首葛籠【くびつづら】

すきま讚魚

 これは此の世のことならず

 死出の山路の裾野なる

 現世うつしよ 常世とこよ のものがたり——




「おんやぁ、坊さん、見ない顔だね。旅の人かい?」


 べべんっ、とひとつ琵琶の音。


 時は室町、戦乱の世。

 群雄割拠と云えば聞こえのいい、血で血を洗う権力争い。そこに親兄弟のことわりなどなく。


 ここに渦中の嘆きを拾い集めるかのように。

 旅の坊主がただひとり。


「へぇ、ワシは京の方からまいりましてぇ。なんせ久方ぶりの戦勝いくさかどきの聴こえない良い山路で。ついふらふらと足が向いて迷ってしまったところでさァ」

「京か。そらぁまた遥々はるばると」

「はいな」

「ここいらの山は人食い鬼が出るとの噂だ、陽が暮れる前にお立ちなさるのが利口ですぜ」

「ほぅ……鬼? こんなのどかな山に鬼とはまた珍妙な」


 ふふふ、と坊主は薄い唇の端を上げ、愉しそうに嗤う。


「……坊さんにしちゃぁイヤにけったいな身なりのようですが、昨今の行脚僧ってぇのは皆そうなんで?」


 男の視線はその坊主の不思議な装いと、手入れの行き届いた琵琶、それをしげしげと眺め見た後に彼の隣にどんと鎮座しているやけに古びた葛籠つづらへと移る。


「坊主と言ってもそうさなァ。ワシはいわゆる破戒僧、救いも許しも教えもできず、こうして行雲流水こううんりゅうすいごとく諸国を練り歩いては師となる者とその道を探し求めておるんですよゥ」


 そう語る坊主と男の視線はまるで合わない。

 それもそのはず、まるでその顔の半分を覆い隠すように、坊主は白い布で木乃伊ミイラさながら、その頭から鼻の上あたりまでをぐるぐると巻いている。

 そして禅僧とも僧兵とも異なる、簡素な白装束と首から下げた金色こんじき掛絡から脚絆きゃはんも手甲もまとっておらず素足に草履ぞうり、山道だというのに杖すら持っていない。


 しかし男は何よりも、その坊主の傍にある葛籠が何故だかとても気になってしまう。


「しかしまぁ、こんな山奥、大荷物はキツかろうて。どれ私が麓まで、案内がてら背負って行きましょう」

「いえいえそんな、めっそうもない。それに此奴コイツァ、ちと大事なモンでしてね」

「ほう? 葛籠が? そりゃぁ何か大層なもんでもお運びで?」

「そんなこともねェですが、なぁに、ワシの命みたいなもんでね」


 言いながら腰を上げた坊主の足は陽の光をまるで浴びていないかのように、白く細い。短く裁断された袴から伸びる、まるで女のようなつるりとしたふくらはぎに、思わず男の喉が鳴る。


「ここで逢うたも多少のご縁、迷い坊主の道案内をどうかお願いできぬでしょうか?」

「ええ、勿論。一緒に参りやしょう。それにこの山は、鬼が出ますからな」

「鬼、ねぇ……」


 ふふふ、と嗤う坊主の声に、男は少し背筋がぞくりとするのを感じた。


「そうさなァ、お礼と言ってはなんですが。一つ、ワシの知っている鬼の話をいたしやしょう」





***




 ひとつ積んでは父のため ふたつ積んでは母のため——。


 死した者の向かうという三途川さんずのかわ、そのほとりにはさい河原かわらと云ふ場所がございます。

 其処そことおを迎えずして死した子供らが、毎日毎日、数え唄をうたい親兄弟を想う場所にございます。


 ええ、そうでさァ。御仏みほとけの教えの下では、親より先に逝くというのは罪になりやして。

 おのよわいと同じ数、石を積めば浄土へと渡る事ができると云います。


 手足は石に擦れただれ、指より出づるは血の滴、親の嘆きは責め苦となり、いつの間にやらその身は朱に染まりやす。


 ほうほうの体でようやっとよわいと同じ石を積めど、地獄の鬼がやってきて石の塔を壊してしまう。どれだけ泣き叫べど、打擲ちょうちゃくは止まず、その身はあけからあいへと。


 ええ旦那、そらご存知のことでしょう。

 子らには己れの罪はわかりやしやせん。

 ただ、ただ、父を想い母を想い、泣くばかりでございやす。


 ただ、常世とこよ幽世かくりょも、むごいばかりではございやせん。

 親の嘆きが止みしとき、または親が俗世ぞくせった刻、子らは解放されお地蔵様の導きのもと輪廻の輪の中へと還っていくんでさァ。


 救いは、ありんすよ。現世うつしよ浮世うきよと違いまして。

 

 おやぁ旦那、どうしたんですかい?

 お顔の色がすぐれぬようですが。


 そらぁ想うでしょう。ワシは坊主と云えど、申し上げやした通りの破戒僧。

 御仏のお導き、救いが現世に果たして届いておりますでしょうか?

 強盗殺人火事戦乱、疫病とまぁ。まさにの世は生き地獄でございやす。


 しかしまぁ、綺麗な夕暮れ。しゅを零したような空ですなァ。

 ああそう、陽が暮れる前に、山を降りねば。



 なんせ、この山には、鬼が出るのでありんしょう——?

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