死出の旅路の葛折り、怪奇幻想文学の新古典
- ★★★ Excellent!!!
あなたも賽の河原はご存知でしょう。冥土に至る途中にある河原。ここでは親に先立って死んでしまった子どもが父母供養のために小石を積んで塔をつくる。しかし、意地悪な鬼がそれを崩してしまうため、子どもは望みを果たすことができない。子どもを救いに導くのは、親兄弟による追善供養であるとか、菩薩であるとか言われますが、さて、本作の主人公においては少々事情が異なったようで……。
白子(アルビノ)の旅僧と首葛籠。室町の世を渡り歩く彼らが、平安末期の思い出話を歌にして歌う。それがこの物語の骨子であり、一般的には連作短編集といわれる形式です。しかし、歌うにも動機が必要。この作品を一貫する旅と出逢いというモチーフは、わたしたち読者を各話ごとに独特の聞き手の立場へと誘います。わたしとは誰か。隠された真相は何か。そんな問いを立てる心構えが、いつの間にか出来上がっていることでしょう。
題材となるのは誰もが知る怪奇譚。壇ノ浦、太宰府、舌切り雀、カチカチ山、酒呑童子、安倍晴明、玉藻前、茨木童子と渡辺綱……。綿密な時代考証と現場検証を踏まえた確かな視角から、「あり得たかもしれない逸話」を一つひとつ炙り出していくこととなります。オルタナティブな歴史への想像力。その巧みさといったら……! この作家は、この世の条理を問い直し、当たり前のように享受されていた史実のほつれを結び直し、朽ちかけた伝承を新しく語り直します。怪奇幻想は日本文学の華。現代において、これほどの達成があったことは見逃すべきではありません。
と、大仰に褒めそやすと、さぞ高尚で難解な文学作品と誤解されるかしれませんが、急いで断っておかなければならないのは……。この作品が、ライトなキャラクター小説であるということ。旅僧の空也は平安貴族上がりのボンボンで、どこかふわふわとした雰囲気があります。首葛籠は函に封印された地獄の鬼ですが、いつも空也を心配している苦労性のおじさんです。安倍晴明は期待に違わぬトリックスター。渡辺綱は寡黙な武士。そして××はツンデレのお姉さん。初見では、格調高い語りの魔力に翻弄されてしまうかしれませんが、ちょっと慣れればとにかく楽しい、優しい作品であることがわかるはずです。
テーマは、絆と言っておきましょう。冒頭から親子の縁が主題となっていることは明白です。それは作品を通じて繰り返し変奏されます。血は必ずしも祝福ではない。しかし、絆は血に囚われず、自由に縁を結んでゆけるものです。縁を切るということと、縁を結ぶということが、同じだけの比重をもって探求されますが、これすなわち絆のあり方を問うものといえるでしょう。
最後に、プロットの複雑さについて。初見殺し、孔明の罠かというくらい、お話が複雑に見えるかもしれません。どうぞご安心ください。
慣 れ ま す。
実は、この物語は古典的な序破急のリズムに従っています。序、すなわち導入部では、物語の状況を開示し、いわゆる一般常識や古典的理解を確認します。次に破、すなわち展開部では、その常識を裏切る出来事が起こります。最後に急、すなわち結末部では、隠されていた真実がわたしたちの眼前に広がります。序破急は西洋の三幕構成とは異なり、観客のリズムをコントロールする理論です。破は突然に、急は急に進行します。慣れるまでは、その独特のリズムに戸惑うこともあるかもしれません。しかし、これに身を委ねることさえできれば……、他では得られない、最高の読書体験が待っていることでしょう。
かくも熱く語るべき、語られるべき『首葛籠』……。葛籠に囚われているのは本当に鬼なのか。むしろ読者であるわたしたちではないのか。しかし、囚われることが必ずしも苦痛ではないとしたら……。翻って、首葛籠、彼の心境はいかなるものであろうか。……などと、想像を巡らせるのも楽しいことなのでございます。