第9話 すくうもの③
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一組めがゴールして戻ってきたのを見て、駿は肝試しは案外何事もなくうまくいくのではないかと思っていた。
だが、三組目が予定通り出発しても二組めの琴子たちがなかなか戻ってこず、どうしたものかとやきもきして待っていたところに、源に肩を貸してもらって足を引きずった成瀬が出てきたときに、何かまずいことが起きているのだと理解した。
「成瀬さん、足、どうした?」
「転んで挫いちゃって……で、引き返してたところを源先生たちに見つけてもらった感じです」
「え? コトラは?」
本当なら、怪我の心配を先にすべきだったのだろう。だが、ペアだった成瀬が別の組と帰ってきたのを見て、気遣う余裕がなくなった。
「あれ? 私が足挫いちゃったから戻るねって言ったら、返事もしないで先に進んでいったので、てっきりひとりで目的地に行って戻ってきてるのかと……」
「戻ってきてない。……時間的には、戻ってきてないとおかしいと思うんだけど」
その場にいる全員が顔を見合わせて、不安な表情を浮かべた。
天文部たちはただ戻ってこない人がいるというだけの不安だろうが、駿と源は違う。琴子が大変な目に遭っているのではないか、厄介なことになっているのではないかということが頭をちらつく。
「私、電話してみます!」
「いや、いい。俺が電話しながら校舎の中に向かう」
機転を利かせてスマホを取り出した成瀬を制し、駿は自分のスマホを握りしめる。そのとき、三郎丸と目があった。
「……三郎丸先生、ついてきてくれますか? 源先生は、成瀬さんの手当てがあるし……」
「いいよ、行こう」
もしかしてこれはいい機会なのではないかと、思いきって声をかけてみた。すると、三郎丸はすぐに駿のそばまで来た。
相変わらず背後にはえげつないものが憑いているが、その目は正気を保っているように見える。
「電話は……まずいかもしれないからまずメッセージ送ってみます」
スタート地点となる昇降口に向かいながら、駿はスマホをいじった。
これは琴子の作戦なのかと思ったのだが、本当に厄介なことに巻き込まれていたとしたら、いきなり電話するべきではないと考えたのだ。
「電話はまずいかもって、どうして?」
何とメッセージを送ったらいいかと考えていると、三郎丸が尋ねてきた。まさか会話が成り立つとは思っていなかったため、駿は少し驚いた。
「もし何かから逃げて隠れているときにスマホが鳴って、その音で場所がバレたら、危ないなって……」
「なるほど。小幡くんは、そういうふうに物事を考えられる人なんだね」
「は、はい」
意外と話が通じたことに、駿は驚きを通り越して少し怖くなった。
琴子の推測通り、頼られると正気になるのかもしれないと、この短い間のやりとりで感じた。
いつも女子生徒に囲まれているのを見て「何だこいつ」と思っていたのだが、もしかしたらあれも頼られてのことなのだろうかと、やや見方を変えてみることにした。
「……だめだ。『今どこにいる?困ってるなら迎えに行くから場所教えろ』ってメッセージ送ったんですけど、既読がつかない」
「スマホを見る余裕がないのかもしれないな。それなら、どこかで見つけられると信じて順路を行くしかないか」
「う、うす」
琴子を探しに行かなくてはと思うのに怖さで若干足が重い駿に対し、三郎丸は迷わず廊下を進んでいく。立ち止まっているわけにもいかず、その背中を頼りに駿も歩きだす。
「……夜の学校って、怖いっすね」
何も話さないのは間が持たない気がして、駿はそんなことを口にした。
「そうだね。でも俺、自分が学生の頃も含めてもう何年もこの学校にいるから、まあ慣れてはいるかな」
「え? 三郎丸先生ってここのOBなんすか?」
「うん。教師になって母校に帰るの、ロマンだろ?」
「そ、そっすね」
三郎丸の言うロマン云々はわからなかったが、彼が夜宮高校出身だという事実に、静かに興奮していた。
三郎丸は源と同じくらいの年齢のはずだから、今から十年前くらいのこの学校のことについて聞けるはずだ。
いろいろ聞くことができれば、わからないままモヤモヤしていることも、少しは解決するかもしれない。そんなふうに思うと、途端に苦手だと思っていたこの教師に興味が湧いた。
だが、質問したいことが次々思い浮かんだ矢先、スマホが震えた。
「コトラからだ。……昇降口にいる? 一体どういうルート通ったんだ?」
三郎丸にも聞こえるように言ったはずなのだが、彼は構わず廊下を進んでいく。仕方なく、そのあとを追いかけた。
「先生、あの、男虎さんから返信あって、昇降口にいるそうです」
「でも、こっちから声がするんだ。呼んでるんだよ、『先生』って」
「え?」
あっと思ったときには、三郎丸は走り出していた。教室棟の廊下の端まで行って、連絡通路を駆け抜け、特別棟へ向かっていく。
「三郎丸先生、ちょ、待って……」
まずいと思って追いかけたものの、三郎丸の足は速く、運動がそこまで得意ではない駿には追いつけなかった。何とか差を縮めようと走り続ける間にも、三郎丸はどんどん先へ進んでいく。
そして、特別棟の廊下の虚空に向かって手を伸ばした。
「そんなところにいたらだめだ! こっちにおいで、男虎さん!」
「いやいやいやいやっ!」
三郎丸の目に一体何が見えているのかは分からないが、彼の腕に何かがまとわりついているのが見えた。
彼は、そこにいる琴子に手を差し伸べたつもりなのだろう。だが実際は、黒い無数の手のようなものが伸びてきて、三郎丸を向こう側に引きずりこもうとしている。
「先生! だめだって! すぐそれから手ぇ離して!」
急いで駆け寄った駿は、三郎丸の腰にガシッと掴まり、必死に引っ張った。
こんな不気味で怖い綱引きがあってたまるかと思うが、原理は一緒だ。引く力で負けたら、ずるずる向こう側に引き寄せられてしまう。体勢が崩れたら終わりだと、渾身の力で引く。
だが、相手は得体の知れないものだ。物理法則などお構いなしなのだろう。大の男プラスへっぽこでも一応男子の駿が必死に後ろに引いても、こちら側に引き寄せられている感覚はなかった。むしろ、引くのをやめればこちらが負けるのは目に見えている。
これは気持ちで負けたら負けなのだとわかった瞬間、向こうの引く力が増した気がした。
「うわっ……」
「何かわかんないけど、行っちゃだめですー!」
咄嗟のことに絶望しかけたとき、背後から騒々しい気配が近づいてくるのがわかった。それはあっという間に走り寄ってくると、ガシッと駿の腰にしがみついた。
「連れて行かせませんよ! だめ!」
「……コトラ!」
絶望した自分が見た幻かと思ったが、その騒々しい存在は小さな体で必死に駿と三郎丸をつなぎとめようとしていた。それを見て、本物だと確信する。
「コトラ、俺じゃなくて先生を引っ張るんだ。変なのに腕を掴まれてるし、先生も掴んじゃってるから」
「わかりました!」
琴子は言われるがまま駿から離れると、今度は三郎丸の腕にしがみつく。そして、その小さな体で必死に踏ん張った。
「先生! ちゃんと見て! 私、ここにいます!」
琴子の目にも、そこにあるものは見えていないだろう。それでも、三郎丸がブツブツと「男虎さん、戻っておいで」などと呟いているのが聞こえたらしく、本物の自分がここにいることを示そうと必死だ。
その声が少ししてようやく届いたようで、三郎丸は自分の腕にぶら下がる琴子を見てハッとした。
「……男虎さん?」
「そうです! 私はこっち」
「じゃあ、これは……?」
「だめなやつです!」
三郎丸が正気に戻るや否や、引っ張る力が強まった。大の男と中の男と、小柄とはいえ十代女子が必死に抵抗しているのに、ずるずると〝向こう側〟に連れていかれそうになっている。
「コトラ! 三郎丸先生の腕に憑いてるやつ、やっつけてやれ! お前の力で、先生を助けてやるんだ!」
このままではどうにもならないと、駿は叫んだ。問題となっているのは、三郎丸の腕が掴まれていることだ。それなら、掴んでいるものを剥がしたらいい。そして、それができるのは琴子しかいないと考えたのだ。
「わかりました! いきますよー!」
琴子はそう言って、思いきり三郎丸の腕を叩いた。それにシンクロするように、彼女の背後の金剛力士像のような守護霊も、向こう側の禍々しいものを殴る。
琴子は執拗に、何度も何度も、気合いを入れて三郎丸の腕をバチンと音がするほど叩く。すると、金剛力士像も思いきり腕を奮う。
金剛力士像が腕をめり込ませると、ぐにゃぐにゃの黒い塊が蠢いて見えたものが、形を崩す。その中には、無数の顔が、手が、体が見えた。結合していたものが崩壊したことで、それが単体ではなく、無数のものが寄り集まったことでできあがっていたのだとわかる。
「いったぁっ」
容赦のない琴子からの攻撃に、三郎丸は野太い悲鳴をあげた。おそらく、肉体的な痛みだけでなく、彼を持っていこうとしているものの抵抗が体に負担をかけているのだろう。
だが、琴子はそんなふうには考えない。
「先生を痛くする悪いやつはどっか行けー! いたいのいたいの飛んでいけー!!」
琴子は腕だけでなく、三郎丸の背中まで叩き始めた。細く小さな手がしなり、ビタン!と音がするほど彼の背中にめり込む。当然、背後の金剛力士像も三郎丸に憑いているものを殴る。
最初は抵抗していた三郎丸に憑いているものたちだったが、執拗な攻撃を浴びせられ、だんだんと霧散していった。
おそらく、〝いたいのいたいの〟となって飛んでいくしかなくなってしまったのだろう。
琴子が、そう信じたから。
「……お、終わった?」
引っ張る力がなくなり、三郎丸はストンと後ろに尻もちをついた。消滅したわけではないのだろうが、先ほどまで三郎丸を引っ張って連れて行こうとしたものは、そこに形を留めておけなくなったようだ。
つまり、こちら側の勝利だ。
「また集まってきたら嫌なんで、早く出ますよ」
「あ、ああ」
長居したい場所ではないと思い、駿は三郎丸に手を貸して立ち上がらせ、足早にその場をあとにした。
あと少し進めば目的地ではあったが、今は安全の確保が何よりだ。
「コトラ、よくやったな」
さすがに疲れたのだろう。移動を始めてから一言も口を聞かない琴子を、駿は先輩としてねぎらった。
それを聞いた琴子は、ほっとしたように笑った。
「私、かなり役に立つでしょ」
「そうだな」
妙なやつだと最初は思っていたし、背後にいる守護霊の癖が強すぎると思っていたが、今となっては感謝しかない。
琴子と、彼女の守護霊がいなければこの場を切り抜けられなかっただろうと、しみじみと感じていた。
みんなが待つグラウンドに戻ってからは、校舎内で起こったことには触れず、穏やかな時間が流れた。
混乱を避けようと、琴子が進んで自ら「道に迷っちゃって」と説明したのだ。
順路を行くのが面倒くさくなって、別の道を通ろうと思ったところ、暗くて途中でわからなくなってしまったのだと琴子は説明した。
源はそれで事情を察した様子だったし、成瀬は少し訝しんでいたが、天文部の三人は信じたようだった。
放課後暗くまで残って活動することが多い順彼らに不安を与えなかったのはなかなかの機転だと、駿はこっそり感心した。
そこからは家庭科室に向かって予定通り素麺を湯がいて食べ、まったりしてから星を見る会になった。
天文部たちはお待ちかねの天体観測に夢中になっていて、肝試しで何かトラブルがあったことなどすっかり忘れてしまっているようだ。
琴子は成瀬にべったり張り付かれていて、女子二人で楽しんでいる。
「あのさ……小幡くんとか男虎さんって、何なの? さっき、俺が大変な目に遭ってるときに助けてくれたけど」
駿が天体観測に参加せず、グラウンドの隅ではしゃぐみんなを見ていると、隣に三郎丸がやってきた。彼の肩には今、何も乗っていない。そんな姿は初めて見るが、これが本来の姿なのだと駿は不思議な気持ちで見つめた。
「何って言うほどの者ではないです。俺は、ただ子供の頃から幽霊が見えるだけ。……こんなこと言って、頭のおかしなやつだと思われるかもしれませんけど」
「いや、思わない。俺は見えないけど、幽霊とかはいると思うし。近寄ったら気持ち悪い場所とか、何か嫌なにおいがする場所とか、やっぱあるじゃん」
「ですね。で、俺にはその気持ち悪い場所とか嫌なにおいがするところには、見えるんですよ。昔から」
「なるほどねえ」
意外なことに、三郎丸は駿の話を否定せずに聞いてくれた。というよりも、理解度が高く、〝話のわかる大人〟であることがわかった。
「じゃあ、男虎さんも見えるの?」
「あいつは見えないらしいです。でも、すげえマッチョな金剛力士像みたいな守護霊が憑いてて、それがめちゃくちゃ強いんです」
「悪いやつやっつけてくれたのって、その金剛力士像?」
「そうです。すんげぇボコスカ殴ってましたよ」
駿が見た光景について話すと、三郎丸はひとしきり驚いてから笑った。そして体をさすって「どうりで痛かったはずだ」と納得していた。
「俺さあ、頼られるのがすげえ好きなんだよ。生き甲斐、みたいな。そのせいで人間関係のトラブルも多いのに、やめられなくて」
何か感じるところがあったのか、三郎丸はポツリと言った。源たちと予想した通りだ。
誰かに頼られたい、人を助けたいというのは、理解できなくはない願望だ。だが、それは行き過ぎると危ういものになる。
「でも、幽霊にまで頼られようとするのは、もうやめてください」
「助けてやられるんなら、助けてやりたかったんだよ」
「無理ですよ。それに……先生は、ちゃんと生きてる生徒のことを見てなくちゃいけないじゃないすか」
駿がそんなことを言うのが信じられなかったのか、三郎丸は一瞬ひどく驚いた顔をしたあと、嬉しそうに笑った。
「そうだよな。小幡くん、男虎さんを探しに行くとき、ひとりじゃ行けなかったしね」
「そ、そりゃそうでしょ! 夜の学校なんて、怖いに決まってんだから! 学校って場所は昼間ですらやべぇんですよ」
「じゃあさ、今後は俺のことももっと頼ってよ」
「えー……ああ、はい」
妙に構ってくるところとか、兄貴風を吹かせてくるところとか、やっぱり三郎丸のことは苦手だなと思う。
だが、憑き物が取れた状態で向き合うと、そこまで嫌いな人間でもない。だから駿は、曖昧な返事をしておいた。もう前みたいに、毛嫌いする理由はない。
「せんぱーい! せっかくだから星見ましょうよー」
三郎丸が嬉しそうにして駿が微妙な気持ちになっていると、離れたところから琴子が呼んでいた。女子トークを楽しんでいたかと思っていたのに、いつの間にか天体観測に参加していたらしい。
源や天文部員たちも手を振るから、行かないわけにもいかなかった。
「ああ、青春だねえ」
呼ばれたほうへ一緒に向かいながら、三郎丸が楽しそうに行った。
それに返事をしなかったが、駿もこんなに楽しい夏休みは初めてかもしれないと、内心で喜んでいた。
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