第8話 学校のかいだん②
***
自分たちのほかに利用者のいなくなった図書室で、駿は落胆していた。
目当てのものが、どれだけ探しても見つからなかったのだ。
わざわざ源に頼んで、利用時刻を過ぎてから探させてもらったのに。それを探すのに、人目があると少しまずかったから。
「すんません。見つかりませんでした」
さんざん探して、これはもうだめだと見切りをつけて、駿は源に頭を下げた。離れた場所で別の棚を見ていた源は、笑顔で首を振る。
「いや、謝んなくていいよ。司書の先生には、部活で使う郷土史をゆっくり探させてって頼んだだけだから」
申し訳なさそうにする駿に、源は気にした様子はない。
普通なら利用時間外に残って探しものをしたいと言っても嫌がられるだろうが、源の頼みとあって司書は快く許可してくれているからだ。日頃から書棚の整理や蔵書確認などの面倒な仕事を手伝っているからだろう、というのが源の意見だった。
「でも、せっかく利用時間外に残って一緒に探してもらったのに……」
「僕は、ただで見つかるものじゃないって、何となくわかってたよ」
「やっぱ、そうですよね」
駿が探していたのは、あのノートだ。怪談になりたくて自ら命を断った、例の女子生徒が遺したノート。
ものがものだけに、簡単に見つからないとは思っていた。だが、放置もできないからなるべく早く回収しておこうと思ったのだが、うまくいかなかった。
例のノートは誰かが持ち去ってしまったか、あるいは自ら姿を消したのか。どちらにせよ気味の悪いことで、あまり考えたくはない。
「そのノート、小幡くんは〝現実〟でも見てるんだよね? 現実というか、〝この位相〟でと言うべきか」
考え込む様子の源に、駿は頷く。
「普通に図書館に来てるときに一度と、昨日のコトラが大変な目に遭ってるときに見てます。……でも、一度目に見たときもこの位相だったかは、ちょっと自信ないかも」
「まあ、そうだよね。人間、自覚して別の位相に迷い込むわけじゃないし。案外、そのノートは現実にはないものなのかもしれないね」
源はカラリと笑ったが、駿はそんなふうに楽観視することはできなかった。
「ないならないで、いいんすよ。でも……もし誰かの手に渡ってたとしたら、まずいなと思って」
ノートの持ち主である女子生徒の霊は、自分が怪談になるために強硬手段をとるような存在だ。自分の死の瞬間を再現して、それを多数に目撃させ、自分の存在を呼び出させるために三郎丸を操って百物語をしたくらいだ。
誰かがうっかり手に取ることを期待して、現実の図書室のどこかにノートを隠しておくくらいのことはしそうだと駿は考える。
「強烈なノートであることは、間違いないよね。それそのものが呪物というか。誰かが持っていって、それでこの学校からなくなってくれてたら御の字なんだけど」
「御の字……ですかね。でも、誰かがあのノートを手に取ったときは、取らされてるんだと思うんですよ。その段階から操られてるというか」
「選ばれたってやつか。僕はとりあえず、小幡くんがその選ばれた人間にならなくてほっとしてるよ。ノートの行方は気になるけど、ひとまず君が安全なのが一番だ」
「……そっすね」
駿はノートについて本当はまだいろいろ考えたかったが、源に笑顔で言われてしまうとひとまず保留しておくしかない。
それから二人は電気を消して施錠して、図書室をあとにした。これ以上無用に長居すれば、図書室の主的存在に本を落とすなどの威嚇をされてしまうかもしれないから。
「この学校でこっくりさんだとか、送り犬の噂だとかが流れてるのは、全部あの女子生徒の霊の仕業ってことになるんですかね? だとしたら、この高校がやけに怖い話が豊富で霊まみれなのも、納得なんですけど」
鍵を返すために職員室に向かいながら、駿はこれまでの体験について考えを巡らせていた。
霊が見えてしまうという体質から、外でそれらを目撃したり怖い思いをしたりというのは日常茶飯事だった。
だが、それでもこの夜宮高校に入ってからの頻度は異常だった。近隣に流布している怖い話を耳にする機会も、高校に入ってからが圧倒的に多い。
その理由があの女子生徒の霊の存在であれば、いろいろと方がつくのにと思ってしまうのだ。まったくもって解決はしないが。
「僕もそれ、考えてたんだよね。でも、それだと腑に落ちないことがいくつかあるんだ。たとえば、開かずの教室とかね」
「あ、そっか……あの女子生徒、開かずの教室については完全にスルーでしたもんね。関係があったり、影響を及ぼせるなら、何であそこで何も起きてないんだって話か」
「わからないけど、とりあえず女子生徒と開かずの教室にいる〝何か〟は別物と考えておくべきなのかなとは思うんだ」
源の考えを聞かされ、駿は苦いものを食べたような顔になった。
つまりは、女子生徒の霊のほかに凶悪なものがこの学校にはいるということだ。あの霊だけでも相当厄介なのに、さらに別のものもいるのだとしたら、あまりにもひどい話だ。
「土地に関係することかもしれないし、建物が古いからそのせいかもしれない。とにかく、この場所自体が悪いものを呼び込んだり溜め込んだりしやすいんだと思うな。だから、根本から解決することなんてまず無理だ。ましてや僕も小幡くんも、その道のプロじゃないんだから」
「そう、ですね……」
あまり気負う必要はないと言われているのだとわかって、駿もその言葉に納得しようとした。そういうものだと飲み下すしかないのだと、理解もしている。
「俺はただ、怖いものを見ずに平穏に学校生活送って、卒業したいだけなんですけどね」
「大丈夫、できるよ。そのための怪奇クラブだ」
「俺が卒業してからどうなるかですよね……って、電話?」
自分たちの足音と話し声のほかに何も聞こえない静かな廊下に、スマホの振動音が響いた。電話だとわかってポケットから取り出し、画面に表示された名前を見て駿はやや戸惑った。
「コトラ? 間違い電話か?」
『先輩! 階段! 下りても下りても下につかないんです!』
「は?」
こんな時間に琴子からの着信で何事かと思ったら、電話に出ても何なのかわからなかった。
とりあえず彼女が今とても焦っていて、大変な状況にあるのは伝わった。
「あのさ、コトラ。何か大変そうなのはわかった。だから、可能な限り詳しく教えてくれ」
『えっと、忘れ物を取りに来て、そのあと友達と階段を数えながらのぼってて、そしたら人の気配がしたと思って焦って昇降口に走ったけど全然つかなくて……』
そばで電話の声を聞いていた源が「階段が増える怪か……」と呟いた。嫌な予感がして、駿は尋ねた。
「コトラ、もしかして数えたら階段の数が増えたのか?」
『わかんないです! でも、成瀬と私の数えた数が合わなくて』
「わかった。……とりあえず、今すぐに身の危険がないんなら、ひとまず立ち止まって落ち着いてくれ。何か考えるから」
琴子が今、別の位相に行ってしまっているらしいことがわかって、駿も内心焦っていた。明確に何かに追われているのなら、逃げろということもできるだろう。
だが、今の琴子の状況に対する的確なアドバイスは、すぐには思いつかない。
「ちょっと待ってな。昇降口側の階段にいるってことだな。俺もちょうど源先生と図書室にさっきまでいたから、昇降口のほう向かうな。落ち着いて待ってたらすぐ行く」
『わかりました……』
平常心を装って琴子を励ましながら、駿は頭をフル回転させていた。
自分もつい昨日似たような経験をしたが、ここであってここでない場所に行ってしまうというのは、ものすごく怖いことだ。だからコトラを助けてやりたいという気持ちはあるものの、怖くてどうしたらいいのかわからないのも本音だった。
「階段を数えてたらおかしな場所に行っちまったんだろ。で、下ってもだめ。元の場所に戻るには……逆のことをすればいいのか!」
着物の左前だとか死者がするという裏拍手だとか、この世とあの世とでは常識とされるものが反転するということを思い出し、駿は叫んだ。
はっきり言って当てずっぽうもいいところだ。だが、思いきりのいい性格のコトラには、それで伝わったらしい。
『え? 逆のこと? ……わかりました! 後ろ向きに下りてみます!』
そう叫ぶと、琴子からの電話は切れた。
***
駿との電話を切ってから、琴子は落ち着きを取り戻していた。
怖さはまだ当然あるが、突破口を見つけられた気がして気力が湧いた。
耳を澄ませてみると、まだ何者かの足音は聞こえ続けている。しかし、足音ばかりでこちらに近づいてきていないということにも気がついた。
「成瀬、後ろ歩きで階段下りてみよう」
「は? なんで?」
「さっきこわたん先輩に電話したら、反対のことやってみろって言われたから。階段を上るの反対は下るでしょ? それをさらに普通に歩くのの反対、後ろ歩きでやってみるの。これで、元の階段に戻れるよ!」
恐怖心と訝る気持ちを全面に出している成瀬に、琴子はそう言いきった。そう言いきられるとそんな気がしたのか、しぶしぶではあるが成瀬は後ろ向きになる。
だが、不安定な姿勢に対する怖さがあって、一歩を踏み出せない。
「……コトラ、無理」
「大丈夫! 手すり持って、もう片方は私と手をつないで。ゆっくり、一歩ずついくよ」
これでもとの階段に戻れると信じている琴子の動きには、一切の迷いがなかった。自身も手すりを持ち、もう一方の手で成瀬の手を握り、「せーの」の掛け声とともに一歩ずつ階段を下りていく。
一歩、また一歩と、ゆっくりではあるが確実に、琴子たちは進む。
成瀬は腰が引けていて、琴子にいたってはがに股だ。下から見ればさぞ不格好だろうが、そんなことを今は気にしていられない。
パタン、パタン、という特徴的な足音が、少しずつ近づいてきていることも――。
「こ、コトラっ……足音、近づいてきてるよっ」
「大丈夫。私たちが階段下りてるんだから、あっちだって下りてきてるだけ。……そっか、あっちも下り方、わかんなかったんだね」
成瀬は悲鳴をあげそうになっていたが、琴子は余裕だった。
足音の正体はわからず、そのせいで怖いという思いは当然ある。だが、これまで一向に近づいてくる気配のなかったそれが迫ってくるということが、この方法は正解であると確信させた。
信じる気持ちが強くなれば、琴子は気も大きくなった。
「私たちが先に一階に着くから大丈夫! それに、こわたん先輩だってこっちに向かってくれてるんだからね!」
足音の主に聞こえるように、大きな声で言ってみた。だが、そうやって声を張ると自分が震えていることがわかって、琴子は恐怖を自覚した。
それでも、響かせるように心持ち大きめに足を踏み鳴らせば、気持ちを強く持てた。だから、別の気配と自分を呼ぶ声が近づいてきたときは、「勝った」と思った。
「コトラー!」
待ち望んだ声が聞こえたのと同時に、踊り場に足をついた。一階までの階段をようやく、半分まで下りたのだ。
振り返れば、そこには息を切らして走ってきた駿と源の姿があった。
「こわたん先輩!」
「待った!」
駿の姿を確認して体を反転させようとした琴子を、彼は手で制した。
「ここまで来たら大丈夫だと思うけど、念のためにそのまま後ろ向きで下りてこい」
「え……あ、はい」
本当は今すぐにでも走り出したい気持ちをこらえて、琴子はまた後ろ歩きで残りの階段を下り始めた。
先ほどまでと気持ちがまったく違っている。これで大丈夫だという確信はあったものの不安があったさっきまでとは違い、今は完全に安心している。
隣の成瀬も、もうへっぴり腰をやめてちゃんと立っている。相変わらず、手は震えているが。
「あー……やっと一階に下りられた」
一番下の階段を踏んで、琴子は力が抜けたようにへたりこんだ。実際、かなりの数の階段を駆け下りてきたのだ。運動量にしたら結構なもので、そのぶん足は疲れている。
何より、心臓がうるさいくらいに鳴っていたせいで、今になって胸が痛い。
「男虎さん、おつかれ」
「や、はい。……あー、本当にこわたん先輩と源先生がいてよかった」
「僕は何もしてないけどね」
源ににこやかに手を差し伸べられ、琴子はほっと息をついて立ち上がった。その手のぬくもりを感じたことで、自分の手が緊張と恐怖ですっかり冷たくなってしまっていたことに気づく。
無事に下にたどり着いたことで一瞬忘れていたが、例の足音は絶え間なく近づいてきていた。そのことを思い出したのだろう。壁に手をついて呼吸を整えていた成瀬も、視線を上に向ける。
だが、踊り場を過ぎたあたりでようやくその足音の人物が見え、琴子も成瀬もほっとした。
「あ……なんだ。三郎丸先生だったんだ」
「それはこっちの台詞だって。誰もいないはずなのに騒がしくて、びびってたんだから」
現れたのは三郎丸だった。怪異ではなく見知った顔だったことに安堵した琴子だったが、昨日のこともあって若干身構えてしまう。
昨日みたいに、変な感じはしないように思う。しかし、隣で駿が源の服の裾を掴んで震えているのが気になった。
「……何あれ。昼間と違う。手? 増えてんの? うわぁ……」
駿の視線は間違いなく三郎丸に注がれていて、あきらかに怖がっている。
琴子の目には何も見えないが、今日はさすがに怖くなって心持ち駿のほうへ距離を詰めた。
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