短編から始まった今作は多くの童謡、昔話、伝承を題材とした壮大なる令和の御伽噺。
顔半分を布で覆い隠し飄々とした足で室町の世を歩く白子の坊主、空也。彼の背には人の言葉を話す大きな葛籠がいつも共にいました。お二方は賽の河原より現世に迷いし子供と鬼、とある罰と因果に導かれるまま長き旅を続けています。
そんな旅先の中で彼らが出会う様々な物語、昔ノ噺、濡衣塚、舌刈り雀、白比丘尼、などなど。序盤から中盤にかけて続く一話完結型の残酷でそして哀愁漂う怪奇譚。
人も妖も関係なく見せる情欲と狂気と果てぬ愛のお話の連続はどれも素晴らしく胸を打ち続けます、驚くのは著者であるスキマ参魚さんの引き出しの多さです、ありとあらゆる伝承に詳しく、それらに独自のアレンジが加えられそれがまた面白いのです、この昔話には実はこんな裏がありまして、と、美談で終わらせない所が作品の面白さを引き上げています。
そんな裏昔話に出会いながら変わらず旅を続ける空也と葛籠、軽口を言い合い土地に残る怨みを喰らい祓い、やがて京の都に辿り着きます。平安時代から消えず残ったとある運命が彼らを待ち受けます。
べべん、とひとつ琵琶の音に導かれるまま、蠱惑とも言える濃厚な物語が私の感情を揺さぶりました、今日の都に入ってからの盛り上がりは特に最高です。
大変読み応えのある作品でした。主人公は鬼の血を引く白子の坊主とお供の葛籠。二人は全国各地の伝承を紡ぎながら旅を続けます。
まず何よりも驚かされるのが文体のセンス。まるで古典のような和文の言い回しや仮名遣いが作品にぐっと深みを与えています。それでいて古典のように堅苦しくなく、現代文と同じようにスルスル読めてしまうさじ加減が絶妙で、作者様の力量がうかがえます。
またこちらの作品は連作短編という形式で綴られており、伝承やお伽話をテーマにした短編が続きます。
そこにあるのは人間達の欲深さや執念、そして愛。他人を蔑ろにし、蹴落とすような輩に空也と葛籠は容赦をしません。怪異達に空也達が裁きを下すこともあれば、傷ついた魂に優しく寄り添う姿もあります。中には思わず涙してしまうほど愛に溢れたエピソードもあり、どの話も完成度が高いです。
物語全体には空也の生い立ちがテーマとなっており、物語が進むに連れて出生の秘密が明らかになってきます。
その残酷な事実に打ちのめされることもあれば、空也を愛する者達の存在に救われることもあり、ラストは涙なくしては読めません。
二人と一緒に泣いたり笑ったりしながら、終わらない旅路を一緒に追いかけて頂きたいと思います。
あなたも賽の河原はご存知でしょう。冥土に至る途中にある河原。ここでは親に先立って死んでしまった子どもが父母供養のために小石を積んで塔をつくる。しかし、意地悪な鬼がそれを崩してしまうため、子どもは望みを果たすことができない。子どもを救いに導くのは、親兄弟による追善供養であるとか、菩薩であるとか言われますが、さて、本作の主人公においては少々事情が異なったようで……。
白子(アルビノ)の旅僧と首葛籠。室町の世を渡り歩く彼らが、平安末期の思い出話を歌にして歌う。それがこの物語の骨子であり、一般的には連作短編集といわれる形式です。しかし、歌うにも動機が必要。この作品を一貫する旅と出逢いというモチーフは、わたしたち読者を各話ごとに独特の聞き手の立場へと誘います。わたしとは誰か。隠された真相は何か。そんな問いを立てる心構えが、いつの間にか出来上がっていることでしょう。
題材となるのは誰もが知る怪奇譚。壇ノ浦、太宰府、舌切り雀、カチカチ山、酒呑童子、安倍晴明、玉藻前、茨木童子と渡辺綱……。綿密な時代考証と現場検証を踏まえた確かな視角から、「あり得たかもしれない逸話」を一つひとつ炙り出していくこととなります。オルタナティブな歴史への想像力。その巧みさといったら……! この作家は、この世の条理を問い直し、当たり前のように享受されていた史実のほつれを結び直し、朽ちかけた伝承を新しく語り直します。怪奇幻想は日本文学の華。現代において、これほどの達成があったことは見逃すべきではありません。
と、大仰に褒めそやすと、さぞ高尚で難解な文学作品と誤解されるかしれませんが、急いで断っておかなければならないのは……。この作品が、ライトなキャラクター小説であるということ。旅僧の空也は平安貴族上がりのボンボンで、どこかふわふわとした雰囲気があります。首葛籠は函に封印された地獄の鬼ですが、いつも空也を心配している苦労性のおじさんです。安倍晴明は期待に違わぬトリックスター。渡辺綱は寡黙な武士。そして××はツンデレのお姉さん。初見では、格調高い語りの魔力に翻弄されてしまうかしれませんが、ちょっと慣れればとにかく楽しい、優しい作品であることがわかるはずです。
テーマは、絆と言っておきましょう。冒頭から親子の縁が主題となっていることは明白です。それは作品を通じて繰り返し変奏されます。血は必ずしも祝福ではない。しかし、絆は血に囚われず、自由に縁を結んでゆけるものです。縁を切るということと、縁を結ぶということが、同じだけの比重をもって探求されますが、これすなわち絆のあり方を問うものといえるでしょう。
最後に、プロットの複雑さについて。初見殺し、孔明の罠かというくらい、お話が複雑に見えるかもしれません。どうぞご安心ください。
慣 れ ま す。
実は、この物語は古典的な序破急のリズムに従っています。序、すなわち導入部では、物語の状況を開示し、いわゆる一般常識や古典的理解を確認します。次に破、すなわち展開部では、その常識を裏切る出来事が起こります。最後に急、すなわち結末部では、隠されていた真実がわたしたちの眼前に広がります。序破急は西洋の三幕構成とは異なり、観客のリズムをコントロールする理論です。破は突然に、急は急に進行します。慣れるまでは、その独特のリズムに戸惑うこともあるかもしれません。しかし、これに身を委ねることさえできれば……、他では得られない、最高の読書体験が待っていることでしょう。
かくも熱く語るべき、語られるべき『首葛籠』……。葛籠に囚われているのは本当に鬼なのか。むしろ読者であるわたしたちではないのか。しかし、囚われることが必ずしも苦痛ではないとしたら……。翻って、首葛籠、彼の心境はいかなるものであろうか。……などと、想像を巡らせるのも楽しいことなのでございます。
ジャンルはホラーですが、歴史や古典文学を愛する方にこそ刺さる作品だと思います。
主人公は鬼の血を引く白子(アルビノ)の青年。大きな葛籠を背負い、年季の入った琵琶を携え、簡素な白装束に金色の掛絡、目から頭に掛けては白い布を巻きつけた旅の僧に身をやつしています。彼が語るのは、各地に語り継がれる伝承のその、裏側。歴史の陰に葬られた数々の真相です。
壇ノ浦、濡衣塚、太宰府、かちかち山……日本人なら良く知る歴史物語や御伽噺が、彼の語りによって新たな意味を帯び、思わぬ背景が紐解かれてゆく。どの物語にも登場する、鬼の血をひく子供と葛籠の鬼。それこそが、語り部である空也の幼少時代なのでした。
賽の河原で出逢い、とある罪により共に罰を受け、現世を彷徨うようになったふたり。
その罪とは何だったのか、救いの手立てはあるのか、彼らは何を目指しているのか。物語は完結していますので、最後までお楽しみいただけます。
仏法には、親子の血縁を重視する思想があり、それは文化としても根づいています。しかし、彼らの生き様を見つめるときに、望む縁は選びとれるもの、大切なひとは自分で決められるもの、そう強く感じるのです。
生まれでも他者の評価でもなく、自分の命の価値は自身で付してゆける。そんな勇気をもらえる物語です。ぜひご一読ください。
白い布で顔のほとんどを覆った怪しい白装束の旅僧。そしていつも彼と共にあるのは、異様な気配をまとった葛籠――。
風変わりなこのコンビが往くのは、平和とは程遠い時代の日本です。
青年はべべんっと琵琶を慣らしながら、道中出会った者に不思議なあやかしたちの物語を語り聴かせます。それは歴史に名高いあやかしたち、彼らにまつわる真実の物語。到底体験できるはずもないその昔話を、坊主はさも己の身に起こったかのように軽快に語るのです。
その語りの中で旅をするは、白い布で顔のほとんどを覆った白装束の“少年”――そして口うるさく小言を吐きながら彼に背負われる、子供には大きすぎる“葛籠”。
はてさて、その物語は御伽話かまことの歴史か。狐に化かされたかのような、深い霧たちこめる山道に迷い込んでしまったかのような不思議な話の数々に、現代の私たちなどたやすく呑み込まれてしまいそうです。背筋が凍りそうなホラーから、胸がすくようなどんでん返し、さらにはほろりと涙を誘う感動話まで。四季のような彩と変化を絶やさずに各話が広がり、やがて少年と葛籠の旅は己たちに課された“罪と罰”と対峙することに。不器用な絆で結ばれたふたりが辿り着く結末は感涙必至。
歴史の授業はほとんど寝ていた人間でも夢中になって読んでしまったほどの秀作、ぜひご覧くださいませ!
「此度語りやすは、現世、浮世のモノガタリ。
此の世は地獄と云いやすが、其処に救いは在るのかどうか——。」
そんなお決まりの前口上で始まる、人や人ならざる者の情と業を綴った短編連作です。
語り手は白子の旅坊主・空也と、彼の背負った地獄の鬼・首葛籠。
独特の語り口と心地よいリズムが、読み手を妖しくも美しい世界へと誘います。
時を越え、土地を越え、少しずつ形を変えながら伝わっていく物語たちは、いったい何を映し出すのか。
誰もが知る昔噺や地域の伝承がアレンジされ、新たな解釈のストーリーとして見事に成立しています。
最初の謳い文句にある通り、これは「現世、浮世のモノガタリ」です。すなわち、人の世。
現代にも通じるような人間の欲や愛憎に、ゾッとするやら腑に落ちるやら。どのエピソードも含蓄があり、読み応えたっぷりです。
空也と首葛籠の軽妙なやりとりも見どころの一つ。
次第に明かされていく彼ら自身の抱える哀しい事情にも、ぐっと惹き込まれます。
「其処に救いは在るのかどうか」
彼らの旅の行く先を見守りたいです。