「おめぇはまたか、またかまたか又か」


 声が——、聴こえたのです。



 地獄の鬼にも千差万別ございます。

 黙々と石塔を崩すもの、喜色満面の様相で破壊を愉しむもの、そして時にはそうでないものも。


 ひとつ、その鬼は怖ろしく、口も達者で誰よりも脚がはようございやした。

 誰よりもどの鬼よりも速く、明け六つと暮れ六つ、河原に出でて子らの積む石塔を壊していくんでさァ。


 鬼は名を告げませぬ、おやまぁ存じませんでしたか?

 ええそう、なぜなら名とは言霊、おのれの命。名を知られた鬼にはまじないが効く。だから鬼は決して真の名を名乗りやしやせん。


 ふふふ、そういやワシも旦那に名を告げておりやせんでしたね。

 まぁしかし、此度こたび一度のご縁でございやす。ここにきて名を明かすのも野暮と云ふものでござんしょう。



 その鬼は残酷で、幾日も幾日も、躊躇なく無慙むざんにも、石塔を崩しておりやした。

 地獄の鬼にとって、罰を与える石塔崩しは己が命と同等の、謂わば使命でございやす。善いも悪いもありんせん。


 娑婆しゃばでは子らの親兄弟が、刻を同じくして幾日も幾日も、追善供養を行いやす。

 四十九日、卒哭忌そっこくき(百箇日のこと)、許しを乞い嘆き、そうしてやっと祈りの届いた子らはその河原を去り、冥途めいどから浄土へと。お地蔵様、菩薩様に導かれてゆくのです。


 果てさてしかし、その中で幾日も幾日も。数え唄を謳い、石塔を積み崩されながら、それでもなお掬い上げられぬ一人の幼な子がおったんでさァ。

 石塔を壊そうが、詰られようが、一向に泣きもしやせん。


 流石の鬼も、それが数年続くと気味が悪う感じたそうで。


「やいおめえ、甘えてんじゃねぇぞ、此の塔の歪み方、見苦しいったらありゃしねぇ」


 怒鳴れども、崩せども、叩けども、小童こわっぱは虚ろな瞳で黙々と石を積むんでさァ。


 百箇日、又百箇日。どれだけの子らが導かれど、その小童だけはいつまでも河原におるんです。


「おめぇはまたか、またかまたか又か」


 とうとう鬼は、頭にきて小童の積んだ石を崩すよりも先に、その胸ぐらを掴み上げやした。


「なきもしねぇ、祈りもしねぇ、かと言って投げ出しもしねぇ。おめぇ一体全体どう云ふつもりでィ」

「……話してよいのか?」

「ンアァ? おめぇがいつ迄経っても、ずーっとちんたら石なんざ積んでるからよゥ、流石に俺っちも虫唾が走るんでぃ」


 ……小童は、白子しらこ(アルビノのこと)だったんでさァ。

 陶器の如く白い肌に、高級な絵筆のような白い髪と、血潮の透けた真紅の瞳をしとったんです。


「みな、わたしとは口をきくなと云っておった。鬼の子だからと」

「アァ? 鬼がンなおめぇみてぇな……なまっちろい見た目でたまるかよ」

「そなたはわたしと、口をきいてくれるのだな」

「馬鹿言え、二度とごめんだ。おめぇがさっさと逝っちまわねぇと、俺っちの仕事に支障が出ちまう」


 しかしながら、それでも掬い上げられぬ小童に鬼はぽつぽつと語り掛けるようになりやした。変わらず石塔を崩しながら、詰りながら。次の百年を迎え、其れでもなお、小童は変わらず河原で石を積んでおりやした。


 鬼はとうとう我慢がならず、小童の出生を探ったんでさァ。


 旦那、なんだったと思いやす?


 なんとその小童、大江の山の酒呑童子しゅてんどうじの落としだね——。平安の世、京を混乱に陥れた鬼の大将が、貴族の娘に産ませた庶子でして。


 そら母も望まぬ我が子の冥途の旅路の安寧など、祈る筈もなし。

 父は子が世に生まれ世を去ったことすら知らぬ。


 知った鬼は、たいそう哀れに思いやした。

 誰よりも残酷で、もののあはれも知らぬ筈の地獄の鬼が、慈しむ心を知ってしまったんでさァ。

 そぅしてね、ある日鬼は。小童の石塔を壊せず、齢の数だけ石を積むのを見逃して。


 小童と共に、地獄へ堕ちてしまったとさ——。




***




「坊さん、そりゃぁなんとも、弱い鬼だったと思うがね」

「おやぁ、旦那はそう思いなさりやすか」


 いつの間にやら、日もとっぷりと暮れ。

 闇の中を歩む音すらひそめるかのような——。


「鬼の目にも泪、ってぇのは。心が弱い証拠だ。情けを掛けるなんざ、生き残るために奪うことを知ってる者からすりゃあ、そらたいそう滑稽でおかしな噺だよ」


 ——ひたり。


 いつの間にやら坊主の喉にしゃりんと冷たい刃の感触。


「おやまぁ、此の山に出る人喰い鬼とは」

「鬼なんざ居るわけねぇだろ、此の山に入ったが最後、俺様の餌食って寸法よ」


 男は手練れの賊であった。

 細い手首を掴めば、坊主は後ろを振り向くことすら叶わぬようで。


「その葛籠、たいそう良いもんが入ってそうだな。坊さんの命と同じくらいとは」

「……およしなせぇ旦那。如何いかんせん現世も常世も地獄に変わりやせんが、多少は死後の苦しみも減りやすよ」

「ははは! 命が惜しいと説法かい? どこもかしこも地獄なら、俺が鬼にでもなろう、どうせ鬼なんざいやしねぇ」


 べろりとその舌が、坊主の首筋を這う。


「こりゃ綺麗な白い肌だ、殺して身ぐるみはいだら愉しむのも悪くねぇ」


 はぁ、と坊主は憂いた息を吐く。


「旦那ァ。先ほど貴方は鬼の目にもなみだ、とおっしゃいやしたね。鬼の目に浮かぶ泪が、どれほど美しいか。きっと旦那は知らんでしょう——?」

「はァ? 何言って、」



 ——ぞぶり。



「あ、あ、ああああ、どうした、どうしてこれは……」


 喉笛を裂いたかに見えたその刃、しかし男は己の肘から先が失くなった事に気づく。


 ぢるぢるぢるぢるるるるぅりりりりりり——。


 不協和音と何かを砕き、啜る音。


「うっわ、マッズ。おめぇ不味ィな、人殺し外道の味がすらぁ」

「うぎぃやぁああああ手が! 俺の手がぁあああ!!!!」


 薄ら夜目が利く程度の暗闇で、二人の間に響くは三つめの声。

 その声はかたりと開いた、坊主の背負う葛籠から。


「ンで? 誰が鬼がいねぇって? そらぁご機嫌なこった」

「……旦那、ワシは止めやしたからね」


 血飛沫の中、白装束の坊主がはぁとため息を吐き、振り返る。

 月の光に照らされ浮かび上がるその姿。白布の取れたその髪は白く、目はまるで血潮の透けた——真紅。


恒久こうきゅうの苦しみの中を、どうぞ泳ぎなせぇ」

「あっ、あ、あ、あ、ま、まって——」


 ぞぼりっ。

 

 声は、ない。


 ごきょっ、ごきょっと咀嚼の音。

 数拍置いてゲフゥという息をくような音が、木の隙間から覗く月夜に響く。


「アァつまんね、鬼、いなかったじゃねーか。罪人喰っただけ、こりゃぁほんと骨折り損のくたびれもうけ」

「まぁまぁ、そうも云わんと。ワシら諸国行脚の徒然なる旅路じゃて」

「たまには鬼とか、妖怪変化とか、女子おなごの肉が喰いてぇよぅ」




 地獄に墜ちた鬼と小童。

 地獄とは、まさに現世うつしよ浮世うきよのこと。此の世の全ては生き地獄。


 あの日、名を明かした地獄の鬼は。

 かたどられた魂をその葛籠へと移された。


 魂を喰らえ、癒えることのない渇きと飢えに身を焦がせ——。

 それは小童の魂が浄土へと渡るその日まで。



「さぁて、何処か川でも見つけて、血ぃでも拭こか」

「おめぇはその首をまず洗いやがれってんでぃ」


 ふふふ、と坊主は笑う。


「なぁ躑躅つつじ

「あ? なんでぃ」

「ワシは存外、此の地獄も悪くはないと思っとるよ」


 ケッ、と舌打ちの音がこだまする。


「……ンな悠長なコト言ってねぇで、おめぇはとっとと成仏しやがれ」


 身体を失くした地獄の鬼と、半分鬼の白子の坊主。

 二人の罪は、果てなき罰か。

 呪い呪われ、首を刈りゆく首葛籠。


 それはどこまでも、いつまでも。


 戯れな世直し、鬼探し——。

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