第6話 人を呪わば①

 呪いの歴史を紐解くと、恐ろしいことに紀元前にまで遡ることができる。

 つまり、人の歴史は呪いと共にあるといっても過言ではないのだ。

 呪いとは、憎い相手を精神的に、肉体的に、社会的に傷つけ貶めたいと願い行う行為のことだ。

 単に不幸になってしまえというものから、死んでしまえと願うものまで、呪いに込められた思いも多岐にわたる。そして、その思いの数だけ呪いの方法も存在する。

 有名な呪いの方法というと、日本人ならやはり丑の刻参りが頭に浮かぶだろうか。丑の刻、現在の時刻だと午前一時から三時にあたる時間に、神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を釘で打ち込むというものだ。このときに身なりや行動にも細かい指定があり、軽はずみな気持ちで行えるものではない。

 呪いとは、物凄い執念を必要とするものなのだ。どれだけ面倒で手間な手順を経ても、それでもなお憎い相手を不幸にしたいという、並々ならぬ負の念がなければ決してできない。

 そして、「人を呪わば穴二つ」という言葉にもあるように、自身もその呪いの余波を受けたり跳ね返ってきたりというリスクを覚悟しなければ実行してはいけない。もしくは、成就に命をかける覚悟がなければ呪いは達成できないということだ。

 それでもなお、憎い相手を呪いたいという人間がいなくなることはない。

 その証拠が、紀元前にまで遡ることができる呪いの歴史だ。

 この長い歴史の中で、誰かを呪えば自分にも災いが降りかかるということを人間は知っている。知っていてもなお、人間の文化の中から呪いがなくなることはないのだ。



 夜宮高校に通うある女子生徒の中にも、呪いを実行してしまった者がいた。

 呪った相手は、同じ学年の女子生徒だった。その女子は顔立ちが特に美しいというわけではないが人好きのする愛嬌のある顔をしていて、社交的で、クラスと言わず学年の人気者だった。女子のグループでは中心的存在にいて、男子たちからも一目置かれてちやほやされていて、言ってみればこの学校生活という小さな社会においては勝ち組だった。

 ある女子も、最初のうちは彼女のことが好きだったのだ。それどころか、彼女はある女子を認め、自分の親友だといって特別な存在として扱ってくれていた。

 特別な女の子に選ばれた特別な自分――最初のうちは、そんな優越感に浸ることができた。彼女に特別扱いされることで、周囲の人間達から雑に扱われることなく得もしていた。

 だが、あるとき気がついてしまったのだ。

 彼女は、自分のことなど全く認めていない。それどころか、見下してすらいると。彼女は自身がナンバーワンでいるために、そばに脅威となる者は置かない。ある女子が彼女に親友ポジションを与えられていたのは、彼女を脅かすような魅力がないからだったのだ。

 とある出来事でそのことに気が付いてしまった途端、もう許せなくなってしまっていた。

 彼女を苦しめたい、彼女を不幸にしたい、彼女が今の立場を失うところが見たい、その見下した考え方を悔いることはないだろうが逆に見下される存在になってのたうち回るところが見たい――そんなふうな感情に支配されるようになった。

 そこから女子生徒が呪いに手を出すまでは早かった。

 今は便利な時代で、酔狂な人間が様々な呪いについてまとめたサイトならいくらでも出てくる。

 女子は、それらのサイトを心躍らせながら眺めた。まだ実際に呪いを実行したわけではないのに、大嫌いな彼女を苦しめるための方法が世の中にこんなに存在しているのだということが、とびきりの娯楽を見つけたかのように楽しい気分にさせてくれたのだ。

 呪いについてまとめたどのサイトにも、呪いは自分に跳ね返ってくるリスクがあること、そのため自己責任で行わなければならないことが注意書きしてあった。それはその女子生徒も、わかっていたことだ。

 だが、わかっていたことであっても、それは嫌だと女子は思ったのだ。

 呪われるのは、不幸になるのは、彼女ひとりであってほしい。跳ね返ってくるなんてまっぴらごめんだ、と。

 だから「相手を呪い続ける限り呪いが返ってくることはない」という方法を見つけたときは、これこそ探していたものだと大喜びした。

 その方法は若干手間がかかるものの、丑の刻参りなんかと比べると格段に難易度が低いものだった。深夜に神社の御神木になんて、とてもではないが行けるものではない。その点、見つけたその呪いは自宅でこっそり実行できる素敵なものだった。

 用意するものは、呪いたい相手の髪の毛数本と相手の名前を書いた紙、毛糸適量、それから土と腐った魚など。まず毛糸で人型の編みぐるみを作り、その中に髪と名前を書いた髪を入れる。土に腐った魚を混ぜたものにその編みぐるみを埋めれば、完成だ。

 毎日欠かさず新たに腐った魚を埋め続ければ、呪いは継続して相手に降りかかり、自分に跳ね返ってくることはないのだという。

 呪いの効果はすぐに現れ、顔を中心に彼女の皮膚には膿を吐き出す醜い吹き出物がたくさんできた。最初のうちはマスクや髪で隠して学校に来ていたものの、そのうちに来なくなってしまった。周囲からの視線が、扱いが、変わったことに耐えられなかったのだ。

 吹き出物だらけの化け物みたいになっていく彼女を見て、女子生徒は喜々として毎日腐った魚を土に埋め続けた。彼女が学校に来なくなってからも、ずっと、ずっと。まだまだ気が済まないから。気が済むまで、苦しんでもらわなければならないから。

 女子生徒は勘違いしていたのだ。ネットで見つけたその呪いが、好きなだけ相手を呪えるものだと。自分が飽きたら辞められるものだと。

 だが、実際はそんな便利な呪いなどない。呪いはすべて、それを行ったものに跳ね返ってくるのだから。

 

***


 ある日の昼休み、駿は図書室に来ていた。別に本が読みたかったわけではない。教室が居心地が悪かったし、静かなところで落ち着いて考え事がしたかったのだ。

 図書室は、特別棟とは違う理由で落ち着く場所だった。特別棟は開かずの教室というヤバイものがあるゆえに有象無象が寄ってこない場所なのだが、図書室にはそれとは違う強い存在がいる。

 幽霊なのか本の付喪神的な何かなのか、わからないが強くて人間に害をなさないものがいるため、校内にいるような有象無象がうろついていることはない。だが、それはとても本好きな存在らしく、用もないのに図書室にいるのを知られるとさりげなく追い出されてしまうのだ。

 駿は本にあまり興味がないため、いつも長居させてもらえない。本を手にして読むふりをしたり、本を探すふりをして書棚の間を歩いたりしても、毎度見抜かれて追い出される。

 追い出されるのがわかっていても少しの間だけでも静かな場所にいたいと図書室にやってきていたのだが、学校なんて場所ではなかなか安寧は得られないらしい。


「ねぇねぇ、そういえば聞いたー?」

「もしかして、三年のあの女子の先輩のこと?」

「そうそう」


 駿がいた書棚の近くから、そんな声が聞こえてきた。本人たちは声をひそめているつもりなのだろう。しかし、コソコソ話の声のほうが、実はよく響くのだ。


(おしゃべりなら外でしろ。何も見えねぇあんたらは外でも教室でも平気だろうが)


 ものすごくイラッとして、駿は思わずそちらを一瞥して舌打ちしてしまった。目つきが悪いため、話をしていた女子は駿に睨まれたと思ったらしい。怯えたようにそそくさといなくなった。図書室は勉強か読書をする場所なのだから、無駄なおしゃべりならよそでやれという話だ。

 これが微笑ましい会話の内容だったら、駿もここまで苛立つことはなかっただろう。先ほどの女子生徒たちが話そうとしていたことは、ここ最近いろんなところで耳にしてうんざりしているのだ。

 その話は、駿と同じ三年の人気者だった女子が突然謎の皮膚病を患い、学校に来られなくなってしまったというものだ。最初はひどいニキビがひとつふたつできたのではないかと本人も周囲も思っていたのだが、それは治るどころか数を増やし、先にできたものは弾けて膿が吹き出し、その後爛れたようになってしまったのだという。そして、その女子は皮膚病を苦にして学校に来なくなってしまった。

 噂はそれだけに留まらず、数日前にはその女子と一番に親しかった別の女子も同じような症状になってしまったらしい。そしてその別の女子も、学校に来なくなってしまった。

 そのせいで、噂は尾ヒレがついて急速に広まり始めたのだ。

 この皮膚病は祟りだ、誰かが悪霊の怒りに触れたため学校に呪いが撒き散らされているのだ、と。

 この手の噂を広めている連中が軒並み面白がって、人の不幸を喜んでいる感じがするのは駿は嫌でたまらなかった。そういうやつに限って、べっとりとよくないものを身体につけているのだ。だから、ああいった話をする連中が近くにいると気分が悪くなるから駿は嫌なのだ。

 祟りだ呪いだと本当に信じているのなら、その話を口に出すべきではない。ああいう連中がそういった言葉を口にするのは、信じていないし馬鹿にしているからこそだ。


(呪いが拡散してんじゃなくて、普通に考えたら自分に返ってきただけだろ)


 噂ではまるで無差別に被害者を生む呪いであるかのように言われているが、これは単純に誰かが嫌いなやつを呪ってうまくいったものの、気を抜いて自分に返ってきたのだと駿は考えている。つまり、二番目に呪われたかのように見える人物が、この呪いの実行者だ。

 だが、そんなことははっきり言って瑣末なことだ。駿が気になるのは、この学校の人間が迂闊にオカルトに近づきすぎることについてだ。

 娯楽の溢れたこの時代に、こっくりさんやタルパや呪いなんてそうそう手を出すものではないはずなのに。スマホがあるから情報を得るのがたやすいのはわかる。しかし、だからといって気軽にこっくりさんをしようとか、理想の友達を作ろうとか、嫌いな相手を呪ってやろうなどという思考にはならないと思うのだ。

 腑に落ちないというか納得できないというか、この今の夜宮高校の状況に、駿は違和感を覚えているのだ。

 それに何より、この前の屋上の件がある。あの不気味な文字はあのあと源と二人で消したが、誰が何のためにやったことなのかはわかっていない。……階段に足跡がなかったことや、その場にあった禍々しい気配から、人間の仕業でないことは明白なのだが。

 何かが、人間ではない何者かが、この学校で何らかのことをしようとしている気がしてならない。

 だから駿はそれが何なのか、自分や源に何ができるのか、いい考えが浮かばないかと必死で頭を悩ませていた。


「うおっ……なんだ?」


 駿が本を探しているふりをして書棚の間を歩き回っているのを、図書室の主に勘づかれたのだろう。威嚇か警告か、本が数冊落ちてきた。真面目にこれでも読めということか、嫌がらせするぞ出ていけということなのか。いつものことだから驚きつつも特に動じることなく、駿は落ちた本を拾おうとした。

 そのとき、それらの中に不審なものを見つけた。


「ノートだ。秘密の交換日記か? こんなとこに隠すなよ」


 見つけたのは一冊のノートだったが、駿は中は見ずに棚に戻した。他人のノートに興味はないし、こういったものには関わり合いにならないのが一番だと知っている。駿は幽霊やよくわからんものも怖いが、人の念みたいなものも怖いのだ。

 なんの変哲もない普通の大学ノートだったのに、触ると何となく嫌な気配がした気がして、駿はズボンでゴシゴシと手を拭いた。

 時計を見ると、あと少しで昼休みが終わるという時間になっていた。結局何も考えはまとまらないままだ。それでもこれ以上長居して図書室の主に攻撃されてはかなわないから、仕方なしに教室に戻ることにした。


***


 放課後を告げるチャイムが鳴るや否や、源はがっちり腕を掴まれて廊下をやや引きずられるように歩いていた。腕に霊瘴が起きているわけではない。物凄い熱意でしがみついてくる人間に、腕を掴まれているだけだ。


「あの、花田先生。僕はひとりで歩けますから」

「そんなこと言って、逃げる気でしょ? だめですよ、相談に乗ってくれるって言ったじゃないですか」

「いや、うーん……」


 強引に腕を引くのは、三年四組の担任である花田佳恵だ。昼休みに自分のクラスの生徒のことで相談したいと言われたのだが、ヤバイにおいを感じ取って「今はー、ちょっと難しいのでー、あとでー……」などと言って逃げたのだ。決して、相談に乗るなどと答えた覚えはない。


「うちのクラスの女の子たちのことが噂になってしまってるのはご存知ですよね? 多少尾ヒレはついてますけど、概ね合ってます。年頃の女の子なのに、本当に可哀想で……」


 花田は源を職員室まで引っ張っていくと、生徒指導室の前で立ち止まった。職員室の一角に四角く区切って存在する生徒指導室からは、何やら不穏な気配がした。

 三年四組の生徒の噂といえば当然、源の耳にも届いている。というより、昼休みの終わりにも駿からわざわざ「あの件は呪いだと思う。一番最初に皮膚病になって今も休んでるやつが被害者、二番目に皮膚病になったやつが実行犯じゃないかな。失敗したか呪詛返しされたか?」などというメッセージが来ていたのだ。

 そのメッセージを読んだのもあって、源は生徒指導室に入りたくなくてたまらない。駿の推測を信じるならば、生徒指導室にいるのはおそらく、呪いを実行した生徒で間違いない。


「噂は聞いていますが、僕に力になれることはないと思うんですよね。その、問題の生徒さんと接点があるわけじゃありませんし……」


 何とかならないものかと、源はヘラヘラと笑って花田の手をほどこうとした。しかし、必死の笑顔を浮かべる花田は余計に爪を食い込ませるだけだった。


「そんなそんな! ご謙遜を! 新学期が始まってすぐにも、こっくりさんを呼び出したって怖がってた生徒たちを落ち着かせたんですってね」

「あれは、ただ話を聞いてあげたらたまたま解決しただけですから……」

「またまた! 源先生がこういうことに強いのは、我々も生徒たちも何となくわかってるんですよ」

「……こういうこと、とは?」

「オカルトですよ。オバケとか、都市伝説とか、そういう変な話に詳しいって」


 オカルトに無縁そうな花田にまで評判が届いてしまっていることに、源は閉口した。

 確かにこれまで、その手の話で困ってそうな生徒にはさりげなく声かけして相談に乗ってきた。それが風の噂で広がり、こっくりさんの件のように思わぬ生徒の耳に入ってしまうこともあった。

 しかし、だからといってまるでその道のプロか何かのように頼られて――いや、押し付けられてしまうのは、違うと思うのだ。

 教師だから、生徒が困っていたら助けてやりたいと思う。それがオカルト絡みのことなら、他の教師より多少役に立つという自負はある。

 だが、無策のまま飛び込むのは勘弁願いたかった。


「最初に学校に来なくなってしまった子とはなかなか連絡が取れない状況になっているんですけど、その子と一番仲が良い子とは今日連絡が取れて、ここに連れてきてるんです。相談に乗ってあげてくださいね」

「え、あ、うぅ……」  


 花田は生徒指導室のドアを開けると、源を放り込むようにしてその中に入れた。そして、逃げられないように自分もそのあとに続いて入室する。

 二つ並べてある長机と、それを取り囲むように椅子が並んでいるだけの狭い室内だ。その椅子のひとつに、生徒がうつむいて座っていた。制服を着ているが、紫外線対策でご婦人が被っているようなつばの広い帽子を被っているから、その格好はちぐはぐだ。

 だが、その女子生徒がまとう異様な雰囲気に源は圧倒されていた。源の目は、駿のようによくはない。それでもわかるほど、その女子の姿は禍々しかった。

 源の目には、その女子の姿は本人と黒い靄の二重写しのようになっている。靄はガサガサとノイズがかかるみたいに揺れていて、じっと目を凝らして見るのはためらわれた。

 それに何より、生徒指導室に入った瞬間から物凄い悪臭がしていたのが気になっていた。生ゴミのような饐(す)えたにおいだ。その女子生徒自身や花田の様子から、この悪臭を感じているのはこの場においては源だけのようだ。

 源はこれまで体験したことがなかったが、霊感の鋭い駿が言うには匂いというのはひとつの基準らしい。簡単にいうと血やゴミのような気持ち悪いにおいがしたときは、近くに悪いものがいるのだという。ただ、花の匂いがずっとつきまとってくるというようなときも注意がいるらしいが、その場合は匂いだけにとどまらないからわかると言っていた。

 とにかく、源は今、自分がまずい状況なのだということを理解した。いつも空気を浄化してくれる背後の存在も、きっと頑張ってくれてはいるのだろう。だが、それでも室内の空気が浄められる気配はなかった。


(これは……まずいかもしれないな)


 これから女子生徒と対峙するぞと思うと冷や汗が止まらなくなった源は、部活に行けない旨をこっそりメッセージで駿に送った。


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