第7話 百に届かぬ物語③


***

 

 屋上への階段を目指しながら、駿はやはりここは異常な空間なのだと気がついていた。

 いつも封鎖しているはずの鎖がないのだ。この前屋上を目指したときはその邪魔な鎖を潜って進まなければならなかったのに。

 だが、すんなりと進めたその先には、硬く閉ざされたドアがあるだけだった。ドアに厳重に鍵がかけられているわけではなく、家庭科室の戸と同じで、まるで空間に固定されてるみたいだった。

 自殺した少女の霊が何か残すならここだろうと思ったのに、どうやらあてが外れたらしい。

 ところが、あきらめて駿が立ち去ろうとしたところ、背後でぴちゃんと、何か液体が滴る音がした。水よりも粘度が高い液体が落ちたときのような、そんな独特の音が。

 正直言って、駿は振り返りたくなかった。絶対に何かある。もしくは何かいる。それがわかっているだけでも怖いのに、なぜ振り向かなければならないのか。

 そう思うが、振り向かないわけにもいかないともわかっていた。


「……くそっ! うわ……」


 思いきって振り返ると、屋上へ出るためのドアにデカデカと文字が書かれてあった。血文字で。今しがた書きましたというように、その文字からはぴちゃんぴちゃんと、血の滴がしたたっている。


「『秘密は知識の森に眠る』……って、図書室か!」


 不気味で気持ちが悪いが、ドアに書かれた文字はヒントだろう。そのヒントを目にして、駿は図書室での不可解なできごとを思い出した。

 以前、図書室にいるときに書棚から落ちてきた誰のものとも知れないノート。あれが恐らく、霊が言っているものだろう。

 そうとわかれば、急ぐしかない。図書室に向かって、駿は再び走り出した。

 走りながら、百物語は今どのくらいまで進んだのかということが気になった。電話は繋いだままだが、スマホを耳にあてて向こうの様子を聞く余裕はない。それならいっそ切ってしまったほうが源と連絡を取り合うことができて便利だろう。

 だが、電話を切る気にはなれなかった。何となく、電波で繋がっているこの状態が、琴子はとの細い繋がりのように思えたのだ。これを切ってしまったら、琴子を助けられない気がする。もしくは、会話ができなくてもこの心細い状況で、彼女と繋がっていたいのかもしれない。


「よし、あった!」


 図書室に入り、よくうろつく書棚を探すと、すぐに問題のノートは見つかった。薄ピンクの表紙の、よくある大学ノートだ。

 駿がそのノートを見つけたとき、すぐそばで女のクスクスという笑いが聞こえた。余裕の笑いだ。

 女子生徒の霊は、駿を自分のことを広めるための媒介か、第一の犠牲者くらいにしか考えていないのだろう。だから、ヒントを出してここまで導いたのだ。

 だが、駿だって負ける気はしていなかった。この霊に関して書かれたノートが見つかったのだ。それなら、対処法でも弱点でも見つかるだろう。

 見つからなければ、力技でも何でもやってのけてやるつもりだ。琴子がこっくりさんで呼び出した霊を平手打ちで雲散霧消させたように、人に害をなす送り犬を妖怪べとべとさんに変えてしまったように。

 何か糸口が掴めれば、きっと存在を捻じ曲げて作り変えてしまえるはずだ。

 かつて一世を風靡した口裂け女もテケテケもひきこさんも、対処法なり攻略法なりが伝播するようになると急速に力をなくしたように見えた。それらのものを根本から消滅させるのは、おそらく難しいだろう。だが、存在を作り変えて弱体化させること、話としてオチをつけて恐怖を薄れさせることは可能なはずだ。


「なんだよ、これ……オタクのノートじゃねえか。怪談オタクのだけど」


 自分のことについて書いてあるなどと言っていたノートだったが、その中身は女子生徒が集めたと思しき怪談だった。細かく感想や解説まで欠かれている。どのページもかなり熱量がこもっていて、どれだけ彼女が怪談が好きかわかる。だが、逆に言えばそれしか伝わってこないノートだった。


『ふふ……もうすぐ……もうすぐ』


 ノートをめくりながら頭を抱える駿を、女子生徒の霊は嘲笑っていた。百物語が終わるのがもうすぐなのか、自分の存在が完璧になるのがもうすぐなのかわからないが、その余裕ぶりに駿は腹が立った。

 ノートには夜宮高校周辺で収集した怪談のほか、有名どころの都市伝説についての解説と感想も書かれていた。口裂け女やカシマレイコについては崇拝と言っていいほど、熱烈な文章を書いている。どうやら、怪異として目指す存在らしい。

 だが、それに対して人面犬や送り犬など犬にまつわる話には熱が入っていないのがわかった。


(『犬は馬鹿だし噛むからダメだ』って、子供の悪口かよ……これか!)


 天啓を得たかのようにひらめいて、駿は図書室を飛び出した。

 駿が何をひらめいたか知らない女子生徒の霊は、その存在をちらつかせながらついてくる。消えては現れを繰り返すそれはホラー映画の演出にありがちな手法で、はっきり言って怖い。

 しかし、がっつり霊のテリトリーにいるという状況で霊を見るのは、日常の中に霊がうようよしているのよりかはマシだと思えるようになってしまっていた。この危機的状況で、感覚が麻痺してしまっただけかもしれないが。


「……くそ! どうなってんだよ!」


 図書室を出て階段をあがり連絡通路を走っていたはずなのに、いっこうに家庭科室の前にたどり着く気配がなかった。それどころか、廊下がどんどん伸びているように感じられた。おそらく、駿が怖がらなくなったから痛めつけようとしているのだろう。


『ひひ……もうすぐ、もうすぐ……』


 すぐ目の前に現れて笑われたのが腹が立って、駿は走るのをやめた。純粋な怒りではなく、恐怖が一周回って怒りに変わった感じだ。怖いが、ムカついて仕方がない。なぜ自分がこんな目に遭わされなければならないのだろうか。


(犬だ、犬。こいつが嫌いなのは犬。だったら、どうやって犬を出す?)


 せっかく弱点らしきものがわかったのに、犬なんてここにはいない。犬のキャラクターグッズでも何でも持っていたらよかったのかもしれないが、駿はそういった類のものは持たない。そして猫派だ。

 手詰まりかに思えた。もういっそ自分で吠えてしまおうかとも考えた。それか画像検索して犬の写真を見せるかとか。

 だが、この暗い廊下でスマホの液晶の光によってわずかに影ができているのを見て、駿はある方法を思いついた。


「……これだ!」


 叫んで、スマホのライトを点灯させた。その状態で床に置き、舞台のフットライトのような役割をさせ、影を廊下の壁に映し出した。


「犬が来た! 噛むぞ! 噛むぞ! 噛むぞ!」


 駿が両手で作ったのは、犬の影絵だ。口の部分に当たる小指をパクパクと動かせば、影の犬は凶悪な顎を開くように動いた。

 その影を見て、女子生徒の霊が怯んだのがわかった。だから駿はできるかぎりライトに近づき、目一杯大きな犬の影を映し出して吠えた。


「ガウ! ガウ! ガウ! ガウゥゥゥゥッ!」


 傍から見れば正気の沙汰ではないだろう。それでも駿はやりきった。影の犬をけしかけ、女子生徒の霊に襲いかからせる。

 先ほどまで意気揚々としていたくせに、犬に吠えられて噛む仕草をされると、女子生徒は嘘のように消え失せた。

 そして、廊下はいつもの空間に戻っていた。


「あれ? 小幡くん?」

「先生! ってことは、コトラ!」


 廊下の少し先に源の姿を確認して、駿は自分が戻ってきたことに気がついた。それなら、やることはあとひとつだけだ。 

 

「コトラ! コトラー!」


 駿は家庭科室の戸に駆け寄ると、開けようとガタガタ揺らした。鍵はかかっているようだが、さっきみたいに空間に固定されているわけではなさそうだ。それがわかったからガタガタ揺らして粘り勝ちで開けられないかと試みていると、唐突に戸が倒れてきた。


「先輩! せんぱーい!?」

「うぅ……」


 倒れた戸の向こうから、涙目になった琴子が現れた。どうやら、戸を蹴倒して出てきたらしい。戸の下敷きになった駿を見つけて、慌てて助け起こしている。


「みんな無事!?」


 戸が開いたことで、源が中の様子の確認をした。

 蝋燭が一本だけ灯されている異様な空間で、そこにいる全員が、三郎丸ですら、キョトンとした顔をしていた。何も覚えていなさそうだ。狐につままれたようなとは、たぶんこんな状態をいうのだろう。


「なんだよ、なんなんだよ……でもまあ、みんな無事ならいいか……」


 恐怖の中、さんざん走り回らされた反動で、駿はどっとつかれて脱力した。

 だが、その顔を覗き込んでくる琴子を見て、言い知れぬ安堵と充足感を感じていた。


***


 事件の後始末をして帰る頃には、すっかり夕方になってしまっていた。

 疲れ果て、お昼ご飯を食べそびれてお腹を空かせた駿と琴子は、とぼとぼと帰り道を歩く。


「三郎丸先生たち、何も覚えてないってひどくないですか? あんな大変なことに巻き込んでおきながら」

「まあ腹立つけど、覚えてないぶん、後処理が楽だったんだと思えばさ……腹は立つけど」

「大事なことだから二回言いましたね」


 琴子が戸を蹴破って出てきたあと、源がその場にいた人間に事情聴取すると、誰もからもぼーっとして何も覚えていなかったのだ。三郎丸に関しては、「ここに集まってみんなと何かしようとしてたんだけど……」とおぼろげな記憶を頼りに言っていたから、「みんなとキャンプに行けないからって、こんなところでキャンプの夜を再現しようとしちゃだめですよ。つまんなくて男虎さんが戸をぶっ壊して逃げちゃったじゃないですか」などと言って誤魔化したのだ。

 集まって何かしようとしていたという記憶だけはぼんやりあるようで、源にそんなことを言い切られたため、そうだったような気がしてしまったらしい。うまく信じ込んでくれた。


「百物語の会って、何なんですか。私、怖い話の持ち合わせなんてないから、自分の番が回ってくるまでかなり焦ったんですよ。結局、怖い話はできなかったんですけど……」

「どんな話したんだ?」

「前の学校にいたときに体験した話なんですけど、ある家のブロック塀の前を夕方に通ると、制服のスカーフを引っ張られるような感じがするってことはよくあったんです。同じ道を通る子たちの中には、引きちぎられたって子もいました」

「何それ。めっちゃ怖いじゃん」

「いや、結局それ、猫の仕業なんですよ。夕方になって飼い主の帰りを待ちわびている猫ちゃんが、暇を持て余してブロック塀の隙間から前足を出してちょいちょいっていたずらしてたんです」


 怖い話ができなかったからか、琴子は恥ずかしがるようにしょんぼりと小さくなった。百物語をしようとしていた異様な空間でそんな話をしたのかと、琴子の根性というか性格に駿は呆れを通り越して感心した。


「なるほどな……百物語が完成しなかったのは、コトラが怖い話をできなかったっていうのも理由だったのか。源先生も、かなり頑張ってくれてたみたいなんだけどな」


 源は駿がひとりで霊に対抗している間、掲示板の削除依頼をしていたらしい。だが、削除されるのには時間がかかると踏んで、スレッドを消費させようと無駄な書き込みをしたり、そこを見ている人が怖い話を書き込む雰囲気を損ねようと、怖くない話を書き込んだりしていたのだという。

 そのかいあって、霊的な話を書き込む人はかなり少なかったようだ。人は良くも悪くも場の雰囲気に流されてしまうということだ。


「それにしても、何で私は何回やっても蝋燭を吹き消せなかったんだろう……おかげで、酸欠になるかと思いました」


 怖くはないとはいえ自分の番が来て話し終わっていたのに、琴子が家庭科室を飛び出してきたときは蝋燭はまだ一本灯されたままだった。それは、何回やっても火を消すことができなかったかららしい。琴子は不思議層にしていたが、駿は話を聞いてすぐに理由がわかっていた。


「それはたぶん、コトラについてる守護霊みたいなのが火が消えないよう守ってくれたんだと思うぞ」


 駿が言うと、琴子の後ろの金剛力士像のような存在は、得意げにマッスルポーズをして頷いた。どうやら正解のようだ。


「え? 私って守護霊とかついてるんですか?」

「うん。守護霊か何なのかわかんねえけど、すげぇ強い人がいる。愛想がいい金剛力士像みたいなの。その人、コトラが心霊に関わりそうになったらいっつも謎のパワーで撃退してる」

「え、うそ……知らなかった。私がこれまで心霊体験したことないのって、その人のおかげですか……?」

「たぶんな」


 琴子は信じられないように、何度も何度も後ろを見ようとした。そんなことをしたところで見えないわけだが、背後のマッチョは嬉しそうにしているし、琴子も何となく安心したようだ。たとえ見えなくても、自分の後ろに守ってくれる存在がいると意識することはいいことなのだろう。


「こわたん先輩にも、何かついてるんですか?」

「いや、俺には何も。そのくせ幽霊は見えるから、散々だよ」

「そっか……守護霊いないのに、すっごく頑張ってくれたんですね」


 かいつまんでではあるが今回の黒幕である自殺した女子生徒の霊と戦った話をしたため、琴子はすごく感心してくれている。源にもとても褒められたせいで、駿は何だか居心地が悪い。

 結果オーライだっただけで、今回は運の要素が強かっただけのように思う。戦略勝ちでは決してない。だが、“あの女子生徒の霊は犬で撃退できる”という事実を残せたのは収穫だった。

 これを逸話として広めていけば、今後同じようなことが起きてもどうにかすることができるだろう。


「俺の活躍はどうでもいいんだけどさ、怪奇クラブの今後の活動方針が決まったよ。巷で流行ってる怪談に、オチをつけて伝播するんだ」

「何ですか、それ」


 不思議そうにする琴子に、駿は自分が考えたことを話してみた。口裂け女に対処法が存在するように、琴子が送り犬をべとべとさんにしてしまったように、知恵で怪談を変質させることができるのではないかということを。

 

「つまり、これまでの校内パトロールに加え、怪談の収集も積極的に行っていくということですか?」

「そういうことだな。まあ、うちの高校はわざわざ集めなくても怪談がすぐ流行るから耳に入るんだけど」

「先輩、こわがりなのにやるんですか?」

「こわがりだからだよ。怖いものをそのままにしときたくないし、他のやつらが怖い思いするのも、嫌だからさ」

「ふぅん」


 琴子はからかうふうではなく、心底不思議そうにしていた。だが、しばらく考えて駿が言ったことを飲み込めたのか、ニヤッと笑った。


「先輩がこわがりでも、私に最強の守護霊さんがついてるから大丈夫ですね! 守ってあげますよ、先輩」


 自分に守護霊がついてるとわかって調子に乗ったらしく、琴子はニンマリ笑ってピースサインをした。さっき怖い思いをしたばかりだというのに、すごい立ち直りの早さだ。


「……最強っつったって、万能じゃないみたいだからな。あんま調子に乗んなよ」


 守護霊がついているからと軽率な行動を取らせたくなくてたしなめただけなのに、琴子は拗ねたような顔になった。


「えー? そんなこと言うなら、今から先輩、この道をひとりで帰れるんですか? いっつもビクビクしてるくせに」

「いや、それとこれとは話が別だ。……このへんも、校内ほどじゃねえけど変なのいるから」

「だったら、ちゃんと私のこと認めて頼りにしてください」

「してる、してる! してるから!」


 きちんと認められたくて拗ねた琴子は、足早にスタスタと歩いていってしまった。置いていかれてなるものかと、駿も慌ててそのあとに続く。

 その光景は、平和な日常そのものだ。


 すくそばに、それこそついてくる影のように、怪異という非日常はつきまとっているのだが。





 

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