
蛭のストローを啜る音が止む。そのまま彼女は宇宙の終わりみたいな顔をする。
「その上、愛しているから殺したいって言われても……なら少なくともアンタは今日だけで13人の男をヤッた、とんでもない尻軽女って事になるな?」
さらなる紫苑の追撃で、蛭は全くの感情を失い、証明写真を撮る時のような真顔で固まる。
直後にそのまま涙と鼻水がまるで滝みたく、しとど溢れ出た。
「
盆に肉が載っている皿を持ったまま流れる様に個室へ入ってきた店員は、わんわんと泣き喚き散らしながら紫苑の袖に縋る少女を見てドン引きした。皿を置き、岩猿と紫苑が使っていた空のジョッキを持ち去ると、そそくさと逃げる様に扉を出て行こうとする。
店員の背後から、紫苑が気怠げな声色で引き止める。
「生ひとつ追加で」
「俺様もだあ」
「……
今度こそ店員は流れるような動作で個室を素早く出て行った。
「さて、肉を焼くか」
「焼くのは頼むぜ。利き腕をどっかの誰かさんに持っていかれたから、な!」
「丁度いい機会じゃないか。もう片方の腕も慣らしたらどうだ?」
テーブル越しに乗り出して至近距離で睨みつける岩猿を鼻で笑いながら、紫苑は手に持ったトングで淡々と肉を並べていく。傍らで涙と鼻水をシャツに擦り付けながらぐずる蛭の事は全くお構いなしだ。
カルビとハラミとタンが、金網の上で白い煙を吐きながら、焼ける音を奏でた。
否応なしに食欲をそそる音だ。思わず生唾を飲み込んで凝視する。これまで稼ぎをほとんど全て家守組に取られていたオレにとって、焼肉は最上級の贅沢である。
たまに阪成が気まぐれで連れて行った時くらいしか食べた事が無い。
「阪成や家守組と言えば……どうして紫苑はそこまで蛭に突っ掛かるんだ?」
それまで金網の肉へと視線を注いでいた紫苑が、オレの言葉でこちらを見やる。
「それだけじゃない。さっきのヴェリタスでも、お前は、出来るだけ誰も死なない様に色々と気を遣っていたよな?」
あの場でオレだけが最後まで気を失わないで居たから……そして悔しい事にオレがコイツらの動きに付いて行けず、傍観していたからこそ気付けた。
まず紫苑から放たれる攻撃で、バー・パンドラの誰も殺されていない。岩猿や蛭の他には四肢どこかを切り落とされた奴さえ居ない。気絶か戦闘不能になる程度だ。
加えて最終盤の、岩猿の作り上げたアスレチックが崩壊し、数え切れない程の瓦礫が落ちて行く場面に至っては……オレはその瞬間を見ていた。
闘技場の地面で転がるロクデナシ共に、瓦礫が降り注がない様にしていたのだ。
「大した理由じゃない。命は資源だから、殺すのは勿体ないというだけだ」
何だ、そんな事か、とでも言いたげな様子で紫苑は再びオレから視線を逸らした。視線は再び焼肉の方へと戻り、肉を置いた順からひとつひとつ裏返してゆく。
全ての肉が裏面の赤色を見せた頃に、紫苑はトングを静かに手元へ置く。
そしてタバコの箱を取り出しながら言う。
「本気で野心を持っている奴と、挫折を知った人間は、どこまでも強くなれる」
タバコを咥えた紫苑は、その先端で指を弾き、淡い紫色の火花で灯した。
深く息を吸い込み、蛭へと煙が向かないように反対側へ吐き出す。
紫紺色の眼光を細くして、オレと岩猿に向き直り、にやりと嗤って言う。
「いつか……俺に敗けた奴が、とんでもない程に強くなって、リベンジして来るかもしれない。それが楽しみだから、俺は出来るだけ殺さないんだよ……」
「はんッ、だったら俺様ん時はどうして生き埋めにしたのかね!」
岩猿が不機嫌そうに、金網から焼けた肉を何枚かまとめてトングで引ったくる。
「どうせアンタは、あの程度で死ぬタマじゃあ無いだろう」
「おうよ、当たり前だあ。俺様はパンドラ無敗の岩猿様だぜ。紫苑、今に見てろよ。またすぐにテメエをブチ殺して血祭りに上げて、パンドラの闘技場で何時間も叫んで勝鬨を上げてやる!」
岩猿は威勢良く言うなり、3枚の肉を箸で挟む。タレの飛沫が飛び散るのもお構いなしに、焼けた肉を小皿の上で滑らせてから、そのまま口の中へと放り込む。
何度か頷きながら咀嚼し、個室の照明へ向かって轟くような雄叫びを上げる。
「うんッまァアアアイ! 狂う! 狂う! カルビ、タン、ハラミ、狂う!!」
岩猿は堪らず座席の上に立ち上がって、右拳を振り上げた。
物音がしたから個室の入り口側を振り返ると、ビールを2つ盆に載せている先程の店員が、またもドン引きしたまま凍り付いたように固まっていた。
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