第6話 人を呪わば②
***
部室で源が来るのを待っていた駿は、彼から届いたメッセージを見て顔をしかめた。「今日は部室に行けないと思う」という文面だったのだが、何となく嫌な感じがしたのだ。
これまで何か用事ができたり雑事を押し付けられたりしたときも、「遅くなりそう」と連絡があるだけか、ただ待たされるだけだった。それなのにこうしてわざわざメッセージを送ってきたということは、駿を待たせるわけにないかないと判断したということだろう。というより、早く帰れということだろうか。
そんなふうに考えると、源が何か面倒なことに巻き込まれたのではないかという気がしてきた。今、この学校ではおかしなことが起きている。それなら、それ関連のことで巻き込まれている可能性はある。
「とりあえずコトラに部活はなしって連絡して、職員室に行ってみるか」
駿は、用があるふうを装って呼び出して源を救出できないだろうかと考えた。何に巻き込まれているかによるだろうが、もしかしたら状況だけでも確認できるかもしれない。
もし、オカルト絡みのことに巻き込まれているのだとしたら、放っておくことはできない。これまで源は、駿を助けてくれてきた。源が行き帰りの校門から校舎までという限られた場所だけでも一緒に歩いてくれたから、これまで何とかやってこられたのだ。
源は駿にとって恩師だ。その恩師を救うべく職員室まで歩いてくると、その廊下で琴子とばったり会った。友人を連れているのを見ると、付き添いで職員室に来たというふうだ。
「あ、こわたん先輩」
「コトラ。メッセージ見たか? 今日、部活ないんだ。何かさっき、源先生から『今日は部室に行けないと思う』って連絡きて」
「あー、それってもしかして……」
成瀬というあの友人と一緒にいた琴子は、彼女と顔を見合わせた。どうやら、源のことについて何か事情を知っているらしい。
「さっき、3ー4のババぁ……じゃなかった、花田先生が連れてくとこ見ました。ホームルーム終わったらすぐうちのクラスまで出張ってきてて、グイグイ腕を引っ張って連れてっちゃって……学校を婚活の場か何かと勘違いすんなっつーの」
「えぇ……そうなのか」
成瀬からの情報に、駿は渋い顔になった。
花田といえば、三十前の源よりひと回り年上の教師なのだが、独身なためか男性教師に対して激しくモーションをかけていると陰口をよく言われている。これってセクハラだよなと考えて、源が気の毒になった。
成瀬も同じことを考えているらしく、険しい表情をしている。だが、琴子だけは少し違う表情をしていた。
「さっきの花田先生のあれ、源先生に甘えてるっていうより、面倒事を押し付けてやろうって必死になってるように見えたんですよね。花田先生のクラスって確か、あの噂になってる生徒たちがいるところでしょ?」
「……そうか!」
琴子の指摘に、駿は花田が三年四組の担任であるということを思い出した。三年四組といえば、呪いの被害者と加害者がいるクラスだ。ということはつまり、源は今、その呪いの問題を押し付けられそうになっているということだ。
「……先生、やばそうだから、助けに行きたいんだけど……職員室に入っていいんだろうか……」
源を助けなければと思ったはいいものの、駿はいざ戸に手をかけようというところで足が止まった。不良のつもりはないが、幽霊を避けるための行動が教師たちの目から素行が悪く見られているのは知っている。だから、職員室が苦手なのだ。
「私、ちょうど職員室に用があるんで、後ろからどうぞ」
「え、おぉ、ありがと……」
駿の様子を見て察してくれたらしく、成瀬が先陣を切って職員室に入ってくれた。駿はその親切に戸惑いつつあとへ続き、職員室奥の生徒指導室を見て自体を飲み込んだ。
「あそこにいるっぽいな」
「え、そうなんですか?」
琴子に言うと彼女は首を傾げたが、後ろの金剛力士像のような存在は寒気がするというように腕を擦っていた。それを見れば自分が感じたものが錯覚ではなく、本当なのだとわかる。
生徒指導室からは、恐ろしいくらいに禍々しい空気が漂っていた。入る前からこれなのだから、中はよほどひどいことになっているのだろう。
正直言って入りたくないが、源をこの中にずっといさせたくないから、意を決してドアを開けた。
「失礼します」
「ちょ、ちょっと、あなたたち何?」
「先生に呼ばれてたんで」
部外者が入ってきたことに驚く花田を無視し、駿は源を見た。源も最初は驚いていたが、すぐにほっとした顔になる。
それもそのはずだ。源が向き合わせられていたものは、あまりにもおぞましいものだった。
制服に不釣り合いな大きな帽子を被ったその姿も不気味だが、駿の目にはもっと別のものが見えている。
それは、黒い影のようなものだ。黒い影が、煤のようなものを全身から噴き出しながら女子生徒にまとわりついている。
『……ツ、ツ、ツギハダレダ? オマエカ? ■■■■カ? だ、ダレ、ダ……?』
黒い影はべっとりと女子生徒の顔を覗き込みながら、そんな言葉を呟いていた。■■■■は、先に学校を休んでいるもうひとりの女子生徒の名前に聞こえた。
その影の存在と言葉を聞いて、駿は推測を確信に変えた。この女子生徒は、呪いを実行したのだ。駿たちは今、他人を呪った人間と対峙している。
「……あんた、■■■■ってやつを呪ったんだな?」
駿が問うと、それまでうつむいて無反応だった女子がビクンと肩を震わせた。だが彼女が答えるより先に、花田が駿に食ってかかる。
「あなた、なんてこと言うの!? こんなふうになってる可哀相な女子に、よくそんな言いがかりをつけられたわね!」
「言いがかりじゃない。こいつは人を呪ったんだ。それで儀式か何かに失敗して、自分に呪いが返ってきてこんなことになってるんだろ?」
花田を無視して、駿は女子生徒に問いかけ続けた。その間も黒い影は『オマエカ? ■■■■カ? ク、クルシメ……モット、モットダ……』などと枯れ枝が擦れるような不気味な声で言っていた。
「……し、失敗したんじゃなくて、こんなこと、もう止めにしたいって思って……でも、止めたらこんなことになっちゃって……。『相手を呪い続ける限り呪いが返ってくることはない』って書いてあったから、好きなときに止められるって思ったのに……」
掠れる声でそう言って、女子生徒はすすり泣きを始めた。その声に被せるように、黒い影が何事かを呟きながら揺れていた。おそらく、笑っているのだ。苦しむ人間の姿を見て笑っている。そのおぞましさに駿は吐き気がしたが、それでも逃げ出すわけにはいかない。
「呪いって、どんなことしたんだ? 何か変なのを呼び出したのか?」
「違う。土、植木鉢を用意して、その中に毛糸で作った人形を埋めた。人形の中に、あの子の髪と名前を入れて……毎日、土の中に腐った魚を埋め続けて……」
「うわ……」
呪いの儀式に上品も下品もないと思っていたが、そのあまりの品のなさに駿は言葉を失った。人形を使うというのは典型的な呪詛のやり方だとは思うが、その品性に欠けた内容は聞くだけでも気分が悪い。その方法をどこかで目にしたからといって、よく実行に移そうと思ったものだ。
「呪ったって、本当に……? どうして? 仲良しだったじゃない」
女子生徒の様子から、嘘を言っているわけではないとわかったのだろう。花田がショックを受けた様子で尋ねていた。女子生徒はその言葉に傷ついたのか、震え方をさらに激しくした。
「だってあの子、私のこと見下してた……自分に気のある男子を、面倒だからって私に押し付けて……それなのに『あいつ、あんたのこと好きみたいだよ』とか嘘ついて……私それ、少しの間、信じてて……ひどい……なんでこんな惨めな思いさせるの……!」
「それは、確かにひどいわね。でもだからって」
「わかってる! わかってるよ、そんなの! でも呪っちゃったから仕方ないじゃん! ちょっと苦しんでほしかったの! あの子ばっかりズルいから、少し痛い目見ろって! でもでも! もう……こんなの止めたいよぉ……」
花田が女子生徒の行いをたしなめようとすると、彼女は過剰に反応した。他人に責められるまでもなく、自分で自分を責めてきたのだろう。責めたところで現状は変わらず、女子生徒は苦しむばかりだ。その苦しみに呼応するように、黒い影は喜んでいた。笑い声は高ぶりすぎたのか雄叫びのようになり、女子生徒を覆う黒い煤のような靄も濃くなっていく。
このたちの悪い何かは、呪いの対象か実行者の苦しみを糧にしているのだろう。だから、実行者が苦しんでいる今、喜々としている。その醜悪な姿に駿は恐ろしさを通り越して、怒りを感じるようになった。
「せ、先輩! そんな汚いものが身近にあるのがいけないんですよ! 人形とか腐った魚とか、捨てちゃいましょ! 何だったら私、お掃除とか手伝いますよ!」
この場の空気をどうにかせねばと思ったのだろう。琴子が突然そんなことを言い出した。女子生徒はその言葉にハッと顔を上げ、すがるように琴子を見た。
その姿を見て、駿はだめだと思った。簡単に人を恨んで呪うような人間は、自力でなんとかする気がない。こうして今、琴子が手を貸してしまったら、この女子はまた今後も同じようなことを繰り返すだろう。そのときもまた、困れば誰かが何とかしてくれるから、と。
それに、これは素人がどうにかできるものではないと駿は考えている。
「そんなヤバイもん、一般ゴミで捨てるな。収集業者さんが困るだろ。……呪ったんなら、適切な処理の仕方ってもんを考えろよ」
駿が怒りに任せて低い声で言うと、琴子も女子生徒もしゅんとした。それを取りなすため、それまで黙っていた源が、駿の肩を叩いた。
「こういう場合、一番現実的なのはお寺さんなどに持っていってお願いすることだろうね。お祓いもできたらしてもらったほうがいい」
源が言うと、女子生徒は戸惑った様子だったし、花田はあからさまに小馬鹿にしたような態度になった。寺なんて大袈裟だと思ったのだろう。目の前にいるおぞましいものが見えないから、そんな舐めた態度が取れるのだ。
「じゃあ、きっちり自分で処理しろ! 木炭を用意して、焼却炉みたいな蓋が閉まるような設備で高温にして焼き尽くせ。お焚き上げってあるだろ? あれは悪いもんを火で浄化するんだよ。あれを自分でやれるのか? 無理だろ? それならプロに任せろよ」
駿が言うと、女子生徒はより一層うなだれ、花田もさすがに態度を改めた。「焼却炉は、ねえ? 法律でだめだって、もう何年も前になったじゃない。ダイオキシンが出るとかで……」などともごもご言っている。
それでも、この場において駿と源以外は、呪いというものの厄介さを理解していないだろう。見えていないから。うっすら実感しているものの、目で見ない限り心の底から認めることがないのだろう。そのことに、駿は嫌気がさした。
「呪ってやろうと思って実行に移した段階で、呪いはあるんだ。それがいくら信じられないことでもな。あるもんとして扱ったんなら、最後まであるもんとして向き合え。適切に処理しろ。……中途半端にオカルトに関わんな」
これは源以外の全員に向けた言葉だった。見えないくせに面白がるようにオカルトに関わる、すべての人間に向けての言葉だ。
自分でも八つ当たりじみていると思ったが、それでもその場にいる人間の胸には何か刺さったようだ。
「……わかりました。それなら、担任として私が責任持って、彼女と一緒にお寺にいきます。源先生、お時間をとってくださってありがとうございました。小幡くんも……ありがとう」
もうこれ以上ここにいたくないと思ったのか、花田は女子生徒と一緒に頭を下げ、生徒指導室を出ていった。黒い影は自分の身に起こることを察知したらしく、唸り声を上げていた。
「ただごとじゃないと思って来てみて、よかった。先生、あれ、やばかったですね」
「うん、ありがとう。正直どうしようかと思ってた」
ヤバイものが見えていた同士、駿と源はそう言って笑いあった。すっきりはしないが、ひとまず安堵したのだ。まだ室内に異様なものの残滓はあるが、至近距離で対峙していたときよりマシだ。
そうは言っても、こんなところには一秒だって長居はしたくなくて、三人は申し合わせることなく生徒指導室を、それから職員室を出た。
「あの……先輩」
廊下に出ると、それまでずっと黙っていた琴子がおそるおそる口を開いた。何かをためらうように、じっと駿を見ている。
「こわたん先輩は、その……幽霊とかオバケが見えるんですか……?」
彼女にとっては、とても言いにくいことだったのだろう。口に出しながらも、戸惑っているのはよくわかる。
どう答えたものかと駿は考えたが、もう誤魔化しようがないかなとも思った。さっきの発言もあるし、これまでさんざん怖がる姿を見せている。取り繕うのも、たぶんもう限界だ。
「……そうだよ。頭おかしいって思うだろうけど、俺には昔からそういうのが見える。がっつり見える。そのくせどうこうする力はないから、ただただ怖いだけだ」
思いきって言ってしまうと、琴子は困った顔をした。それはそうだろう。見えない人間にとっては、霊が見えるなどという人間はただの嘘つきか頭のおかしいやつにしか思えないだろうということは知っている。駿のこの体質を理解してくれているのは、両親と源くらいのものだ。子供のときうっかりこのことを話して、嘘つき扱いされたことはいくらでもある。
だから、琴子がドン引きするのも、無理はないと思った。
「あの……今までごめんなさい」
「……は?」
「先輩がそんなものが見えているなんて思わなくて、ひどいことしたり言ったりしちゃったかもと思って……」
「いや、別に……」
ドン引きしたのかと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。琴子が困っていたのは、申し訳ないと思っていたからのようだ。
頭を下げられ、駿は困惑した。しかも、見えない人間からそんなふうに歩み寄られたのは初めてで、どうしたらいいのかわからなくなる。
「あの、怒ってねぇから。できれば、これまでと同じように接してくれたら嬉しい。別に、誰かに強要したいわけじゃないから。さっきのはただ、興味本位でヤバイことするやつにムカついてただけだから」
駿がそう言うと、琴子はわかりやすくホッとした顔をした。後ろの金剛力士像みたいなのに視線をやると、なぜかサムズアップしている。
それを見たら何だか力が抜けてしまって、駿はおかしくなった。
「まあ、悪いと思うんなら、今日も一緒に帰ってくれると有り難い。この学校、マジでうじゃうじゃいてさ、怖くてひとりで歩くの無理だから」
「いいですよ。お安い御用です」
駿の言葉に、琴子は笑って頷いた。後ろのマッチョも笑っている。
見えないのに自分の体質に理解を示してくれる人が初めて現れたことに、駿もほっとして笑った。
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