第1話 ひとり多い②
***
新学期初日。新しい学校での新しいスタートを前に、男虎(おのとら)琴子(ことこ)はちょっぴり不安になっていた。
新しい制服に身を包み、何度も鏡の前に立っておかしなところがないか確認する。ショートボブの髪はきれいに整えられているし、制服もうまく着られている。ダサくなくチャラすぎずということに注意して念入りにスカート丈を調節したから、上出来だと思う。
でもやはり、不安は拭えなかった。
高二の春に転入するということで、緊張しているというのもある。それでも新学期に合わせているから、それほど疎外感はないのでは、と考えている。高校入学の時のまっさらな人間関係と比べるとさすがに段違いだろうが、クラス替えのタイミングでの転入だから、すでにグループができあがっていて入り込めないということもないに違いない。
そんなふうに楽観視しているにも関わらず、琴子が不安になっているのには理由があった。
それは、数日前にひと足早く学校を見てみようと見学に訪れたときに、出会う生徒のほとんどにおかしな態度を取られたからだった。
その日は学校の許可を得て、簡単に校内散策をさせてもらったのだ。春休みということもあってそんなに生徒はおらず、ゆっくり見て回ることができた。
それで、歩いている最中に気になった部活があればそっと覗かせてもらい、疑問に思ったことは質問していた。質問されたほうは琴子の存在をごく自然に受け止め、気楽な感じで答えてくれた。だが、ふと何かに気がつくとギョッとした顔で「え?」とか「誰?」とか言って、周囲の者たちと過剰に怖がってみせるのだ。
そんなことをされたらたまったものではなくて、悲しくなった琴子は軽く会釈してその場を立ち去るしかなかった。一度や二度なら受け流せたかもしれないが、度々そういうことがあるとさすがに傷ついてしまった。
周囲と打ち解けるのも人の中に溶け込むのもうまいと自負していただけに、今回のことはなかなかショックだった。しかし、ショックだなと感じつつも、出会った生徒たちに違和感を覚えていた。
「みんな、何かを怖がっているみたいだったなあ」
リボンの結び目が気に入らず、解きながら琴子は呟いた。その違和感というのはリボンの結び目のズレのように、気になりだしたらずっと気になってしまうようなものだ。
「時季外れの転入生を恐れてる……とかね」
何かの本で読んだことを思い出して、何だかおかしくなった。ある時季以外にやってくる転入生は不吉だとか、確かそんな内容だった。全体的に呪いや因習に満ちていて、それが物語の面白さではあったが、それを現実に置き換えるとおかしな話だ。
呪いだとか幽霊だとか、そんなものはあるはずないのだから。
「気にしても仕方ない。行こ行こ」
いつまでもリボンをいじっていても埒が明かないと見切りをつけ、琴子はカバンを持って部屋を出た。
夜宮高校は一学年にそれぞれ六クラスほどある、それなりに規模の大きい学校だ。だから、クラス替えをすれば前年とはほとんど顔ぶれは変わってしまう。
そういうこともあり、琴子はわりとすんなり新しい学校に馴染むことができそうだった。自己紹介も転入生として特別に前に出てさせられることもなく、クラス全員がひとりずつやる流れの中ですることができた。
まだ初日で、人間関係も探り探りだ。今のところ親しく話せているし当たりの強い感じの子にも出会っていないから、出だしは好調というところだろう。
だが、妙な居心地の悪さのようなものは感じていた。疎外感のいうほど大袈裟ではないが、話に入っていけないなという、その程度のものだ。
この学校で一年間過ごしたという前提条件を共有していないから仕方がないものの、自分には内緒の、秘密めいた話をされると、どうにも落ち着かない気分にさせられた。
ただ、意図的に除け者にされているといった悪意は感じなかった。
というのも、琴子が知らない先生の話題だったり、有名な人気のある先輩のことだったりすると、「〇〇って人がいるんだけど」と必ず誰かが補足してくれて、新参者の琴子に対して親切ではあったのだ。
だが、ある話題に関してだけは、みんな声のトーンを落として話している気がして、それが琴子を落ち着かなくさせた。「あのことだけど……」とか「春休みのあの話さー……」などと、断片的に聞こえてくるのは何となく不穏な話で、気になったものの「何の話?」と割って入るほど親しくないから、結局どの子からも詳しく聞けずじまいだった。
わかったのは、みんな共通して春休みに起こったらしい何か不穏な出来事の話をしているということだけ。
もう少しこの新しい人間関係に馴染むことができたら、知ることができるだろうか――そんなことを思いながら、琴子は職員室に向かっていた。担任に呼ばれているのだ。
新学期だし、転入生だし、たぶん何かやらかしたとかでの呼び出しではないだろう。それにクラスの子たちが言うには、担任の源先生はみんなに“げんさん”と呼ばれてそこそこ人気のある、いい先生らしい。だからもし何かの注意をされるにしても、怖い怒られ方はしないだろうということだった。
「失礼します」
「おお、男虎さん。こっちこっち」
職員室の戸を開けると、源が手招きしていた。にこやかで、怒っている様子はない。そのことに、ひとまず琴子はほっとする。
「新学期初日、お疲れ様。どうかな? うまくやれそう?」
源はにこやかに琴子に問いかけた。みんなの言うように、物腰が柔らかい感じのいい先生だと琴子は思う。
ただ、少し気になるのが、源の視線は時々、琴子の頭上というか背後に向けられているということだ。見ているところに違和感があるというか。もしかしたらかなり長身の源にとって、小柄は琴子は目線を合わせにくいだけかもしれないが。
「今日のところは、うまくやれたと思います。仲良く話をしてくれる子も何人かいましたし」
「そっか、それならよかった。男虎さん、明るくて人懐っこい感じだから、うまくやれるとは思ってたけど。でも、何か気になることとか心配なことはない? 僕が答えられることなら答えるよ」
源はちょっとうかがうような表情で尋ねてきた。琴子の感じている居心地の悪さについて察してくれたのだろうか。
知っているのなら、答えてくれるかもしれない――そう考えて、琴子は思いきって聞いてみることにした。
「あの……春休みに何かあったんですか? みんなが、春休みがどうとかってコソコソ話してるのが気になってしまって」
「ああ、あの噂か。耳に入っちゃったか。あれはね……ん? 僕に用事かな?」
琴子の質問に源は答えようとしたが、何かに気づいて言葉を切った。彼の視線を追って振り返ると、そこには不安そうな顔をした四人の女子生徒がいた。
どうやら源に用があるようだから、琴子は「どうぞ」と声をかけて場所を譲った。だが、源との話は終わっていないため帰るわけにもいかず、少し離れたところで待つことにした。
「先生はその、不思議なことっていうか、怪談とかそういうのに詳しいって聞いて、相談にきました」
「ということは、何か今、困っていることがあるんだね?」
少しの間言い出しにくそうにしていた女子生徒たちだったが、その中のひとりが意を決したように話しだした。
「実は春休み、暇つぶしで“こっくりさん”をやってしまって……」
「あらら。それは学校で?」
「はい。部室で……」
「なるほど。そのせいで、何か困ったことがあった? それとも、怖いだけ?」
「困ったことってほどじゃないけど、何かずっと違和感があるっていうか、いつも“ひとり多い”みたいな気がして、段々と怖くなってしてしまって……」
女子生徒たちはどうやら、悩み相談に来ていたらしい。聞くつもりはなかったが聞こえてきてしまって、琴子は彼女たちのことが気の毒で、心配になってきてしまった。
というのも、琴子は幽霊だとか怪談だとか、そういうものを一切信じていない。信じてはいないものの、それを恐怖する人がいるのは仕方がないと思っているし、不安に陥っている人を見ればどうにかしてやりたいと思ってしまうのだ。
いつまでもありもしないものに囚われて、恐怖しているのは可哀想だから。
今、目の前にいる彼女たちをどうにかしてやらなくてはと、琴子は女子生徒たちにつかつかと近づいていった。
「あの、すみません。話、聞こえてきてしまって。学校でこっくりさんなんてやったら、怖いですよね。雰囲気たっぷりで。何か怖いものが近くに来ちゃったかもっていうのも、わかります。――でも、大丈夫ですよ!」
琴子は元気よくそう言うと、大きく手を振り上げて女子生徒のひとりの背中を叩いた。周りの者があっけに取られている間に、残りの三人の背中も順々に叩いていく。
「いきなり叩いてしまってすみません。でも、うちのおばあちゃんが言っていたんです。怖いものが近くにいるな、入ってきたなって思ったら背中を強く叩けばいいって。どうですか? 怖い気持ち、いなくなってませんか?」
琴子が真剣な顔をして言うと、たまりかねたように源が笑いだした。
「いや、男虎さん、すごいよ。君、本当にすごい。でさ、みんな。身体が軽くなったんじゃない?」
源がいい笑顔を浮かべて尋ねると、それまでキョトンとしていた女子四人がハッとした。そして、お互いに顔を見合わせて、何だかほっとしたような表情になった。
「不思議だけど、何となく楽になった気がします」
「気づかないうちに感じてた寒気みたいなのがなくなったような」
「肩とか腕とかのゴワゴワ感がなくなった気もする」
「怖いのとかどうでもよくなって、ちょっと楽しいかも」
四人の女子生徒は口々に言って、安心したように笑った。
それを見て源はうんうんと頷き、琴子も何となく達成感のようなものを感じていた。
「元気になったみたいで、よかったです。きっと、血行がよくなったんでしょうね」
「あーうん。そうなんだろうね。男虎さん、これからも元気がない、悩んでいる人を見かけたら、背中を叩いて励ましてあげてね」
「はい、わかりました。それじゃあ、失礼します」
達成感で心が満たされた琴子は、元気よく頭を下げて職員室を出て行った。源に聞きたいことがあったことなど、すっかり忘れてしまっている。
それでも、琴子はよかったのだ。新しい学校でやっていくことの不安も、みんながコソコソ話していた話題を知らない落ち着かなさも、すっかりなくなっていた。
終わり良ければすべて良し。琴子の新生活初日は、良いスタートを切ることができたといえる。
***
新学期初日の短い日程を終えた駿は、今日は地理準備室に行かず、職員室前の廊下にいた。源が仕事を終えたらすぐ、一緒に帰るためだ。それに、校内に不穏な噂のことで耳に入れておきたいこともあった。
本当は教室棟にはいたくないのだが、職員室の前はまだマシだ。おそらく、源がよく出入りする場所だから、他のところよりきれいなのだろう。
多少居心地悪さを感じつつも、駿は参考書を読みながら廊下で待っていた。すると唐突に寒気がして、参考書から視線を上げた。
ちょうどそのとき、四人の女子生徒が職員室に入るところだった。その四人の背後に気味の悪いものが貼りついているのを見て、駿はギョッとした。
それは、うねうねと形を変えながら、人間の形を模そうとしていた。駿がさらに恐怖を感じたのは、それがこの学校の制服を身に着け、女子生徒たちの顔を次々に真似ようとしていることだった。
ヤバイ、どうしよう、あんなものが職員室に入っていったのか――焦った駿はどうしようか悩んだものの、すぐに動くことができなかった。源の背後の術者が場の浄化を得意としていても除霊の類はできないと知っているから、放っておけないと思ったのだ。だが、駿も目がいいだけで何もできない。だから、無策で乗り込むのも考えものだった。
そうして逡巡しているうちに、しばらくして女子生徒たちが職員室から出てきた。彼女たちの背後には、驚くことに何もいなくなっていた。まとっていた不穏な空気すら、一掃されてしまっている。
そのことに驚いていると、直後にさらに度肝を抜くようなものが出てきた。
職員室から出てきたのは、ひとりの小柄な女子生徒。問題は、彼女の背後にいるものだ。
それは、金剛力士像のような筋骨隆々の霊だった。小柄な少女の後ろにいることを抜きにしても、それは大きかった。そして、ひと目で強力な守護霊であるとわかる。
金剛力士像は女子生徒の後ろにぴったり付き従い、彼女を守っていた。近寄りすぎて時々彼女をすっぽり覆ってしまい、彼女ほ気配を隠してしまっているときすらあった。
駿はそれを、呆然と見送った。あまりに呆けてしまっていたため、源が職員室から出てきてすぐそばにいることにさえ、少しの間気づかなかったほどだった。
「小幡くん、あれ見た?」
「わっ、びっくりした……あれってどっち? ヤバイの連れてた女子四人? それとも、デカイの背負ったちっこい女子?」
「両方。あのヤバイのを、デカイのが祓ったんだよ」
「は?」
ただでさえ自分の見たものにびっくりして思考が追いついていないのに、さらに情報を追加されて駿は混乱した。そんな駿の混乱をよそに、源は話し続ける。
「あの子さ、いきなりヤバイのが憑いてる背中をバンッて叩き始めたんだよ。そしたらそれに合わせてあの子の後ろのデカイ守護霊さんもヤバイのをガシガシ殴り始めてね。……四人の背中を叩き終えたあとには、ヤバイのはすっかり消え去ってたよ」
「えー……」
信じられないわけではなく、あまりのことに駿は言葉が出なかった。だが、あの守護霊から感じた強力な圧のようなもののことを思うと、何も不思議なことはなかった。
「あの子さ、男虎さんっていうんだけど」
源が、声をぐっと落とした。どうやら、今まで話していたことよりさらに、人に聞かれたくない話をするようだ。何だろうと、駿は身構える。
「うちのクラブに、欲しいよね」
どこかワクワクするように、源は言った。それをどこかで面倒くさいと思いつつも、駿も納得してしまった。
あんなにすごいものがいるとわかったら、興味を持つのは仕方がない。
「そうだな。確かに、あんなのがいたら心強いですね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます