おっさんと美少女のありがちな別れ。~当然でしょ!!~

 静まり返った部屋は、ここだけ空気が薄くなったように感じ、息が詰まりそうだった。

 君がいなくなると、この空間は広すぎるし一日は長過ぎた。

 最初の三日、寝覚めは最悪だった。思考も肉体も全く機能しない。その間僕は会社を休んだ。外にも出ず、呆然と過ごした。生きるため、食べ物を口にしたり、排泄したり最低限の行動をむりやり実行はするけれど、何かをする度に君の仕草、君の声が纏わりついた。四日目の夜、気持ちの変化が何一つないまま、仕事をこれ以上休めないという義務感だけで、五日ぶりに湯船に浸かった。

 脱衣室で身体を拭いていると、汚れの他にも身体の中から何かがそぎ落とされたように気持ちが軽くなったのが分かった。

 それから週末までは、梨子のことは考えずただ仕事に集中した。心に空いた隙間を労働で満たしていた。その隙間が何だったのかは考えないことにした。

 週末を迎えると、僕の細胞が全て入れ替わったように何もかもがクリアになった。

 そして再生した思考回路は決断をする。

 僕は決めた。梨子に想いを伝えよう。君の言葉は時々僕をはぐらかしたけど、思いはいつでもまっすぐだった。正面からぶつかる君に戸惑い、僕の答えはいつでも曖昧だった。そんな僕に嫌気がさしたのだろう。君の為に僕の夢を諦めようとした心の内も感じ取ったに違いない。それは間違いだった。君はいつでも自分の行動に妥協はなかった。楽しいと思うことは全部する。その精神が僕には欠けていた。君は『今度生まれ変わったら』と口にしたことがあるけど、その言葉はきっと不本意だったに違いない。かつて『私の前世は○○だった』と転生を示唆する人がいたけれど、誰にでも来世が絶対来るという保証はない。今やりたいと思うことは今やらなければ意味がない。君にとって写真のような過去の遺物なんてどうでもいい。過去にしがみつくなんて考えは、今を本気で生きていない証拠だ。今の正直な気持ちを打ち明けよう。僕は夢を諦めない。そして君も諦めない。中学時代の自分とは違う。君がNOでも僕は全てを受け入れる。でもハッキリ僕の口から声を出す。


 梨子にずっとそばにいて欲しい。

 僕は君を愛している。


 君が出て行ってもう一週間以上経っている。でもきっとこの部屋に帰ってくると信じている。君は僕より頭がいい。僕に激しい感情をぶつけたままで去ってしまうことはない。今まで築いてきた、二人の絆に何らかの決着をつけるため、君は必ず僕の許へ戻ってくる。


 次の日の朝、朝食を摂る僕の前に君は現われた。最後の君もセーラー服だった。

 立ち尽くした君は、思い詰めたように口を開いた。

「ごめんね、実クンにあんなコト言って。高校生のくせして大人に向かって偉そうだよね」

 珍しく君は眉をひそめ、うつむいた。

 僕は席を立ち、梨子の肩を抱いた。

「そんなことはない。僕の方こそすまなかった。僕は君に甘えていた。生きる道を見失っていた」

「『君』ってよそよそしいからリコのままでいいよ」

「梨子、これから僕の本音を言う。僕は梨子のことが好きだ……。好きだ、じゃダメだ。愛している。僕のそばにずっといて欲しい。僕は妥協した。梨子がそばにいてくれるなら夢なんて諦めてもいいと思った。それは間違いだって、ずっと梨子を見ていれば分かるはずなのに……」

「実クン、ありがとう。ボク、とってもうれしいよ。ボクも実クンとずっと一緒にいたいって思ってる。きっと初めて本気で男の人を好きになったんだって気がしてる。それが実クンで本当によかったって。でも……」

「でも?」

「ボク、実クンと一緒にいられなくなった」

「どうして」

「ママがね、ボクのコト、ずっとそばにいて欲しいって」

「だったら僕が一緒に華奈子のところに行くよ」

「ううん、それにね、ボクも出歩くの、少し疲れちゃったし、体調もあまり良くないの。だからね、ちょっとボクのやりたいコトも休憩しようかなって。それに実クンとボクじゃきっとうまくいかないよ」

 そんなことないと否定しても君を困らせるだけだと直感した。

 僕は梨子の肩から両手を下ろした。

「実クン、ありがとう。実クンは昔と変わらずとっても優しい人だった。ボク、実クンのこと一生忘れない。あっ、死んでも忘れない。パパも大好きだったけど、ママが実クンと結婚して欲しかったなって思った」

 大好きだった?

「梨子のママが僕なんかと、チビと結婚したら、こんな背の高い、可愛い子は生まれて来ないよ。それに昔と変わらずって、梨子が僕の昔を知ってる訳ないじゃん」

「ううん、知ってるよ。ボク、中学生の実クンにも会いに行ったんだ。それでボクは今の実クンのにすごく会いたくなって、それで来たんだ」

 君の言葉がよく分からなかった。

「ずっと鉄棒の上に乗ってる女の子、覚えてない?」

(?)

 増々理解できない。

「ごめん、今の話は忘れて。本当はずっとずっと実クンのところにいたかったんだけど、色々あってそうもいかないみたいだね。もうすぐボクにお迎えが来る。やっぱりママのところにはいないと心配するもんね……。あ~あ、実クンの赤ちゃん産みたかったなあ」

 その前に結婚したいだろと、心の中で突っ込んだ。女子高生が告白するには余りにも衝撃的な言葉だけれど、僕の遺伝子を遺したいなんて冗談でも嬉しかった。

「り、梨子が元気になって、大人になってもまだ、僕が好きで、僕の生殖機能も現役だったら、その時は本気で子作りしようよ。おっさんじゃなくて、ただのエロじじいになってるかも知れないけど」

 何とか僕も冗談で返した。

「そうだね。男の人って何歳でも子供作れるもんね。ボクはきっと大丈夫だから、実クンそれまで頑張っててね」

「分かった」

「もしも、そうなれたら、今度は一生実クンに服従するよ」

 君はいつものように微笑む。服従に返す気の利いた冗談が僕には浮かばなかった。僕の笑顔はきっと引きつっていただろう。

「じゃあ、またね」

 永遠の別れになるかも知れない挨拶でも、君の態度はさりげない。『またね』を確信できる根拠はない。

 僕は身体に刻みつける別れの挨拶をしたかった。察した君はラグビーのハンドオフのように右手を突き出した。

「キスも抱き締めるのもダメ。またセックスしたくなって、そうしたら離れられなくなっちゃうから」

「そ、そうだね」

 冗談を返せなかった。

「え、駅まで送ろうか?」

 僕は必死の思いで微かに漂う甘い香りを吸い込んだ。

「ううん、大丈夫。お迎え、すぐ近くに来てるみたい。お別れがつらくなるから実クンはここにいて。ボクは静かにドアを閉めるから」

「う、うん」

 納得はできなかった。でも大きな瞳で訴える最後のお願いを、僕は涙を呑んで受け入れた。

「絶対にママに電話しないでね」

 振り向いた大きな瞳が念を押した。

 梨子は自分のことで連絡しないと約束させ、華奈子の携帯番号を教えてくれた。

 ごめん、僕は約束を破る積りでいる。

 その後君は一度も振り返らず、玄関ドアの閉まる音が静かに廊下に響いた。急いで梨子を追いかけ玄関ドアを開いたが、通りを歩く君の姿もお迎えらしき車の音も、そこにはなかった。


 夢のような現実は終わったけれど、それは間違いなくここにあった。

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