第8話 学校のかいだん①

 人々は昔から、異界――人間の暮らす場所とは異なる世界――は自分たちの生活圏と地続きにあると考えていたようだ。

 たとえば橋なんかは、この世とあの世をつなぐ存在だと考えられていた。

 大昔、一度死んだ人間が橋の上で生き返ったという伝承があったり、橋の上で行う〝橋占〟という占いが残っていたりする。

 それは、当時の人々が橋というものにこの世のものならざる何らかの神秘性を見い出していたからだろう。

 また、辻というのも異界に通じる場所だと考えられていた。

 辻からは辻神と呼ばれるものが異界から訪れるため、角に魔除けの石を置くような風習があった。これと同じようなものに、辻切りという縄や札をかけるものもあった。

 三叉路には鬼や幽霊が出るといった怪談も多く存在する。複数の道がぶつかる場所、またはその角というのは、何か得体の知れないものが現れると信じられていたようだ。

 同様に異界へ通じるものと考えられているものには、坂や峠、もっと身近なものなら階段が挙げられるだろう。

 非常階段や螺旋階段に幽霊が現れるという話。十三階段という、アパートなどに出没する毎日一段ずつ階段を上がってくる怪異の話。

 または、階段を上るときと下るときに数えると数が合わないといった話や、階段を下りても下りても階下にたどり着けなくなるという恐怖体験など、ささやかなものを含めると階段にまつわる怖い話はかなりの数がありそうだ。

 心霊スポットなどを訪れて恐怖体験をするのならば仕方がないが、日常の中で使うことを避けられない場所で恐ろしい思いをするのは、不運としか言いようがない。


 夜宮高校の女子生徒二人も、その不運の体験者となる。

 よりにもよって、夜の学校に忍び込んだからだ。

 ただでさえ異界と通じていると考えられている場所なのに、この世とあの世の境界線が曖昧な時間に訪れれば、当然のことではあるのだろうが。

 

 

「友達の部屋に遊びに来るの初めてで、ちょっと緊張する……」


 夏休み一日目の夜。成瀬は琴子の部屋に招かれて、いつもより体を小さくしていた。

 友達が欲しくてタルパを作り出してしまうような人物だから、当然こういったイベントには慣れていない。

 だが、迎え入れるほうの琴子は自由なものだ。


「そんな緊張しなくていいよー。成瀬、お行儀いいし。菓子折り持って来てくれたから、お母さんが感心してたよ」


 Tシャツに中学時代の体操服の短パンというゆるすぎる部屋着の琴子は、成瀬が持ってきた一口羊羹を食べながら言う。

 それを見て、成瀬も少し緊張を解いた。


「まあ、人様の家にお邪魔するなら、手土産は当然でしょ」

「すごいなー。しっかりしてる」

「コトラ、あんたがゆるすぎるのよ」


 琴子があまりにも客人を気にした様子がないのを見て、ようやく成瀬も足を崩して座った。それでも、制服をきちんと着ているぶん、成瀬のほうがちゃんとして見える。琴子の姿はリラックスというよりも、怠惰の極みのようだ。


「あんた、夏休み初日でそんなにだらけてていいの? 私ら、もう高二なんだからね」

「わかってるよ。だから夏期講習もちゃんと受けるし。成瀬は塾にまで行ってて偉いね」

「私の場合は部活やってなくて、勉強くらいしかすることないから。……って、あんたも一緒か。郷土研究会だっけ? あれってやることあんまりないんじゃない?」


 話の流れで部活の話になり、琴子はどうしたものかと考えた。

 成瀬には、郷土研究会の真の姿である〝怪奇クラブ〟の話はしていない。秘密の組織なのだから軽々しく口外できないのは仕方がないのだが。


「それがまあ、細々としたやることはあるんだよ。貴重な資料の管理とか、文化祭の展示物とか新聞部からの依頼の原稿を書いたりとか」

「へえ。てか、前から気になってたけど、何でそんなマイナーな訳のわかんない同好会に入ることにしたの? 料理研究部とか、あんたの好きそうなの他にあったでしょ」

「転校初日に源先生に誘われて……あと、先輩もいい人そうだったから、まあいいかなって」

「へえ」


 琴子がふたつめの一口羊羹を食べるのを見て、成瀬もつられたように手を伸ばした。それから少しの間、二人は黙々と羊羹を食べる。

 手持ち無沙汰だったのか、成瀬はカバンから問題集を取り出し、パラパラめくった。それを見て、琴子はハッとする。


「やばい! その問題集、学校に置いてきちゃった!」


 成瀬が持っているのは夏期講習の際に使う問題集で、それが学校の机の引き出しの中に入ったままなのを今思い出した。


「え? 今日はこれを一緒に解くからってことでお泊りなんでしょ?」

「うん、そうなんだけど……うわぁ、週明けに登校して朝のうちに解くんじゃ間に合わないよね」

「間に合わないと思う。てか、予習してないと講義きついと思うよ」

「うわぁ。詰んだ。なんで忘れ物なんか……」


 頭を抱えて嘆きつつも、琴子は時計を確認した。

 時刻は夕方六時半過ぎ。おそらくまだ、部活組が学校にいるだろう。夏休みでも野球部や吹奏楽部は、大会前でそこそこ遅い時間まで練習しているのだ。

 ということは、学校の中にはまだ入ることができる。


「成瀬、悪いんだけど、今から学校についてきてくれる?」

「仕方ないなあ。取りに行かないと話になんないもんね」

「うん、ごめん」


 琴子が素早く制服に着替えると、成瀬も渋々といった様子で立ち上がった。

 それから琴子は夕飯の支度をしていた母に忘れ物を取りに行く旨を伝え、家を出た。

 外はまだ薄っすらと明るく、空には青空が残っている。とはいえ夕暮れ時だから、昼間と比べると薄暗さはある。

 街灯が灯り始めた道を学校へ向けてくだりながら、ふと成瀬が口を開いた。


「そういえば、この平坂って呼ばれる坂道って、妖怪だかオバケだかが出るんでしょ? それに追いかけられて、春に陸上部の人が怪我したって」

「べとべとさんって妖怪だよ。ついてくるのを感じたら、『べとべとさん、お先にお越し』って言ってあげたら大丈夫なの」

「へえ。じゃあ、怖がらなくていいんだ」

「うん、害はないはずだよ」


 怪奇クラブに入ってすぐ体験したことが思わぬ形で広まっているのを知って、琴子は内心で苦笑した。

 あとになって源に聞いたところ、この坂道にはもともと送り犬と言われる怪異の話が広まっており、それと陸上部員の怪我が結びついて、一時凶悪な噂になってしまっていたのだという。

 それを琴子が勘違いしてべとべとさんだと思ったことで、話は再び変質して広まるようになった。


「あとさ、春休みにこっくりさんした女子たちがいたんだってね。それで、騒ぎになってたらしいけど」

「らしいね。転校してきたばっかりで、あんまり詳しく知らないんだけど」


 実際は知っているわけだが、まさか無意識とはいえ彼女たちに憑いていたものを追い払っただなんて成瀬に話せるわけはないから、琴子は曖昧に笑った。

 強い守護霊がついていて、心霊に関わろうとすると後ろで守っているのだと駿に教えられ、琴子はこれまで自分がしてきた行動を意識するようになった。

 単に活を入れるためにやっていた背中を叩くという行為が、どうやら憑いていたものを追い払う効果があると聞かされ、いろいろ腑に落ちた。そうはいっても、駿曰く万能ではないらしいのだが。

 


「そうなんだ。あんた、UFOとか好きだから、てっきりこういう話も好きなのかと思った」

「UFOとかUMAとかと、幽霊とかオバケは全然違うよ」

「そうなの? 私には全然わかんない感覚だわ。うちの学校、開かずの教室があったり屋上が立ち入り禁止だったりとか曰くつきなこといっぱいあるから、UFOなんかにも遭遇できたらいいね」


 話を振ってきたのに、成瀬はどうでもよさそうに言う。おそらく、琴子に気遣って話を振ってくれたのだろう。

 最初の頃と比べると、ぶっきらぼうな感じも減ってきたし、会話のキャッチボールもうまくなってきた。それだけ友人が自分と打ち解けてきてくれたのだと思うと、琴子は嬉しくなった。


「郷土研究会だから知ってるかもしれないけど、ここの地域の名前、今は〝夜の宮〟って書いて夜宮だけど、昔は〝黄泉の谷〟って書いて黄泉谷よみやだったんだって。それでこの坂は〝黄泉比良坂よもつひらさか〟の名残で平坂って呼ばれてるんだとか」

「えー知らなかった! てか、何だか不吉な名前だったんだね……黄泉って、あの世ってことでしょ?」


 成瀬から唐突にもたらされた情報に、琴子は何となく怖くなった。だが同時に、好奇心もくすぐられる。もしかしたら部室の資料の中に昔の土地の名前についてわかるものがあるかもしれないから、今度由来について調べてみようと思った。

 それからとりとめもない会話を続けるうちに二人は学校に到着し、用務員さんに無理を言って頼み込んで校内に入れてもらった。

 用務員さんには、「まだ残ってる先生がいるから、見つからないようにしてね。見つかったら怒られるからね」と念を押されたため、二人は慎重に歩く。


「……野球部も吹奏楽部も、もう帰っちゃったんだね」


 予想外に静かな校内に戸惑って、琴子は言った。野球部のナイター照明は消えているし、楽器の音も聞こえてこない。遅くまで残って練習しているだろうという読みは外れたらしい。

 夜の学校は、暗いことを抜きにしても異様な雰囲気があった。昼間と違う顔というか、よそよそしさのようなものを感じる。

 早く戻らなければという意識もあるが、これは頼まれても長居したくないぞという気分になり、琴子は足早に二年四組の教室を目指した。


「あったあった。よし、これを持って帰ればミッション完了だね」


 教室に入り、自分の机にたどりついた琴子は目的の問題集を見つけると、それをカバンにつっこんだ。だが、隣で見ていた成瀬が顔をしかめる。


「ちょっと、教科書も持って帰りなさいよ。引き出しの中にこんなにものを入れてるから忘れ物するんでしょ? 夏期講習に必要ない教科書は廊下のロッカーに入れて、あとは持ち帰りなよ」

「えー? カバン重くなるじゃん」

「また忘れ物を取りに来るハメになるよ」


 成瀬に言われ、仕方無しにカバンにその他のものを詰めてから、琴子たちは教室を出た。

 目的を果たしたため、戻りの道はやや気が緩む。


「そういえばさ、階段の怖い話ってあるよね。何か、数えたら段数が違うとか」


 昇降口に下りるために階段やってきて、琴子はふとそんなことを思い出す。

 人気のない夜の学校にこっそり入ったという非日常が、琴子の好奇心を刺激したのだ。


「一、二、三、四……」

「コトラ、何してんの?」

「そういえば、うちの学校の階段、何段なのかなって」


 不意にそんなことが気になった琴子は、手すりを掴んでゆっくりと階段を下りながら、その数を数え始めた。怖い話の定番では、階段が増えるとか減るとか。

 深く考えてのことではないが、少し気になってしまったのだ。

 隣で呆れて見ていた成瀬だったが、彼女もそのうちに小さな声で段数を数えていた。案外、付き合いのいい子だ。


「十一、十二、十三!」

「え? 十二じゃないの?」


 踊り場まで下って、二人はお互いが数えた段数を言い合った。どちらも噂を信じていたわけではないが、こうして実際に数が合わないと気になってしまうものだ。

 二人は顔を見合わせると、今度は上りながら段を数える。

 しかし、今度も二人の数はバラバラで、しかも下りのときの数とも合わなかった。そうなってくると、ついムキになってしまう。


「いや、うそうそ」

「ありえないでしょ。次、一緒に数えよう」


 二人はそんなことを言い合って、次は一緒に数えながら階段を下る。だが、その途中で琴子が何かを感じたように足を止め、背後を確認してから成瀬の手を引いて駆け出した。


「え? コトラ?」

「しっ! 今、誰かの気配があったの。用務員さんが言ってた、残ってる先生かも」

「やば! そうだった……バレずに戻んなきゃいけないんだった」


 用務員に念押しされていたことを思い出し、そこから二人は黙ってただひたすら階段を下りた。そう、ただひたすらに。

 おかしいと思いながらも、しばらくは二人とも必死に走っていたのだ。十三段を駆け下り、踊り場を通過し、また十三段を下りるという一階分の移動を、何度も何度も繰り返し。

 息切れして、疲れた足が何度かもつれそうになったが、それでも二人で走った。昇降口に着けば、あとは速やかに学校を出るだけだと。

 だが、その途中で気がついてしまった成瀬が、強引に琴子の腕を掴んで立ち止まった。


「……コトラ、ちょっと待って」

「え、うん」


 成瀬に止められ、琴子は自分の体が震えていることに気がついた。

 何段も階段を駆け下りて疲れていたのかもしれないが、それだけではない。

 一階分の移動を、何度も繰り返すのがおかしいのだ。琴子たちがいたのは二階で、階段は一階分下りれば、昇降口にたどり着くのだから。


「何で、昇降口に着かないの? 私たち、何で何回も何回も階段下りてるの? おかしいよ!」

「な、成瀬、落ち着いて……!」


 混乱して叫びだしそうになっている成瀬の口を手で塞いで、琴子も自身の唇をキュッと引き結んだ。

 そして、自分たちの息遣いが嫌になるほど感じられる静寂の中に、誰かの足跡がかすかに聞こえるのに耳を済ませていた。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る