#6-3「磁力操作」
21期目にして初めて適合した子供が、60号の少女だ。彼女は適合したからこそ生き地獄を味わってしまった。
元は血を見るだけで青ざめて震え、パニック症状まで起こしてしまう子供だったと聞いている。本来なら血生臭い研究所とは縁遠い、花が好きで、心優しい少女だとも報告書に記されていた。
「百聞は一見に如かずと言うが、その通りですな」
「驚きましたか?」
研究所の所長が、隣に立っている私へ問う。彼は
左達は七三分けにした白髪の下で、昏い笑みを浮かべていた。長きに渡って一枚のキャンパスと向き合ってきた絵師が、出来上がった傑作を披露する様な笑みだ。
実際にそういう心境なのだろう。
しかし目の前に広がる光景は、決して素晴らしい絵画などではない。もっと悪趣味でグロテスクな、唾棄すべき蛮行だ。
「驚きましたとも。ここに巣食うのは、未来を背負う理知に富んだ研究者達などでは無い。ただ計算が出来るだけのケダモノばかりだという事実に……」
私の返答に、左達は眉根を下げて押し黙った。
死ぬ事すら出来ない少女を、巨大な鉄のヤスリで細かな肉片と血溜まりに変えて、その再生過程を記録するなど……吐き気を催す行為だ。
そして、それがここの日常なのだろう。
血溜まりから2つの小さな球体が、水面へ上がる気泡の様に生まれ出た。それは爛々と輝く眼球だ。
眼球に続いて、血の海が骨を、脳を、筋繊維を、内蔵を、肌を形成していく。
すぐに人の形を取り戻した少女は、横たわったまま動かない。
モニター越しに少女の弱々しい声が聞こえた。
「……この血溜まりみたいに溶けてしまいたい……」
「60号の再生を確認。バイタル正常です」
ずらりと並ぶモニターを、20名程の職員が注視している。その内の1人が、私の隣に居る所長へ報告した。
灯籠機関に連なる研究所は、どこもかしこも気が狂っている。
「あの様子で人間兵器が務まるのですか。もう心が壊れてしまっているのでは?」
「ご心配なく。日課のカウンセリングと刷り込みも抜かり無いので。60号は『自身が、より強大な敵を打ち倒す為の兵器である』というアイデンティティの元で、自我を保っております」
皮肉を言ったつもりだが、残念ながら左達に届きはしなかった。
「もちろん仮想空間を使った戦闘訓練も継続していますよ。ご希望であれば、アナタ自身の目で確かめては如何でしょう。私どもとしても、灯籠機関が擁するジョーカーとして名高いアナタ……『
「遠慮しておきましょう。あくまで今回は単なる視察なので。それに恐らく仮想戦闘空間にも
「それは尤もですな。しかし……うむ……戦闘データも捨て難い……【グラウンド・ゼロ】がシステムに及ぼす影響のデータも……だが……」
左達は延々と独り言を零す。既に私の姿は意識外に飛んでいる様だった。
いっそ双方共に、私が潰してやりたい。そんな考えさえ浮かぶ。
「私共をケダモノと罵りますか」
左達がぽつりと零した言葉で顔を上げた。それから面食らって言葉を失う。
彼は打って変わって自嘲気味な、沈みきった笑みを湛えていた。
「全くもって同感です。私の所業は、外道畜生のそれです。叶うなら全てをかなぐり捨て、今すぐ首を括りたい。きっと私は地獄へ行くでしょうから、そこで永遠に業火で焼かれ続けてしまえば良い」
目の前に立つ初老の男が、あまりにも頼りなく見えた。覇気を失った白衣の輪郭は、今にもぼやけて溶けてしまいそうだ。実際に、消えてしまいたいと心から願っているのだろう。
「ひとりを殺して百人を生かす。百人を殺して一万人を生かす。血塗れた強大な力を生み出し、日本という国家の盾にする。私の研究はそういう事で、償う方法など在りはしないでしょう。仰る通りです。ここに、未来を背負う、理知に富んだ研究者など居ませんよ」
しかし彼らは後戻り出来ない。いまさら竦んで引き返すには、あまりに多くの骸と咎を積み上げすぎた。嘆く資格も無いし、結果を出すしかない。
きっとそれは夭折した被検体たちにとって、何の慰めにもならない。彼ら研究者が、無情冷酷な悪魔に成り果てた事実も覆らない。
全て分かっていても、退路は失せていた。
「こんな仕事は一刻も早く終わらせたいですね。そして出来るだけ早く惨めに死んでしまいたい。そう願う内に、研究の進捗そのものが快楽にすり替わってしまった」
ここの研究者はひとり残らず狂っている。
それは誰よりも、本人たちが自覚していたのだ。
「……今更、被害者面をするな……」
ようやく私が絞り出した言葉に、左達は顔の陰りを色濃くした。
「全くその通りです。けれど願わくば……誰かがこの白い檻を打ち砕いて、私に引導を渡してくれないものかと……ついつい、そんな考えに逃げてしまいます」
白い檻とは、言い得て妙な表現だ。
灯籠機関が擁する研究所は、
それを含め、幾重にも堅牢な防壁を重ねてある。
誰もがこの生き地獄に囚われたまま、ただ1つの「死」という自由を望んでいる。
だから誰も想像すらしなかった──……。
「【
……──巨大な黒い杭が、白い天井を突き破って襲い掛かる光景など。
後になって考えた。恐らく彼は研究所外壁が篝火を通さないと見るや、作り上げた砂鉄の塊をレールガンと同じ原理でぶつけたのだろう。
黒い杭は職員たちを押し潰すより先に霧散した。まるで黒い雨のように砂鉄が降り注ぐ中、被検体21期60号は傍らへ降り立った少年を見上げる。
黒衣を纏う少年だった。色白の肌に、紫苑色の髪がコントラストを演出している。
「これだけ立派な研究所だ。居座るガードマンも、さぞかし屈強だろうな」
そう言い放つ少年は取り出した黒い仮面で顔を覆う。
仮面には紫色の球体が都合6つ並んでいる。
次に彼は仮面の奥から、高揚を隠しきれない声色で宣戦布告した。
「まとめて掛かってこい。襲撃者様のお出ましだぜ」
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