概要
はつ雪の便りをつれて古民家の宿に訪れたのは《裸婦画》だけを描く画家だった。
一重の瞳に潤んだ紅の唇、白練の和服を纏った綺麗な女流画家。その眼差しはしんと透きとおり、眼睛は白銀を帯びている。例えるならば、早暁《そうぎょう》の雪だった。
大家の娘である《わたし》は画家と逢い、彼女の描いた裸婦画に強く心を動かされる。
そんな《わたし》に画家はいう――ねえ、あなたのことを描かせてくれないかしら、と。
斯くして《わたし》の春は、雪の季節に明けそめる。
おすすめレビュー
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- ★★★ Excellent!!!誰の前にもある春という名の救い
純文学とエンタメの区分については、数多の書き手と読み手が一世紀にわたり議論を尽くしてきたところであるが、巷間言われる切り口の一つに、「全ての読者に一律の価値を提供するのがエンタメ文芸であり、一人一人の読者をして異なる価値を見出さしめるのが純文学である」というものがある。
この解釈の妥当性についてはここでは問題としないが、私が本作『うすらひの鏡に映す』を拝読して抱いたのは、件の区分に照らせばこれは紛いもなく純文学である、という印象であった。即ち、本作には、主人公・雪緒の語りを通じて、読み手の内心に偏在する思春期の記憶を揺さぶり、各々の体験と紐付いた感懐を立ちのぼらせる力がある。
十七歳の雪緒は…続きを読む - ★★★ Excellent!!!『せんせい』は本物を見せてくれたから。
芸術が人に及ぼす影響がいかに大きく、医学の領域を超越して人を救う可能性を秘めているのかを示してくれました。
とは言え、おそらく芸術だけでは足りず。
かと言い、おそらく言葉だけでも足りず。
絵を描く人——芸術家、或いは創作家というのは、こうあるべきであろうと私は思いました。
人に寄り添い、人に誠実で、思いを伝えることを忘れない。
だからこそ、『せんせい』が筆に乗せた思いは、人を救ったのだと思いました。
やおら蕾綻ぶような、とても美しい恋愛でありました。
現在、1月も末。そろそろ北風の裾にも春の香りが乗ってくる頃でしょう。そんな今、読んでほしい作品です。 - ★★★ Excellent!!!生きているのだろう、と語りかけたけれど
田舎の町に住む高校生の雪緒は、真冬に古民家を借りにきた女性画家と出会う。女性画家はただただ裸婦絵を描いていたのだ。雪緒はその絵を見て「きれい」と呟いた。それが、二人の始まりだった。
私はこの作品を読んで、強烈な「生」を覚えました。私たちのイメージでは、「生きる」ということは情熱であったり、努力であったり、あるいは失敗や挫折であることが多いです。一方、この作品において、爆発的なエネルギーがじかに描写されることはありません。だけど私は、雪緒と女性画家の二人の間に、たしかに「生」を覚えたのです。
生きるということは、大きく広いことではないのだと私は思っています。もちろん全てがそうというわけでは…続きを読む