第9話 すくうもの②
人は時として、恐怖・忌避する対象にわざわざ近づいていって、それを楽しむことがある。
檻や車越しに肉食獣を見るのもそうだし、バンジージャンプ体験はその例として挙げられる。
肝試しも、昔からあるその手の娯楽のひとつといえる。
肝試しとは主に夏に行う、度胸試しの遊びである。子供会などの地域の行事や学校の催しとして体験したことがある人は多いだろうし、大学生くらいになって若さと暇に飽かせて仲間で廃墟や墓場に赴いたことがある人もいるだろう。
肝試しは、古くは平安時代からある。その当時の帝が部下たちに命じて鬼が出ると噂される屋敷に行かせたという話が、歴史物語の中に記されている。
海外にも似たような文化があり、アメリカの都市伝説であるブラッディマリーも肝試し的行為のひとつだろう。真夜中、鏡の前でその名を呼ぶと現れるというもので、髪の長い血まみれの女が現れて、殺されるとも発狂するとも言われている。
江戸時代に武士から庶民に広まって流行したという百物語も、怪談会に通じる要素よりも肝試し的要素が強かったようだ。参加者は真っ暗な部屋で怪談を語ったあと、隣の灯りを灯した部屋に行き、ひとつ灯りを消すのだという。そのあと、鏡で自分の顔を確認するというのが、ひどく肝を冷やす行為だったようだ。
現在、肝試しという用語が指すものは、目的地に赴いてそこへ本当に行った証となるものを持ち帰るというルールが設けられていることが多い。度胸を試すというよりも、その道中の雰囲気や用意された仕掛けを楽しむ意味合いが強いだろう。
廃墟や墓場に赴くのではなく、用意されたフィールドを夜に歩くだけでも、子供にとっては怖いものだ。教師や保護者が怖がらせるための仕掛けをしているのならなおさら。
怖いのが苦手な人にとっては嫌でたまらない催しだろうが、子供のときのこの手の体験を好意的な思い出として記憶している人は多い。
非日常の体験により、友達や周囲との仲が深まったと感じるようだ。
恐怖や緊張が伴う場面を一緒に過ごした相手に好意をいだきやすくなるという、吊り橋効果なるものが肝試しには期待できるということだろう。
その効果を期待して、夜宮高校でもまさに今から、肝試しが行われようとしていた。
「……こんなんで、うまく行くのかよ」
ある日の夜。
駿は何人かの生徒たちと学校に残っていた。
今夜、合宿と称して集まっているのだ。当然、郷土研究会の合宿ではない。とある計画を実行するため、天文部に協力してもらって夜の学校に居残る許可をもぎ取った。
部としてギリギリ存在できているだけの彼らとしても、どんな目的であれ〝合宿〟という名目で活動できるのはありがたいということで、利害は一致した。来年も部として存続するために、琴子と成瀬が部員として籍を置くことも条件につけたため、天文部にとっては破格の申し出だった。
天文部は、学校に居残って天体観測ができると喜んでいる。まだ暗くならないうちから天体望遠鏡のセッティングをして、方位を確認して、星が出てくるのを今か今かと待っている。
それを見守りながら駿は、不安なような苛立つような、落ち着かない気持ちでいた。
駿の今夜の目的は天体観測ではない。
肝試しをするのが、わざわざ夜に学校に残っている理由なのだ。
琴子が考えた〝三郎丸先生を助ける方法〟とは、肝試しだったのだ。
その名も「幽霊よりも生きてる生徒に頼られて正気に戻ってもらおう作戦」。
つまり、幽霊に憑かれてしまっているのは〝救いたい〟という思いの行き場がないから。そこで、肝試しをして頼られ、〝救いたい〟願望を満たしてもらおうというものだった。
駿はそんなのうまくいくわけがないと思ったのだが、意外なことに源がすぐ乗り気になった。
彼はきちんと許可をとって学校に居残るために合宿のことを思いつき、郷土研究会だけでは許可が下りないと踏んで天文部にもすぐに声をかけるという周到ぶりだった。
「終わったよ。ばっちり浄化してきた」
グラウンドの隅で待機していた駿のもとへ、校舎を見回ってきた源が笑顔で戻ってきた。彼は今からの肝試しのコースを見て回り、安全確保のために浄化してきてくれたのだ。源がというより、彼の背後にいる守護霊的なものが、だが。
これで徘徊・浮遊するものは一時的にいなくなったから、少しは安全になったといえるだろう。
だからといって、物心ついたときから霊が見えることに悩まされてきた駿は、進んで肝試しをすることに抵抗があった。
「小幡くん、まだ納得してないの?」
「いや、だって……こんなのがうまくいくのかなって」
なだめるように源に笑われて、駿は視線を離れたところにいる琴子たちに向けた。琴子は成瀬と一緒に、全身に虫除けスプレーをかけている。それを三郎丸が見守っていた。
「僕は、悪くないと思う。毒をもって毒を制すじゃないけど、男虎さんがこれでやれるって信じてるなら、アリだ」
「どういうこと?」
「男虎さんの守護霊の力の強さって、彼女の自信に比例してるんじゃないのかなって思うんだ。だから、彼女がやれると思ってるなら可能かなって」
「ああ、なるほど」
源の考えを聞いて、駿にも思い至ることがあった。
「コトラがやれると思ってるときはこっくりさんを祓えるし、送り犬をべとべとさんに変えられる。でも、訳がわからず巻き込まれた百物語からの自力脱出は無理だった。この前の階段は、俺の提案を〝信じた〟から抜け出せた――ってことですよね?」
「そういうこと。つまり、男虎さんがやれると踏んでるならやらせてみる価値はある。運良く三郎丸先生の憑き物を落とせるかもしれないよ」
そんなことを二人で話していると、三郎丸が近づいてきた。その後ろから琴子と成瀬も来る。
「そろそろですかね」
「いい感じに暗くなりましたし、始めましょうか」
三郎丸に相槌を打つ源に視線で同意を求められ、駿はコクコクと頷いた。間近で見ると、やはり三郎丸の背後は強烈で怖い。他の人より一足先に肝試しさせられている気分だ。
こんなものを憑けてよく平気でいられるなと思うが、そんなふうに他人事ではいられないのだ。
今夜の計画を成功させて、三郎丸を正気に戻さなくてはいけないから。そして、あのノートを手放させなければならない。
「こわたん先輩、大丈夫ですか?」
険しい顔をしていたのだろう。心配そうに琴子が見上げてきた。
琴子の〝やれる〟という思いを少しでも揺らがせてはならないと思い、駿は力強く頷いてみせた。
「大丈夫。ちょっと暑くてまいってただけだ」
「肝試し終わったら、家庭科室で涼みながら素麺食べられますよ。ちょっとの辛抱です」
「だな」
そのあとの天体観測のことはすっかり頭にないようで、琴子は素麺のことで頭がいっぱいになっている。計画に不安を感じていない様子なのは、いいことだが。
これから二人組に分かれて、教室棟から連絡通路を通って特別棟へ行き、そこに用意してある〝合宿のしおり〟を取ってくるのだ。しおりといっても両面印刷の紙を半分に折ってあるだけの、予定と注意事項が書かれた紙なのだが、源が張り切って作ってくれた。
組分けは、天文部の二人、余った天文部員と源、琴子と成瀬、そして駿と三郎丸だ。
「……嫌だなぁ」
思わず呟いてしまうと、成瀬と目があった。知り合ったばかりのときと較べるといくらか当たりのきつさはなくなったが、まだ鋭い。その鋭い視線を受けて駿が戸惑っていると、成瀬がずいっと距離を詰めてきた。
「コトラとのペア、変わりましょうか?」
「え?」
「だって、三郎丸先生とのペアが嫌なんでしょう? というより、コトラがいいのかなって」
あろうことか、成瀬は気を使ってコトラとペアになるのを譲ろうと言ってきたのだ。そんな気遣いができるタイプだったのかと驚きつつも、誤解は解かねばと首を振る。
「親切にどうも。でも、別にコトラと組みたいわけじゃないんだよ」
「そうなんですか。あ、組みたかったのは源先生か」
「いや、ちが……」
成瀬は駿が申し出を受けないとわかると、あっさり引き下がって戻っていった。しかも、別の誤解を抱えたまま。
そして、天文部の二人を皮切りに肝試しはスタートしてしまった。
***
最初の組が出発して五分ほど経ってから、琴子と成瀬の二人もスタートした。
出発地点は昇降口で、そこから教室棟の一階廊下を端まで歩いて、連絡通路を通り、特別棟まで行く。それから特別棟の端に設置してある机の上からしおりを取ってくれば、あとはもと来た道を引き返すだけだ。
こんなの簡単で、全然余裕だと思っていたのだが、琴子は困った事態に陥っていた。
「……やばいな。これ、成瀬じゃないな」
自分の少し先を歩く友人の後ろ姿を見て、琴子はこっそり呟いた。
最初は順調に歩いていた琴子たちだったが、途中で成瀬が転んで足を挫いてしまったのだ。だから、本当は教室棟の二階に上がってそこから特別棟と繋がっている廊下まで歩こうと思っていた計画を急遽変更して、一階の廊下を歩いていたはずだった。
だが、目の前にいる成瀬は一言も話さず、琴子の歩調に合わせることもなく、どんどん先を歩いていくのだ。
そんなの、成瀬ではありえなかった。
まずに、成瀬は日頃怖がって一階部分の連絡通路を使いたがらない。それに、今は足を挫いていて多少なりとも痛みがあるはずだ。
何よりも、あんなふうに琴子をおいていってしまうような歩き方はしないはずだ。出会ってすぐのときならいざ知らず、今はすごく仲良しなのだから。
とはいえ、目の前を歩く成瀬が本物の彼女ではないとわかっても、琴子にすぐにできそうなことなどなかった。
ここで踵を返して逃げ出すのは得策ではないかもしれない。だが、このままついていっても大丈夫なのかわからない。
だから、しばらく適度に距離を取りながら、目的地に向かって歩くことにした。
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