第2話 何かがついてくる①
巷で語られる怪談の中には、誰かが実際に体験した怖い話が流布したものと、怖がらせようとして作られた話があるとされる。
その創作怪談の中でも、純粋に人を怖がらせるために作られたものと、その話を広めることで人々に警告をしたり注意を促したりする訓話めいたものがある。
訓話めいた怖い話は、妖怪の出てくる話に多い。たとえば、河童や小豆洗いの話なんかがそうだ。
「川には河童がいて、尻子玉を抜かれて死んでしまうよ」「『あずきあらおか ひととってくおか』という声が聞こえたら、そちらに近づいてはいけない。水辺に小豆洗いという妖怪がいて、人を攫うんだよ」と言い聞かせることによって、水辺の危険を子供にもわかりやすく教え諭していたと考えられる。
こんなふうに、元々は聞いた人に注意を促すための害のない話だったものが、人伝に広がるうちに形を変え、恐ろしいものになってしまうこともある。
形が変わるだけなら、より人を怖がらせるものになっただけだと考えるだろう。だが、それは違う。
河童も小豆洗いも、ある場所に“いる”とされていたものだ。その“いる”とされているものが注意を促すためのほんのり怖い存在から、恐怖を感じさせるものに変容したら、それはやがて本当に人々に害をなす存在になってしまうのだ。
人の思いというのは、積もり積もればやがて形をなすものだから。ではそれが、人々の恐怖が積もって形をなしたものだとしたら……どうなってしまうのだろう、ということだ。
夜宮高校でも、そうして変質した怪談が流行ってしまっている。
それは、元々は送り犬や送り狼と呼ばれるものの類話だった。
送り犬とは、夜道を歩いていると後ろをついてくるという犬のことだ。その犬がついてきていると思ったら、振り返ってはいけない。そして転んではいけない。もし振り返ったり転んだりすれば、その犬に食い殺されてしまうから。
というのが、一般的に伝わる送り犬の話だ。
夜宮高校で古くから語られていたのも、大体はこの話の筋と同じだった。犬ではなく“何かわからないもの”がついてくるという話で、振り返ったり転んだりすれば憑かれてしまうというものだった。
だが、いつの頃からかこの話は形を変えてしまった。その“何かわからないもの”は人間が自身の存在に気づいていると知るや否や、ものすごい速度で追いかけてくるのだという。もしそれに捕まってしまうと……大切なものを奪われてしまうそうだ。
この噂の舞台となっている場所は、夜宮高校の裏手を抜ける緩やかな坂道だ。平坂などと呼ばれ、主に徒歩通学の生徒たちによって利用されている。
その男子生徒にとっても、平坂は通い慣れた道だった。
だが、ある日のこと。
大事な大会を前にいつも以上に部活に熱心に取り組んでいたその男子生徒は、帰るのが遅くなってしまった。
校門までは部活仲間と一緒だが、そこから平坂のほうを抜けるのは彼だけだ。春とはいえ、夕暮れ時を過ぎると暗くなるのは早い。いつもより暗い道を、少し不安になりながら歩いていた。
そうやって、不安になったのがいけなかったのだろう。男子生徒はふと、この平坂についての噂を思い出してしまったのだ。いつもだったら、思い出してもすぐに気をそらすことができた。だがその日は時間が遅いこともあって、できなかった。この薄暗い道を、怖いと思ってしまった。
怖いと思ったのが、いけなかったのだ。男子生徒は、すぐ後ろに何かがついてきているような気がした。噂の通りだ。これが噂の“何か”なら、捕まってはいけない――そう思って、全力で走り始めた。
男子生徒は陸上部に所属しているため、足には自信があった。得意とするのは短距離走だ。今度の大会だって、いい記録を出すとコーチに期待されている。自慢の足なら、追いつかれるわけがない――そう思った。
だが、そんなふうに思った途端、噂の続きを思い出したのだ。“何かわからないもの”に追いつかれてはいけない。もし追いつかれたら、大切なものを奪われてしまう、と。
思い出して、自分の大切なものは何だと考えてしまった。考えて頭に浮かんだのは、この自慢の足だった。
その直後、男子生徒はバランスを崩して転んでしまった。そして――。
「いやだ!」
足を何ものかに掴まれ、思いきり引っ張られてしまった。
***
小幡駿は、朝から険しい顔で校門前に立っていた。
目つきは元々鋭いし、学校に行くときは表情がきつくなる。だが今日は、それに輪をかけて険しい顔をしていた。
というのも、これまではうんと気を張るのは校内にいるときだけで済んだのが、数日前から通学中にも緊張感を保っていなくてはならなくなったのだ。
駿が恐れる幽霊というものは、どこにでもいる。通学路にも、当然いた。だが、よほど曰くつきの場所や心霊スポットでもない限り、凶悪なものや大量の霊がうじゃうじゃなんてことはないはずなのだ。
駿が通学路に使っている平坂と呼ばれる場所にも、よくわからないものがふよふよしているのは知っていた。そいつのことなのか、送り犬から派生したような話があるのも耳にしていた。
ところがその噂の内容がいつしか不穏なものになり、数日前に本当に被害に遭ったという生徒が出てしまったのだ。その生徒は陸上部に所属していて、足を怪我したため次の大会に出場するのは絶望的と言われている。
そうして実害が出てしまったことで、噂は信憑性を持って瞬く間に広まってしまった。
噂が不穏なものに変質したあたりからよくなかったのだろうが、今回実害が出たことがさらによくなかった。
噂や、その核となる得体の知れないものは、人に語られることで力を得る。それが恐怖を伴って急速に流布したとしたら、その核もまた急速に邪悪なものとして力をつけたということだ。
今までなら気を張っていれば平阪を通ることなど何てことないことだったが、怪我をした男子生徒が出てからはかなり緊張感を持って歩かなければいけないほどになった。
そいつの姿は見えない。だが気配はする。一体どこから飛び出してくるんだと警戒して歩かなければならないというのは、駿にとっては由々しきことだった。
「小幡くん、おはよう。……って、今日はいつにも増して顔が険しいな」
駿が陰鬱な気持ちで待っていると、ようやく待ち人である源がやってきた。慌ててきたところを見ると、どうやらバスが遅れたようだ。
「事故か何かあったんですか?」
「いや。ただ利用者がいつもより多くなって、それで乗り降りに少しずつ時間がかかるようになったみたいだ。雨の日はぐっとバスの利用者が増えて混むだろう? あのくらいは増えてるね」「うわぁ」
「やっぱり、あの噂のせいだろうね」
あの噂と聞いて、駿は顔をしかめた。ここ数日、どこに行ってもこの話ばかりだ。生活に支障が出てきているだけあって、本当に迷惑している。
「……あんまり噂を広めんなっての。怖いなら口にするなよ」
噂が広まること、恐怖が撒き散らされること、それらはすべて“何かわからないもの”に力を持たせることになる。だから、語られなくなること、忘れられることが一番望ましいのだが、今の状態ではそれが難しい。そのことに、駿はうんざりした。
「そうだよねぇ。これ以上広まると……っていうより、実害が出ちゃった以上、対処しなくちゃいけないんだからさあ」
「対処って……この場合、この前のバカ女子たちがやった“こっくりさん”とはワケが違うんだ。何すりゃいいんだよ」
対処という言葉を口にして、源はあきらめたような、駿は心底嫌気が差したような、そんな顔をした。
というのも、二人は夜宮高校の近辺で起きたこういったオカルト絡みの事件をこっそり対処して回っているのだ。
源は教師という立場からの行動だが、駿は自分のためでもある。剣呑な空気をそのままにしておけば、ただでさえひどい状態のこの学校がさらに居心地の悪い場所になるから。
といっても、源は背後の術者の影響で多少勘が良い程度で幽霊がいてもぼやっとした輪郭や良くない気配なんかを感じ取ることしかできないし、駿にいたっては幽霊をはっきり見てしまうだけで退治も浄化もできない。
だから対処するといっても、源は禍々しい気配をまとってしまっている生徒に声をかけて悩みを聞き出したり、気になる場所を浄化して回ったり。
駿はネットや本で得た知識で御札を書いたりお経を唱えてみたり盛り塩をしてみたりするだけだ。あとは不浄には悪いものが寄ってくるというから、掃除を念入りにするといったことくらいか。
先日の女子生徒たちの件についても、もう一度こっくりさんをさせて今度は正しい手順でお帰りいただく、ということくらいしかできなかっただろう。
はっきり言えば、行き当たりばったりというやつだ。それでも、これまで何とかやってきたのだ。
とはいえ、元々夜宮高校の状態がひどすぎるから、これ以上悪化しようがないということかもしれないが。
「この前のすごい子いたでしょ。男虎さんっていう。僕のクラスの子なんだけどね。あの子、郷土研究会に誘っておいたから。今日の放課後、部室に来るよ」
「は? 急だな!」
教員用の下駄箱と生徒の下駄箱は場所が分かれている。それぞれの下駄箱に向かうために別れるということでそんなことを言われて、駿は面食らった。
「急って言っても、早めに声をかけとかないとね。あの子、人付き合いがうまいから他の部活に誘われても困るし」
「それは、そうだけどさ……」
「というわけだから、放課後に備えて心の準備をしておいてね」
「え、あ、はい」
言いたいことを言うと、源はさっさと歩いていってしまった。仕方がない。彼が向かうのは職員室、駿が向かうのは教室なのだから。
(心の準備って、何すりゃいいんだ……)
ひどく戸惑いながら、駿は自分の教室まで歩いていった。
金剛力士像のような守護霊を背負った後輩が放課後にやってくると聞かされた駿は、結局心の準備のために何をすればいいかわからなかった。だから歴史の教科書を開いて金剛力士像の写真を見たり、スマホで金剛力士像のことを調べたりして過ごすことしかできなかった。
写真を改めてじっくり見て気づいたことだが、金剛力士像は顔は怖いものの別に圧は感じなかった。あの女子の背後にいるものに感じた圧は、やはりあれ特有のものなのだなと理解した。そのこと以外、特に収穫はない。
準備という準備もできないまま、駿は放課後を迎えた。HRが終わるや否や、猛ダッシュで教室を飛び出して特別棟に駆け込んだ。
“会長”特典で持たされている鍵で解錠し、地学準備室に入室した。
教室ではほぼ誰とも話さず、朝と帰りは源にべったりで、部活に熱心なため授業が終わるとすぐに郷土研究会の部室まで走っていく男――それが周囲の駿に対する印象で、怪しさと意味不明さが満載だが仕方がない。学校にいる間、落ち着くのはここだけだ。それに“部活に熱心”というのも、ある意味で嘘ではない。
「……いつ来るんだよ」
自分がものすごく早く部室に着いていることを棚に上げ、駿はそわそわしていた。本当はあまり来てほしくないのだが、来るなら早く来てほしいなどと矛盾したことを思ってしまうのだ。そして、実際に来られると動転してしまう。
「失礼します」
「うわっ!」
そわそわと落ち着かない気持ちで待っていると、唐突に戸が開いた。声がかかるのと同時だ。
戸の向こうには、今日も相変わらずひょろっと背が高い眼鏡の源と、この前の小柄な女子生徒が立っていた。その背中には、金剛力士像のような守護霊がいる。
「二年四組の男虎琴子です。今日は見学に来ました」
「え、あ、三年二組の、小幡です」
金剛力士像を背負った琴子は、とても愛想よく挨拶をしてくれた。源が言っていたように、人間付き合いがうまそうだ。
そして驚いたことに、背後の金剛力士像も、ものすごい笑顔を浮かべて駿を見ていた。歯をカッと見せて、まるでアメコミのヒーローのような笑顔だ。
「こ、こ、こ……!」
「こ?」
まさか金剛力士像のような守護霊にヒーロースマイルを向けられると思っていなかった駿は、大いに戸惑った。だが、そんなことはあとの二人には伝わらないわけだから、変な声をだしたことを不審な目で見られてしまった。
「こ、コトラって感じだよな。オノトラじゃなくて」
何とか誤魔化さなければと、苦し紛れにそんなことを言った。琴子は一瞬キョトンとして、それから人懐っこい笑顔になった。
「私、小さいですもんね。それにオノトラコトコだからコトラっていうのも、いいですね」
「お、さっそくあだ名をつけたのか。いいね」
「じゃあ、先輩は“こわたん”先輩にしましょ」
「お、おう……」
源のナイスアシストもあって、金剛力士像みたいな守護霊に驚いてしまった駿の変な声は、琴子のあだ名をつけたということに着地した。ついでに駿も変なあだ名をつけられてしまったが、誤魔化せたのならいいと思うことにした。
「郷土研究会って何をするのかなって思ってたんですけど……ちゃんと資料が揃ってるんですね。すごい!」
琴子は壁の本棚に気づくと、興味を持ったらしく目を輝かせた。そこには■県■市に関する資料や地図、それからこの高校がある夜宮町についての資料を中心に本が収まっている。
「伝統ある会だからってことで、部員がギリギリでも他の部活や同好会みたいに潰れたりしないんだ。その代わりに、これらの資料を定期的に虫干ししたり湿気に気をつけたりして管理する義務があるけどね」
興味深そうに棚の本を見つめる琴子に、源が研究会の説明をしている。関心を持たせて入部してもらうためだろう。
駿は自分も会長として何かすべきだと考えたが、琴子の後ろの存在が気になってそれどころではない。
琴子の守護霊はまとっているその強力な圧に似合わず陽気な性格なようで、琴子が熱心に棚の本の背表紙を見つめている後ろで、マッスルポーズをしていた。ボディビルダーが大会のステージで披露するような、ありとあらゆるマッスルポーズだ。そんなものを見せられたら、たとえ何かいい考えが浮かんでいたとしても頭からすっぽ抜けてしまうというものだ。
「研究会の活動は、本の手入れと保管だけですか?」
「ううん。文化祭には夜宮町についての研究発表を毎年展示してるからコツコツその準備をするし、年に一回くらい新聞部から夜宮町とか夜宮高校についてのミニコラムを依頼されるから、その執筆もあるよ」
「有意義だし楽しそうだし、せっかく源先生に誘っていただいたので、入部します」
「え?」
源ほ話にそんな即決するような要素があったか?と傍で聞いていた駿は思ったが、琴子は目をキラキラして完全に乗り気だ。だが、入部はありがたいものの、まだ本題には入れていない。
源は郷土研究会の紹介を入り口に、徐々に本題に入るつもりだったのだろう。だから、ものすごく戸惑っている。
「早速の入部希望、嬉しいな。でも、何というか……せっかく興味を持ってくれたところ申し訳ないんだけど、実はまだ研究会の真の活動内容を話していないんだよね」
源は強引であるものの、本題に入るために話の方向を変えた。ありがたいことに、まだ琴子は興味を失ってはいなさそうだ。
それを確かめて、源はやや不安そうに駿に目配せしてから、再び口を開いた。
「郷土研究会っていうのは、世を忍ぶ仮の姿なんだ。僕たちの本当の活動は“怪奇クラブ”といって、夜宮高校周辺で起こっている怪しげな、はっきり言えばオカルト絡みの事件の対処をしているんだ」
ドン引きされるのではないか、胡乱げな目で見られるのではないか――源の説明を聞きながら、駿は不安になった。あまりにも胡散臭い。こんなの、下手すれば逃げられた挙げ句、親や他の教師に相談されてしまうだろう。
そんなことを考えて、駿は不安になっていた。ところが、当の琴子は目をキラキラさせている。なぜだかわからないが、どうやら俄然興味をひかれたらしい。
「つまり、ここは秘密結社ということですね?」
真剣な顔で琴子は尋ねてきた。胡散臭がっている様子もなければ、からかっているふうでもない。思わぬ斜め上からの質問に源は一瞬固まったが、すぐに立ち直って笑顔になった。
「そうなんだ! そうなんだよ! 察しがよくて助かる。さすがだよ」
「わあ! ワクワクしますね! それで、どうして私をスカウトしたんですか?」
「この前、こっくりさんをやってしまったと言って怖がってた女子生徒たちを背中を叩いて励ましてあげたじゃない? あれを見て、男虎さんは人の不安を解消するのがうまいなあって思ったんだよね。僕たちの活動はオカルト系の噂なんかを怖がってる人の不安を取り除くことがメインだから」
「なるほど! そういうの、たぶん得意です! それに、いないものに怯えてる人がいるのは可哀想ですもんね。それを何とかしてるなんて、立派な活動です!」
源がどういう方向に話を持っていくのか気になっていた駿だったが、琴子の返答を聞いて納得しま。
どうやら琴子は、オカルト絡みのことを信じていないらしい。だが、怖がっている人のことは可哀想だと思っている。可哀想だからそういった人たちを助けるのはやぶさかではない――そういう考えらしい。
(何であんなすげえのが背後にいるのに、霊感ゼロでおまけにオカルト否定派なんだよ!?)
琴子の後ろで相変わらずマッスルポーズをしている金剛力士像っぽい存在に駿は全力でツッコミたかったが、そんなことをしても意味がないとわかっているから、ぐっと堪えて押し黙るしかなかった。
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