第7話 百に届かぬ物語②


***


 昇降口で待ちぼうけを食らっていた駿は、突然の電話に驚いた。

 スマホの着信表示を見れば、琴子からだ。待ち合わせに遅れる旨を伝えるならメッセージでいいのにと思いつつ出てみて、すぐに違和感を覚える。


「……なんだ?」


 受話口から聞こえてくるのは琴子の声ではなく、ガサガサとした何かが擦れるような音だ。ポケットの中で誤作動してかけてしまったのかと思ったが、それにしてはどうにも不自然だ。

 外に面した昇降口はガヤガヤしているため、何か聞こえても聞き逃してしまいそうだ。だから駿は静かな場所へ移動して、改めて耳を澄ませた。


『……よくわからないので、わかりやすく説明してください』


 少しすると、琴子の声が聞こえてきた。よく聞こうと、受話音量を上げる。


『そうだね、まずはルール説明もしなくてはいけなかったしね。百物語っていうのは、文字通り百個の怖い話をするんだ。ここには十人しかいないけど、実は有志を募ってもう百物語は始められているんだ』

「……!」


 電話の向こうから聞こえてきた声に、駿は思わず「は?」と言いそうになった。

 待ち合わせにやってこない琴子。その琴子からの不自然な着信。聞こえてくる不穏な会話。

 それらを合わせて考えて、今彼女が何か大変なことに巻き込まれているのがわかった。百物語などと、穏やかではない単語が聞こえてきた。

 これはもしかしたら、助けを求めているのかもしれない。逃げ出したいがそれができず、こうしてこっそり電話をかけて自分の置かれた状況を知らせようとしているのかもしれない。

 それならば絶対に電話を切ってはいけないし、助けに向かってやらなければならない。だが、そうだとしても駿ひとりでは不安なため、源に知らせなければならない。


「くそ……」


 メッセージか電話で知らせられればよかったのだが、スマホは今、琴子との電話で塞がっている。それならば職員室に直接行くしかないと、駿は走り出した。

 スマホをポケットに入れて職員室に駆け込むと、タイミングよく教師はまばらにしかいなかった。

 スマホの存在をごまかす必要はないと判断し、駿は再び電話に集中しつつ源のところへ行った。


「え? 小幡くん、どうした?」


 自分の席で山かけ蕎麦を食べていた源は、スマホを耳にあてた状態の駿を見て驚いた。


「書くもの? わかった」


 ジェスチャーで筆記用具がほしいと伝えると、源はすぐにメモ帳とペンをくれた。


『コトラ ピンチ 百物語』


 駿はそう記し、スマホを指差した。察した源は、そこからの音を聞こうとスマホに耳を寄せた。

 そうしている間にも電話の向こうで会話は進んでいたため、新たに加わった情報をメモに記した。


『ネットの有志 百個 掲示板』


 その文字を見て、源がハッとした顔になる。駿だって、事態のヤバさはわかっていた。


『これは、あるひとりの少女に捧げる百物語だ。その少女は、夜宮高校に通っていた子でね、怪談が大好きだったんだ。学校というのは怖い話や不思議な話が集まりやすい場所だけど、この夜宮高校は古いぶん、それが顕著だ。彼女は入学してからせっせとこの周辺の怪談を集めたよ。集めたものは積極的に人に広めた。それが楽しくて仕方なかったんだけど、そのうちに満足できなくなってね……彼女は、自分が怪談になろうと思ったんだ』


 電話の向こうでは、すでに百物語が始まっているようだ。男の声で、静かに語られている。それを聞きながら、今度は源がメモに何か書いた。


『家庭科室? 呼び出し』


 その意味はわからなかったが、琴子が家庭科室にいるらしいと理解した駿は、そこへ向かうことにした。スマホとタブレットを手にした源も、そのあとに続く。

 幸いなことに、職員室から特別棟への連絡通路はすぐだった。だが、通路を走り、特別棟へ入ると、事態のまずさに気がついた。


「暗いし、何か空気が変だ……」


 まだ昼間のはずなのに、特別棟の廊下は暗かった。まるで間もなく夜がやってくるというような、そんな暗さだ。


「そんなことより家庭科室!」

「そうだった」


 源に言われ、駿は慌てて家庭科室の戸にかけよった。開けようと戸に手をかけるが、びくともしない。それどころか、ガタガタという音すら立たない。


「なんだよこれ……固定されてるみたいだ」


 電話の向こうでは男の淡々とした語りが続いていたが、それどころではなかった。

 目の前の戸は絶対におかしい。おかしいということはこの中に琴子がいるに違いないのに、叩いても蹴っても戸が動かなくて助けに行くことができない。

 源は駿が戸と戦っている間ずっとタブレットをいじっていたが、何かを見つけたらしく動きを止めた。そして、そのタブレットの画面を駿に見せてきた。


「なに? 『怪談が好きすぎて自らも怪異になりたくて自殺した女子高生に捧げる百物語』……って、コトラが巻き込まれてるやつか?」

「そう。どうやら男虎さんを呼び出した人……三郎丸先生は、百物語であの自殺した女子を呼び出したいらしい」

「は? え……何だよ、それ……」


 意味がわからなくて混乱するが、電話の向こうの様子が変わったのに気がついたため、そちらに集中した。

 

『……というのが、彼女の話だ。怪異は、怪談は語られてなんぼだ。彼女は自分が死んだあとたくさんの人に長く自分のことを知ってもらうために、自分のことを書き記したものをこの学校のどこかに残したらしいよ。――これで、僕の話はおしまい』


 男は、三郎丸は、語り終えた。その瞬間に、明らかに空気が変わった。


「三郎丸先生は、たぶん自殺した女子生徒に利用されてるんだ。彼女は自分が怪異になるために、こんなことをしてる。……ということは、この学校内に彼女はいるんだよね。百物語を止めるよりも、彼女をどうにかするほうが早いし現実的かもしれない」


 そう言って源が差し出してきたタブレットを見ると、スレッドはも300くらい消費されていた。そのほとんどが雑談だが、怪談がちらほら書き込まれる頻度は思ったより高い。このぶんだと、スレッドの書き込み上限である1000レスに到達するまでに、余裕で百話集まるだろう。


「そりゃ、いるだろうよ。この前、わざわざ『いるよ』なんて書きやがったんだから。……何か、自分のことを後世に伝えるために書き残したものをどこかに残してるって。怪異は、人に語られてこそだからって」

「……そうか! ただの幽霊と怪異の違いっておそらく、倒し方とか対処の仕方があるかないかだ。ほら、口裂け女とかひきこさんとかは弱点があったでしょ? つまり、自殺した彼女のことを知ることができれば、倒し方なり何なりわかるかもしれない」


 言いながら、源はタブレットをずっと操作していた。おそらく、ネットの掲示板なんかをどうにかしてくれようとしているのだろう。

 本当なら、この自殺した女子の霊に関するものを探しに行くのに源にもついてきてほしかった。だが、これは自分ひとりでどうにかするしかないのだろう。

 

「……そいつのこと何かわかれば、弱点とかわかれば、コトラを助けられるかもしれないんだな。だったら俺が探してくるから、先生はここにいてください。中の状況が変わるかもしれないんで」


 本当はすごく嫌だったが、駿はそう言って走り出した。 

 廊下の異様な暗さや空気の淀みみたいなものから、今自分がおかしな場所にいることはわかっていた。学校だが、学校ではない。おそらく、次元が違う場所に来てしまっているのだ。

 それがわかっているから本当は動き回りたくなどなかったのだが、じっとしていても埒が明かないのも理解していた。きっとここは、自殺した女子生徒の作り出した空間だ。つまりそいつのテリトリーにいるということは、無事に帰るためには、倒すしかないのだろう。


(俺、見えるだけのただの怖がりなのに……力とか、全然ないのに……)


 駿は弱気になりそうな自分を奮い立たせ、まずは屋上へ続く階段を目指すことにした。 

 

***


 蝋燭の明かりだけが頼りの、異様な暗がりの中で琴子の意識はぼんやりしてきていた。

 眠いわけではなく、意識にうっすら膜がかかった感じというのか。その暗がりの中、同じ空間にいる人間たちもトランス状態に陥っているように見えた。


「これは、私が子供の頃の話なんですけど」


 一本、また一本と蝋燭が消され、次の人間が話し始めた。

 百物語のルールに倣って、自分の番が来て話し終わると、目の前の蝋燭を吹き消すのだ。そうやって順番に進めて、今は五本の蝋燭が消されてしまっていた。


「私の家では、時々百合の花の匂いがしていました。花を活けているとか近くで咲いてるとかいうことは全然なくて、唐突に香ってくる感じで。それで物心ついたときから、家には何かいるんだなって知っていました。ほら、幽霊って匂いがするっていうじゃないですか。大抵は血とか生臭いとか悪いにおいの話で、花の匂いの幽霊っていうのはあんまり聞いたことないですけど。小さいときからずっと感じてて、あるとき母に『うちって時々、百合の花の匂いするよね』って言ってみたことがあるんです。そしたら母がものすごく嫌そうな顔をして『お母さん、百合の花は大嫌いなの』って言ったんです。

 そのときは、なんでお母さんが嫌そうにしてたのか、ちょっと怒ってるっぽかったのかわからなかったんですけど、ある日それが理解できました。私、見ちゃったんです。お父さんの書斎の机で、何か楽しそうにしてる女の人の幽霊を。それを見て、あの百合の花の匂いはお父さんに憑いてる女の幽霊の匂いで、だからお母さんは嫌がってるだろうなってわかりました。

 でも、その家から引っ越したら百合の花の匂いなんてしなくなって、その幽霊も見てないんで、結局それがなんだったのかわかりません」


 淡々と話し終え、その人はふっと蝋燭を消した。またひとつ明かりが消え、暗闇の濃度は増す。

 それからも順番が来ると誰かが話をし、ひとつ、またひとつと蝋燭が吹き消されていった。

 明かりが消えること、暗さが増していくこと、それにより空間の異様な空気が濃度を増していくことが、琴子は怖かった。

 だが、そんなことよりも琴子を不安にさせているのは、自分の番が来たとき何を話せばいいか全く思いついていないということだった。

 元々、来たくて来た百物語の会ではない。それに、駿と出会うまで……というより、この前のことがあるまで、幽霊なんていないと思って暮らしてきた。見たこともなかったし、怖い体験をしたこともなかった。だから、語るべき話なんて持っていないのだ。

 UFOのことやツチノコなんかのことなら話せそうだが、この雰囲気の中、地球外生命体の話なんてしたら、きっと別の意味で恐怖体験をしてしまいそうだ。

 だから順番が迫って来るまでの間、琴子は他の人の話に耳を傾ける余裕もなく、何を話すべきか必死で頭を悩ませていた。


(電話、繋がってるぽいけど……こわたん先輩、早く助けに来て!)

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