第4話 山から呼ばうもの①

 古くから山という場所は、人間に恐れられてきた。

 山が異界の入り口だとする考えや、山自体を異界とする考え方があったからだろう。

 日常と地続きでありながら、この世とは違う場所。恵みをもたらしてくれるが、同時に災いをもたらす場所でもある。だから人々は山を恐れ、敬っているのだ。

 そういった山への思いと関わりがあるものに、山岳信仰というものがある。山に神がいる、もしくは山自体を神聖視し、崇拝の対象とするものだ。

 山を信仰するというと修験者などの限られた者の信仰という気もするが、昔の日本人にとってはとても身近な信仰だった。

 豊穣をもたらすとされ春になると迎え入れられる農耕神である田の神は、一部の地域では収穫が終わる秋には山の神として山にお帰りいただくことになっている。暖かい時期には恵みをもたらす神も、その季節が終われば災いなすものになるため、異界である山へ帰っていただくという考えなのだろう。この農耕神への信仰も、広い意味では山を信仰していると捉えることができる。

 こんなふうに山には神々がいる、人智を超えた何かがいると考えられていたからか、山にまつわる怪異譚というものはとても多い。

 親しみやすい、さほど怖くない話だと狐狸の類に化かされた話などがある。旅人が山道で迷っていたところ灯りのついた小屋を見つけ、そこの住人に食事や酒の歓待を受けてひと晩泊めてもらったはずが、明け方目覚めると何もない山の中にいたなどという、そういう話だ。

 親しみやすいものといえば、山童(やまわろ)と呼ばれる妖怪もいる。河童のように牛や馬などにいたずらすることもあるが、木こりの仕事を手伝ってくれることもあるのだという。手伝ってくれたお礼に酒や食べ物を渡せばその後も繰り返し手伝ってくれるようになるという話だ。

 山は日常と地続きの面もあるため、こういった恐ろしくない話もあるのだろう。だがやはり、神がいるとされる場所だ。異界だと考えられている場所だ。だから当然、肝が冷えるような怖い話も存在する。

 むしろ、怖い話のほうが多いかもしれない。


 夜宮高校に通うある男子生徒たちも、あるとき山のほうで何か不思議なものを目にした。

 それは日が沈んだ、夜の始まりくらいの時間だった。そんな時間に高校生がなぜ山を見ていたかというと、部活動のためだ。彼らは天文部に所属していて、星について学ぶことと実際に星を見るのが活動内容だ。

 だが、夜宮高校は屋上への立ち入りを禁止している。安全対策のために禁止している学校も多いと聞くが、部活などによる使用は例外的に認められている場合もある。

 しかし、夜宮高校ではそういった例外はなく、それどころか屋上へ続く階段は常時鎖で封鎖されており、屋上に近づくことすらできない状態だ。

 そういった理由で天文部の男子生徒たちは星を見るのに屋上へ出ることが叶わず、いつも三階の窓から観測していた。時期が悪いと野球部のためのナイター照明に邪魔され、それがなくても周囲はさほど暗くないため、お世辞にも星を見るのに適した場所とはいえない。

 部と名乗っているものの、正式に活動している者はその男子生徒たち三人しかいない弱小部だから、活動内容がそんなお粗末なものでも仕方がない。部としての存続条件を満たすために必要な残り二人の部員は、帰宅部のクラスメイトに拝み倒して名前を貸してもらってごまかしている。

 部員も足りず星を見る環境にも恵まれず、それでも男子生徒たちが天文部を守ろうとしているのは、ひとえに星が好きだからだ。宇宙に魅力を感じているからだ。

 だからあるとき、男子生徒たちは思いついたのだ。学校を出て、外で星を見ようと。

 確か学校の裏手を抜ける道のほうは暗くて、そこから山のほうは民家が少なくなっている。徒歩通学組が使っている平坂と呼ばれる坂道をほどよいところまで登れば、星を見るのに適した場所も見つかるだろうと考えたのだ。

 少し前まで、平坂にやばい噂が流れていたのは男子生徒たちも知っている。後ろからついてくるものがあるとか、それに捕まると大切なものを奪われるとか、そんな物騒な話が。だが、最近になって「あれは『べとべとさん』なる妖怪で、ついてくる気配がしたら『べとべとさん、お先にお越し』と言って道を譲ると大丈夫」などという話が流れてきたことによって、平坂周辺の緊張が和らいだ雰囲気だ。

 この手の怖い話は、対処法が流布されると途端に勢いをなくすものだ。その対処法をかいくぐるような怖い話が流れるまでは、安全が保たれているのではないかというのが、男子生徒たちの共通した意見だった。誰もそれを、はっきりと言葉にしたわけではなかったが。

 天文部の男子生徒たちは全員がバスや電車で通学しており、そのため平坂へは行ったことがなかった。だから、これから夜が深まっていくという時間帯に不慣れな場所に行くという不安はあった。

 徒歩通学組がもう少し外灯が欲しいと愚痴っていただけあって、大きな道よりも暗い。普通なら、暗いと感じる道を怖がるのだろう。だが、男子生徒たちは天文部だ。

 理想的な暗がりをありがたがり、坂を登って少し開けた場所に陣取った。

 設置するのは、小さな天体望遠鏡。何代か前の先輩たちが自分たちでお金を出し合って買ったらしい、安物の天体望遠鏡だ。

 それでも、部員たちにとっては大事な部活の道具で、丁寧に慎重にセッティングしていった。安物だから、月のクレーターをはっきり見ることくらいしかできないが、望遠鏡を通して空を眺めることは男子生徒たちにとってはとても大切なことだったのだ。

「あれ、なんだろう?」

 セッティングして、ピントを合わせて、さあ観測しようとなったときに、部員のひとりが言った。山のほうを指差している。古くからある住宅地の後ろにそびえる山だ。

 ひとりの声に反応して全員が山のほうを見ると、何か、小さな光のようなものがゆらゆらしていた。

「何あれ? UFO?」

 ふざけてそんなことを言ってみたが、光が見えたのは空ではなく山だ。光はゆらゆら、ゆらゆらと、意味深な動きを繰り返していた。

 男子生徒たちは天体観測そっちのけで、その光に見入っていた。

 だが、しばらくそれに見入っていると、不意に彼らがいる場所が暗くなった。月が雲に隠れたのだ。わずかな外灯と月の光によって照らされていたのが月が陰って、それで暗くなったのだ。

 ほんの一瞬、そうやって気持ちがそれていた隙に、山の光はなくなっていた。そのことに気がついた途端、男子生徒たちは唐突にぞわっと怖くなって、慌てて望遠鏡を片付けて坂道を下ったのだった。


***


 琴子は、何となく物足りなさを感じて過ごしていた。

 というのも、転入してきたという新鮮さとワクワク感はすっかりなくなり、特に珍しいことも起こらなくなったからだ。

 大体の高校生にとってが、そんなものだ。琴子だって、転入前の学校で毎日ドキドキワクワクの毎日を過ごしていたわけではない。だが、新しい学校にやってきて変な部活に入ったからには、もっと刺激があってもいいんじゃないかと思ってしまっているほだ。

 担任の源に誘われて郷土研究会もとい怪奇クラブに入ったときは、これで自分の毎日が変わると思っていた。

 オカルト絡みの変な噂に対処する秘密結社――そんなことを聞かされたら、かっこいい漫画みたいなことが起こると期待してしまうのも無理ないというものだ。

 しかし、琴子がその秘密のクラブで日々やっていることは、変な噂がある場所や怪しげな場所を訪れて、震えている先輩・小幡の背中を叩いたり励ましたりするくらいだ。

 郷土研究会の会長にして琴子以外の唯一の部員である小幡は、ものすごく怖がりだ。悪い人ではないし、むしろいい人だとは思うのだが、いつも何かに怯えているように見える。その怖がりっぷりがなければ、ちょっと悪そうな雰囲気はありつつもなかなかかっこいいのに。

 怪奇クラブの目的が、オカルト絡みの噂などに対処して怖がる人の気持ちを救うというものだから、日々琴子が小幡にしてやっていることは立派なクラブ活動なのかもしれない。

 そこに不満はない。ないのだが……いかんせん刺激が足りないのが問題だった。


「ツチノコ、捕まえたいなあ」

「はあ?」


 休み時間にぽつりと呟けば、同じ机に向かい合っていた成瀬が呆れた顔で琴子を見つめた。成瀬の手には単語帳が握られている。スマホで勉強する子も多い中、成瀬はいろいろとアナログ派だ。


「ツチノコとか、あんたバカじゃないの? そんなことより試験勉強しなよ」

「試験、うん……大事なのはわかってるけど、今しかない青春を楽しいことして輝かせたいって気持ちがあるの!」

「あんたの青春がツチノコで輝くなら勝手にすればいいけど、私の勉強の邪魔をするな」

「えー成瀬が冷たいー」


 あの一件以来、琴子は成瀬にべったりだ。休み時間のたびに成瀬の席に突撃してはうざがられている。

 成瀬が突然おかしくなって教室を飛び出したのは、モラハラ彼氏による過剰な束縛によるストレスだったと見抜いた琴子は、成瀬がその彼氏と別れたと聞いたあとも心配でべったりしている。

 自宅の部屋にひとりでいると不安になると成瀬が本音をもらすと、家まで押しかけていってお泊り会と模様替えを強行し、彼女の気分が少しでも晴れるよう努めた。

 強引でお節介ではあるものの、成瀬も琴子のこれらの行動には感謝しているようで、最初は壁があったものの今ではすっかり打ち解けている。

 というわけで仲良しではあるが、成瀬は琴子の“変なもの”好きには理解を示していない。


「ツチノコのことなんて考えてる暇があったら単語のひとつでも覚えなよ。あんなの、ただの食べすぎたヘビだってば」

「違うよ! ヘビじゃないよ! 旧日本軍の研究施設での飼育記録も残ってるんだからね!」

「そんなの眉唾ものだよ。とにかく、勉強しなって」


 てきとうにあしらわれてしょんぼりしたとき、琴子は教室の隅でコソコソ話している男子たちの会話を聞いてしまった。


「こないだのあれ、なんだったんだろうな」

「やっぱ、UFOだったんじゃないか? あの山に落っこちて、それで変な動きをしてたとか」


 UFOという言葉を聞いて、琴子はその男子たちのところへすっ飛んでいった。


「その話、詳しく聞かせて」

「そ、その話って?」

「さっき、UFOの話してたでしょ? 教えて。私ね、そういう話が大好きなの」

「え……」


 ただでさえ変な動きで近づいてきたことに驚いているのに、琴子があまりにもグイグイ来るため、男子たちはおののいていた。だが、詳しく聞かせなければ立ち去らないぞという気迫を感じて、渋々といった様子で口を開いた。


「……実はさ、この前、山のほうに変なもんを見たんだよ」



 その日の放課後、琴子はひどく浮かれて平坂を登っていた。隣には、げっそりした顔の駿がいる。そしてそんな二人の少し後ろからは、三人の男子生徒がついてきていた。駿のようにげっそりはしていないものの、戸惑ってはいるようだ。

 それもそのはず。男子たちは天文部員で、数日前に見た変なものについて話していたら琴子に聞かれてしまい、仕方なく事情を話したら「一緒にUFOを見に行こう!」という話になったのだ。

 琴子はHRが終わるとすぐに郷土研究会の部室に行き、駿に事の次第を話した。嫌がる駿に「これもうちのクラブの活動ですよ」と訴え、あとから来た源も「UFOの噂を放っておくと怖がる人が出ますよ」と説得をした。

 その結果、あくまで学校帰りに問題の場所を確認するということで話は決着した。

 というわけで今、暗くなるまで待った一行は問題の場所に向かっている。


「今日、暗くなるのが早いですね」


 星も月も見えない空を見上げて琴子が言うと、駿は後ろを振り返った。


「場所はこの辺か? あんたらは巻き込まれただけだから、帰ってもいいぞ」


 どうやら駿は、天文部の男子たちを気遣っているようだ。声をかけられた男子たちは少し考えて、それから首を振る。


「俺たちもあれが何なのか気になるんで」

「あと、自分たちだけじゃなくて他の人もいるほうが安心するから……」

「男虎さんと先輩合わせて五人になって、ちょっといいかなって」


 三人は顔を見合わせて口々にそんなことを言う。天文部は部員がギリギリで廃部寸前らしい。だから、たった二人でもいつものメンバーより多いと嬉しいようだ。

 そのことに気がついて、琴子は俄然やる気になった。この場をちょっとでも盛り上げようと、カバンから何かを取り出した。


「星には興味ないけど、UFOを探す会だったらたまに参加してもいいよ。天文部と郷土研究会の合同で定期的にやろうよ、UFOを探す会!」


 ノリノリで言いながら琴子がカバンから出したのは、小さなLEDランタンだ。スイッチを入れると、あたりがパッと明るくなる。


「え……そんなもんカバンに入れてんの? 何で?」

「何でって、そりゃあ、学校の行き帰りにツチノコとかUMAを見つけるかもしれないじゃないですか。ちょっとした探検のために、こういう用意は必要なんです!」

「へぇ……」


 「すごい」とか「用意がいい」という称賛の言葉を期待していたのに、なぜか駿にドン引きされてしまった。天文部の男子たちも、特に反応はない。

 琴子はつまらなくなって、カバンに忍ばせていたもうひとつのものを取り出した。


「今度は何だ?」

「双眼鏡です。暗視もいけます」

「……用意がいいな」


 双眼鏡を一瞥した駿は、呆れるように言った。

 ほしい言葉を言われたはずなのに、琴子は全然嬉しくなかった。


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