第7話 百に届かぬ物語①
百物語というものを知っているだろうか。
その名の通り、百の物語を談ずることだ。ただの話ではない。怖い話、不思議な話、得体の知れないものの話を。
百の何かを用意して、ひとつ話すごとにひとつそれを消費していくというルールで、必ず密室で行うこととされている。
一般的には、蝋燭を百本用意して、話すごとにそれを消していく。話すごとに室内が暗くなっていくのは、なかなか雰囲気があるものだろう。
本来なら蝋燭ではなく青い紙を貼った行燈を使うとか、新月の夜に行うとか、青い服を着て参加しなくてはならないとか、細いルールがたくさん存在しているのだが、時代を経るごとに簡略化されている。
しかし、時代を経ても守らなければいけない大切なルールがひとつある。
それは、九十九で話を止めにすること。百の話を語ってはいけないのだ。
百まで語ると、本物の怪異が現れるのだという。もしくは、何らかの恐ろしい現象が起きるそうだ。
よく聞くのは、青行燈という妖怪が現れるという話だ。だが、百物語の会を開く人間たちの多くがルールを守って九十九で話をやめてしまうため、具体的にどんな妖怪なのかという例は残されていない。
ただ、九十九で語るのをやめたからといって、何も起こらないかは疑問だ。怪談を語ること自体が“呼ぶ”というのだから。
そして、ルールを定め、それを守り、何かを行うことはどこか呪術めいている。
そんな呪術としての場が整った状態で怪談を語れば、何も起こらないわけがない。
夜宮高校に勤めるある教師の男も、この百物語の会を実行しようとしていた。
きっかけは、ある女子生徒から誘われたからだ。「先生、今度百物語しよう」と。
その声が聞こえたとき、たくさんの女子生徒たちから囲まれていたから、どんな子がそれを言ったのかわからなかった。だが、それでも教師はその誘いに応じようと思った。
男は、自分は良い教師であると自負している。生徒たちに熱心に向き合い、決して無下にしない。特に女子生徒から頼られることが多いが、いつも丁寧に向き合っているつもりだ。元々女性に優しいから頼られると、甘えられると、ついつい頑張ってしまうのだ。
そんなわけで、誰から誘われたかわからなかったものの、百物語の会を開こうと男は決めたのだ。
すると不思議なことに、その日の夜に夢を見た。
それは、底冷えがするような寒くて真っ暗な場所の夢だ。その真っ暗な場所に、ひとりの少女が佇んでいる。
夜宮高校の制服を着ているから、おそらくこの学校の生徒なのだろう。そのことに気づくと、男はこの女子生徒を無視できないと思った。たとえ不気味で、本当は見た瞬間から逃げ出したいと感じていても、話を聞いてやらなければと思ったのだ。
男のその思いを感じ取ったのか、女子生徒は語り始めた。自分が何者なのかを。自分の思いを。
「そうか……それが君の願いなのか」
話を聞いて、男は百物語の会を開くことにした。
女子生徒の願いを叶えるために。
***
一学期の終業式を終え、学校の中には開放的な雰囲気が漂っていた。課外授業などはあるものの、明日からは夏休みだ。
部活に励むものにとっては集中して取り組める期間だし、受験生にとっては夏期講習に参加するなど本気を出す時期だ。
しかし、特に部活に熱を入れているわけでもなく受験生でもない琴子にとっては、普通の夏休みの始まりだ。
そのせいか、期末考査が終わった頃からずっと腑抜けてしまっている。四月にこの学校に転入してきたときは、環境が変わったのをきっかけに何か特別な青春が始まればと思っていたのに。
(確かに今の生活も、刺激的といえば刺激的だけど……)
郷土研究会もとい怪奇クラブのことを考えると、特別感というのはある。何も見えない琴子は怖がる駿について回っているだけだが、彼が逐一どんなものがいて何をしているとかを教えてくれるようになってから、新鮮な気持ちで世界と向き合っている。
見えないが、それでもこの世界に恐ろしいものや不思議なものが存在することはわかるようになってきた。
それに、部活動と呼べるのか怪しい活動ではあるものの、駿や顧問の源と一緒にいるのは楽しい。
今日もこれから、夜宮町に関する貸出禁止の本を閲覧するために、駿と一緒に市立図書館に行くことになっている。
夏休み中に持ち帰る荷物を選別してカバンに入れたら、あとは待ち合わせ場所に向かうというときになって、校内放送が流れた。
『二年四組、男虎琴子さん、二年四組、男虎琴子さん。家庭科室へ来てください』
ピンポンパンポンというやや調子外れのチャイムに締めくくられたその校内放送に、琴子は首を傾げた。呼び出しだ。しかも職員室ではなく家庭科室。家庭科の教師は花田という女性なのに、呼び出しの声は男性教師のものだった。
疑問だらけだが、呼び出されたからには行かなければならないのだろう。駿に連絡するか迷いつつも、琴子はひとまず家庭科室に向かうことにした。
廊下に出て、まず突き当りを目指す。そこから連絡通路を通っていけば、特別棟の二階、家庭科室があるところへ出る。
呼び出しの内容が気がかりで、琴子は自分の周辺の異変に気がついていなかった。夏休みが始まるということで、周囲は活気や熱気に満ちていてもおかしくなかったはずなのに。琴子は廊下で誰と会うこともなく、外から運動部の声も吹奏楽部の楽器の音も聞こえてこなかった。
そのことに気づいたのは、家庭科室に到着したときだった。
「よく来たね、男虎さん」
家庭科室の中に入ると、そこには異様な空間が広がっていた。
昼間なのに、暗い。カーテンだけでなく、暗幕まできっちり閉められている。なぜかわからないが、この学校は視聴覚室や理科室だけでなく特別棟の教室のすべてに暗幕があるのだ。用途不明のその暗幕が今、活用されている。
「……呼び出しって、三郎丸先生だったんですか」
暗幕を締め切って暗くした部屋に、教師の三郎丸がいた。
三郎丸だけでなく、何人かの女子生徒も。みんな琴子と同じように、彼に呼び出されたのだろうか。
三郎丸に呼ばれる理由もわからないし、彼がなぜここにいるのかもわからない。それに何より、いつもと雰囲気が違うのが気になった。
「えっと……何で私は呼ばれたんでしょうか?」
「楽しい催しに誘おうと思って」
「それって、上映会とかですか? こんなふうに暗幕で締め切ったりして……」
「ううん。百物語だよ。今からみんなで百物語をしようよ」
三郎丸の口から出た言葉に、琴子はドキリとした。まともな理由で呼び出されたわけではなさそうだと思っていたものの、まさかそんなことだったとは。
これまでだったら、何をふざけているのかと思うだけだっただろうが、今はこの発言のまずさがわかる。
百物語とは、百個の怪談を語ることだ。幽霊や怪異が本当にいるとするなら、百物語がいけないことなのはわかる。
駿が、遊び半分でオカルトと関わるなと言っていたから。
「そういうのって、面白がってやるもんじゃないと思うんですけど……」
たしなめるために言ってみたが、三郎丸は気にした様子はない。室内にいる女子生徒たちも、何かを黙々と準備していた。
彼女たちが手にしているのは、燭台だ。それを作業机に並べていく。全部で十本の燭台が作業机の辺に沿って並べられた。
琴子と三郎丸、それから女子生徒たちをすべて合わせると十人いる。つまり、この十人で百物語をするらしい。
「面白がっているわけじゃないよ。百物語をして、彼女の夢を叶えてあげたいんだ。そうすれば、きっと悪さをしなくなる。そして、この学校で起きている悪いことも収まると思うんだ」
燭台がすべてセッティングされたのを見て、三郎丸は満足そうにした。いつの間にか申し訳程度に点いていた明かりも消され、代わりに蝋燭に火が灯された。
蝋燭の炎に照らされる三郎丸の顔は、いつもの彼の表情とは違っている。女子生徒たちに騒がれるナンパな様子はなりを潜め、怪しげな笑みを浮かべている。言っていることも、まるで意味がわからない。
「あの、私はこういうの、興味ないんですけど……」
「だめだよ。蝋燭に明かりは灯された。百物語は始まってるんだ。始めたものを、途中で投げ出すことは許されない。先に行っておくけど、逃げ出そうと部屋から出たほうが、大変なことになるからね」
何とか穏便に抜け出せないかと考えたが、三郎丸の、女子生徒たちの雰囲気が変わった。不穏な感じだ。戸に駆けていこうなんてすれば、取り押さえられそうな雰囲気だ。
それにもう始まっていると言われたら、抜け出すのもいけない気がした。かといって、このまま無防備に百物語に巻き込まれるのも怖い。
琴子の目には何も見えていないが、今この空間がヤバイ気配なのはわかる。だから、スカートのポケットに手を入れて、こっそりスマホを操作する。
「百物語とか、彼女の願いを叶えるとか、よくわからないのでわかりやすく説明してください」
少しでも情報がほしいのと、その情報が電話の相手にも運良く伝わってほしいと思い、琴子は言った。
とりあえず、ヤバイのはわかる。それなら、この状態をどうにかするために少しでも何かを知りたかった。
琴子の言葉を興味を持ったからと判断したのか、炎に怪しく照らされる三郎丸が嬉しそうに笑った。
「そうだね、まずはルール説明もしなくてはいけなかったしね。百物語っていうのは、文字通り百個の怖い話をするんだ。ここには十人しかいないけど、実は有志を募ってもう百物語は始められているんだ」
そう言って三郎丸が掲げるのはスマホだ。何かブラウザが開かれているようだ。
「……それってつまり、ネットの掲示板で百物語をするってことですか?」
「そういうこと。僕らとネットの有志の書き込みで百個くらい簡単に集まるだろうからね。百個集まれば……彼女の目的はきっと果たされる」
「彼女って、目的って、一体なんなんですか……?」
もどかしくなって琴子が問うと、三郎丸がニヤリと笑った。
「よくぞ聞いてくれたね。――それじゃあまずひとつめ。彼女の話をしようか」
そう言って、三郎丸は話し始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます